第040話:九条との対峙と、動かぬ記録
巨大なフロアマスター魔石を背嚢に詰め、俺が立ち上がった直後のことだった。
大空洞の入口側、破壊された大隔壁の残骸を踏み越えて、複数の足音が近づいてきた。
避難民や救助部隊の足取りではない。整然とした軍靴の重い響きだ。
「そこまでだ、全員動くな」
冷徹で、傲慢な響きを含んだ声が大空洞に響き渡った。
立ち込める白煙を割って現れたのは、黒塗りの強化装甲服に身を包んだ10名以上の完全武装部隊。
そしてその中央、高級な防刃ロングコートを羽織った40代半ばの男だった。
冷たい細眉に、値踏みするような爬虫類を思わせる眼光。
国内最大手ハイペリオン社、魔導兵装開発部の統括理事、九条厳正だ。
背後には先ほど排気ダクトで見かけた特務班の姿もあり、手には特殊な魔導妨害ランチャーを構えている。
「九条理事! なぜあんたがこんな現場に直接乗り込んでくる!」
折れた腕を庇いながら、タケが怒りの声を上げた。
九条はタケを一瞥することすらなく、周囲に散らばるフロアマスターの光の粒子、そして俺の背嚢を一瞥した。
「第30層フロアマスターの独断討伐、および現場の証拠品保全だ。この第30層境界区画はハイペリオン社の先行開発優先エリアに指定されている。その魔石、および討伐に関わる全記録媒体を直ちに提出しろ」
九条は平然と言い放った。
スタンピードを引き起こした証拠を隠滅し、ついでに貴重なボスの素材と記録を奪い取る腹づもりなのは明白だった。
男の冷酷な視線が、俺の顔へと向けられた。
「消耗品が、目障りな真似をしてくれる」
見下すような、吐き捨てる言葉。
ネットでネガキャンを仕掛け、現場に誘引香を撒いて悪友を殺しかけた張本人。
すべての黒幕と、ここで初めて真正面から目が合った。
だが、俺の心拍数は1つも上がらなかった。
怒りで我を忘れることも、威圧に怯むこともない。
俺はタクティカルジャケットのポケットから携帯端末を取り出し、時間を確認してから静かに言い返した。
「消耗品で悪かったな。鈴の迎えに遅れるから、手短に済ませてくれ」
九条の眉がピクリと跳ね上がった。
底辺の元解体屋が、大企業の重役に対して微塵も動じず、ただ夕方の保育所の迎えを最優先にしている。
その徹底した無関心が、九条のプライドを逆撫でしたのだ。
「身の程を知らん虫ケラが。特務班、実力行使で接収しろ。抵抗するならダンジョン内での正当防衛として処理して構わん」
特務班の銃口が一斉に俺へと向けられた。
その瞬間だった。
「テメエの好きにさせるかよ!」
タケが砕けた大盾の残骸を構え直し、折れた腕の激痛を堪えながら俺の前に割り込んだ。
同時に、坂東宗一郎がガシャリと重機関銃を肩に担ぎ、赤熱した銃口を特務班へと突きつけた。
「リグ・クラフトの看板背負った重装工兵を舐めるなよ! ここは俺たち現場職人のシマだ! スーツ着て書類いじってるだけの奴らが、現場の命を横取りできると思うな!」
さらに、鋭い踏み込みとともに一条岳が前に出た。
破れた拳の周りに、青白い生体魔力の闘気が陽炎のように立ち上る。
「帝都魔導アカデミー武導研究室、一条岳だ。ハイペリオンの私兵風情が、公設ダンジョンの現場で何を企む。武導の拳、貴様らのような外道に容赦する道理はないぞ」
背後では、資格凍結の令状を受けたはずの如月雫もまた、凛とした表情で氷結の魔導杖を構えていた。
満身創痍の仲間たちが、一切の迷いなく俺の盾となって立ちはだかったのだ。
*
九条は忌々しげに舌打ちしたが、すぐに嘲弄の笑みを浮かべた。
「手負いの落ちこぼれたちが、群れたところで何になる。世論など我が社がいくらでも操作できるのだ。上空の配信など、ディープフェイクの捏造映像だと押し通せばそれで終わる。ギルド本部も、我が社の莫大な出資の前には沈黙せざるを得ん」
九条は勝ち誇ったように告げた。
事実、クロードや草薙怜奈の生配信は絶大な話題を呼んでいるが、巨大企業の法務と情報操作を相手にすれば、法的な決定打にはなり得ない。
だが、俺は呆れたように息を吐き出した。
「ネットの配信なんざ、端からアテにしてねぇよ」
俺はタクティカルスーツの胸元を指先でトントンと叩いた。
「俺が頼りにしてんのは、昔からこれだけだ」
カチリ、と胸元の小型業務記録カメラのアクセスランプが緑色に点滅した。
その直後、九条が携帯していた最高ランクの暗号通信端末が、けたたましいアラート音を鳴り響かせた。
九条が不快そうに端末を開く。
画面に表示されたのは、帝都ギルド本部・最高査問監査部からの緊急特務令状だった。
『ハイペリオン社統括理事、九条厳正。貴殿に対し、公設ダンジョン破壊工作、人為的魔物暴走の教唆、および特定探索者への殺人未遂の容疑で、直ちに全権限の即時凍結と出頭を命じる』
通信スピーカーから流れてきたのは、厳格なギルド監査官の声だった。
九条の顔色が一変した。
「な、何かの間違いだ! 我が社がそのような下劣な工作など行うはずがない! 映像なら捏造の可能性が」
『捏造の余地はありません。提出されたのは、ギルド公認の暗号化業務ログです』
通信の向こうから、聞き覚えのある几帳面な女性の声が割り込んできた。
ギルド受付、長谷川さんだ。
『最新の自動同期データとの照合を完了しました。貴社の特務班が投擲機を構え、部隊識別章を晒している姿が、位置情報付きで鮮明に記録されています』
九条が息を呑んだ。
俺が底辺のEランク解体屋だった頃から、日当と実績を認めてもらうため毎日愚直に提出し続けてきた業務記録ログ。
現場の職人が一日も欠かさず積み重ねてきたその記録が、世界最大手企業の謀略を完璧に粉砕したのだ。
「ば、馬鹿な! たかが底辺歩兵の業務記録ごときが、この私の計画を阻むなど!」
「みっともないな、九条理事」
乾いた声が、通路の向こうから響いた。
現れたのは、ハイペリオン社支給の洗練された軽量戦闘服を着た長身の青年。
国内トップストリーマー、Aランク探索者の鳴神駿だった。
「鳴神!? 貴様、なぜここに!」
「看板の俺に泥を塗るような真似、見過ごせるわけないだろ。あんたが特務班に誘引香の投擲を指示していた社内通信の生ログ、俺の手元にも届いていたんでね。全部ギルドの査問部へ横流ししておいたよ」
鳴神駿は肩をすくめ、冷淡な視線を九条へと向けた。
社内からも完全に梯子を外されたのだ。
直後、通路の奥からギルドの治安維持部隊が雪崩を打って突入してきた。
「九条厳正、ならびに特務班全員、武器を捨てろ! ギルド規約第14条に基づき、緊急身柄拘束を行う!」
「放せ! 私はハイペリオンの統括理事だぞ! 貴様らなど全員クビにしてやる!」
見苦しく喚き散らす九条は、特命捜査官たちによってあっという間に手錠をかけられ、引きずられるように連行されていった。
残された特務班の男たちも、抵抗を諦めて武器を床へ投げ捨てた。
*
嵐のような騒動が去り、大空洞にようやく静寂が戻ってきた。
鳴神駿が俺の元へと歩み寄ってきた。
その鋭い双眸が、俺の全身を品定めするように見つめる。
「間宮凌、だったな。草薙の解説付きで配信を見せてもらったよ。無駄のない、いい刃筋だった」
「どうも。そっちの援護も助かったよ」
「礼には及ばないさ。俺はただ、みっともない大人の茶番が嫌いなだけだ。いずれ第31層以降の深層で会おう。その時は、お前のその泥臭い職人技と手合わせ願いたいものだな」
鳴神駿はそれだけ言うと、軽やかに手を振って地上への昇降口へと去っていった。
大物の去り際を見送った後、一条岳が重い足取りで俺の前へと進み出てきた。
その頑固そうな顔には、先ほどまでの刺々しさは微塵もなかった。
「間宮凌」
「なんだ」
「認めたくはないが、お前の腕は本物だ。機械に頼る腑抜けなどではなかった。お前のような男なら、背中を預けてもいい」
武導研究室の誇り高き男からの、最大級の認可だった。
だが、俺は苦笑交じりに首を横に振った。
「背中なんざ預けなくていいよ。俺はただの解体屋だ。無駄死にせず、確実に稼いで帰れりゃそれで十分だ」
一条は虚を突かれたようにわずかに眉を動かし、やがてフッと肩を揺らして笑った。
「本当に、欲のない男だな。だが、だからこそ強いのか」
「おい凌! 感傷に浸ってる場合じゃねぇぞ!」
タケが折れた腕を抱えながら、焦った声で叫んだ。
「今何時だと思ってんだ! 16時30分回ってるぞ! 特区のバス、急がねぇとマジで17時の迎えに遅れるぞ!」
「うわ、本当だ。おい、お前らさっさと歩け!」
「ええっ、重傷者の俺に走れって言うのかよ!?」
「当たり前です、タケさん! 鈴ちゃんを待たせるわけにはいきません、走ってください!」
「はははっ、よし、俺のサブアームに乗れタケ! 全速力で運んでやるぜ!」
坂東が笑い声を上げ、雫が呆れ顔で小走りになり、タケの悲鳴が洞窟に響く。
俺たちは魔石を背負い、夕暮れの待つ地上へと急いだ。
早く帰って、鈴の温かい手を握りしめるために。




