第10話 黒歴史を掘られました
魔法学院に帰って来ました!
数日しか離れていなかったのに、なんだかもう懐かしいです。
研究室、資料の山、使い慣れた机。
薬草とインクと、少し焦げた魔法陣紙の匂い。
落ち着きます。
大きな騎士様たちはいません。
廊下に魔獣の牙も転がっていません。
誰も私の頭を撫でませんし、携帯食を押し込んできません。
ここは私の安全地帯です。
……そう、思っていたのですが。
私が魔獣の記録を解析している後ろで、アーヴィン様は物珍しそうに私の手元を覗き込んでいます。
同僚たちが、ウサギ小屋に入ってきた軍馬を見るような目でアーヴィン様の動向をうかがっています。
その軍馬は礼儀正しく「邪魔にならない場所はどこだ」と聞いてきたのですが──
ありません。
どこにいても、だいたい邪魔です。
私はアーヴィン様の手を引いて研究室を出ました。
いえ、別に子ども扱いしているわけではありません。魔力の調整です。
私の弟子の圧で同僚たちを怯えさせるわけにはいきませんので、迷惑をかけても気にならない人の部屋へ連れて行きます。
はい。
もちろん、師匠です。
こんこんと研究室の扉を叩くと、ナヴィード先生は寝間着姿で、ボサボサの銀髪をかきながら出てきました。
「なんだ、帰ってたのかよ」
「朝ですよ?」
「今から寝るんだよ」
師匠は自室に帰るのが面倒なので、よく研究室で寝てしまいます。床に転がっている師匠を何度踏んだことか。でも必ず寝間着には着替えるのですから、よくわからないこだわりです。
師匠は眠そうな目で私を見て、それから私の後ろに立つアーヴィン様を見上げました。
「……相変わらず、でけぇな」
第一声がそれですか。
アーヴィン様は律儀に頭を下げました。
「お久しぶりです」
「数日しか経ってねぇだろ。まぁ、いいや。どうせ研究室に居場所がなくて来たんだろ? 入れ」
師匠は扉を大きく開けて、渋々ながらも招き入れてくれました。そして大あくびをしながら、続き部屋に入って行きました。今から三秒で寝ますよ、あの人。
私は机を借りて解析の続きをします。
そして、アーヴィン様はソファに座って魔力調整の自主練と、数週間後にある五級魔法使いの試験対策勉強です。
早い子なら十二歳で受けますので、試験風景を思い浮かべると笑いそうになります。
小さな子ウサギたちの間に軍馬です。
アーヴィン様が読んでいる教本の表紙には、にこにこ笑う魔法使いの子どもと、丸い火球が描かれていました。
『はじめての魔力操作 五級試験対策』
竜殺しの騎士様が読むには、あまりにも可愛い表紙です。ちなみに私のお下がりです。
思わず笑いそうになり、慌てて口元を押さえました。
「導師殿」
「なんでしょう?」
アーヴィン様は教本をくるりとこちらに向けました。
「ナヴィード先生のおたんこなす、と」
……当時の落書きが発掘されてしまいました。
語彙力が死んでいます。でも画力はまあまあだと思います。あの腹立たしい顔が上手に描けています。
「俺も何か描くかな」
「いけません。真面目に勉強しましょう」
アーヴィン様は私を見つめ、ふ、と笑いました。
「分かりました。リーリア先生」
……くっ。
弟子が可愛い。
「……分かればよろしい」
私は逃げるように解析に戻りました。
たまに後ろのソファで小さな爆発音が起きる以外は、平和に午前中が終わりました。
「見てくれ、導師殿」
アーヴィン様が嬉しそうに勉強の成果を披露してくれます。
小さな火球。
うん、これは合格ですね。
「これに魔力をもう少し流すと……」
中くらいの火球ができました。
あれ?これは四級の内容ですね?
「ここにもう少し魔力を足すと……」
あっ!
もう何をするか分かりましたよ!
「ダメですよ! 研究室を燃やす気ですか!」
私は慌てて反転魔法陣を展開しました。
でも、私の弟子はとんでもないことを言いました。
「大丈夫だ。火球の周りに箱庭結界を張っている」
……箱庭、結界。
それって、聖女様たちが術の練習をする時の、あれですよね?
外界に影響を及ぼさない結界。
「どうして、そんなことできるんです……」
「昔、大聖女様に教わった。だが、できたのは、君に開錠してもらってからだ」
出ました、大聖女様。
焼き菓子が作れて、癒しの術が使えて、儚げ美少女で、しかも箱庭結界まで教えられる。
何ですか、その万能感。
女神様の寵愛を全部乗せですか。
アーヴィン様もアーヴィン様です。
結界というものは、聖女様の専売特許みたいなものです。
なんで使えるんですか。
そもそも聖力なんてないはずです。いったいどうやって……。
疑問をぶつけると、またとんでもない答えが返りました。
「外から取り込んでいる」
つまり、体内にないものは外から貰えばいいってことですね。合理的です。
……って誰がそんなことで納得するんですか!
それができたら私だって聖女様になれちゃいますよ!
「剣術の練習をするのにちょうどいいんだ、この箱庭結界」
アーヴィン様は、小さな火球を箱庭結界の中でくるくる回しています。
…………。
もう、私が教えることなんて、ないんじゃないですかね?
私はスケジュール帳をパラパラとめくりました。
「五級試験合格発表後、二週間で四級試験がありますよ。これ、受けてみます?」
可愛い弟子が巣立つのは寂しいですが、私のような凡才では正しく導ける気がしません。
ナヴィード先生に教えてもらった方が絶対に伸びます。
「確かこの辺りに申し込み用紙が……」
書類の束に手を伸ばすと、その手をぱしっと取られました。
驚いて見上げると、アーヴィン様が真剣な目でこちらを見ていました。
「五級試験は魔法使いとしての申請上、必要だから受けるが、四級試験は別に急がない」
「でも、多分受かりますよ?」
「受けない」
「いや、受けましょうよ」
「受けない」
頑固です。
普段は素直なのに、妙なところで頑固です。
「なぜ受けないんですか」
「基礎が大事だ」
「急に真っ当なことを言わないでください」
もちろん、基礎は大事です。
でも、あなたは箱庭結界を張りながら火球を回していたではありませんか。
基礎とは。
「四級に受かれば、ナヴィード先生に直接教えてもらえますよ。人外には人外です」
「……人外」
「悪い意味ではありません。褒めてます」
アーヴィン様は少し考えた後、懐から紙を取り出しました。
「これを見てくれ」
「魔法使いの犯罪統計?」
「四級に合格して、導師の手を離れてすぐの犯罪率が高い」
「はぁ」
「三級までは導師が付くように制度を変えるべきじゃないか?」
……また何を言い出すんですか、この弟子は。
「特に四級に早く受かってしまった場合、技術的には問題がなくとも、魔法使いとしての心構えを導師から学べないのではないか?」
「まぁ、それはありますね。その一例がナヴィード先生です。あの人、十七歳で特級になってますから。自分の師匠と取っ組み合いの喧嘩してたらしいですよ。父が言ってました」
そう言うと、アーヴィン様は目を見開きました。
「君のお父上も魔法使いなのか? ご挨拶申し上げなければ」
……ご挨拶。
いえ、分かります。
普通のご挨拶です。
「あの、父は……」
「じゃあ、俺に挨拶しろ」
師匠です。
いつの間に起きたんですか。
アーヴィン様が首を傾げます。
「ナヴィード先生が君のお父上だったのか?」
「違います!!」
「冷てぇなぁ。誰がチビのお前を育ててやったと思ってんだ。俺の作ったスープが大好きで、にこにこしてた頃が懐かしいよ」
「そんな黒歴史、発掘しないでください」
「雷が怖くて俺のベッドに」
「七歳の時です!」
ダメです。
アーヴィン様がいると、面白がってどんどん黒歴史を暴かれてしまいます。このままでは羽ペン事件まで暴露されます。
「アーヴィン様、お昼ご飯を食べに行きましょう」
私は彼の腕を引っ張りましたが、びくともしません。
「リーリア、君のご両親は……」
「あの、」
「魔獣に殺された」
師匠が代わりに言ってくれました。
「十五年前の結界崩落の時だ」
「結界崩落?」
アーヴィン様が低く呟きました。
「東の旧街道沿いで起きたやつだ」
師匠は机の上に腰を下ろし、面倒そうに髪をかき上げました。
「最終結界じゃねぇ。街道防衛用の補助結界だ。管理してた神殿支部が手を抜いたのか、魔獣の群れが想定外だったのか、そこは知らん。崩れて、集落が一つ呑まれた」
私は黙っていました。
記憶は、ほとんどありません。
魔獣の咆哮も。
崩れた結界の光も。
父と母の最後の顔も。
私の中に残っているのは、師匠に抱かれていた時の匂いだけです。
魔法草を燻した香りと、銀葉樹の精油の香り。
「俺は、その頃──」
「アーヴィン様」
私は遮りました。
「あなたのせいではありません」
彼は口を閉じました。
「まだ何も言っていない」
「言いそうな顔でした」
「……そうか」
「そうです。あなたのせいではありません。ついでに、私のせいでもありません。たぶん、師匠のせいでもありません」
「おい、なんで俺だけたぶんなんだ」
「普段の行いです」
重くなりかけた空気が、少しだけ緩みました。
師匠は、ふんと鼻を鳴らしました。
「まあ、そういうわけで、挨拶するなら俺でいい。父親代わりみてぇなもんだ」
「絶対に違います」
「スープ作って、雷の日に寝かしつけて、絵本も読んでやっただろう。ほら、『星を食べたかった竜』。お前、あればっかりせがんできて、読まなかったら膨れっ面して……いやぁ、あの頃は可愛かったなぁ」
「やめてください。今すぐやめてください」
「羽根ペン事件も聞くか?」
「お昼ご飯に行きましょう!!」
私は今度こそアーヴィン様の腕を引きました。
が、やっぱり、びくともしません。
軍馬め。
けれどアーヴィン様は、私に引っ張られながらも、師匠へ向き直りました。
「ナヴィード先生」
「なんだ」
「リーリアを育ててくださったこと、感謝します」
「ちょっと待ってください!」
なぜそうなりますか。
なぜ本当に挨拶するんですか。
師匠は一瞬だけ目を丸くしました。
それから、ものすごく嫌な笑みを浮かべます。
「おう。大事にしろよ」
「はい」
「はいじゃありません!」
やめてください。
そこで真面目に受け取らないでください。
ただの導師と弟子です。
五級試験対策中です。
どうして父への挨拶みたいな空気になっているのですか。
はっ。
いけません。
これを真面目に受け取っては、羽ペン事件の二の舞です。アーヴィン様はこういう人なんですから、深い意味は一切ありません。
私は息を大きく吸い込み、細く吐き出しました。
平常心。平常心です。
「さぁ、アーヴィン様。食堂へ行きましょう」
「ああ」
ご挨拶が済んで、すっきりした顔です。
「あ、そうだ」
部屋を出ようとする私たちの背に、師匠の声が掛かりました。
「羽ペン王子エリオスが魔法学院に来てるぞ」
平常心。
「……そうですか」
「魔法省からの出向だとよ」
魔法省。
雲の上の組織ですね。
彼は同級生の中でもエリートで、イケメンで、私みたいな女にも羽ペンを貸してくれる優しい人なんです。
ちょっと見てみたい……。
って、ダメです!!
もし、君の研究論文読んだよ、とか言われたら舞い上がる自信があります。そうなれば、黒歴史の更新です。弟子の前で醜態を晒すわけにはいきません。
「羽ペン王子?」
なぜか、アーヴィン様の目が真剣です。
誤魔化しましょう。
「えっと、彼はですね、」
「羽ペン貸してくれたイケメンだから羽ペン王子。だよな、リーリア」
ぐぬぬ。この師匠。
いい加減、誰かに刺されますよ?
「君との関係は?」
アーヴィン様の声が尋問のようです。
「ありません」
「ない?」
「目の保養になるイケメンです」
師匠が、ぷっ、と吹き出しました。
私が刺しましょうか?
「こいつ、ほんっとにチョロいからな。隊長さんが免疫つけてやってくれ」
「承知した」
承知しないでください!
「わ、私だって恋愛の一つや二つ……!!」
「あったっけ?」
師匠がとぼけたように宙を見ます。
ありませんよ!知ってるくせに!
アーヴィン様は無言です。
無言ですが、圧がすごいです。
なんですか?
小さい保護対象だとでも思ってます?
私だって立派な大人の女ですから!
だから、えっと……
「こ、恋人の日にクッキーを焼いて渡したことくらい、あります!」
はい、嘘です!
恋人の日に一緒に過ごすような人がいたことなんてありません。
クッキーなんて焼いたことすらありません。
師匠は片手で顔を覆って、ぷるぷると肩を震わせています。元はと言えば、あなたがエリオットの名前なんて出すから……!!
「……クッキー」
アーヴィン様がぽつりと呟きました。
なんだか嫌な予感がします。
「今年は焼くのか」
ほら来た。
華麗に回避します。
「焼きません。恋人いませんので」
ははっ、と師匠の嘲笑う声が聞こえました。
「焼けない、の間違いだろ」
「や、焼けます!」
「嘘だね」
「焼けますったら!」
「じゃあ、焼いてみろよ」
「焼いてやりますよ!」
……あ。
言ってしまいました。
完全にやらかしました。
「そうか」
アーヴィン様が静かに言いました。
「楽しみにしている」
待ってください。
今のは師匠への売り言葉に買い言葉です。
決して、アーヴィン様に食べてもらう約束ではありません。
「いえ、あの、今のは」
「無理はしなくていい」
アーヴィン様は真面目な顔で言いました。
「だが、リーリアが焼くなら、食べたい」
やめてください。
師匠に挑発されて燃え上がった怒りが、一瞬で別の何かに変わってしまうではありませんか。
「よかったな、リーリア。初めての恋人の日の相手ができたぞ」
「違います!!」
「違うのか?」
アーヴィン様がこちらを見ました。
「違います! これは師弟間の……ええと、食育です!」
「食育」
「五級試験対策の一環です!」
「クッキーが?」
「糖分補給です!」
師匠が机を叩いて笑いました。
刺しましょう。
今度こそ刺しましょう。
こうして私は、魔獣核の解析と、アーヴィン様の五級試験対策と、恋人の日のクッキー作りを同時に抱えることになりました。
おかしいです。
私は魔法学院研究課程所属の三級魔法使いです。
鍵の研究者です。
竜殺しの導師です。
なのに、なぜ今、最大の敵が小麦粉になっているのでしょう。
全部、師匠のせいです。




