第018話:詠唱の隙と、黒い飛翔刃
青白い鉱物結晶が鍾乳石のように垂れ下がる第18層の回廊を、俺とタケは快調に進んでいた。
タケの頑強なタワーシールドが正面の突進をガッチリ受け止め、左右へ散開した魔獣の急所をレイヴンが音もなくスライスする。
無駄な被弾もなければ、余分な魔力消費もない。
開始からわずか40分ほどで、俺たちの素材袋には中層の上質な魔石がゴロゴロと溜まっていた。
「おいおい凌、あっという間にホクホクだぞ! 前衛とビットの相性がここまで抜群だとは思わなかったぜ!」
「タケが正面のヘイトを完璧に引きつけてくれるからな。レイヴンを奇襲と急所攻撃だけに集中できる」
「へへっ、もっと褒めていいぞ! まだ14時半だ、この調子なら第19層の境界まで少し足を伸ばせるんじゃねえか?」
タケが戦斧を肩に担いでニヤリと笑ったその時、俺の右腕のアームレットが鋭い警報音を鳴らした。
ピピピピピピッ!
ディスプレイに赤く点滅する警告ウィンドウがポップアップする。
『間宮さん、聞こえますか!』
インカムから、第15層出張ラボにいる葵の緊迫した声が飛び込んできた。
『第19層の広間エリアから、ギルドの非常遭難ビーコンを受信しました! 近くにいる探索者の緊急救助要請です!』
「遭難ビーコン?」
「嘘だろ!? 第19層かよ!」
タケが表情を一変させ、身構えた。
「第19層は中層前半の最難所だぞ。足場が悪い上に、俊敏な変異種が群れで湧く場所だ。ソロで潜るような場所じゃねえ!」
「葵、要請主のデータは出ているか」
『はい、照合完了しました。Cランク探索者、如月雫、18歳。帝都魔導アカデミーを歴代最年少で飛び級首席卒業した、生体魔力型の天才少女です! 単独で第20層ボスエリアの下見に入っていたようですが、強力な変異種に退路を塞がれた模様です!』
「18歳でCランクの魔導士か。生体魔力型なら、近接の奇襲に弱い典型だな」
俺は左手首の時計を一瞥した。
14時35分。
第19層まで駆け足で5分。救助に10分。撤退に15分。
どれだけ長引いても、15時半前には第15層ベースキャンプへ戻れる。16時の地上行き高速シャフトには十分間に合う計算だ。
「葵、俺とタケで急行する。現場の魔素反応を誘導してくれ」
『了解しました! 第19層の中央大空洞、座標E-4です。無茶はしないでくださいね!』
「タケ、行くぞ」
「おうよ! 18歳の女の子がピンチとあっちゃ、男が見捨てるわけにはいかねえ!」
俺たちは足元に魔力を巡らせ、第19層へと続く巨大な下りスロープを一気に駆け下りた。
*
第19層の中央大空洞は、異様な青白い燐光と紫の火花に包まれていた。
天井高20メートルを超える巨大なドーム状の岩窟。
その中央で、銀青色の長い髪を乱した華奢な少女が、孤立無援の防戦を強いられていた。
如月雫。
仕立ての良い紺青色の魔導ローブを纏い、先端に巨大な青色魔導結晶をあしらった杖を両手で握りしめている。
彼女を取り囲んでいるのは、巨大な蜘蛛の姿をした中層凶悪変異種、『サンダー・アラクネ(迅雷蜘蛛)』が5体。
体長3メートルに迫る鋼鉄のような外骨格に、バチバチと黄色い稲妻を纏った鋭利な8本の節足。時速100キロで壁や天井を縦横無尽に疾走する、中層屈指の暗殺魔獣だ。
「くっ、調伏の言霊よ、集いて凍てつけ!」
雫が凛とした声を張り上げ、杖を掲げて術式を展開しようとする。
だが、迅雷蜘蛛の群れは、魔法の詠唱を許さない。
ギチギチギチッ!
天井に張り付いていた1体が、稲妻を撒き散らしながら雫の頭上へ急降下した。
「しまっ!?」
雫は詠唱を中断せざるを得ず、咄嗟に杖を横に払って簡易な防御障壁を展開した。
ガギィィィン!
半透明の青い光波障壁が、蜘蛛の鋭利な前脚を受け止める。
だが、衝撃で障壁の表面にピシピシと細かな亀裂が走った。
ギチッ、ギシャァァァ!
すかさず左右の岩陰から、残る4体が死角を突いて同時に飛びかかってくる。
詠唱しようとすれば飛び込まれ、障壁を張れば袋叩きに遭う。
圧倒的な手数の前に、雫の生体魔力は障壁の維持だけで急速に削り取られていた。
「私の詠唱時間があと3秒あれば、広域氷結魔法で一掃できるのに! このままでは、障壁が割れる!」
雫の青い瞳に焦燥と絶望の色が滲んだ、まさにその時だった。
「オラァァァッ! そこまでだ化け物蜘蛛ども!」
空洞の入り口から、地響きを立てて突進してきた巨影があった。
タケだ。
身の丈ほどもある巨大なタワーシールドを構え、全身から黄褐色の魔力オーラを吹き上げながら、雫の背後を狙っていた蜘蛛の1体へと激突した。
ドガァァァン!
重装シールドバッシュが炸裂し、蜘蛛の巨体が壁際まで激しく吹き飛ばされる。
「えっ、援軍!?」
雫が息を呑んだ瞬間、天井からもう1体の蜘蛛が、タケの死角である雫の無防備な頭上へとダイブした。
雷光を帯びた毒牙が、雫の華奢な首元へと迫る。
タケのシールドは位置的に間に合わない。
「きゃあっ!?」
雫が死を覚悟して目を瞑りかけた、そのコンマ数秒前。
俺は静かに右腕を掲げた。
「落ちろ」
腰の左右ホルダーから、電磁ラッチが解除される澄んだ金属音。
シュパァァン!
左右同時に射出された漆黒の2筋の閃光。
試作遠隔誘導端末『レイヴン』01、および02。
重力を嘲笑うような超音速の機動で、頭上から落下してくる蜘蛛の眉間へと割り込んだ。
バスッ!
レイヴン01の推進バレルから放たれた不可視の徹甲ニードル弾が、蜘蛛の8つの複眼のうち主要な4つを正確に撃ち抜いた。
ギシャアアッ!?
目を潰された蜘蛛が激痛で軌道を逸らす。
そこへ、真下から垂直上昇したレイヴン02がすれ違いざまに閃いた。
キィィィィィン!
超高周波の不可視振動刃が、蜘蛛の右側の歩脚4本を根元から撫で切りにする。
スパァァン!
一瞬にして脚の半分を失った蜘蛛は、雫の足元すれすれの地面へ無様に転落し、激しくのたうち回った。
「なっ!?」
雫が信じられないものを見るように息を呑んだ。
黒い短剣のような端末が、空中にピタリと静止し、青紫色の光条を小さく脈動させている。
「おい、魔導士」
いつの間にか雫の斜め前に滑り込んでいた俺は、淡々とした声で告げた。
「最大火力の魔法を使え。詠唱の3秒、俺たちが完璧に稼ぐ」
「えっ? で、でも、敵はまだ4体も!」
「いいから詠唱しろ。お前の魔力を1ミリも無駄に散らすな」
俺の言葉に気圧され、雫はゴクリと喉を鳴らした。
プライドの高い少女のようだが、直感が告げていたのだろう。この男の言葉を信じるしかないと。
「分かったわ! 氷の精霊よ、大気満たす熱を奪い、絶対零度の槍となれ!」
雫が杖を天に突き上げ、体内の生体魔力を一気に解放する。
青白い巨大な魔法陣が足元に展開し、濃密な冷気が大気を凍りつかせ始めた。
それに反応し、吹き飛ばされていた蜘蛛を含む残る4体が、詠唱を止めるべく四方八方から同時に襲いかかってきた。
「タケ、左の1体を止めろ!」
「任せとけオラァ!」
タケが左からの突進をタワーシールドでガッチリ受け止め、右手の魔導戦斧を頭蓋へ叩き込んで足止めする。
だが、残る3体は壁面をジグザグに疾走し、鋭利な爪を突き出して雫へと殺到した。
1秒経過。
「レイヴン、クロス・スライス」
俺の思考パルスを受け、2機のレイヴンが空中で交差するように突風となって疾走した。
キィィィン!
不可視のニードルが先頭の蜘蛛の口器を撃ち抜き、毒液の噴射を封じる。
直後、超音速の交差斬撃が、2体目の蜘蛛の関節靭帯を泥臭くスライスした。
2秒経過。
最後の1体が天井を蹴り、雫の真上から鎌のような前脚を振り下ろす。
そこへ、俺自身が無音の身体強化ステップで雫の頭上へと割り込んでいた。
右腰の革鞘から抜かれた刃渡り30センチの大型解体ナイフ。高周波スイッチがキィィンと鳴り響く。
ガシュゥゥゥン!
下から斜め上への正確無比な一閃。
振り下ろされた蜘蛛の前脚を関節ごとスッパリと切断し、そのまま刃先を脳天の隙間へと滑り込ませて軌道を逸らした。
3秒経過。
すべての攻撃が、雫の髪の毛1本に触れることなく、完璧に遮断されていた。
「3秒だ! 撃て!」
俺の鋭い叫びと同時に、雫の瞳が神々しい蒼氷の光を放った。
「貫け、氷槍乱舞!」
ドォォォォォン!
雫の頭上に生み出された数十本もの巨大な氷結の槍が、青白い閃光となって降り注いだ。
動きを完全に封じられていた迅雷蜘蛛の群れを、氷の槍が容赦なく地面へと縫い留めていく。
絶対零度の冷気が瞬く間に岩窟を満たし、5体の蜘蛛は悲鳴を上げる間もなく、巨大な氷塊の彫像へと変貌した。
パキィィィン!
氷塊が砕け散り、青白い魔素粒子が霧散する。
足元には、中層上位の巨大な魔石が5個、カランカランと心地よい音を立てて転がった。
完全な静寂が、第19層の大空洞を支配した。
「はぁ、はぁっ」
雫は肩で息をしながら、杖を支えにして立っていた。
視線の先では、2機の漆黒の短剣型端末『レイヴン』が、何事もなかったかのように俺の左右の肩口へと戻り、静かにホバリングしている。
「私の詠唱時間を、あんな小さな黒い刃で、コンマ1秒の狂いもなく稼ぎ抜いた?」
雫は驚愕と混乱で、握りしめた杖の先が小さく震えていた。
機械や兵装に頼る探索者を己の生体魔力を磨かないまがい物と見下していた雫の価値観が、音を立てて崩壊していく。
あんな神業の空間認識と精密な急所攻撃、魔導アカデミーのエリート探索者でも見たことがないはずだ。
「タケ、魔石を拾ったらベースキャンプへ戻るぞ。15時を回った。16時の高速シャフトに乗る」
「おうよ! うっひょー、迅雷蜘蛛の魔石、めちゃくちゃデカいぜ!」
俺が淡々と作業着の汚れを払い、腰のホルダーへとレイヴンをカチリと収めた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
雫が慌てて駆け寄ってきた。
整った眉を吊り上げ、信じられないものを見るような視線で俺を見上げてくる。
「あ、あなたは何者なのですか!? あの黒い浮遊端末、それに、あの驚異的な急所狙撃と身体捌き! どこの大手クランの特務探索者なのですか!?」
「ただのDランク探索者だ。怪我がないならいい。俺たちは急ぐんでな」
「は? Dランク!?」
雫がぽかんと口を開けた。
俺はタケと共に背を向け、ベースキャンプへと続く通路へスタスタと歩き出した。
「ま、待ちなさい! Dランクなわけがないでしょう! 名乗りなさい、あなた!」
青い魔導ローブの裾を揺らしながら、必死に背中を追いかけてくるエリート魔導士の声を背に、俺は小さく口元を緩め、帰還の足を速めた。




