第013話:光の差し込む部屋と、二人の新生活
「間宮さん、おめでとうございます! 本部から特例承認の決裁が下りました!」
翌日の午後。ギルド第七外郭門出張所の受付窓口で、長谷川さんが満面の笑顔とともに、真新しいギルドタグをカウンターの上に差し出した。
それは、これまで胸元に着けていた煤けた真鍮色のEランクタグとは違う。
鈍い銀色に輝く、重厚な金属のプレート。
「Dランク探索者、間宮凌さん。第15層未開拓ルートの先行調査功績と中層変異魔獣の討伐データ、それに業界第2位アルス・テック社からの特別技術推薦に基づき、本日付で正式に昇格となります!」
「ありがとう、長谷川さん。手続きの手間をかけさせたな」
「いえいえ! それとこちら、今回の調査任務の成功報酬50万円と、昇格祝い金の50万円、合わせて100万円のお振込みも完了しています」
端末をタップすると、口座残高が1300万円を軽々と突破していた。
数日前まで明日のパン代にすら頭を抱えていたのが、本当に遠い昔のことのように思える。
「おいおいおい! ちょっと待てよ凌!」
その時、ロビーの自動ドアから入ってきた男が、俺の姿を認めるなり大股で駆け寄ってきた。
大きなライオットシールドを背負った短髪のがっしりした青年、悪友のタケだ。
「タケか。依頼帰りか?」
「そんなことよりお前! その銀色のタグ、Dランクじゃねえか! おいおい抜け駆けかよ!? 昨日まで同じ底辺仲間だったはずだろ!?」
「抜け駆けも何も、ギルドの査定任務をこなしただけだ」
「嘘つけ! 15層の未開拓ルートを一人で踏破したって噂、本当にお前だったのかよ!? くそっ、これで俺とタメかよ! チクショウ、今夜は酒奢れよな!」
「断る。俺はこれから引っ越しで忙しいんだ」
「引っ越しぃ!?」
叫ぶタケを適当にいなし、俺は出張所の駐車場へと向かった。
*
駐車場には、アルス・テック社のロゴが入った大型の軽トランスポーターが停まっていた。
運転席から飛び出してきたのは、私服のデニムパンツに白いパーカーを羽織った神崎葵だった。
「お待たせ間宮さん! トラック回してきたわよ!」
「助かるが、わざわざ車まで出してもらって悪かったな」
「いいのよ! これもアルス・テック社専属テスターへの福利厚生の一環なんだから! あ、それで、鈴ちゃんは!? 鈴ちゃんはどこ!?」
葵が俺の背後をキョロキョロと忙しなく見回す。
俺は苦笑しながら、胸元の抱っこ紐を指差した。
上着のジッパーを少し下げると、中からふわふわの髪の毛と、大きな黒目がひょこっと顔を出した。
「りょー!」
鈴が小さな手をもぞもぞと伸ばし、俺の胸元に顔を寄せる。
その瞬間、葵が両手で胸を押さえ、その場に崩れ落ちそうになった。
「っ! か、可愛い! 抱っこ紐にすっぽり収まってる! 神様、私は今日、この尊さで死ぬかもしれません!」
「大げさなやつだな。荷物を積むぞ。アパートへ寄ってくれ」
*
下町のアパートに残っていた荷物は、驚くほど少なかった。
俺自身の私物といえば、着替えの作業着数着と、佐伯のオヤジに研いでもらった大型解体ナイフの手入れ油、愛用の魔導ハンドガン。それに昨日受け取ったばかりの、漆黒の試作ビット『レイヴン』を収めた細身の専用スリングケースくらいのものだ。
あとは鈴のために買い揃えた紙オムツのストックと、粉ミルクの缶、長谷川さんから貰った小さなおもちゃのブロック。
段ボール箱にしてわずか3つ。
トラックの荷台の隅にちょこんと載せ、大家にボロ部屋の鍵を返却して、俺たちは下町の路地を後にした。
車は防壁都市の内部へと進み、幾重にも重なる巨大な防壁ゲートをくぐり抜けていく。
第4区、第3区と進むにつれて、街並みは劇的に変化していった。
煤煙と泥にまみれた下町とは一変し、街路樹の緑が美しく整えられ、最新の清掃ドローンが舗装道路を静かに走っている。
そしてゲートの警備兵が厳重な生体スキャンを行い、車は最上位の居住区域、第2区『安全居住特区』へと足を踏み入れた。
「ここが、第2区か」
「そうよ。都市の中枢防護障壁の内側だから、防壁外から魔獣が侵入してくる確率は0.001%以下。都市で一番治安が良くて安全な場所よ」
車が停まったのは、青空に向かってまっすぐにそびえ立つ、15階建ての近代的なマンションの前だった。
外壁には防魔コーティングが施され、エントランスには最新の生体認証オートロックが備わっている。
葵に案内されてエレベーターに乗り、最上階の角部屋へ。
重厚な防音ドアのカードキーをかざし、ガチャリと扉を開けた。
「うわぁ」
思わず声が漏れた。
玄関を上がった先に広がっていたのは、下町のボロアパートが丸ごと3軒入るような、広々としたリビングダイニングだった。
ピカピカのフローリング。
倉田チーフが気を利かせて手配してくれたのか、最新の大型冷蔵庫や全自動洗濯機、ふかふかのソファがすでに設置されている。
リビングの一角には、小さな子供が転んでも怪我をしないよう、清潔で柔らかいクッションマットが敷き詰められていた。
そして何より。
南向きの巨大な掃き出し窓から、あたたかな黄金色の日差しが、部屋中いっぱいに降り注いでいた。
窓の向こうには、澄み渡る青空と、遠くに冠雪した富士山の稜線が美しく広がっている。
「本当に、日当たり最高だな」
「でしょ! 倉田チーフが意地でも一番いい部屋を確保するって張り切ってたんだから!」
俺は抱っこ紐から鈴を外し、ふかふかのクッションマットの上にそっと降ろしてやった。
鈴は小さな足で床の感触を確かめるように立ち上がり、きょとんと辺りを見回した。
「あぅ?」
薄暗くて湿気のあったあのアパートとはまるで違う、明るくてあたたかい光の空間。
トテトテ、と鈴は小さな足取りで窓際へと歩いていった。
窓から差し込む陽だまりの中に両手を差し伸べ、光の粒を掴もうとするように指をぎゅっと握る。
そして、パッと振り返って俺を見上げた。
「りょー! ぱぁ!」
満面の笑顔。
鈴は全身で嬉しさを表現するように、小さな両手を上げてぴょんぴょんと跳ねた。
「えへー! きゃっ!」
「そうか、気に入ったか」
俺が歩み寄って頭を撫でてやると、鈴は俺の足にぎゅっと抱きつき、ぽかぽかの日差しの中で心地よさそうに目を細めた。
その無邪気な笑顔を見た瞬間、胸の奥にじんわりと熱いものが広がっていくのを感じた。
地蔵堂の冷たい床で震えていた小さな命。
あの日、この手を差し伸べた自分の選択は、間違いじゃなかった。
「うぅ、尊い! もう私、この部屋に住み込みたい!」
「おい、勝手に同居人を増やすな」
背後でハンカチを噛み締めながら悶絶している葵に、俺は呆れ顔で突っ込んだ。
「いいじゃない! 私、鈴ちゃんのベビーシッターもできるし、アルス・テック社からの連絡役も兼ねられるわよ! 家賃もちゃんと入れるから!」
「家賃入れるのかよ。まあ、鈴の面倒を見てくれるなら考えてやらんでもないが」
「やったぁ! じゃあ早速、買ってきたお祝いのベビー服を着せましょう! 鈴ちゃーん、お着替えしよっか!」
「やぁ!」
「また拒絶されたぁぁぁ!」
ドタバタと騒がしい葵と、警戒して俺の後ろへ隠れる鈴。
静かだった俺の日常が、一気に賑やかなものへと塗り替えられていく。
俺は窓を開け、ベランダへと出た。
心地よい風が、頬を撫でていく。
視線を防壁の外へと向ければ、遥か彼方にそびえ立つ、巨大な漆黒の金属柱が空を突いていた。
世界を狂わせた、未知の災厄の象徴。
腰の右側には、職人仕込みの刃渡り30センチの解体ナイフ。
左右両サイドのホルダーには、左右どちらの手でも即座に抜ける漆黒の試作ビット、レイヴン。
右腕には、青紫色の魔力を通す制御アームレット。
底辺のEランク解体屋だった俺の足元は、もう過去のものだ。
それでも、腰の得物も指先の感覚も、あの頃から何ひとつ変わっていない。
名声なんていらない。ただ、この温かい場所と、あの小さな寝顔を守れればそれでいい。
「りょー! まんま!」
部屋の中から、鈴の元気な呼ぶ声が響いた。
「はいはい、今行くよ」
俺は笑顔で振り返り、あたたかな光に満ちた我が家へと足を踏み入れた。
お読みいただきありがとうございます。
ここまでで第2章が区切りとなりました。
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