第033話:フレーム単位の神業と、孤高のトップランカー
その日の夜。
ダンジョン探索者専門の動画投稿サイト『シーカー・チューブ』の一角が、突如として猛烈な炎の勢いで沸騰していた。
発端は、登録者数150万人を誇る大人気チャンネル『シーカーズ・アイ』の緊急生配信だった。
配信主は、元Bランク探索者にして、探索者の戦闘ログをフレーム単位で論理的に分析することで知られる女性アナリスト、草薙怜奈だ。
「皆さん、こんばんは。草薙怜奈です。今夜は予定を変更して、先ほど中層ギルドの観測サーバーから匿名掲示板に流出した、ある異次元の戦闘ログを緊急検証します」
画面には、薄暗い水晶洞窟で黒衣の男が3体の魔獣を瞬殺する映像が映し出されていた。
ギルドの定点観測カメラが捉えた、粗い広角映像だ。
「まず、この映像を見て『ただの格下狩りだ』と思った方は、目が節穴です」
怜奈は冷徹な声で言い放ち、映像を0.1秒単位のスロー再生に切り替えた。
「注目してください。このクリスタル・マンティスの超音速の斬撃に対し、この探索者の回避距離はわずか3センチ。魔力障壁すら展開していません。相手の重心移動と骨格の筋肉の収縮を見て、軌道を完全に予測しています」
画面に赤い補助線とベクトルの矢印が次々と描かれていく。
「そして最も戦慄すべきは、背部から射出された4機のビットです。現在主流のハイペリオン社製オーブ・ビットは、遠隔から高威力のビームを放つ『砲台』として運用されます。しかし、この探索者のビットを見てください。射撃を一切行わず、超高硬度の刃で敵の腱と関節の接合部だけを、ミリ単位の精度で4機同時にスライスしています」
チャット欄の速度が一気に跳ね上がる。
『えっ、ビーム撃ってないの!?』
『腱をスライス? そんなのビットでできるわけないだろ!』
『待って、4機が完全に敵の死角を先回りしてるんだが!?』
『これ誰だよ! ハイペリオンの特務部隊か!?』
「いいえ」
怜奈は断言した。
「ハイペリオンのエリート部隊なら、もっと派手に魔力を放出して大艦巨砲主義のビームを撃ち込みます。ですがこの男の魔力波形を見てください。青白い魔力の放出光が、ほとんど映っていません。つまり、魔力の垂れ流しロスが完全ゼロ。手元の大型鉈の一撃に至るまで、すべての動作が極限まで無駄を削ぎ落とした『職人の解体作業』そのものです」
怜奈の瞳に、興奮と熱狂の光が宿る。
「無駄なエフェクトも、大仰な名乗りもない。ただ獲物を最も効率的に解体するためだけに研ぎ澄まされた、究極の機能美。私はこの男を、敬意を込めてこう呼びたい。『ゴースト歩兵』と」
配信の同接数は、瞬く間に20万人を突破し、コメント欄は熱狂の渦に呑み込まれていった。
*
同じ頃。
都心の一等地にそびえ立つ、ハイペリオン社本社ビルの最上階トレーニングジム。
最新鋭の魔力負荷マシンでストイックに汗を流していた青年が、タオルで首元を拭いながら巨大モニターの配信を見つめていた。
黒髪を短く刈り込んだ精悍な顔つき。
無駄な贅肉が一切削ぎ落とされた、鋼のような肉体。
ハイペリオン社の看板を背負う孤高のトップストリーマー、Aランク探索者、鳴神駿だ。
「面白いな」
駿はモニターに映し出された黒衣の男の身のこなしを、鋭い眼光で凝視していた。
「大仰なビームも派手な名乗りもない。ただ生きるために獲物を断ち切る、本物の刃か」
九条理事たちが推し進める、金と権力にまみれた派手な宣伝劇に嫌気が差していた駿の唇が、微かに弧を描いた。
「いい動きだ。いずれ現場で会うことになるかもしれんな」
駿の呟きは、誰に届くこともなく、静寂なトレーニングルームに溶けていった。
*
ネットの世界が未曾有の熱狂に包まれ、大手メーカーのトップが静かに闘志を燃やしていたその頃。
当の『ゴースト歩兵』こと間宮凌は、安全居住特区のタワーマンションの一室で、平和そのものの湯気と格闘していた。
「ほら鈴、ふーふーしてから食えよ。熱いからな」
「あい!」
子供用のハイチェアに座った鈴が、小さな両手でプラスチックのスプーンをしっかりと握りしめている。
テーブルの上には、昼間にトータスから切り分けてきた極上霜降り肉の切れ端と、スーパーで買ってきた新鮮な豆腐、柔らかく煮込んだ人参のコンソメスープが湯気を立てていた。
昼の連絡帳に書かれていた通り、鈴は真剣な顔つきでお椀の縁にスプーンを沿わせ、スープと人参をすくい上げた。
小さな口を尖らせて、一生懸命に息を吹きかける。
「ふー、ふー!」
「上手い上手い。そのまま口に運べ」
慎重に、慎重に運ばれたスプーンが、鈴の口の中へとすっぽり収まった。
もぐもぐ、と小さな口を懸命に動かす。
次の瞬間、鈴の小さな足がテーブルの下でリズムよく跳ねた。
「んま! りょー、んまー!」
両手をパタパタと羽ばたかせるように振って、満面の笑顔で体を揺らす。
スープは一滴もテーブルにこぼれていなかった。
「よし、上出来だ」
俺は思わず目尻を下げ、ティッシュで鈴の顎についた小さな水滴を優しく拭ってやった。
テーブルの端では、俺のスマートフォンが激しいバイブレーションとともに青い光を点滅させ続けている。
ギルドからの緊急照会通知、アルス・テック社からの着信、そして動画サイトのトレンド通知。
画面には『同接25万突破! 謎のゴースト歩兵とは!?』という派手な見出しが躍っていた。
だが、俺は画面を裏返しにして伏せると、それ以上チラリとも見なかった。
「画面の向こうで何が騒がれていようが、知ったこっちゃねぇよ」
俺が稼ぐ理由は、有名になるためでも、チヤホヤされるためでもない。
ただ目の前で笑っているこの小さな命に、腹一杯美味い飯を食わせ、温かい布団で安心して眠らせるためだ。
お椀のスープを綺麗に飲み干し、お腹をぽんぽんと叩いて満足そうにあくびをする鈴を抱き上げる。
小さな体が、体温の温もりをそのまま俺の胸へと伝えてくる。
「ふわぁ、りょー、ねんね?」
「ああ。歯磨きしたら、ねんねだ」
抱きしめた背中の温もりを確かめながら、俺は静かに心の中で誓った。
明日も、どんな魔獣が立ち塞がろうと、絶対に無傷で現場から帰ってくる。
この小さな笑顔を守り抜くために。




