第012話:黒刃の飛翔と、驚異の初同期
翌朝。ボロアパートの薄暗い六畳間で目を覚ますなり、枕元の魔導端末を開いた。
画面に表示された銀行口座の残高。
【現在の残高:12,384,100円】
昨日の1200万円が、本当に振り込まれている。
夢でも幻でもなかった。
「ふぅ」
思わず深い息が漏れる。
先週まで、今月の家賃3万円と鈴の粉ミルク代をどう工面するかで頭を抱えていたのが嘘のようだ。
布団の隣を見ると、鈴が丸くなって気持ちよさそうに眠っていた。
小さな胸が上下し、時折すぅすぅと可愛い寝息を立てている。
「起きろ、鈴。朝飯だぞ」
頬を軽く突つくと、鈴はうっすらと目を開け、俺の顔を認識した瞬間に小さな両手を伸ばしてきた。
「りょー!」
「はいはい、おはよう」
抱き上げて顔を拭いてやり、朝食にする。
今日は少し奮発して、昨日買ってきた甘いバナナを潰して離乳食に混ぜてやった。
鈴はスプーンを口元に運ぶなり、小さな足を座布団の上でバタバタと踏み鳴らした。
「んま!」
「うまいか。いっぱい食え」
「あむあむ! んま!」
口の周りを黄色いペーストだらけにしながら、嬉しそうに小さな手をバタバタと振る。
着替えを済ませ、下町の路地を抜けてギルド託児所へ預けに行った。
「りょー! ばいばー!」
「ああ、いい子にしてろよ。夕方には迎えに来るからな」
満面の笑顔で見送られ、俺は託児所を後にした。
今日はいよいよ、アルス・テック社との試作兵器のテスト当日だ。
*
防壁都市の第4工業区、アルス・テック社の地下演習場。
天井高10メートル、サッカー場一面分ほどの巨大な防弾・耐魔コンクリートのドーム空間だ。
強化ガラス越しのオペレーションルームには、無数の計測モニターが並んでいる。
「おはよう間宮さん! 昨日はよく眠れた?」
演習場の中央で待っていたのは、動きやすい黒のコンバットスーツに身を包んだ神崎葵だった。
だが、その顔はどことなくそわそわしており、俺を見るなり上目遣いで尋ねてきた。
「あのね、鈴ちゃん、今朝も元気だった? ちゃんとご飯食べた? あの『りょー!』ってやつ、今日もやってたの!?」
「朝からバナナ食って大はしゃぎだったよ。仕事前に人の娘を思い出すな」
「だって、あんなの反則じゃない! 私、昨日の夜ずっと鈴ちゃんのほっぺを思い出して眠れなかったんだから!」
Cランクの精鋭テストパイロットとは思えない、重度の限界オタクのような発言に頭痛がしてくる。
そこへ、奥のゲートから作業ツナギ姿の倉田チーフが太い声を響かせてやってきた。
「おい葵、油売ってねえで配置につけ! 間宮、待たせたな。徹夜でお前の魔力波形に合わせた初期チューニングを終わらせたぞ」
倉田の背後から、屈強なメカニックが2人がかりで厳重な耐衝撃ケースを運んできた。
床に置かれたケースのロックが外され、油圧シリンダーがプシューと静かに空気を吐き出す。
中に鎮座していたのは、2機の漆黒の武装端末だった。
全長約40センチ。
細身のボウイナイフを思わせる、鋭利で硬質なマットブラックの刀身。
刃の背部に極小のバーニア推進ノズルと、高密度魔力を針状に撃ち出すニードルガンの極細銃口が組み込まれている。
昨日持ち帰った対の【未知の共鳴コア】が、2機の内部にそれぞれ埋め込まれているのだろう。黒い装甲の隙間から、青紫色の光が互いに呼び合うように淡く脈動していた。
「自律誘導型魔導遠隔端末、試作一号機『レイヴン』だ」
倉田が誇らしげに腕を組み、作業台のホログラムモニターに設計比較図を展開した。
「間宮、世間の連中が使ってるビットと、このレイヴンが根本からどう違うか分かるか?」
「世間のは、配信で見たが、丸っこい球体で、ピカピカ光るビームを撃ってたな」
「そうだ。あれは金持ち探索者と配信者向けの玩具だ」
倉田が鼻を鳴らし、画面に表示されたハイペリオン社の球体ビットを指差した。
「世間一般のビットは、反重力フィールドで浮く球体型だ。見栄えはいいが魔力の垂れ流しで数分しか持たねえ。外骨格にも弾かれやすく、懐に入られたらグリップすらない鉄屑だ」
「実戦で使うには燃費が悪すぎるな」
「だが、このレイヴンは違う」
倉田はケースの中の黒い刃を見つめた。
「空気抵抗を活かして滑空する短剣型ブレードだ。推進は極小バーニアのみで、魔力消費は他社製の10分の1以下。ビームの代わりに高周波振動刃で腱や骨の隙間を直接抉り切る。牽制も不可視のニードル弾だ。おまけに天然変異コア直結だから、大型AIなしでお前の神経と直結する。最悪、手で引き抜いて短剣としても刺せる完全実戦仕様だ」
「なるほどな。道具としての理に適ってる。俺好みだ」
「気に入ってくれたなら何よりだ。だがな、間宮」
倉田の表情が、職人の厳しいものへと引き締まった。
「ビット兵器を動かすってのは、脳内に新しい手足を生やすのと同じだ。通常の探索者は、脳波と魔力の伝導ロスによる激しい頭痛と神経痛で、まともに浮かせることすらできねえ。候補生でも、初動訓練には最低3ヶ月のシミュレーションを積むのが常識だ」
「葵さんでも2ヶ月かかったって聞いたぞ」
「ええ。私も最初は頭が割れるかと思ったわ。あ、そういえば間宮さん。これから同じチームの同僚になるんだから、呼び捨てでいいわよ。『葵さん』なんて他人行儀な呼び方はなし。『葵』でいいから」
「仕事仲間だしな。分かった、葵」
「ふふ、よろしくね。って、話が逸れちゃったわね」
葵が気恥ずかしそうに笑い、倉田が咳払いして話を戻した。
「だから今日の目標は、この黒い刃を地上1メートルの高さにふわりと浮かせ、3秒間静止させることだ。それだけで合格点だ。激しい頭痛がしたらすぐに中断しろよ、無理は禁物だ」
「分かった」
俺は右腕に、アルス・テック製の薄型コントロール・アームレットを装着した。
黒い革とカーボンで作られたバンドが、手首から前腕へと吸い付くようにフィットする。
深呼吸を一つ。
雑念を捨て、下請け解体屋時代から何万回と繰り返してきたように、己の体内に意識を沈めた。
魔力保有量131。
数値としては、街のチンピラ探索者と変わらないちっぽけなプールだ。
だが、そのわずかな魔力をアームレットの端子へ流し込んだ瞬間。
すうっ、と何の引っかかりもなく、魔力が右腕からケースの中のレイヴンへと吸い込まれていった。
いつもの変換効率が、ほぼそのまま純粋な電気信号のように黒い端末へと届いていく。
キィィィィン。
耳鳴りのような、澄んだ高周波の共鳴音が地下演習場に響き渡った。
ケースの中に横たわっていた2機の黒刃が、ふわりと重力を失ったように宙へ浮かび上がった。
「浮いた!」
オペレーションルームの技術者が息を呑む。
倉田がインカム越しに叫んだ。
「よし間宮、上出来だ! 魔力変換ロス、計測限界以下! 脳波の逆流スパイクもゼロだ! そのまま静止を保て!」
だが、俺の感覚は倉田の指示とは全く別の場所にあった。
不思議だった。
頭痛など微塵もない。
むしろ、いつも使っている刃渡り30センチの解体ナイフの柄を握り、自分の指先の延長として持っている時と、全く同じ感触だった。
重心の位置、刃の向き、空気を切り裂く抵抗感。
すべてが、まるで昔からそこにあったかのように自然に伝わってくる。
「なるほど。投げて手元に戻すナイフと、本質は変わらねえな」
俺は右手の指先を、流れるように軽く払った。
次の瞬間。
バシュッ!!
空気が爆ぜるような鋭い飛翔音が轟いた。
宙に浮かんでいた2機のレイヴンが、音速の壁を突破して漆黒の残像へと変わった。
演習場の中央に設置された、体長3メートルのデスクローベアを模した硬質合金製の標的ダミー。
その巨躯の周囲を、2本の黒刃が目にも留まらぬ速度で旋回する。
ズバッ! ズバババッ!
一瞬の交差。
1機がダミーの右膝の関節継ぎ目を正確無比に両断し、もう1機が下腹部から胸元の急所装甲を綺麗に抉り抜いた。
さらに空中で反転した2機が、背部のノズルから青紫色の魔力ニードル弾を一斉射撃。
ダダダダダンッ!
ダミーの頭部中枢センサーが木端微塵に粉砕され、火花を散らして崩れ落ちた。
シュバッ。
旋回を終えた2機のレイヴンは、風を切り裂きながら俺の左右の肩口へ戻り、ピタリと静止した。
黒い刀身からは、微かな熱気と高周波の余韻が立ち上っている。
操作開始から、わずか3秒。
演習場を、完全な静寂が支配していた。
固唾を呑む音すら聞こえない。
俺は腕のアームレットを軽く回し、顎に手を当てて呟いた。
「初動の旋回半径が少し大きいな。コンマ2ミリほど重心を後ろに寄せた方が、関節の隙間に刃を滑り込ませやすい。それとニードルガンの初速はいいが、反動で刀身の角度が1度ブレる。解体包丁としては及第点だが、調整の余地はあるな」
俺が淡々と職人目線の感想を述べ終えた、その時だった。
「初日で完全同期したあああぁぁぁぁぁぁっ!?」
スピーカーから、倉田の鼓膜を突き破るような絶叫が響いた。
ガラスの向こうで、倉田がヘルメットを床に叩きつけ、飛び跳ねている。
隣では神崎葵が、両手で頭を抱えて目を見開いたまま絶句していた。
「な、何よそれ! 初動訓練で浮かすだけのテストじゃなかったの!? なんでいきなりCランク標的の急所解体機動を完璧にトレースしてるのよ!?」
「神崎! 計測値を見ろ! 伝導効率82パーセント、同期率94パーセントだ!」
「ハイペリオンのフラッグシップ機でも同期率75パーセントが限界よ!? 化け物よ、この人!」
「うおおおおっ! 見たかハイペリオンの野郎ども! これこそが現場を制するアルス・テックの真の刃だ!」
オペレーションルームの技術者たちが、互いに抱き合い、机を叩いて狂喜乱舞している。
モニター越しに見えるその熱狂ぶりに、俺は思わず耳を塞いだ。
「騒がしい連中だな。ただナイフを2本増やしただけだろ」
だが、左右に控える黒い刃を見つめると、自然と口元に薄い笑みが浮かんだ。
悪くない。
これなら、どんな中層魔獣が相手でも、鈴の待つ家へ確実に生きて帰れる。
「間宮!」
インカムから、興奮で息を荒げた倉田の声が届いた。
「テスター適性、文句なしのS判定だ! 今すぐギルド本部へ、アルス・テック推薦枠のDランク特例昇格承認書を送る! 第2区の社宅の鍵も、今夜中に手配してやるぞ!」
「助かる。明日には引っ越しを済ませたいんでな」
「おうよ! それとこれを持ってけ」
倉田がオペレーションルームから駆け下りてきて、細長い頑丈な黒いキャリングケースと、カーボン製のホルダーを手渡してきた。
「現場での携行用だ。腰ベルトの左右にマウントする専用ホルダーだ。アームレットの魔力でロックが外れて自動射出されるが、直接柄を握って引き抜くこともできる。至近距離なら短剣として両手で突き刺せ」
「解体屋のツインダガーと同じ感覚だな」
「当たり前だ、現場で使えねえ兵器なんざ粗大ゴミだ! 街中を持ち運ぶ時は、その肩掛けのスリングケースに施錠して入れとけ」
俺は右手を軽く握り、空中に静止していた2機のレイヴンをケースの中へと静かに帰還させた。
カチリ、と心地よい金属音が響いてロックがかかる。
いよいよ、鈴との新しい暮らしが始まる。
日当たりの良い、安全な場所で。




