第028話:夕暮れの帰還と、特製ジビエシチューの仕込み
巨大な第七外郭防壁ゲートをくぐり抜け、装甲車『アイアン・キャリー』は夕暮れに染まる防壁都市へと滑り込んだ。
アルス・テック社の第4工業区ラボへ直行し、荷台の特殊冷却コンテナから、変異腱や金剛甲殻といった特命の最優先素材をラボの保管庫へ迅速に搬入する。
倉田チーフや瀬名が目を血走らせて極上素材に群がるのを尻目に、俺は手早く切り分けた最高部位、霜降り猪肉の巨大なブロック肉をクーラーバッグへと詰めた。
「チーフ、素材の正式な納品とギルドへの報告は明日だ。俺は鈴を迎えに行く」
「おう! よくやってくれた凌! 後は任せて早く行ってやれ!」
倉田チーフが背中を押してくれる。
俺と葵、タケ、そしてなぜか当たり前のように同行している雫の4人は、社用車に飛び乗り、第2区の安全居住特区へと急行した。
*
16時50分。
認可保育所『アストラル・キッズアカデミー』の玄関ドアを開けると、夕方の賑やかな子供たちの声がロビーに満ちていた。
「あっ、鈴ちゃんパパ! ちょうどお帰りの支度ができたところですよ」
担任の保育士さんが笑顔で迎えてくれる。
その声を聞きつけたのか、奥のプレイルームから、小さな足音がトテトテと猛烈な勢いで駆けてきた。
「りょお! りょおーっ!」
両手をめいっぱいに広げ、満面の笑みを浮かべた鈴が、一直線に俺の膝元へと飛び込んできた。
「おっと。ただいま鈴、いい子にしてたか?」
俺がしゃがみ込んで抱き上げると、鈴は俺の首元に小さな腕をぎゅっと巻きつけ、すりすりと頬を寄せてきた。
鼻をくすぐる、お日様とベビーパウダーの懐かしい匂い。
防壁外の血生臭い砂埃も、Aランク魔獣との張り詰めた死線も、この温もり一つで一瞬にして洗い流されていく。
「ん! おしゅなばー! てて、まっくろ!」
鈴が得意げに、少し泥のついた小さな両手をパッと広げて見せてきた。
園庭の砂場でお山を作ったらしい。
「そうか、お砂場でいっぱい遊んだのか。楽しかったな」
「うん! りょー! ぴかぴか!」
鈴は誇らしげに胸を張ると、俺の後ろに立つ葵と雫、そしてタケの姿に気づいて、小さな指を突き出した。
「あおい! しじゅく! たけー!」
「きゃあぁぁ! 鈴ちゃん、名前呼んでくれたぁぁ!」
雫が両手で頬を押さえて悶絶し、タケが目頭を押さえて天を仰ぐ。
「おじちゃん、今日もお迎えに来たぞ! 美味い飯食わせてやるからな!」
賑やかな仲間たちに囲まれ、俺たちは夕暮れの街路樹を歩いてタワーマンションへと帰宅した。
*
高層マンションのリビング。
鈴の手足を綺麗に洗って着替えさせ、プレイルームで積み木遊びを始めたのを見届けてから、俺はアイランドキッチンへと立った。
「よし、今夜はアダマン・ボアの極上肉で、特製ジビエシチューを作るぞ」
クーラーバッグから取り出したのは、赤身と脂身が完璧なマーブル模様を描く、5キロ超の霜降りブロック肉だ。
包丁を握ろうとした瞬間、葵と雫がエプロンを身に着けて両脇から詰め寄ってきた。
「間宮さん、野菜の下ごしらえは私に任せて! 素材の味を完璧に引き出す機能的なカットを見せてあげるわ!」
「いいえ先生、ここは私の番です! 氷結魔法の微細制御を応用した、狂いのない等分割カットをお見せいたします!」
「おいおい、喧嘩すんなって。それじゃニンジンとジャガイモ、タマネギの皮剥きと乱切りを頼む」
二人にまな板を譲ると、葵は軍用コンバットナイフのような手つきで几帳面なキューブ状に切り落とし、雫は細身のペティナイフを神速で操って芸術的な多面体にカットしていく。
科学と魔法の意地の張り合いだ。思わず苦笑いが漏れる。
「よし、野菜はそれで完璧だ。次は肉の番だな」
俺は愛用の大型解体ナイフの刃こぼれを避け、キッチンの肉厚な牛刀を手に取った。
まな板の上に鎮座する、艶やかな深紅の霜降り肉。
普通の包丁では、Aランク変異魔獣の強靭な筋繊維に阻まれて刃が引っかかる。
「魔力変換効率80パーセント、集中」
俺は体内の魔力回路を指先へと通し、牛刀の刀身へ極微細な熱伝導と振動を伝えた。
キィン、と肉眼では見えない超微細な振動が刃先を包む。
サクッ、サクッ。
極上の霜降り肉が、まるで柔らかい羊羹のように、美しく大ぶりの角切りへとスライスされていく。
繊維を押し潰さず、断面の細胞壁を一切壊さない。肉汁を一滴も漏らさない神速の包丁捌きだ。
「な、なんですかその滑らかな切れ味は!? 魔力を包丁にコーティングして、肉の繊維の目に沿って摩擦をゼロにしているのですか!?」
雫が背筋をピンと伸ばし、食い入るように手元へ身を乗り出す。
「筋の多いジビエ肉は、繊維の断ち方一つで固さが天と地ほど変わるんだ。解体屋の基本だよ」
大鍋に熱したオリーブオイルを引き、ニンニクの香りを立たせる。
そこへ角切りの霜降り肉を一気に投入した。
ジュワァァァァァッ!
心地よい爆音とともに、香ばしい肉の香りがリビングいっぱいに立ち上る。
俺は微細な魔力熱伝導で肉の表面を一瞬で焼き固め、旨味の肉汁を完全に閉じ込めた。
続いて、葵と雫が切った香味野菜を投入してじっくり炒め合わせ、赤ワインと特製デミグラスソース、トマトペースト、そして迷宮産の香草ブーケガルニを注ぎ込む。
コトコトコト。
弱火に落とし、煮込み用のフタを閉じる。
鍋の隙間から、甘く芳醇な湯気がふわりと漂い出した。
「うわぁ、すっごくいい匂い!」
葵が鼻をくすぐられて目を細め、タケが喉をゴクリと鳴らす。
プレイルームにいた鈴も、トテトテと小走りでキッチンへやってきて、俺のズボンの裾を引っ張った。
「りょー! いいにおい! んまーの?」
「そうだぞ。鈴の晩飯だ。じっくり煮込むから、先にお風呂入ってさっぱりしてこようか」
「おふりょー!」
鈴を抱き上げ、俺は湯気の立つバスルームへと向かった。
特製ジビエシチューが極上の仕上がりを見せるまで、あと少しだ。




