第023話:蒼穹の射手と、テストパイロットの矜持
東京ピラーを取り囲む安全居住特区の地下深く。
分厚い耐圧防音シャッターで外界と遮断された、アルス・テック社第3兵器開発ラボ・地下射撃試験場。
薄暗い空間に、乾いた警告ブザーが鳴り響いた。
『戦闘シミュレーション開始。ターゲット、ランダム出現』
無機質なアナウンスと同時に、照明が落ち、障害物だらけの模擬市街地コースに人工の煙幕が勢いよく噴き出した。
視界はわずか5メートル。
その遮蔽物の隙間から、赤いセンサーアイを灯した金属製の魔獣標的が、高速で跳び出してきた。
タン、タン、タン!
静寂を切り裂いたのは、鋭く澄んだ3発の銃声だった。
標的の胸部にある魔力核の直上、わずか数センチの円内に、寸分の狂いもなく吸い込まれた青白い魔力徹甲弾。
装甲を穿たれた標的が、火花を散らしながら地面へと崩れ落ちる。
硝煙の中を、身軽なステップで駆け抜ける一筋の影があった。
黒髪ショートボブの快活な美女、神崎葵だ。
黒とダークグレーを基調とした、身体のラインに吸い付くようなアルス・テック社製最新鋭コンバットスーツを纏い、その手には漆黒の魔導アサルトライフル『AR-09 ヴァルキリー』が握りしめられていた。
ガガガガッ!
頭上のキャットウォークから、別の標的が高速で高圧ペイント弾を撃ち下ろしてくる。
実戦であれば、一撃で骨を砕かれる魔弾の雨。
だが葵は速度を落とさず、左腕を前方に掲げた。
キィィィン!
左前腕に装着された小型偏向シールドジェネレーターが作動し、六角形の淡い青い光膜が展開される。
激しい甲音を立てて弾き飛ばされる模擬魔弾。
葵はシールドの陰から滑り出すようにライフルを構え直した。
濃密な煙幕が視界を遮り、敵の姿は目視できない。
だが葵の耳元に装着されたヘッドセットから、ピピッ、と短いソナー音が響く。
コンバットスーツの背部から放たれた微弱な生体魔力パルスが、遮蔽物の裏に潜む標的の輪郭を感知し、ライフルの光学ホロサイトへと瞬時にワイヤーフレームとして投影した。
「そこね!」
タン、タン、タン!
迷いのない3点バースト。
壁越しに放たれた高密度魔力弾がコンクリートの障害物を貫通し、奥に潜んでいた標的の中枢コアを粉々に粉砕した。
『全ターゲット撃破。クリアタイム、基準値を15秒更新。テスト終了』
機械的なアナウンスとともに、試験場の照明が明るく灯り、換気システムが煙幕を一気に吸い出していく。
葵は息を一つ整え、ライフルのセーフティを親指で跳ね上げた。
「ふう、やっぱりこの子の取り回しは最高ね」
愛銃の冷たいレシーバーを愛おしそうに撫でる葵に向かって、防弾ガラスで仕切られた計測ブースのスピーカーから、元気な拍手が送られた。
『お疲れ様です、葵先輩! 相変わらず惚れ惚れする集弾率ですね!』
ブースの窓から身を乗り出して手を振っているのは、白衣に丸メガネをかけた知性的な女性、データ解析担当の瀬名結衣だった。
そしてその隣から、分厚い胸板を揺らしながら巨漢の男が姿を現した。
「がはは! 見事なもんだ! Cランク探索者どころか、今すぐBランクの昇格試験を受けても楽勝でパスする腕前だな!」
豪快に笑うのは、アルス社の先輩テストパイロット、熊井剛三だ。
重機関銃やマナフレームの搭乗テストを担当する筋骨隆々のベテラン探索者で、葵にとって兄貴分のような存在だった。
「熊井先輩、からかわないでください。私はテストパイロットとしての責務を果たしただけです」
葵はエアロックを抜けて計測ブースへと入り、ヘルメットを外して汗ばんだ黒髪を手櫛でかき上げた。
「結衣、今の第3連射のデータ、薬室の温度ログ見せて」
「はい、どうぞ。モニターに出しますね」
瀬名が手元のタッチパネルを操作すると、葵の脳波波形とライフルの熱排気グラフが並んで表示された。
葵は真剣な眼差しで数値を睨みつける。
「やっぱりね。連続で3点バーストを撃ち込んだ時、トリガーの戻りがコンマ1秒だけ重くなるわ。魔力供給レギュレーターの冷却フィン、あと2枚増やせないかしら? 現場で泥水や高熱に晒された時、このコンマ1秒の引っかかりが探索者の命取りになるのよ」
「うぐっ、相変わらず現場感覚がシビアですね。でもおっしゃる通りです。設計班に即座にフィードバックして、バレルの放熱スリットも再調整させます」
瀬名は感心したようにタブレットへペンを走らせた。
「さすがだな、葵ちゃん」
熊井が缶コーヒーを葵に手渡しながら、目を細めた。
「ハイペリオン社の連中は、見栄えのいいビームの出力や派手な数値ばかりをカタログに並べるが、うちの武器が現場のベテランから愛されるのは、お前みたいに実戦の泥臭さを知り尽くしたパイロットが、ミリ単位で魂を削ってテストしてるからだ」
「ありがとうございます。私、自分がダンジョンで死にかけたことがあるから、だからこそ、絶対に現場で裏切らない道具を届けたいんです」
葵はコーヒーの温もりを手のひらで感じながら、ふっと表情を和らげた。
かつて第15層の暗闇で、魔獣に囲まれ絶望していた時の恐怖。
そして、その闇を切り裂いて現れた、泥だらけの作業着を着た一人の青年の姿。
あの時、凌が背中を預けてくれたからこそ、今の自分がここにいるのだと、葵は片時も忘れたことはなかった。
「ところで、だ」
熊井がニヤリと口角を吊り上げ、葵の顔を覗き込んできた。
「今朝のギルドのネット速報、見たか?」
「え? 速報ですか? 朝から射撃テストの準備にかかりきりだったので、まだ見てませんけど」
「ふふふ、大変なことになってますよ、葵先輩」
瀬名が楽しそうに端末の画面を葵へと向けた。
そこには、ネットの探索者大型掲示板のトレンド画面と、大手配信者クロードの緊急配信の録画が映し出されていた。
【速報:第20層ボス討伐パーティーリーダー・間宮凌(Dランク)】
【クロード緊急配信:あの時の恩人『ゴースト歩兵』の正体が判明!? 同接25万人突破】
「な、なんじゃこりゃあぁぁぁっ!?」
葵は思わず素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっと待って! 昨日、第20層のボスを倒したとは聞いてたけど、なんでクロードの配信と繋がってるのよ!?」
「あいつが昔、浅層で死にかけた時に助けてくれた作業着の男を探してたらしくてな。昨日の中層ボス討伐の速報データと照合されて、特定班に身元を全部暴かれたらしい。今やネットじゃ時の人だぞ」
熊井が面白そうに腹を抱えて笑った。
「しかも社内じゃ、もう1つ別の噂で持ちきりですよ?」
瀬名がジト目で葵を見つめ、ツンツンと肘で突いてくる。
「葵先輩、あの間宮凌さんの新居に毎日通い詰めて、手料理の朝ごはん作ってあげたり、鈴ちゃんのママ役やってるって本当ですか?」
「ぶふっ!?」
葵は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになり、顔を耳まで真っ赤に染め上げた。
「な、何を馬鹿なこと言ってるのよ結衣! ち、違うわよ! 私はアルス社の専属テストパイロットとして、テスターである間宮さんの体調管理と生活支援をしてるだけで! 鈴ちゃんだって、男手一つじゃ大変だから保護者枠の補助に入ってるだけで!」
「へえー? 保護者枠の補助ねえ? 毎朝お味噌汁作ってあげる保護者枠ですか?」
「か、からかわないでよもう!」
湯気を噴き出しそうな勢いで両手をぶんぶんと振る葵を見て、熊井と瀬名が大爆笑した。
だが、熊井はすぐに表情を引き締め、優しげな笑みを浮かべた。
「だが葵ちゃん、間宮って男を連れてきてくれたこと、ラボの全員が感謝してるぜ。あいつのおかげで、うちの試作ビット『レイヴン』の真価が証明されつつある。ハイペリオン社に奪われた市場を、あいつとなら本気で取り戻せるかもしれねえ」
「はい」
葵は赤くなった頬を押さえながら、誇らしそうに頷いた。
「間宮さんは凄いです。魔力変換効率80パーセントっていう異常な才能を持ってるのに、少しも驕らず、泥臭い解体の技術と仲間の命を何よりも大切にしてる。あの人の背中を見てると、私もテストパイロットとして、もっともっと強くなりたいって思えるんです」
その時だった。
バァァァン!
ブースの頑丈なセキュリティドアが、凄まじい勢いで蹴破るように開け放たれた。
現れたのは、油の染みた作業着の裾をはためかせ、血相を変えた白髪交じりの男。
第3開発ラボの責任者、倉田チーフだった。
「葵! ここにいたか!」
「く、倉田チーフ!? どうしたんですか、そんなに慌てて!」
倉田は肩で息をしながら、手元の端末を葵の目の前に突きつけた。
「ギルド本部から連絡が入った! 間宮凌宛に、直々の『特命指名依頼』が正式に発令されたぞ!」
「えっ!? 特命指名依頼!?」
葵と熊井、瀬名が息を呑んだ。
特命指名依頼とは、ギルド本部が特定の探索者の実力を認め、公的な危機管理や防衛のために直接下す最高機密任務だ。Dランクの探索者に下りるなど、前代未聞の事態である。
「ターゲットは、防壁外の富士山麓物資補給ルートに出現した変異魔獣『アダマン・ボア(金剛重甲猪)』だ! 物資輸送部隊が襲撃されて補給線が寸断されかけてる! 危険度はAランク相当だ!」
「Aランク相当! そんな化け物を、間宮さん一人に!?」
葵の顔からサッと血の気が引いた。
「それだけじゃねえ!」
倉田は目を血走らせ、拳を力いっぱいに握りしめた。
「その金剛重甲猪の背甲殻と極太の変異腱! それこそが、レイヴンの新型増設フレーム、第3号機と第4号機を完成させるために、喉から手が出るほど欲しかった至高の素材なんだよ!」
「えっ! レイヴンの増設!?」
「そうだ! あの素材が手に入れば、レイヴンは現在の2機編成から、一挙に4機編成の完全体『クアッド』へと進化できる! この依頼は、うちの未来を左右する乾坤一擲の大勝負だ! 最新鋭の遠征用魔導装甲車を直ちに出すぞ!」
倉田の熱叫に、葵の迷いは一瞬で吹き飛んだ。
恐怖など微塵も残っていなかった。胸の奥に湧き上がってきたのは、熱く滾るテストパイロットとしての誇りと、大切な仲間を守るという強い意志だった。
「チーフ! 私も行きます! テストパイロットとして、そしてCランク探索者として、間宮さんの後衛を務めます!」
「おお、頼むぞ葵! あいつを死なせるな! 極上の素材を絶対に持ち帰るんだ!」
「了解!」
葵は愛銃ヴァルキリーをしっかりと握り直し、腰の弾帯を締め直した。
蒼穹の空の下、荒野の戦場が彼女たちを待っている。
凌の待つギルド出張所へ向け、葵は力強い足取りで駆け出した。




