第039話:第30層フロアマスター『黒鋼の飛竜』との決戦と、刻まれた影
第29層のセーフエリアから第30層へと続く境界通路に、腹の底を揺さぶる重低音の地鳴りが響き渡った。
ズズズン、と岩盤が軋み、天井から結晶の破片が降ってくる。
「おい、なんだこの揺れは!? スタンピードはさっき凌が止めたはずだろ!」
折れた右腕をギプスで固定したタケが、壁に手をついて身を乗り出した。
だが、異変はセーフエリアの背後ではなく前方、第30層の中央大空洞へと続く巨大防護隔壁の向こう側から迫っていた。
鋼鉄製の大隔壁が、内側からの激しい衝撃でグニャリと歪む。
直後、バリィィン! と破砕音を立ててロック機構が吹き飛んだ。
「うわあああっ! 逃げろ! 退避だ!」
「防衛ライン崩壊! あんな化け物相手にできるか!」
煙の立ち込める通路から逃げ出してきたのは、ハイペリオン社の私兵部隊だった。
周囲に浮かべていた金色のオーブ・ビットが火花を散らして床へ叩きつけられ、砕け散っていく。
逃げ惑う男たちの背後、破壊された大隔壁から圧倒的な巨躯が姿を現した。
第30層フロアマスター、『アイアン・ワイバーン(黒鋼の飛竜)』。
全長15メートル超の巨躯は、鈍色に光る分厚い生体鋼板の装甲鱗に覆われていた。
蝙蝠状の翼を広げ、岩壁を削りながら這い進んでくる。
口端から青白い高熱の魔力光が漏れ、強烈な熱波を放っていた。
九条の特務班が撒いた魔物誘引香が第30層中枢へ流れ込み、隔離されていたフロアマスターを暴走させたのだ。
「第30層の主だと!? 馬鹿な、なぜこんな境界エリアまで降りてきている!」
一条岳が破れた拳を握り締め、苦渋の声を絞り出した。
坂東宗一郎も重機関銃を構え直すが、砲身は熱を持ち残弾カウンターは赤色だ。
「クソッ、よりによってこんな手負いの時に! 後ろの避難民たちを連れて逃げる時間はねぇぞ!」
通路の奥には、逃げ遅れた一般の採掘屋や負傷者たちが身を寄せ合っている。
アイアン・ワイバーンの紅い双眸が避難者たちを捉え、長大な首をもたげた。
口腔の奥に、灼熱の魔力光が収束し始める。
「下がってろ」
俺は低く呟き、仲間たちの前に歩み出た。
背中のクイックドローマウントに手をかける。
「凌!? 何言ってんだ、あいつは中層のボスだぞ! 一人で相手になんかできるわけがねぇ!」
「タケ。お前は怪我人を連れて、奥の耐魔シェルターに引っ込んでろ」
俺は振り返らずに告げた。
「一条、坂東。雫と一緒に避難の殿を頼む」
「間宮、貴様、一人で引きつける気か!? 無謀だ!」
「無謀も何も、ここで暴れられたら全員ミンチだ。現場の散らかったゴミを片付けるのは、職人の仕事だろ」
俺は息を整え、生体魔力を全身へと巡らせた。
俺の保有量は131。数値だけ見れば底辺だが、その流れに一切の澱みはない。
変換効率80パーセントの魔力が、身体の末端まで研ぎ澄まされた刃のように行き渡る。
ブォン、と頭上で微かなローター音が鳴った。
見上げれば、瓦礫の隙間から1機の超小型配信ドローンが滑り込んできていた。
『み、みんな見てくれ! 第30層の防衛ラインが突破された! ハイペリオンの部隊が逃げ惑う中、たった一人で歩き出す探索者がいる! あの黒いタクティカルスーツ、第12層と第20層で神業を見せた、あの解体職人だ!』
クロードの絶叫混じりの実況が響く。
直後、ドローンの通信回線に割り込みノイズが走り、凛とした女性の声が重なった。
『クロードさん、映像をそのままバイパス接続してください。『シーカーズ・アイ』、緊急特別ライブ回線を直結します!』
『えっ、草薙さん!?』
『フレーム解析は私が担当します。間違いありません。あの男は、第21層で完全無欠の立ち回りを見せた本物のプロです』
世界中へ開放された緊急生配信の同接数は、10万人、20万人と凄まじい勢いで跳ね上がっていった。
*
グルルルルァァァッ!
アイアン・ワイバーンが咆哮を轟かせ、地面を蹴って突進してきた。
全長15メートルの鋼鉄の山が、突風を巻き起こしながら俺の視界を埋め尽くす。
『飛竜種が突進してきます! あの巨体と鋼板装甲の質量突撃は、直撃すればマナ・フレームすら一撃で圧壊します!』
配信回線から草薙怜奈の緊迫した声が流れる。
だが、俺は微動だにせず、飛竜の進行軌道を見定めた。
どれほど巨大だろうが、魔獣である以上は骨と筋肉と腱の集合体に過ぎない。
俺が解体屋の現場で数千頭とバラしてきた構造と、本質は何一つ変わらないのだ。
カチャリ、と両腰と背中の電磁マウントが解放された。
「飛べ、レイヴン」
漆黒の4機が、俺の魔力に引かれて同時に射出された。
シュバッ! と大気を切り裂く鋭利な風切り音。
光を反射しないマットブラックの刃が、音速を超えて跳んだ。
『速い! ハイペリオンの球体ビットのような派手な発光も推進炎もありません! 空気抵抗を極限まで削ぎ落とした滑空軌道、0.05秒の迷いもなく、飛竜の視界の死角へと回り込んでいます!』
草薙のフレーム解説が響く中、俺は意識の糸を4機のレイヴンへと完全に直結させた。
1号機と2号機が左右から飛竜の眼前に突入し、不可視の圧縮魔力ニードルを複眼の際へ撃ち込む。
ビシィッ! と網膜を焼かれた飛竜が視界を奪われ、激しく頭部を振った。
その刹那、3号機と4号機が広げられた巨大な翼の付け根へと滑り落ちた。
ギィィン! と甲高い高周波の共鳴音が鳴り響く。
アダマン・ボアの変異腱を組み込んだスレーブ機が、親機の軌道に寸分の狂いもなく追従し、翼を動かす極太の主腱束へと刃を突き立てた。
スパァン!
肉を断ち、腱を両断する澄んだ音が連続して響いた。
ギャアァァァッ!?
飛竜が絶叫を上げた。
両翼の揚力を一瞬で奪われた巨体がバランスを崩し、低空へ失速して瓦礫の上を滑走した。
『両翼の運動腱を完全切断! なんて精密な空間把握能力! 鋼板装甲の継ぎ目、わずか数センチの腱束だけを正確に削ぎ落としました!』
地上へと叩きつけられ、もがきながら首をもたげた飛竜の口元が、激怒の魔力で赤黒く発光した。
至近距離からの広域ブレス。
避難路ごと、俺たちを灰燼に帰そうとする破壊の奔流だ。
だが、その魔力の溜めは、解体作業においては致命的な隙でしかない。
俺は左腰のホルスターから、大型魔導カスタム拳銃『レクス・マグナム』を引き抜いていた。
金剛甲殻を鋳造した分厚いバレルに、高圧の生体魔力を一気に流し込む。
狙うのは、開かれた顎の可動ヒンジ、骨と骨が組み合わさる関節の隙間だ。
「口、開けすぎだ」
引き金を絞る。
ドォォン!!
大砲のような重爆音が洞窟に轟いた。
銃口から放たれた極太の徹甲魔弾が、正確無比に左顎関節へと着弾した。
装甲の隙間を抉られた下顎が激しい衝撃で跳ね上がる。
その瞬間、臨界に達していた高熱魔力が逃げ場を失い、喉頭の奥で暴発した。
ズガガガガァン!
飛竜の口内が内側から吹き飛び、黒煙と爆炎が噴き出した。
頭部を大きく仰け反らせ、巨体が完全に仰向けとなって大地へと叩きつけられる。
*
俺は右手に提げた大型対魔獣剣鉈『アダマン・クリーバー』の柄を握り直した。
スイッチを押し込むと、峰厚8ミリの重厚な刀身に青白い高周波の刃紋が浮かび上がり、チリチリと空気を震わせた。
地を蹴り、倒れ伏す飛竜の懐へと一気に距離を詰める。
その突進の最中、俺の視界の隅、天井付近の排気シャフトの足場に不自然な動体反応を捉えた。
黒い防護服を着た数名の影。
特殊な円筒状の投擲器を抱え、慌てて換気ダクトの奥へと撤退しようとしていた。
ハイペリオン社の特務班。スタンピードを仕掛けた実行犯たちだ。
カチリ、と俺の胸元で小さな作動音が鳴った。
タクティカルスーツの胸元に装着された、ギルド提出用の小型業務記録カメラだ。
最新型の自動追尾レンズが、不審な影と男たちの胸元の識別エンブレムを、一分の狂いもなく高精細映像として記録メモリに焼き付けていた。
だが、今の俺にそいつらを追いかける暇はない。
現場の解体を終わらせるのが先だ。
「開け、レイヴン!」
俺の意識に呼応し、頭上を旋回していた4機のレイヴンが超音速で胸元へと急降下した。
1号機と2号機が交差しながら、最も脆弱な胸骨中央の結合部へ高周波ブレードを滑り込ませ、留め具となっていた軟骨組織を瞬時にスライスする。
バキィィン! と音を立てて分厚い胸部装甲板が外側へと跳ね上がった。
間髪を容れず、3号機と4号機が露出した左右の肋骨の付け根を両断。
左右へとガバッとこじ開けられた胸郭の深部から、激しく脈動する巨大な中枢核が、外気へと剥き出しになった。
「終わりだ」
障害の消え失せたその一点へ向け、俺は前傾姿勢のまま超低空のスライディングで滑り込んだ。
両手で構えたアダマン・クリーバーを、下から上へと一気に振り抜く。
峰厚8ミリの重厚な刀身に宿る青白い高周波振動刃が、露出した核の真芯を真っ直ぐに捉えた。
ズバァァァッ!
一刀両断。
確かな手応えとともに、巨大な核を真っ二つに叩き割った。
飛竜の巨体がビクリと硬直した。
次の瞬間、15メートルの鋼鉄の山が青白い光の粒子へと変わり、大空洞の中を舞い散りながら霧散していった。
ドサリ、と音を立てて足元に転がり落ちたのは、傷一つなく切り出された、バスケットボール大の巨大なフロアマスター魔石だった。
静寂が、洞窟を包み込んだ。
『信じられません』
沈黙を破ったのは、草薙怜奈の震えるような声だった。
『第30層フロアマスターを、単独で、それも所要時間わずか2分15秒。無駄な被弾ゼロ、魔力消費は標準的なCランク魔導士の3分の1以下。解体です。これは戦闘ではなく、極限まで無駄を削ぎ落とした、美しすぎる解体作業です!』
『う、うおおおおっ! 勝った! フロアマスターを真っ二つだあああっ!』
ドローンの向こうでクロードが絶叫し、画面上の同接数は40万人を突破していた。
通路の奥では、一条岳が呆然と立ち尽くし、坂東が破顔して万歳を叫び、タケが嬉し泣きのような声を上げていた。
雫は胸元を両手で押さえ、深く安堵の息を吐き出していた。
だが、俺はそんな喧騒には目もくれず、アダマン・クリーバーの刃を軽く振って血糊を払い、背中の鞘へと納刀した。
タクティカルジャケットの袖口を少しずらし、腕時計の文字盤に目を落とす。
「16時20分か」
魔石を回収用ネットに詰め込み、背嚢へと手早く固定する。
今から第25層の転移門を通って地上へ戻り、特区の巡回バスに乗れば、認可保育所の迎えの時間である17時には余裕で間に合う。
「おいタケ、立てるか」
俺は呆気にとられている悪友の元へ歩み寄ると、その背中をポンと叩いた。
「さっさと片付けて帰るぞ。鈴が腹を空かせて待ってる」




