第120話:地上へ、迎える仲間たち
第55層の前進キャンプの撤収作業は、驚くほど手際よく進んだ。
坂東が巨大な機械腕『V-RIG』の油圧を使って重量資材を手早くコンテナへ詰め込み、タケが大盾を背中に固定する。
一条がキャンプ周辺の安全確認を行い、葵と雫が索敵用の通信機材を折りたたんでパッキングしていく。
その最中、俺は背嚢のサイドポケットから例の結晶片を取り出し、雫へ差し出した。
「雫、これ土産だ。第60層のコアから落ちた」
黒鉄と白銀、深い藍色が混ざり合った金属結晶を受け取った瞬間、雫の指先がピタリと止まった。
「これ、中枢コアの破片ですか?」
雫は息を呑み、胸元に抱え込むようにして結晶を見つめた。
その呼吸は小さく震えていた。
「すごい、魔素が完全に安定していて、内部に未知の幾何学回路が眠っています! 先生、これ、帝都魔導アカデミーや世界中の研究機関が何兆円積んでも手に入らない、世紀の大発見ですよ!」
「そうか。ならお前が持っておけ。俺にはただの硬い石ころにしか見えん」
俺があっさりと背嚢のチャックを閉めると、隣で見ていた葵が吹き出した。
「ふふっ、本当に間宮さんらしいですね。世界を揺るがす超古代文明のオーパーツを、ただの石ころ扱いなんて」
「学者じゃないからな。さあ、ケージが来たぞ」
俺が顎で示すと、シャフトの奥から太いワイヤーが軋む音とともに、大型昇降ケージが降りてきた。
六人は資材を積み込み、頑丈な金属ケージの中へ乗り込んだ。
坂東がゴツい鉄の操作レバーを力任せに押し倒すと、ガコンッ、と鈍い衝撃が足元を突き抜けた。
ケージは急速に加速し、深度5,000メートルの暗黒から地上へ向けて垂直上昇を開始した。
金網越しに流れていく、深層の荒涼とした岩肌。
かつて吹き荒れていた異常重力も、大気を引き裂いていた魔素の嵐も、どこにもなかった。
30年の間、人類を脅かし続けてきた東京ピラーは、いまや完全に牙を抜かれ、静かな巨大建造物へと落ち着いていた。
ケージの速度計が毎分数百メートルを刻み続け、やがて高度表示が地上付近を指し示した。
ガガガガッ、と減速のブレーキ音が響き、ケージが停止した。
第七区、地下緊急連絡ターミナル。
プシューッ、と分厚い気密ハッチが開き、地上の生ぬるい空気が流れ込んできた。
その瞬間、俺たちの耳を激しいどよめきが打ちのめした。
「おい、ケージが戻ったぞ!」
「開いた! ゲートが開いたぞ!」
ハッチの向こうに広がっていたのは、見渡す限りの人の波だった。
防衛軍の武装小隊、ギルドの職員たち、防壁の警備兵、そして待機させられていたベテランの探索者たち。
ターミナルの巨大モニターには、東京ピラーのリアルタイムテレメトリーが大きく映し出されていた。
かつて危険領域を指して激しく脈打っていた赤い波形グラフは、定規で引いたように真っ平らな緑色の安全ラインを描いている。
『ピラー基底脈動、完全停止確認』
『特区全域の警戒警報、全面解除』
モニターに刻まれたその文字列と、ケージから無傷で降りてきた俺たちの姿が重なった瞬間、ターミナル全体が爆発したような歓声に包まれた。
「うおおおおおおおおっ!」
「やった! やりやがったぞ!」
「第60層を制圧したんだ! 東京が、街が救われたんだ!」
拍手と怒号のような歓声が、金属の天井を激しく揺らした。
誰もが拳を突き上げ、隣の者の肩を抱き合い、歓喜の声を上げている。
その人垣をかき分けるようにして、スーツ姿の男たちが何人も駆け寄ってきた。
ギルド本部の特区支部長と、都市防衛局の高官たちだった。
「間宮さん! 神崎主任! 皆さん!」
支部長が興奮で顔を紅潮させ、俺の前へと滑り込んできた。
握手を求めようと差し出された手は、激しく震えていた。
「信じられません! 単独で第60層の深部中枢へ突入し、ピラーの暴走を完全に沈静化させるとは! 人類史上、前人未到の偉業です! 直ちに特区庁舎の大ホールにて緊急記者会見を執り行います! 特区栄誉賞と特別報奨金の授与式も同時に行いましょう!」
「支部長」
俺は差し出された手を握らず、タクティカルスーツの胸ポケットから1枚のカードを取り出した。
金縁に輝く、Aランク探索者ライセンスだった。
「このライセンスを受け取ったときの条件、覚えていますか?」
「え? あ、はい。出撃の完全任意選択権と」
「それと、定時退勤の自由です」
俺はカードを指先で軽く弾き、淡々と言い放った。
「会見も式典もすべて辞退します。大騒ぎは勘弁してください。俺は約束通り、定時に退勤します」
「な、何を言っているんですか間宮さん! 世界中があなたの言葉を待っているんですよ!? 今や海外のメディアからも通信が殺到していて!」
支部長が慌ててすがりつこうとした、その時だった。
「そこまでです、支部長」
凛とした冷徹な声が、役人たちの間に割って入った。
黒いスーツに眼鏡をかけた、ギルド特区出張所の受付窓口担当、長谷川さんだった。
長谷川さんは手にした厚い書類バインダーを胸元で構え、鉄面皮を崩さずに役人たちを冷ややかに見据えた。
「間宮探索者からの先行調査完了報告書および緊急業務日報は、先ほど端末経由で正式に受理いたしました。彼の契約条項に定められた『定時退勤の自由』に基づき、本日の業務終了を当出張所として正式に承認いたします」
「長谷川君! 君は状況が分かっているのか!? いま世界中が大騒ぎになっているんだぞ!」
「状況なら完璧に把握しております。そして規約は世界よりも優先されます。式典への強制参加や個別取材の強要は、重大な契約違反となりますが、それでも続けられますか?」
長谷川さんの事務的で容赦のない正論に、支部長も役人たちも言葉を失って口をパクパクとさせた。
長谷川さんはフッと小さく息を漏らすと、俺に向き直り、眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。
その口元が、ほんの少しだけ柔らかく緩んでいた。
「どうぞ、間宮さん。本日の業務、大変お疲れ様でした。定時のお迎えへ、行ってらっしゃいませ」
「助かりました、長谷川さん。日報の受領印、ありがとうございます」
俺が軽く頭を下げると、長谷川さんは誇らしげに胸を張った。
騒然とするターミナルの通用口へ向けて、俺は仲間たちとともに歩き出した。
背後では、長谷川さんが役人たちと記者たちの群れを書類の束で見事に堰き止めていた。
通用口の重い鉄扉を抜けると、ひんやりとした外の空気が肌を撫でた。
夕暮れの特区。
西の空は燃えるような茜色に染まり、ビル群のガラス窓が金色に照り返されていた。
「ハッ、相変わらずあの受付嬢の鉄壁っぷりはすげえな!」
タケが腹を抱えて笑いながら、俺の肩を軽く小突いた。
坂東も煙草に火をつけながら、紫煙を夕空へ吹き上げる。
「まったくだ。だがまあ、小僧の言う通りだ。これ以上の仕事は残業代が出ねえからな」
「見事だ、間宮。それが、お前の解体屋の意地か」
一条が静かに微笑み、葵と雫も並んで俺の前に立った。
「間宮さん、本当にお疲れ様でした。夜、お鍋の材料とお祝いのケーキを持って、早川さんのお宅へ伺いますね!」
「先生、私の研究室のデータ解析も、今夜は全部後回しにします! 鈴ちゃんに美味しいデザートを食べてもらいたいので!」
「ああ。早川さんちで待ってるよ」
俺は仲間たちに向けて軽く手を挙げた。
それぞれが自分の足で、それぞれの日常へ帰っていく。
一人になった俺は、タクティカルスーツの袖を捲り、手首のアナログ時計を確認した。
長針と短針が指し示している時刻は、16時55分。
胸ポケットに手をやると、真鍮の鈴が指先に触れ、ちりん、と小さく澄んだ音を立てた。
間に合う。
俺は背嚢のベルトをぎゅっと締め直し、茜色に染まる舗道を、いつもの足取りで歩き出した。




