第034話:第25層前線キャンプの再会と、武闘派の先輩
中層第21層の水晶洞窟を抜け、さらに深く潜ること数時間。
岩盤をくり抜いて作られた巨大な防壁と魔導結界のゲートをくぐると、熱気と金属臭が混じり合った喧騒が耳を打った。
第25層、前線要塞キャンプ。
ここは中層深部と呼ばれる第26層から第30層へ挑む探索者たちが集まる最前線の拠点だ。
周囲には傷だらけの甲冑を着込んだベテランや、重火器を担いだ探索者たちが行き交い、浅層の浮ついた空気は微塵もない。
俺は背負った黒い4連コンテナのストラップを少し締め直し、補給区画の通路を歩いた。
「おい、凌じゃないか!?」
不意に横から野太い声が飛んできた。
見れば、簡易整備場のベンチに、ボロボロの巨大なタワーシールドを抱えて座り込んでいる男がいた。
装甲板は泥と煤で汚れ、顔には擦り傷がいくつも走っている。右手に齧りかけのエナジーバーを握った姿は、まるで戦場帰りの敗残兵だった。
「タケか。ずいぶんと派手なボロ雑巾になってんな」
「ボロ雑巾言うな! これでも必死に前衛張ってきたんだよ!」
悪友の武田健太、通称タケが、がばりと身を起こして俺の装備を凝視した。
「って、おいおいおい! なんでお前が一人で第25層にいんだよ!? 背中のそれ、もしかしてアルス・テックの最新型か? 腰の鉈も銃も、見たことねぇゴツい業物になってるじゃねぇか!」
「仕事の合間の試運転だ。4機の調子を確かめに来ただけだ」
「試運転で第25層まで来る奴があるかよ! 信じらんねぇよ」
タケは頭を抱えて唸った後、深いため息をついてベンチに背中を預けた。
「お前は野良パーティーはどうしたんだよ。前衛の仕事は片付いたのか?」
「片付いたっつーか散々だよ。第25層の突撃魔獣に囲まれ、俺が盾で受け止めてる間に魔導士連中が逃げ腰になってな。全員生きて戻ったが、報酬山分けでポーション代と盾の修繕費を引いたら手元に3万しか残らねぇ。おまけに、これ以上下には潜れねぇしな」
「潜れねぇ? 第26層へ降りる昇降路が崩落でもしたのか?」
「崩落ならまだマシだ。人災だよ、人災。見に行けば分かる。胸糞悪くなるぜ」
タケが忌々しそうに吐き捨て、顎で中央通路の先を指し示した。
*
キャンプの中央、第26層へと続く巨大な昇降シャフトの入り口。
ギルドが管理する公共の昇降設備があるはずの場所は、頑丈な複合装甲板と魔導バリケードで封鎖されていた。
バリケードの前には、白と純銀色の結晶装甲に身を包んだ探索者たち。最大手メガコープ、ハイペリオンの私兵部隊だ。
封鎖線の脇には、悪趣味な発光掲示板が掲げられていた。
『中層深部(第26層から第30層)安全保全管理区域。進入には特例維持管理協力金として、1名につき20万円、ならびに現地採取素材の10パーセントを査定供出すること』
「なんだ、そのヤクザのシマ代みたいな看板は」
「だろ? あいつら、第30層のフロアマスターを自社で独占攻略する気なんだよ。安全管理だの何だのと屁理屈を並べて、公道を完全に私物化してやがる。1人20万だぞ? 零細クランや野良の探索者に払えるわけねぇだろ」
タケが握り拳を震わせる。
そのバリケードの真正面で、一人の男が激しい怒声を張り上げていた。
「ふざけんじゃねぇぞ、この寄生虫どもが! 誰が20万なんてボッタクリ払うか! ダンジョンはテメエらの私有地じゃねぇんだぞ!」
額に赤いバンダナを巻き、油と煤まみれの作業ツナギを着た精悍な青年だ。
年の頃は26歳前後。背中の無骨な大型バックパックから伸びる多関節機械腕が、威嚇するように重機関銃の銃身をガタガタと震わせている。
「おやおや、リグ・クラフト社の泥臭い工兵さんではありませんか」
バリケードの奥から、純白のスーツの上に結晶コートを羽織ったハイペリオンの徴収係が、蔑むような笑みを浮かべて現れた。
「我が社が莫大な資金を投じて下層の魔獣を間引いてあげているのです。安全への対価として20万円など、破格の慈悲でしょう。払えない貧乏人は、浅層で泥でも啜っていなさい」
「テメエ、言わせておけば!」
バンダナの青年が機械腕の油圧カッターを激しく展開させた。
だが即座に、ハイペリオンの護衛部隊数名が冷酷な手つきで魔導小銃の銃口を一斉に向けた。銃口の先で青白い集束光が唸りを上げる。
「騒ぎを起こすなら、ギルド規約第8条に基づき、ここで処分しますが?」
「くそっ!」
青年は歯を食いしばり、ギリギリのところで踏みとどまった。
横で見ていた俺は、小さく息を吐いた。
「どこに行っても、上が腐ると下が割を食うな」
「全くだ。俺たちみたいな歩兵は、連中の小遣い稼ぎの踏み台にされるだけだ」
タケが悔しそうに呟いたその時、背後の通路から整然とした足音が響いてきた。
*
通路の奥から現れたのは、紺色の端正な魔導ローブを纏った一団だった。
帝都魔導アカデミーの調査部隊だ。
その先頭を歩いていた銀青色の長髪の少女が、人だかりの中にいた俺の姿を認めた瞬間、あっと声を漏らした。
「あ、間宮先生!」
如月雫だった。
18歳の首席卒業生は、周囲の目を気にするのも忘れたように足早に駆け寄ろうとした。
だが、その進路を遮るように、斜め前を歩いていた青年がすっと太い腕を伸ばした。
「待て、雫」
低く、よく通る声だった。
短髪に精悍な顔つきの青年だ。年は俺より1歳下の24歳前後。
道着風のコンバットローブを纏い、両手には魔導結晶が埋め込まれた黒鉄の手甲を装着している。武器は帯びていないが、全身に濃密な生体魔力が張り巡らされているのが肌で分かった。
武導派の近接魔導士だ。
「一条先輩? どうして止めるのですか。あの方は先日、私を救ってくださった間宮先生です!」
「先生などと呼ぶなと言ったはずだ」
一条岳と呼ばれた青年は、冷徹な視線をまっすぐに俺へと向けた。
その眼光は、俺の顔ではなく、背中に背負われたマットブラックの4連ポッド『レイヴン・クアッド』に突き刺さっている。
「お前が間宮凌か。見ろ、やはり機械兵器に頼る軟弱者ではないか」
「一条先輩! 失礼です!」
雫が声を荒らげて割って入ろうとする。だが一条は微動だにせず、俺を睥睨した。
「己の肉体と生体魔力を極限まで鍛え上げることもせず、企業の試作玩具をぶら下げて悦に浸る手合いか。そんな外道に、アカデミーの至宝たるお前が頭を垂れる道理はない」
「外道ではありません! 間宮先生の技術は、無駄な魔力消費を一切削ぎ落とした真の身体操作です! 私の拙い詠唱の隙を、コンマ1秒の狂いもなく埋めてくださったのですよ!」
「黙れ、雫!」
一条の一喝が通路に響き渡った。
「お前は今年のアカデミーを歴代最年少で首席卒業した看板だ。その自覚があるなら、これ以上怪しい民間兵装のテスターなどと馴れ合うな。理事会や教授陣からも、お前の身辺について厳しい監視の目が向けられているのを忘れたわけではあるまい」
雫が息を呑み、言葉を失って俯いた。
その肩が、見えない重圧に押し潰されそうに小さく震えている。
天才と持て囃される裏で、組織の看板としての足枷に縛り付けられている苦悩が、その横顔から痛いほど伝わってきた。
俺は息を吸い込み、一条の正面へと一歩踏み出した。
「おい、先輩さんよ。あんたがアカデミーでどんな看板背負ってようが知ったこっちゃねぇが、俺の道具をとやかく言われる筋合いはねぇな」
一条の眉がぴくりと動いた。
「筋合いだと? 俺は機械兵装など一切信用せん。3年前、この中層で味方のビットが突如暴走し、背後から俺の相棒の胸を撃ち抜いて死んだ。俺はその瞬間をこの目で見たんだ」
一条の低く絞り出すような声に、周囲の空気が急速に凍りついた。
拳に嵌められた黒鉄の手甲が、ギチリと軋む音を立てる。
「機械など、極限の現場ではただの鉄くずだ。いざという時に人を裏切り、命を奪う。己の生体魔力すら信じられん者が、そんな危険な玩具を前線に持ち込むな」
「そうかい。なら、あんたの警戒心は正しいよ」
俺が淡々とそう返すと、一条の眉がぴくりと動いた。
反発するでもなく、言い訳を並べるでもなく、ただ現場の事実として受け止めた俺の平然とした佇まいに、毒気を抜かれたように眉根を寄せる。
武導を極めようとする一条の視線が、俺の足元から腰、肩の脱力へと走った。
無駄な魔力の漏洩が一切なく、地面に吸い付くように安定した重心。
道具に頼る軟弱者と見下していた相手が纏う、あまりにも隙のない職人の立ち姿に、一条の喉仏がかすかに上下した。
「何者だ、貴様は」
低く漏れたその呟きには、先ほどまでの純粋な蔑視とは違う、拭い去れない違和感が混じっていた。
だが一条は自らの動揺を振り切るように顎を引き、踵を返した。
「二度と雫に近づくな」
それ以上は何も語らず、一条は雫を促してバリケードへと向かった。
ハイペリオンの徴収係は、アカデミーの紋章を見るやいなや揉み手をしながらゲートを開け、彼らを通した。事前許可を得た特権階級というわけだ。
雫はゲートをくぐる直前、立ち止まって振り返った。
その瞳には、申し訳なさと悔しさが滲んでいた。深々と頭を下げた後、彼女は急ぎ足で部隊の後を追っていった。
*
「うわぁ、なんだあの嫌味な武闘派野郎。アカデミーのエリート様ってのは、どいつもこいつも鼻持ちならねぇな」
タケが首を振って呆れたように吐き捨てた。
「でもよ、仲間がビットの誤作動で死んだってのは、本当なのかね」
「さあな。嘘をついてる目じゃなかったよ」
俺は背中のレイヴン・クアッドのコンテナにそっと指先を触れた。
冷たい金属の感触が指先に伝わる。
「道具を信用できねぇって気持ち自体は、別に間違っちゃいねぇよ。手入れを怠りゃすぐ裏切るし、過信すりゃ死ぬのは自分だ。下請けの解体屋時代、重機のワイヤーが切れて腕を飛ばされた奴を何人も見てきたからな」
「お、おう、凌が言うと妙に生々しいな」
「道具が悪いんじゃねぇ。使う人間の腕と覚悟の問題だ。それに、あの関所に20万払って頭を下げる気は毛頭ねぇよ」
俺がそう言って首を鳴らすと、すぐ隣から豪快な笑い声が降ってきた。
「ガハハハッ! おいおい兄ちゃん、最高じゃねぇか!」
振り返ると、先ほどハイペリオンの徴収係に食ってかかっていたバンダナの青年が、白い歯を見せて笑っていた。背中の多関節機械腕が、器用に胸の前で腕組みを作っている。
「テメエのその背中の黒いコンテナ、アルス・テックの試作ビットだな? さっきの武闘派の坊ちゃんにボロクソ言われても動じねぇどころか、道具の本質を分かってやがる」
「あんたは?」
「俺は坂東宗一郎。リグ・クラフト社で重装工兵やってる現場野郎だ。なあ兄ちゃん、さっき20万払う気はねぇって言ったな? なら、どうする気だ?」
「どうするも何も、別の現場を探すだけだ。あんなハエどもに払う金があるなら、家にいる娘の美味い飯代に回す」
「娘!? 兄ちゃん、子持ちなのか!?」
坂東が豪快に眉を跳ね上げた後、さらに嬉しそうに破顔した。
「いいぜ、ますます気に入った! 家族のために現場で汗流す職人に、悪い奴はいねぇ! おい兄ちゃん、正規のシャフトが使えねぇなら、俺と一緒に『別の道』を切り拓いてみねぇか?」
「別の道?」
「ああ。誰も通らねぇ、崩落岩盤で埋まった水没バイパスだ」
坂東が背中の機械腕から大型破砕ドリルをガチャリと突き出し、獰猛な笑みを浮かべた。




