第104話:連携の深化と、もう一段先へ
土曜の朝8時。
薄い雲の切れ間から初秋の穏やかな陽光が差し込むタワーマンションの廊下で、澄んだ金属音がちりんと鳴った。
「ぱぱ、おでかけ?」
斜め向かいの早川家の玄関先で、黄色いワンピースを着た鈴が、通園リュックに結んだ真鍮の鈴を揺らしながら見上げてくる。
「ああ。深層のルート調査だ。夕方5時には必ず戻ってくるからな」
「二人とも、余計な心配はしないで現場に集中しなさいな」
鈴の手を優しく握った早川志保が、快活に笑いながら手を振った。
奥のリビングからは、4歳の長女・陽菜と2歳半の次女・芽依が「すずちゃん、おままごとしよう!」と元気な声を上げている。
「週末くらい、子供3人まとめて面倒見るのは朝飯前よ。うちの旦那も前線で戦ってるんだから、留守を預かる母親の肝っ玉を舐めないことね」
「助かります、志保さん。よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、鈴が小さな手を一生懸命に伸ばしてきた。
「ぱぱ、ばいばーい!」
「ああ、行ってくる」
小さな手のひらをそっと握り返し、俺は背筋を伸ばしてエレベーターホールへ歩き出した。
*
午前9時。
第7区の『緊急保守用連絡シャフト』地下プラットフォーム。
重厚な六角形の昇降ケージの前には、すでに馴染み深い3人の男たちが装備の点検を終えて待機していた。
「おう、凌! 待ってたぜ!」
傷だらけの強化タワーシールドを床に突き立て、悪友のタケが白い歯を見せて手を挙げた。
その隣では、背嚢から伸びる多関節機械腕に油圧カッターと大型削岩アンカーを懸架した坂東宗一郎が、バンダナを締め直している。
「よう、解体屋。今日は第32層の奥から第33層へ繋がる『古代連絡シャフト』のルート開拓だな。ギルドから直々の先行調査依頼だ、腕が鳴るぜ」
「油断するなよ、坂東。あの領域は先のピラー異変以降、重力の乱れが観測されている難所だ」
黒鉄のオープンフィンガー手甲を装着した一条岳が、引き締まった表情で腕を組んだ。
いずれも、あの水没バイパスの極限の死線を背中合わせで潜り抜けてきた精鋭たちだ。
『こちら地上アルス・テック開発ラボ。間宮さん、音声およびテレメトリー回線、良好です』
耳元の通信インカムから、神崎葵の落ち着いた声が届く。
『帝都魔導アカデミーの観測網とリンク完了しました。先生、第32層深部の局所的な重力変動データをリアルタイムで転送します。異常があれば即座に警告を出しますので』
如月雫の引き締まった声が重なる。
地上からの万全なバックアップ。
「了解だ。全員、装備の確認はいいか。今日の目標は古代連絡シャフトまでのルート確保と安全マッピングだ。無駄な戦闘は避け、16時までに撤収地点へ戻るぞ」
「へいへい、相変わらず定時退勤には命を懸けてるねぇ!」
タケの軽口に全員が口元を緩め、鋼鉄の昇降ケージへ乗り込んだ。
油圧の重低音とともに、ケージは一気に深度3,000メートルの暗黒へ滑り落ちていく。
*
第32層『晶析回廊』の最深部。
青紫色の巨大な水晶柱が林立する静寂の回廊を抜けると、前方の空間が目に見えて歪んでいた。
足元の床面が波打ち、空間そのものが陽炎のように揺らめいている。
『警告、前方50メートルに局所的な重力サージを検知! 通常の1.5倍からマイナス0.8倍まで周期的に乱高下しています!』
雫の切迫した声がインカムに響いた。
「足元に気をつけろ。歩幅を半分にして重心を低く保て」
俺が指示を飛ばした、その瞬間だった。
ズゥゥゥゥンッ!
回廊の天井を揺るがす強烈な地鳴りが轟いた。
暗黒の奥から、青白い重力歪曲の光を纏った巨大な影が突進してくる。
全長約6メートル、全高約4メートル。
全身を生体鋼板の極厚重装甲で覆い、頭部に城門すら打ち破る長大な衝角を備えた巨獣。
かつて中層第29層でタケの大盾を打ち砕いた超重量級迷宮種、『アイアン・ベヒーモス(重装甲角獣)』が、深層にまで進出した変異個体だった。
「グォォォォォッ!!」
時速80キロを超える質量突進。
重力異常を物ともせず、巨獣は岩盤を砕きながら一直線に俺たちへと迫る。
「タケ、正面を受けるぞ!」
「任せとけってんだろォッ!」
タケが叫び、両足に魔力を流し込んで岩盤へ楔のように踏み込んだ。
大型タワーシールドを構え、全身の衝撃吸収ダンパーを最大励起させる。
ガギィィィィィンッ!
衝角と大盾が激突し、火花が夜空の花火のように爆散した。
正面から受け止めればシールドごと圧壊する質量。だがタケは盾をわずかに15度斜め上方へ傾け、突進の運動エネルギーを天井方向へと滑らかに逃がした。
「ぬぐッ、重てぇ! だが弾いたぞ!」
突進の軌道が逸れ、巨獣の体勢がわずかに傾く。
その反動で足元の断層岩盤が崩れ落ちそうになった瞬間、背後から無骨な機械音が轟いた。
「足場は崩させねぇよッ!」
坂東がV-RIGの両部から展開した大型油圧削岩アンカーを、割れかけた岩盤へ撃ち込んだ。
ガガガガッ、と凄まじい削岩音が響き、崩れかけた地盤が瞬時に鉄の杭でガッチリと固定される。
「一条、装甲を割れ!」
「応ッ!」
短く吼えた一条岳が、音速の踏み込みで巨獣の右前脚の内側へ滑り込んだ。
黒鉄の手甲に凝縮された青白い生体魔力が、極限まで圧縮される。
「金剛勁、破甲打ッ!」
ドォォォォンッ!
大砲の直撃のような重衝撃波が、生体金属装甲の内側へ浸透した。
外殻を覆っていた共鳴バリアがガラスのように砕け散り、装甲板に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
守りを失った装甲の継ぎ目。
深部で脈動する青紫色の魔核が、コンマ数秒だけ露出した。
「凌ッ!」
「ああ、見えてる」
俺は低く呟き、すでに地を這うような低姿勢で肉薄していた。
アキュラ、ハイブリッドモード展開。
右手には刃渡り115センチの漆黒の長剣『天鷲・壱ノ刃』。
頭上には自律浮遊する『弐ノ刃』が旋回し、左右からは小型ビット『レイヴン』2機が音速で射出される。
キィィィンッ!
レイヴンが高周波ニードル弾を巨獣の複眼へ連射し、視界を奪う。
痛打に狂乱した巨獣が巨大な前足を振り下ろそうとした瞬間、頭上から急降下した天鷲・弐ノ刃が、その極太の腱を上空から正確に撫で斬りにした。
ドスン、と巨獣が膝を突く。
その隙間を、俺は滑るようにすり抜けた。
シュバッ!
右手の天鷲・壱ノ刃を、露出した胸骨のスリットへ滑り込ませる。
変換効率92パーセント。
実効出力258の魔力循環が刃先へ淀みなく流れ込み、超高周波の微細熱振動が装甲の隙間をバターのように両断した。
ズバァァァンッ!
すれ違いざまの一閃。
巨獣の中心核が、ミリ単位の狂いもなく真っ二つに両断されていた。
わずか12秒。
アイアン・ベヒーモスは断末魔を上げる暇もなく、青白い光の粒子となって空間へと霧散した。
床にはバスケットボール大の特大魔石が、カランと音を立てて転がる。
静寂が回廊に戻ってきた。
タケが大盾を下ろし、肩で息をしながら呆然と呟いた。
「おいおい、嘘だろ。深層のベヒーモスを、かすり傷一つなしで片付けちまったぞ」
坂東が機械腕を畳みながら、痛快そうに笑い声を上げた。
「へっ、水没バイパスの時より明らかに息が合ってるじゃねえか。完璧な連携だったぜ」
一条も納得したように深く頷く。
「敵の装甲を砕き、死角を塞ぎ、最短で核を断つ。武導の理に寸分の狂いもなかった。見事だ、間宮」
耳元のインカムから、葵と雫の安堵した声が響いてきた。
『周囲の魔素反応、完全に沈静化しました。重力サージも正常値へ復帰しています』
『お見事です、先生! 前方300メートルに古代連絡シャフトの基部ゲートを確認しました。本日のルート開拓目標、完全に達成です!』
俺は天鷲を鞘へ納め、床に落ちた特大魔石を拾い上げた。
ずしりとした重み。ギルドへ持ち帰れば数百万円の査定になる上物だ。
手元の時計を確認する。
15時10分。
「よし、全員無事だな。ノルマ達成だ」
「おう、じゃあ奥のゲートをもう少し詳しく調べて」
「いや、撤収するぞ」
タケの言葉を遮り、俺は即座に踵を返した。
「は? まだ15時過ぎだぞ?」
「15時半の定刻ケージに乗らなきゃ、第7区から第2区への直通モノレールに乗り継げない。5時には戻るって志保さんに約束したんだ。遅れたら顔向けできねぇだろ」
俺が真顔で言い放つと、タケと坂東が顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「あっはっは! 深層の覇王を秒殺した直後に言うセリフがそれかよ!」
「違えねえ! これだから解体屋の旦那は最高だぜ!」
一条も苦笑混じりに首を横に振りながら、俺の背中を追って歩き出した。
男たちの笑い声が、開拓された静かな回廊に響き渡る。
*
16時55分。
茜色に染まる特区タワーマンションの最上階。
エレベーターを降りて早川家の玄関ドアのチャイムを鳴らすと、内側からトタトタと慌ただしい足音が響いてきた。
ガチャリ、とドアが開く。
「ぱぱ!」
黄色いワンピースの裾を揺らし、鈴が満面の笑顔で飛び出してきた。
通園リュックの真鍮の鈴が、ちりん、ちりんと嬉しそうに音を立てる。
「お待たせ、鈴。いい子にしてたか」
俺がしゃがんで抱き上げると、鈴はふくふくとした両手で俺の首をぎゅっと抱きしめ、頬をすり寄せてきた。
「あい! ぱぱ、おかえー!」
「お帰りなさい、間宮さん。早かったじゃない」
ドアの奥から、陽菜と芽依を連れた志保が微笑みながら顔を覗かせた。
「お陰様で、予定通りに片付きました。本当に助かりました」
「いいのよ。三人とも仲良くお昼寝して、ずっと楽しそうだったわ」
陽菜と芽依も「すずちゃん、また遊ぼうね!」「ばいばーい!」と元気に手を振ってくれた。
自室へ戻り、手洗いうがいを済ませた鈴をリビングの椅子へ座らせる。
深層の過酷な冷気も、魔獣の咆哮も、この部屋の温もりの中では遠い出来事になっていた。
今夜の夕飯は、帰りに駅前で買ってきた新鮮な鶏ササミとカボチャを柔らかく煮込んだ、特製のトロトロ野菜煮込みだ。
微細魔力熱伝導でじっくりと甘みを引き出し、繊維を完璧にほぐす。
「はい、できたぞ」
小さな器をテーブルへ置くと、鈴は銀のスプーンを小さな手でしっかりと握りしめた。
「あむ!」
一口すくってお口へ運び、もぐもぐと頬を動かす。
次の瞬間、ぱっと表情をほころばせ、足をパタパタと弾ませた。
「きゃっ! あむあむ!」
「そうか。たくさん食えよ」
嬉しそうに次の一口を急ぐ愛娘を見つめながら、俺も温かいスープをひと口啜った。
ちりんと小さく鳴った鈴の音に、俺は目を細めて笑みを浮かべた。
鈴が空になった器を得意げに掲げ、もう一杯とねだるように差し出してくる。
「よし、おかわりだな」




