第109話:伸びる回廊と、慣れた足並み
ゴオオッ、という重低音を響かせながら、第7区緊急連絡シャフトの昇降ケージが減速した。
金属同士が噛み合う鈍い衝撃とともに、油圧ハイドロリックがプシューと白い蒸気を吐き出す。
深度3,500メートル。
かつて探索者たちの前進拠点として機能していた第35層の連絡テラスに、六人の足音が降り立った。
「ここから先は、鳴神たちが強行突破しただけで、ギルドの公式マップにはまだろくに反映されてねえ未整備エリアだ」
背負った巨大な強化タワーシールドの留め金を締め直しながら、タケが低く唸るような声で告げた。
前方に広がるのは、人工的なコンクリートの支柱が途絶え、天然の黒鉄岩盤が剥き出しになった巨大な裂け目だった。
「神崎、索敵ドローンの感度はどうだ」
「スワロー2機、すでに先行展開しています! 第36層の連絡口まで、大型の反応はありません」
葵が胸元の管制ポッドを指先で滑らかに操作しながら即答する。
その隣で、雫が携帯型の魔素波形モニターを覗き込み、眉をきゅっと引き締めた。
「ですが、背景魔素の濃度が急上昇しています。地上の約420倍。結晶化による空気の粘性が増していますので、呼吸器への負担に注意してください」
「了解だ。全員、防魔フィルターを一段締めろ。行くぞ」
タケの声に合わせ、各々が口元を覆うマスクの締め具を絞り直す、短い金属音が連なった。
タケの合図とともに、俺たちは第35層の境界を越え、未知の深層へと足を踏み入れた。
第36層から第39層へと続く回廊は、これまでの岩肌の迷宮とはまるで異なる様相を呈していた。
天井から床へと連なる巨大な柱のすべてが、深緑色の燐光を放つ魔導結晶樹で覆われている。
結晶の葉が微細な魔素風に揺れるたび、チリチリと静電気が爆ぜるような乾いた音が反響した。
ギルドが暫定的に名付けた『深緑の晶脈』というその領域は、美しい光景とは裏腹に、生命を拒絶する過酷な重圧に満ちていた。
だが、水没バイパスを共に切り拓いた俺たちの足並みに、乱れは一切なかった。
先頭を歩くタケが、重厚な大盾で前方の視界と突風を遮る。
その直後を、坂東の新型V-RIGが油圧モーターを低く唸らせながら随伴する。
中衛には葵と雫を挟み、殿と遊撃を俺と一条が固める。
誰一人として無駄口を叩かず、互いの歩幅と呼吸の乱れを肌で察知し、自然に間合いを調整していた。
「随分と静かだな」
坂東が作業用ゴーグルを押し上げ、周囲の結晶樹を見回した。
「静かすぎるのが一番厄介だ。変異種共が、俺たちの魔力を察知して息を潜めてやがる」
「ええ。上空の樹冠部、結晶の死角に強い生体反応の集積を確認、来ます!」
雫の鋭い警告と同時に、葵の管制ポッドが甲高い警報音を鳴らした。
カサカサカサッ!
硬質な甲殻が擦れ合うおびただしい摩擦音が、頭上の暗がりから一斉に降ってきた。
見上げれば、深緑の結晶樹の枝葉から、無数の異形が雨のように落下してくる。
体長2メートルを超えるエメラルド色の甲殻。
両腕には、研ぎ澄まされた大鎌のような巨大な前肢がギラリと光っていた。
昆虫型迷宮種『フォレスト・サイズ』。
その数、およそ20頭。
落下の勢いを乗せた音速の鎌撃が、全方位から俺たちの頭上へ殺到する。
「散るな! 陣形を維持しろ!」
タケが叫び、大盾を斜め45度の角度で掲げた。
直後、落下してきた3頭の鎌が、大盾の表面に凄まじい勢いで激突する。
ギャリリリッ!
耳を劈く火花が散る。
タケは真正面から受け止めず、盾の傾斜を利用して衝撃のベクトルを巧みに地面へ受け流した。
大地がズズズッと震え、魔獣の体勢が大きく前へ崩れる。
「回り込ませねえぞ!」
左右の隘路へ滑り込もうとした別の一群に対し、坂東が吠えた。
V-RIGの両腕に増設された削岩アンカーが火薬の炸裂とともに射出される。
ドガァン! ドガァン!
左右の結晶岩盤に深々と突き刺さったアンカーが、高圧ワイヤーを一瞬で張り巡らせ、左右の退路を物理的に遮断した。
行き場を失ったフォレスト・サイズたちが、狭い回廊の中央へぎゅっと密集する。
「そこだ、一条!」
「応ッ!」
一条が低く息を吐きながら前へ踏み込んだ。
全身の生体魔導を右掌の一点へと凝縮し、結晶の地面へと叩きつける。
「金剛勁、地天衝!」
ゴウッ!
目に見えない指向性の衝撃波が地盤を伝い、密集した20頭余りの足元を直撃した。
フォレスト・サイズ巨体がまとめて空中へと跳ね上げられ、装甲の隙間が露わになる。
「間宮、芯を抜け!」
「了解!」
俺の体は、考えるより先に前へ滑り出していた。
腰のホルダーから完全版アキュラ『天鷲』を引き抜く。
壱ノ刃と弐ノ刃が交差し、青白い二重螺旋の魔力光が夜気を切り裂く。
同時に、肩口から2機の小型ビット『レイヴン』が射出された。
シュバッ!
レイヴンが高周波ブレードを励起させ、空中で体勢を崩した魔獣たちの関節部をミリ単位で薙ぎ払う。
甲殻表面の防御力場が、高周波の共鳴によってパリンと音を立てて砕け散る。
その刹那、俺は天鷲を手に、空中に浮遊する魔獣の群れの中へと飛び込んだ。
無駄な大振りはしない。
下請け時代から何万回と繰り返してきた、急所の位置を正確に突く解体の太刀筋。
すれ違いざまに首関節の継ぎ目へ切っ先を滑り込ませ、心臓部の中枢魔核を一撃で両断する。
ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ!
澄んだ切断音が、リズミカルに連続して響き渡る。
跳躍の頂点から着地するまでのわずか数秒間。
俺が通り抜けた背後で、跳ね上げられていた20頭のフォレスト・サイズが、一体残らず青白い光の塵となって霧散していった。
トン、と床に着地し、天鷲の刃を払って鞘へと納める。
周囲には、コロンと転がる純度の高い魔石だけが残されていた。
所要時間、約20秒。
静寂が戻った回廊に、タケの豪快な笑い声が響いた。
「ハッ、相変わらず手際が良すぎて拍子抜けするぜ! Aランクになったからって、包丁さばきの速さはちっとも変わらねえな!」
「一条の衝撃波と、坂東の退路封鎖が完璧だったからな。俺は浮いたところを突いただけだ」
「謙遜するんじゃねえよ小僧。あの密集した隙間へノータイムで飛び込んで核だけ抜くなんざ、普通の探索者なら足がすくんで出来やしねえ」
坂東が呆れたように肩をすくめ、削岩アンカーを巻き取りながら笑った。
一条も静かに息を整え、小さく頷いている。
葵と雫が駆け寄り、魔石を手早く回収袋へ収めてくれた。
「間宮さん、天鷲の魔力循環効率、99パーセントを維持しています。反動による歪みもゼロです」
「レイヴンの追従性も完璧でした。先生の周囲3メートル以内に、一切の攻撃を通していません」
「ありがとう、二人とも。頼りにしてるよ」
俺たちは再び隊列を組み直し、第40層、第42層とさらに深い回廊へと歩みを進めた。
時計の針が19時を回る頃。
第45層の手前、結晶樹の密度が途切れ、巨大な一枚岩が屋根のようにせり出した小空洞に到着した。
周囲の魔素流が安定しているのを確認し、タケが足を止めた。
「よし、今日の行軍はここまでだ! ここを前進キャンプ地とする!」
タケの号令とともに、全員が素早く野営の準備に取り掛かった。
葵と雫が岩肌に防魔シートを手際よく固定し、外界の冷気と魔素を遮断する耐魔テントを組み上げる。
坂東がテントの周囲に防犯用の振動センサーを打ち込み、一条が入り口の気の流れを整える。
テントの中央に小型の魔導コンロを設置し、男たちがザックから味気ない圧縮レーションを取り出した。
「さて、今夜も乾パンと干し肉のパサパサ飯か。まあ、腹に入りゃなんでも同じだがよ」
坂東が苦笑いしながらレーションの封を破ろうとした。
俺はその手を手前で制し、自分の大型ザックから使い込まれた深型のアルミ鍋を取り出した。
「坂東、少し待ってくれ。温かいもん作るぞ」
「あ? 温かいもんって、お湯で戻すレーションのスープか?」
「いや、ちゃんとした味噌汁だ。家から下ごしらえした具材を持ってきたからな」
俺はザックの保冷ポケットから、竹皮に包まれた保存袋を取り出した。
中には、出撃前夜に自宅で刻み、軽く熱を通して乾燥させておいた大根、人参、牛蒡、椎茸、そして鶏の干し肉が入っている。
「うわあ、すごい! 根菜がたくさん!」
葵が声を弾ませ、雫も興味深そうに身を乗り出した。
鍋に浄水ポッドの水を張り、乾燥野菜と干し肉を投入する。
魔導コンロに火をつけ、俺は鍋肌に両手を添えて微細魔力循環を発動させた。
ジワジワと微細な魔力の波長を水分子へと均一に通していく。
ただ沸騰させるだけでは、干し肉や乾燥野菜は芯まで柔らかく戻らない。
細胞の隙間に魔力を浸透させ、繊維を優しく押し広げながら、わずか数分で採れたての瑞々しさを取り戻させる。
出汁がじんわりと黄金色に染まり、根菜の甘い香りが湯気とともに立ち上ってきた。
そこへ、出撃前夜に仕込んでおいた特製の合わせ味噌玉を溶き入れる。
ジュワッ、と香ばしい大豆の香りと、鰹と昆布の豊かな香りが、狭いテントいっぱいに広がった。
「うおお、なんだこの匂い、たまんねえな!」
タケが鼻を大きく鳴らし、坂東がゴクリと喉を鳴らした。
「できたぞ。熱いうちに食ってくれ」
木製の深椀によそい、全員へと手渡す。
タケが両手で椀を持ち上げ、フーフーと息を吹きかけてから一気に啜った。
「う、美味い! なんだこれ、大根も肉もトロトロじゃねえか! 深層の底でこんなちゃんとした飯が食えるなんて、夢にも思わなかったぞ!」
「沁みるわあ、身体の芯から温まりますね」
葵がふうと吐息を漏らし、雫も静かに椀を傾けて口元を緩めた。
男たちも次々と椀を空にし、おかわりを求めて鍋を囲む。
迷宮の過酷な冷気の中、湯気の向こうで仲間たちの笑顔が揺れていた。
食事が終わり、交代で見張りに立つ時間になった。
最初の当番を引き受けた俺は、テントの入り口の垂れ布をくぐり、外の暗闇へと足を踏み出した。
岩棚の縁に腰を下ろし、冷たい夜気を深く吸い込む。
遠くの回廊で、深緑の結晶樹が静かに燐光を明滅させていた。
俺は作業着の胸ポケットに手を入れた。
指先が触れたのは、小さな真鍮の鈴の予備ストラップだった。
母の形見の鈴と同じ工房で作られた、掌にすっぽり収まる小さな金属の粒。
指先で優しく揺らすと、ちりん、と澄んだ小さな音が、暗闇の中に吸い込まれていった。
今頃、鈴は早川さんの家で、陽菜や芽依と温かい布団に包まっているだろうか。
寂しがって泣いてはいないだろうか。
美味しくご飯を食べられただろうか。
愛娘のふっくらとした頬の温もりと、「ぱぱ!」という元気な笑顔が、鮮やかに胸を満たしていく。
「待ってろよ、鈴」
俺は誰にも聞こえない声で静かに呟き、真鍮の鈴を胸ポケットの奥へと大切にしまい直した。




