第038話:泥臭い脱出劇と、武導の認可
「おい凌! 奥の第2区画に坂東と一条、それに如月のお嬢ちゃんが取り残されてる! 岩盤が崩れて壁になってんだ!」
泥水の中から立ち上がったタケが、だらりと垂れ下がった右腕を押さえながら叫んだ。
骨が軋む激痛に顔を歪めながらも、その視線は仲間たちが孤立している崩落坑道の奥へと向けられていた。
「分かってる。無駄口叩いてねぇで、俺の背中に掴まってろ」
俺は腰のホルスターから『レクス・マグナム』を引き抜き、背後から迫っていた魔獣の群れに向けて迷わず撃鉄を起こした。
ドバァァァンッ!
大口径の魔導弾が轟音とともに炸裂し、先頭の魔獣の頭部を木端微塵に粉砕する。
跳ね上がる強烈な反動を右腕の脱力と足元の重心移動で完全に受け流し、俺は頭上に滞空する4機の黒き鳥形兵装へと意識を繋いだ。
「レイヴン、第2区画への突破口を開け!」
キィィィン!
超高周波の駆動音とともに、4機のレイヴンが音速で滑空した。
通路を塞いでいた数トンの崩落岩盤。その脆性点めがけて、微細な魔力振動を帯びた黒鋼の刃が4方向から正確無比に撃ち込まれる。
次の瞬間、俺は肩に担いだ『アダマン・クリーバー』を水平に薙ぎ払った。
ズバァァァンッ!
分子結合を解かれた巨大な岩塊が綺麗に両断され、ガラガラと崩れ落ちて向こう側の視界が一気に切り拓かれた。
*
「オラァッ! 近寄るんじゃねえぞクソ虫どもがぁ!」
第2区画の中央では、坂東宗一郎が咆哮を上げていた。
重機関銃の弾丸はとっくに底を突き、背中の『V-RIG』から伸びた多関節サブアームに装着された油圧カッターを狂ったように振り回している。
だが、周囲を取り囲む魔獣の数は優に30体を超えていた。
「一条! 天井が持たねぇぞ! このままじゃ全員ペチャンコだ!」
「分かっている!」
一条岳が全身の筋肉に青白い生体魔力を励起させ、飛びかかってきた魔獣の顎を鋭いアッパーカットで粉砕した。
だが、一条の息もすでに限界近くまで上がっていた。
その後方では、如月雫が必死に魔導杖を構え、白銀の氷壁を展開して後背を守っている。
しかし、押し寄せる魔獣の津波に、氷壁の表面へ蜘蛛の巣状の亀裂が走り始めていた。
「先生、タケさん、どうかご無事で!」
雫が青ざめた唇から祈るような声を漏らした、その瞬間だった。
キィィィィィィンッ!
崩落した岩壁の裂け目から、4筋の黒い閃光が音速を超えて飛び込んできた。
一条の死角、頭上から襲いかかろうとしていた3頭の『シャドウ・ハウンド(影爪狼)』。
その跳躍の頂点、わずか0.1秒の隙を捉え、4機のレイヴンが阿吽の呼吸で交差した。
ズバババッ!
空中で寸断されるアキレス腱と頸動脈。
狼たちの巨体が血飛沫を撒き散らしながら地面へと叩きつけられた。
「なっ、何だ!?」
一条が驚愕して息を呑んだ。
一条の脳裏をよぎったのは、3年前、背後から相棒の胸を撃ち抜いた暴走ビットの忌まわしい記憶だった。
反射的に身構え、拳を握り直す一条。
だが、旋回する4機の漆黒の刃は、一条や雫をかすりもせず、まるで熟練の職人の手足のように精密な円軌道を描きながら、迫り来る魔獣たちの急所だけを次々と刈り取っていった。
「味方を救っただと? 機械の刃が、寸分の狂いもなく!」
一条が呆然と声を漏らした直後、瓦礫を蹴散らして男が現れた。
右手にアダマン・クリーバーを提げ、左手で負傷したタケの身体をがっちりと支えた男、間宮凌だ。
「間宮!」
「先生!」
坂東と雫が弾かれたように叫んだ。
だが一条だけは息を呑み、俺の一挙手一投足を凝視していた。
生体魔導を極めんとする武闘派として、相手の魔力流動や肉体の使い方を見抜く眼力があるのだろう。
だからこそ、俺の身体から立ち上る魔力が、訓練生にも劣るほど微小なことに気付いたのか、一条の鋭い眼光に強烈な戦慄が走っていた。
俺の魔力保有量はわずか131。だが、変換効率80パーセントの集中励起により、魔力の放出光は一切漏れていない。1ミリの浪費もなく、肉体の重心移動と4機のビットの姿勢制御へと、生み出した全魔力を注ぎ込んでいる。
道具に振り回されているのではない。手足どころか、神経そのものが空間全体へ拡張された現場の感覚だ。
「見とれてる暇はねぇぞ」
俺が声をかけると、一条がハッと我に返った。
「第30層手前のセーフエリアまで退路を切り拓く。全員、俺の後ろに続け!」
「おうよ! 生き埋めになる前にぶっ飛ばすぜ!」
坂東が即座に呼応し、サブアームの破砕ドリルを頭上の崩落岩盤へと突き立てて落下を食い止めた。
タケが痛みに耐えながら大声で叫ぶ。
「凌! 左の第3分岐ルートだ! あっちの方が花崗岩の地盤が固くて落盤に強い!」
「了解だ! 雫、後方の追撃を塞げ!」
「はいっ!」
雫の杖から放たれた極大の冷気が、通過した通路を瞬時に氷壁で完全封鎖した。
先頭を走る凌のレイヴン4機が、狭い通路に群がる魔獣の腱をスライスして行動不能に追い込み、そこへ凌の剛鉈が一撃必殺の両断を叩き込む。
左右から飛び出してくる敵は、一条の鋭い正拳突きが衝撃波とともに吹き飛ばす。
坂東が巨大な瓦礫を機械腕で押し広げ、負傷したタケが最短ルートをナビゲートする。
元下請け解体屋のビット兵器、武導魔導士の拳、重装工兵の怪力、前衛タンクの現場嗅覚、そしてアカデミー首席の氷結魔法。
誰一人として無駄のない、泥臭くも完璧な即興の脱出連携が、地獄の狭窄路を猛スピードで突き進んでいった。
*
「抜けた、抜けたぞッ!」
タケの叫びと同時に、俺たちは第30層フロアマスター部屋の手前に広がる巨大な安全区画へと転がり込んだ。
境界線に張られたギルド公認の魔導結界が青白く発光し、追撃してきた魔獣たちの鼻先を鋭く弾き返す。
結界の向こうで狂乱した魔獣たちが悔しげに咆哮を上げ、やがて潮が引くように奥の闇へと去っていった。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
全員が泥と血にまみれたまま、安全地帯の地面へと倒れ込んだ。
坂東が仰向けに大の字になり、ヘルメットを脱ぎ捨てて荒い息を吐き出す。
「マジで死ぬかと思ったぜ! だが最高だ! あんな滅茶苦茶な即興連携、現場で10年やってて初めてだぞ!」
「へへっ、凌、お前相変わらず現場の修羅場に強すぎるだろ」
タケが壁に背中を預け、折れた腕を押さえながら苦笑いを浮かべた。
俺はポーチから携帯用の骨折固定ギプスと鎮痛スプレーを取り出し、手早くタケの腕に巻きつけた。
「無茶しやがって。盾が真っ二つじゃねぇか」
「悪ぃな。でもよ、後ろの採掘屋の爺さんたち、全員上の層へ逃げ切れたぜ」
「ああ。前衛の仕事としては上出来だ」
俺が肩を叩くと、タケは痛そうにしながらも嬉しそうに歯を見せた。
その時だった。
荒い息を整えていた一条岳が、重い足取りで俺の前へと歩み寄ってきた。
拳の皮が破れ、血が滲んでいる。
その鋭い眼光は、俺の背後で待機する4機のレイヴンと、俺の顔を交互に見つめていた。
「間宮凌」
「なんだ」
「なぜ貴様は、そこまでして道具を極める」
一条の声は低く、そして切実だった。
「強さのためか? それともアルス・テックの最新兵器の威名を高め、金と名誉を得るためか?」
その問いの奥に、かつて味方のビットの誤作動によって相棒を失った男の、深くて痛ましい傷跡が透けて見えた。
機械など信用しない。信じられるのは自らの肉体と魔力だけだ。
そう頑なに信じ込もうとしていた一条の信念を、今日の現場は根底から揺さぶったのだ。
俺はアダマン・クリーバーの刀身についた魔獣の脂を布で拭いながら、素っ気なく答えた。
「そんな大層なもんじゃねぇよ」
「何?」
「ただ、鈴を無傷で迎えに行きてぇだけだ」
一条が息を呑んだ。
「俺が現場でくたばったら、あいつがまた一人になっちまう。死なずに生き残るためなら、手足だろうが、機械だろうが、使えるもんは何だって使い切る。職人の道具なんざ、生きて帰って飯を食うための手段に過ぎねぇよ」
静かな、だが一切の飾りのない言葉だった。
一条は呆然と立ち尽くし、やがて自嘲するようにフッと息を漏らした。
「家族を、無傷で迎えに行くため、か」
一条は握りしめていた拳の力を緩め、視線を天井へと向けた。
「くだらんな。英雄の台詞ではない。だが、かつて相棒一人守れなかった俺の薄っぺらいプライドより、遥かに筋が通っている」
一条の頑なだった双眸から、機械兵装への毒気が静かに抜け落ちていた。
その時、ピピッ、と静寂を破る電子音がセーフエリアに鳴り響いた。
音の主は、如月雫の端末だった。
一条が眉をひそめ、厳しい表情に戻って雫を見つめた。
「如月。貴様の独断専行は、現場の美談では済まされんぞ」
雫が震える手で開いた画面には、アカデミー最高評議会からの赤色緊急令状が表示されていた。
『現場介入の重大規律違反を確認。直ちに第25層ベースキャンプ特務査問室へ出頭せよ。全探索資格を一時凍結し、査問審議にて進退の最終処分を決定する』
地上で届いた接触禁止の警告を破ったことで、ついに彼女の進退を問う正式な査問会への出頭命令が下ってしまったのだ。
雫の顔から血の気が引いた。
だが、その瞳はもう怯えてはいなかった。
泥にまみれながらも命を救い合ったこの現場の熱を、彼女は確かに知ってしまったからだ。
俺はアダマン・クリーバーを背中の鞘へと滑り込ませ、静かに立ち上がった。
「行くぞ。タケを手当てして、片付けを終わらせる」
第29層の罠を仕掛けた奴らのツケは、必ず払わせる。
俺たちの現場を汚した代償は、高くつくぞ。




