第029話:鈴の「んまー!」と、至福の夕餉
お風呂から上がり、さっぱりとした鈴に柔らかい綿のパジャマを着せると、部屋には煮込み上がったシチューの甘く芳醇な香りが充満していた。
アイランドキッチンの大鍋へ近づき、重いフタを持ち上げる。
ふわり、と立ち上る白い湯気。
デミグラスソースと赤ワイン、香味野菜の旨味を吸い尽くしたソースは、艶やかな深い琥珀色に煮詰まっていた。
大ぶりにカットしたアダマン・ボアの霜降り角切り肉は、繊維の奥までたっぷりとスープを含み、スプーンを軽く当てただけでほろりと崩れるほど柔らかくなっている。
「うわぁ、完璧な仕上がりね!」
葵が鼻歌交じりに、人数分の深皿を手早く並べていく。
タケはどんぶりに大盛りの白米をよそい、すでにスプーンを握りしめて待機していた。
「おいおいタケ、まずは鈴が先だ」
「へいへい! お姫様優先っすね!」
俺は鈴の子供用プレートに、小さく刻んだジャガイモやニンジン、そしてスプーンで細かくほぐした極上のボア肉を盛り付けた。
フーフーと息を吹きかけてしっかりと冷まし、子供用のスプーンに乗せて鈴の口元へ運ぶ。
「ほら鈴、あーん」
鈴は待ちきれない様子で、小さな口をめいっぱい開けた。
「あむっ」
モグモグと小さな口が動く。
数秒後、鈴の瞳がこれ以上ないほど丸く見開かれた。
そして、小さな両手で自分のぷっくりとしたほっぺたをぎゅっと押さえた。
「んま! んまーーーっ!!」
足をパタパタと激しく揺らしながら、全身で美味しさを表現する。
満面の笑みを咲かせ、口元に少しソースをつけながら俺を見上げて叫んだ。
「りょー! おにく! とろとろ! んまーい!」
「そうか、美味いか。いっぱい食え」
「うん! もっと! あーむ!」
小さなスプーンを自分で握り、器用にパクパクと口へ運んでいく。
その愛らしい姿を見て、雫が胸元を押さえて机に突っ伏した。
「か、可愛い! 天使が美味しそうにご飯を食べています! 神様、私は今、至高の天国にいます!」
「よし、俺たちも食うぞ! いただきます!」
タケが待ちきれない様子で、大盛りのシチューと肉をスプーンですくい、口の中へ放り込んだ。
その瞬間、タケの動きがピタリと止まった。
ゴクリと飲み込んだ後、椅子から飛び上がらんばかりに叫んだ。
「う、う、うめえええええええっ! なんだこれ!? 肉が舌の上で溶けて消えたぞ!?」
「本当、信じられないくらい美味しいわ!」
葵も一口食べて、両手で頬を押さえて感嘆の息を漏らした。
「脂身が全然しつこくないの。変異魔素の野性味が、香味野菜とハーブで完全に芳醇なコクに昇華されてる。赤身の旨味が濃厚で、噛むたびにジュワッとスープが溢れ出してくるわ!」
「素晴らしいです! 素材の繊維を壊さず、熱伝導と微細振動で中まで均一に火を通したからこそ、この柔らかさとジューシーさが実現したのですね! 先生、これはもはや料理ではなく、極限の芸術です!」
雫も夢中でスプーンを動かしている。
「おい凌、米が止まらねえ! どんぶり飯もう一杯おかわり!」
「自分でよそえ。鍋にはまだたっぷりある」
「へへっ、最高だ! 命懸けで防壁外へ行った甲斐があったぜ!」
タケは歓喜の声を上げながら、炊飯器へと突進していった。
笑い声が絶えない賑やかな食卓。
自分の作った料理を、大事な仲間たちが美味そうに平らげてくれる。
ただそれだけのことが、胸の奥をじんわりと温かく満たしてくれた。
*
食事が終わり、片付けを済ませた頃には、鈴はすっかり満腹になって目をこすり始めていた。
「ふぁぁ、ねむねむ」
「よく食べたな。寝るか」
「うん、りょー、だっこ」
甘えるように伸ばされた小さな手を引き寄せ、そっと抱き上げる。
寝室のベッドへ運び、ふかふかの掛け布団を優しく掛けてやった。
頭をゆっくり撫でてやると、鈴は満足そうに口元を緩め、数分も経たないうちにすぅ、すぅ、と穏やかな寝息を立て始めた。
「おやすみ、鈴」
小さな額に軽く触れ、俺はそっと寝室のドアを引いた。
リビングに戻ると、葵と雫、タケがソファーで温かいハーブティーを飲んでいた。
「鈴ちゃん、寝た?」
「ああ。ぐっすり熟睡だ」
俺は腰のホルダーから、昼間に刃こぼれした刃渡り30センチの大型解体ナイフを取り出し、テーブルの上に静かに置いた。
照明の光の下で、痛々しい刃こぼれと金属疲労の細かなヒビが浮き彫りになる。
下請け解体屋時代から、俺の命を救い続けてくれた相棒だ。
「明日は朝一番で、ギルド出張所へ特命の素材納品と報告に行く」
俺は仲間たちを見渡して言った。
「それが終わったら、ギルド裏の佐伯の親父の工房へ行く。今回の特命報酬とボアの金剛素材で、このナイフとハンドガンを一から鍛え直してもらうつもりだ」
「いいわね。今の間宮さんの力に見合う、最高の獲物が必要よ」
葵が力強く頷く。
「はい! 私もお供いたします、先生!」
雫も胸の前で拳を握りしめた。
「俺もついていくぜ! 新装備のお披露目は見逃せねえからな!」
タケがニッと笑う。
頼もしい仲間たちの顔を見つめながら、俺は静かに闘志を燃え上がらせていた。
鈴との穏やかな日常を守るためにも、俺はもっと強くならなければならない。
明日は、新たな力への第一歩だ。




