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第9話 聖女様がやって来ました

 討伐隊の詰所が、朝からおかしいです。


 廊下が綺麗です。

 甲冑が光っています。

 騎士様たちの髪が整っています。


 そして、いつも魔獣の牙が転がっていた棚に、花が飾られています。


 ……浮かれています。

 明らかに浮かれています。


「何事ですか?」


 私はカイルさんに話しかけました。


「今日は聖女様方がいらっしゃいますので」

「だから花が?」

「失礼があってはいけません」


 ……私が来た時は、その失礼な魔獣の牙が転がっていましたが。


 どうやら聖女様は結界の修復に来られて、騎士団が現場までお連れする手筈になっているようでした。


「カイルさん」

「なんでしょう」

「今日は襟元がいつもより整っていますね」


 彼は一拍の後、微笑みました。


「通常通りです」

「そうですか」

「通常通りです」


 二回言いました。


 これは、アーヴィン様も浮かれているのではないでしょうか。魔力が暴れなければいいのですが。


 ……他意はありませんよ?

 可愛い弟子を心配しているだけです。


 その時、その弟子が前から歩いてきました。

 後ろには三人の聖女様がおられます。


 実際の聖女様にお会いするのは初めてです。


 真っ白な法衣。

 銀色の細い杖。


 離れていても感じる聖なる力は、魔力とは性質が違っていて、なんだか清らかです。


 そして、三人ともお綺麗です。

 女神様は美しい女性にしか聖力を分け与えない説が証明されました。学会で発表します。


 騎士様たちの顔は緩みまくっています。

 あのカイルさんまでまなじりを下げています。


 私はそっと、アーヴィン様を見ました。


 表情はいつも通りです。

 背筋もいつも通り。

 声も歩幅も、いつも通り。


 ……浮かれていません。


 さすがです。

 私の弟子は、こういう時でも平常心なのです。


 私は得意げに胸を張りかけ、気付きました。


 いえ、部下たちの手前、取り繕っているだけかもしれません。

 要観察です。


 そんなことを考えているうちに、聖女様ご一行が近づいてきました。

 なんだかとても上質な香油の香りがします。

 そして近くで見る聖女様は、ほんとにほんとにお綺麗で、私の胸まで高鳴りました。


 美人は世界を救うのかもしれません。


 その時、ぱっと手を取られました。


 アーヴィン様が私の横を通り様に、突然手を繋いだのです。そのまま連行されるように廊下を歩きます。

 脇には騎士様たちが並び、後ろには聖女様。

 なんの罰ゲームですか?


「急にすまない。魔力の調整がうまくいかない」


 彼は眉をひそめながら囁きました。


 ……原因は聖女様では?


 でも魔力門はまだ軋んでいません。

 これなら魔力の流れを整えるだけで済みそうです。


「ありがとう、助かった」


 けれど繋がれた手はそのままでした。

 聖女様がいらっしゃるので、危ないから補助して欲しいということでしょうか。


 私たちはそのまま応接室に入りました。

 アーヴィン様は聖女様たちに椅子を勧め、私と彼は並んで腰掛けました。それなのに彼はなんの説明もなく話を進めるので、聖女様の目はちらちらと繋がれたままの手に注がれます。


「……ですので、最終結界の損耗は、」


「あの」


 一人の聖女様が、耐えられなくなったように手を挙げました。


「……そちらの女性は?」


 至極もっともな質問です。

 けれどアーヴィン様は今気付いたとばかりに私を見ました。


 ……導師を、便利な魔力調整アイテムだと思ってるのでしょうか、この弟子は。


「これは申し遅れました。こちらは三級魔法使いのリーリア・リーリエ殿。私の導師をしていただいております」


 紹介を受けて、私はぺこりと頭を下げました。

 すると、聖女様たちは目を見開き、顔を見合わせました。


「導師、ということは、あの錠を開けることができたのですか?」

「神殿でも解析と開錠を試みたのですが、鍵を作れず断念したのです」


 私は目を瞬きました。


 体に不調があったのだから、まずは神殿や聖女様を頼ることは当然です。

 でも鍵に関しては魔法使いの専門です。対処できなかったのなら、学院に連絡をしてくれれば……。


 それが顔に出たのでしょう、聖女様は申し訳なさそうに眉を下げました。


「わたくしたちも神殿を通して、魔法学院やその他の機関に問い合わせをいたしましたが、良いお返事はいただけなかったのです」


「そう、ですか……」


 アーヴィン様は、何年も前から症状があったと言っていました。その頃なら私は見習い魔法使いですし、問い合わせについて知る由もありません。でも師匠にその話が伝わっていれば、絶対になんとかしてくれたはずです。

 神殿とはそこまで交流があるわけではないので、学院は事務的な返事をしたのでしょうか。


 然るべき魔法使いと繋がることができたら、もっと早く助けられたのに。


 知らず、手に力がこもりました。


「すみませんでした。アーヴィン様」


 彼は弾かれたように、こちらを見ました。


「君が謝ることじゃない。あの時はどうしようもなかっただけだ」


「……そう、かもしれません」


 私はどうにか頷きました。


「でも、悔しいです」


 ぽつりと、言葉が落ちました。


 アーヴィン様の手が、わずかに動きます。


「悔しい?」


「はい」


 私は繋いだ手を見下ろしました。


「錠前は、守るためのものです。魔力を持つ子どもが、自分や周囲を傷つけないように。魔力が暴れた時、ちゃんと逃がせるように。必要な時に、ちゃんと開けられるように」


 それなのに。


 私は喉の奥に引っかかったものを、ゆっくり吐き出しました。


「あんなものを掛けられて、助けを求めても届かなくて、苦しいのに仕方ないことにされるなんて……悔しいです」


 言ってから、はっとしました。


 聖女様方の前で、何を言っているのでしょう。

 神殿を責めるように聞こえたかもしれません。


「あ、いえ、その、聖女様方を責めているわけではなくてですね」


「分かっております」


 一番年長の聖女様が、静かに頷きました。


「わたくしたちも、同じように思っておりました。けれど、聖力ではどうにもならず……アーヴィン様には、長い間ご負担をおかけしてしまいました」


 聖女様は深く頭を下げました。


 アーヴィン様は、少し困ったように眉を寄せます。


「頭を上げてください。あなた方には何度も助けられました」


「それでも、救えなかったことは事実です」


 応接室の空気が、少しだけ重くなりました。


 私は咳払いをしました。


「でしたら、今からは魔法使いの領分です」


 自分で言って、少しだけ驚きました。


 ずいぶん大きく出たものです。

 三級魔法使いのくせに。


 でも、言ってしまったからには引けません。


「神殿に残っている解析記録を、見せていただくことはできますか。急いで開錠したので、錠前自体の記録はないんです」


 聖女様方は顔を見合わせました。


「閲覧の許可は、わたくしたちだけでは……」


「写しでも構いません。閲覧できない部分があるなら、まずは公開可能な範囲だけでも」


 研究者の私が、完全に目を覚ましました。


 嫌な予感がします。

 面倒なことになる予感もします。


 でも、ここで引いたら、きっと後悔します。


 私の可愛い弟子を苦しめた原因を、突き止めないと。


「導師殿」


 アーヴィン様が真剣な目で私を見ました。


「調べることは、危険を伴うかもしれない。俺はそんなことに君を巻き込みたくない」


 危険。

 そうかもしれません。

 人にあんな鍵をかけるような人間が相手なのですから。


 でも。


「原因を知らなければ、また同じ轍を踏むかもしれません。誰が何のために鍵を掛けたのか、それくらいは調べさせてください。もちろんアーヴィン様ご自身のことですので、無理にとは言いませんが、可愛い弟子が危険に晒されるのは導師として我慢なりません」


 話しながら、闘志がわいてきました。

 やってやろうじゃないですか。


 一人で燃えていると、アーヴィン様がぽつりと呟きました。


「……可愛い、弟子」


 ん?

 可愛い弟子?


「そんなこと言ってません」


「言った」


「言ってません」


「言ってらっしゃいましたよ」


 と聖女様が三人揃って微笑みます。


 清らかな微笑みです。

 だからこそ、容赦がありません。


「い、一般論です。弟子は可愛いものなんです。たとえ導師より大きくても、強くても」


 そう説明しても、聖女様たちは「うふふ」と、しとやかに目を細めるだけでした。


「アーヴィン様を可愛いと評するのは、大聖女様だけだと思っておりましたわ」


 ぴくり、とアーヴィン様の手が動きました。


 ……大聖女様。

 そういえば、アーヴィン様が討伐隊に早く帰りたがったのも、大聖女様のご負担を考えて、ということでした。


 そのお方が、彼を可愛いと?


 ……ずいぶん、親しい間柄のようです。


「お元気でいらっしゃいますか? お会いできるのを楽しみにしていたのですが」


 アーヴィン様は、そう言って眉を少し下げました。


「ええ。お元気でいらっしゃいますわ。ただ、長距離のご移動はお身体に障るとのことで、本日は見送られました」


「そう……でしたか」


 アーヴィン様の声が、ほんの少しだけ沈みました。


 落胆。

 というほどではありません。

 でも、確かに何かを残念に思っている声でした。


 ……そうですか。

 お会いできなくて、残念でしたか。


 私の中で大聖女様のイメージが浮かび上がります。

 病弱で、儚げで、薄いカーテンの奥で微笑んでいるような、美少女。


 いえ、別に気にしていません。

 導師として、弟子の精神状態を把握しているだけです。


「そうそう。大聖女様から、皆様にと焼き菓子をお預かりしております」


 聖女様が包みをテーブルの上に置きました。


 その瞬間、応接室の外が騒がしくなりました。


 騎士様たちです。

 扉の向こうで、ずっと立ち聞き、いえ、待機をしている彼らです。


 魔獣警報の時とは違う緊張感です。

 もっとこう、子どもが菓子棚の鍵の音を聞いた時のような緊張感です。


「大聖女様の焼き菓子は、隊の皆が楽しみにしております」


 アーヴィン様が言いました。


 その声が、やはり少しだけ柔らかい気がして、私はそっと横顔を見上げました。


 楽しみにしている。

 もちろん、アーヴィン様も含まれるのでしょうね。

 だって今、嬉しそうですもの。


 それにしても、大聖女様が焼き菓子まで作ってしまう儚げな美少女だなんて、完敗です。

 いえ、別に張り合っても仕方ないのですが。


「リーリア様もどうぞ」


 勧められ、私はおずおずと手を伸ばしました。

 真ん中にジャムのついたクッキーです。


 一口食べて気づきました。

 これは、ものすごく美味しい。

 でもそれだけではありません。

 なんと、癒しの力が込められていたのです。

 慣れない環境で溜まっていた疲れが、一気に吹き飛ぶようでした。


 ……完敗?

 私は何を言っているのでしょう。

 こんなもの、勝負の土俵にも上がれていません。

 女子として勝っているところがひとつもありません。

 いえ、分かってるんです。

 魔法の発達したこの時代、クッキーを焼けるとか、お料理が得意とか、そんなものを女性にだけ求めるのは不平等ですし、時代錯誤だと。


 でも、この溢れ出る敗北感は何なのでしょう。


 大聖女として聖務をこなしながら、心も体も癒すクッキーを焼く。そして儚げ美少女。


 では、私は?


 ……何もありません。


 魔獣の牙が転がったままでもオッケーとされる、ただの小さな魔法使いです。


「導師殿?」


 アーヴィン様に顔を覗き込まれ、私は慌てて笑顔を作りました。


「美味しすぎて衝撃が走りました。それに、癒しの術をここまで練り込めるなんて、さすが大聖女様です」


 そう感想を述べると、聖女様たちは我がことのように喜び、なぜかアーヴィン様まで嬉しそうに笑いました。


「そうだろう。甘いものは得意ではないが、大聖女様のクッキーだけは別だ」


 その笑顔に胸がちくりとしました。


 いけません。

 私にやきもちを焼く資格はありません。


 脳内にナヴィード先生を召喚します。


『お前、ただの導師だろ。何を彼女面してんだ、バカ弟子』


 ……はい。

 ありがとうございます。


 正気に戻りました。


 でも。


 私は手元のクッキーを見つめました。


 ……焼き菓子くらいなら、私にも作れるのでは?


 その考えが、さらなる敗北への入り口だとは、この時の私はまだ知りませんでした。

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