第026話:荒野の暴君と、初期装備の限界
巨大な第七外郭防壁ゲートをくぐり抜けると、視界が一変した。
迷宮の薄暗い閉所とはまるで違う、果てしなく広がる赤茶けた乾いた大地。
かつて文明が栄えていた旧富士山麓の物流幹線道路は、度重なる地殻変動と魔素汚染によってアスファルトが無惨に引き裂かれ、奇妙に変異した枯れ草や黒ずんだ潅木が路面を侵食していた。
ゴオオオオッ!
アルス・テック社の大型遠征魔導装甲車『アイアン・キャリー』が、6つの巨大な全地形対応タイヤを唸らせて荒野を疾走する。
運転席を握る葵が、視界前方に浮かぶホログラムレーダーへ鋭い視線を走らせた。
「間宮さん、前方800メートル! 物資輸送トラックの残骸付近に、巨大な生体魔力反応を捕捉したわ!」
「来たか」
助手席に座る俺は、新調されたばかりのタクティカルスーツ『レイヴン・ワーカー』の襟元を正した。
後部座席を振り返ると、タケがゴクリと唾を呑み込んで大盾を両手で握りしめ、雫が結晶の杖を胸の前に構えて緊張の面持ちで頷く。
「全員、予定通りの配置でいくぞ。地上魔物はダンジョンの奴らと違って死骸が残る。肉や素材を傷つけないよう、無駄な破壊は避けて急所を的確に仕留める。いいな?」
「「「了解!」」」
キキィィッ!
装甲車が急ブレーキで停車すると同時に、俺たちはハッチを蹴破るように外へと躍り出た。
顔を叩く、砂混じりの乾いた熱風。
横転して黒煙を上げる大型輸送トラックの残骸の向こうから、ズシン、ズシンと大地を揺るがす地響きが迫ってきた。
グオオォォォン!
廃車の影から姿を現したのは、全長6メートルを優に超える巨大な黒鉄の巨獣だった。
Aランク相当の地上変異魔獣、『アダマン・ボア(金剛重甲猪)』。
全身を隙間なく覆い尽くす、黒光りする金属質の超硬度甲殻。
額からは、戦車の複合装甲すら軽々と刺し貫く巨大な螺旋状の金剛衝角が、凶悪な角度で天を突いている。
ボアの血走った赤い複眼が俺たちを捉えた瞬間、前足の蹄がアスファルトを爆音とともに抉り、黒煙のような変異魔素を噴き出しながら突進を開始した。
ドゴゴゴゴゴッ!
「突っ込んでくるぞ!」
俺は素早く左手で、太腿のホルスターから量産型魔導拳銃を引き抜いた。
下請け解体屋時代から、手入れを重ねて使い倒してきた馴染みの銃だ。
突進の軌道をわずかでも狂わせるため、ボアの複眼の感覚器官を狙って引き金を絞る。
バシィン! バシィン!
放たれた2発の魔力徹甲弾が、ボアの眉間へと狂いなく吸い込まれた。
だが。
カンッ! カンッ!
耳を劈く硬質な金属音とともに火花が激しく散り、弾丸は黒光りする甲殻の表面にわずかな煤を残しただけで、何事もなかったかのように弾き飛ばされた。
突進の速度は1キロたりとも落ちていない。
「チッ、牽制の目潰しすら通らねえか!」
俺は思わず舌打ちした。
下請け時代に買った安物ハンドガンじゃ、Aランク変異魔獣の超密度甲殻に対して、威力も貫通力も決定的に足りない。
豆鉄砲にもなりゃしないとはこのことだ。
「タケ、正面から真面目に受けるなよ! 斜めに受け流して軌道を逸らせ!」
「うおおおぉぉぉ! 任せろ凌!」
タケが野太い咆哮を上げ、大盾の接地アンカーをガキンと地面へ打ち込んで構えた。
ボアの巨大な衝角がシールドへと激突する直前、タケは全身の筋肉を軋ませ、盾の角度を斜め上方へと跳ね上げた。
ドガァァァン!
強烈な衝撃波が巻き起こり、タケの巨体が砂埃を巻き上げて数メートル後方へ吹き飛ばされる。
「ぐはぁっ! 重ぇ! ダンプカーにノーブレーキで跳ね飛ばされたみてえだ!」
だが、タケが体を張ったおかげで、ボアの突進軌道はわずかに右へと逸れた。
この決定的な隙を、後ろの二人が見逃すはずがない。
タン、タン、タン!
葵が構えた魔導アサルトライフル『AR-09 ヴァルキリー』から、高密度徹甲弾の鋭い3点バーストが放たれた。
狙い澄まされた弾丸が、ボアの前足の関節結合部に正確に着弾し、火花を散らす。
巨獣の前足がガクンと膝をつきかけた。
「凍てつき、縛りなさい! 『氷槍凍土』!」
雫の凛とした詠唱とともに、結晶の杖の先端から極大の氷結魔力が解き放たれた。
ボアの足元の地面が一瞬で絶対零度の氷塊へと凍りつき、巨獣の四肢を分厚い氷の枷ががっちりと拘束する。
グガァァァッ!?
突進の凄まじい運動エネルギーを強引に奪われ、巨体が激しく身悶えして咆哮を上げた。
だが、ボアのあの規格外の怪力を考えれば、氷が保つのはほんの2秒だ。
「間宮さん、今よ!」
「任せろ!」
俺は新防具『レイヴン・ワーカー』の魔力循環アシストを一気に跳ね上げた。
スーツの内側に編み込まれた超高純度魔導糸が、俺の魔力変換効率80パーセントのエネルギーを滞りなく全身へ巡らせる。
驚異的な反発力で地面を蹴り、ボアの首筋の死角へと地を這うような低姿勢で肉薄した。
右腰の革鞘から一気に引き抜くのは、下請け解体屋時代から何百頭もの魔物を捌いてきた相棒、刃渡り30センチの大型解体ナイフ。
柄の振動スイッチを押し込むと、キィィンと耳鳴りのような高周波が刃先を満たした。
「そこだ!」
俺はボアの硬質な外骨格の継ぎ目、首筋のわずかな皮膚の露出部へ、全体重と身体強化の魔力を乗せてナイフを深々と突き立てた。
ギチチチチチッ!
耳を塞ぎたくなるような凄まじい金属摩擦音とともに、強烈な火花が視界を埋め尽くした。
だが、刃先はわずか数センチ食い込んだところで、ピタリと止まった。
その奥にある、鋼鉄をも凌駕する超硬度の金剛骨格に阻まれたのだ。
キィィィン!
強烈な反動が俺の手首と前腕を痺れさせ、長年愛用してきた大型ナイフの刃身から、悲鳴のような軋み音が上がった。
引き抜いて目をやると、刃先に目に見えるほどの痛々しい刃こぼれが生じている。
「くそっ、浅い! 刃渡り30センチじゃ、この化け物の心臓核まで届かねえ! ナイフの強度も限界だ!」
俺は思わず奥歯を噛み締めた。
浅層や中層序盤の魔物なら一刀両断できた相棒も、Aランクの規格外の巨体と金剛骨格の前では、決定的に長さも硬度も足りない。
今までどんな修羅場も一緒に潜り抜けてきた愛用の包丁を、俺はもう一度強く握り直した。
パキキキッ!
ボアが猛烈な力で四肢を覆う氷塊を粉々に砕き始めた。
巨体が怒りに震え、至近距離にいる俺へ向けて巨大な衝角が薙ぎ払われようとする。
「先生、危ない!」
「間宮さん、引いて!」
後方から雫と葵の悲鳴のような叫びが届く。
だが、俺の頭は冷水のように冴え渡っていた。
手持ち武器の限界を冷静に見極めた俺は、即座にナイフを収めて鋭いバックステップで間合いを取った。
手持ちの刃が通らないなら、俺にはこいつらがある。
左右の腰の電磁マウントへ意識を直結させる。
「飛べ、レイヴン!」
バシュッ!
左右のホルダーから電磁ラッチが解除され、2機の漆黒の試作ビットが音速で宙へと射出された。
全身を駆け巡る俺の魔力回路と、2機の星霊鋼コアが寸分の狂いもなく共鳴する。
キィィィィィン!
レイヴンの刃先が高周波で極限励起され、光を反射しないマットブラックの刀身が、目にも留まらぬ残像となって荒野の空を切り裂いた。
ザシュッ! ズバシュッ!
手持ちのナイフでは弾かれた金剛の肉体を、レイヴンの高周波飛翔刃は、まるで熱した包丁でバターを切り裂くように滑らかに両断した。
後足のアキレス腱、前足の運動神経束が、コンマ数秒のうちに完璧にスライスされる。
グガァァァッ!?
四肢の腱を両断されたアダマン・ボアは、もはや己の巨体を支えることすらできず、ドォォォンと前のめりに大地へ崩れ落ちた。
「葵、雫、装甲の割れ目を狙え!」
「了解!」
「はいっ!」
葵の放った徹甲弾がボアの首筋の装甲のヒビを撃ち抜き、雫の放った鋭利な氷槍がその亀裂を楔のように押し広げた。
分厚い外装が剥がれ落ち、内部で不気味に脈動する赤黒い中枢魔力核が白日の下に露出する。
「引導を渡してやる!」
俺の思考の閃きに呼応し、上空で旋回していた2機のレイヴンが、鋭角的な急降下を描いて交差突入した。
ドズシャァァァッ!
2本の黒き刃が核を十字に貫き、内部から高周波振動を炸裂させる。
ビクンと一度だけ大きく巨体が跳ね上がった後、金剛重甲猪は静かにその巨体を荒野の大地へと沈めた。
吹き荒れる熱風の中、荒野に完全な静寂が訪れる。
「た、倒した、のか?」
タケが大盾を下ろし、呆然と呟いた。




