第11話 クッキーを作りましょう
その日の夜。
私は学院の調理室にいました。
作業工程は頭に叩き込み、この戦場に臨みました。
小麦粉と砂糖とバターを混ぜます。
生地を休ませて、形を抜きます。
魔導焼成炉で焼きます。
これです。
ですが、おかしいのです。
出来上がった代物は、錠前にそっくりでした。
固く、金属にも似た光沢があります。
そして、鍵穴も。
私はそっと杖でつつきました。
こん、と澄んだ音がします。
食べ物が出していい音ではありません。
無意識に施錠術式を練り込んだ可能性があります。
私は壁にかかるカレンダーを見つめました。
恋人の日まであと三週間。
アーヴィン様の五級試験のすぐ後です。
弟子が頑張っているのに、導師がクッキーに敗北するなどあってはなりません。
あらゆる伝手を頼って、なんとかしなければ。
ですが私はコミュ障ですので、友達があまりいません。同級生はほとんどが就職してしまい、学院に残っている人は数人です。
その時、ふと、一人の顔が浮かびました。
マデリン・オルブライト一級魔法使い。
同級生で、なぜか私を目の敵にしている女。
けれどとても優秀で、クッキーを焼いてみんなに配るような、いけすかない女です。しかも、そのクッキーが美味しいのなんのって。
ほんと、腹立たしいですが、背に腹はかえられません。
……土下座しましょう。
私はそう決意し、マデリンの研究室へ向かいました。
*
「ちょっと! なんの真似ですの?!」
頭上に、マデリンの声が落とされました。
「マデリン様にクッキーのご指南をいただきたく」
私は廊下の床に頭を押し付けました。
「クッキー?! ああ、もう、それより早く頭を上げてくださらないかしら! みなさまの冷たい視線が……っ!!」
確かに後ろで、くすくす笑いが起きていますが、それどころではありません。
「どうか、マデリン様。私にお慈悲を」
「分かりました! 分かりましたから!」
床でぴかりと魔法陣が光り、私の体がふわりと浮きました。
さすが一級魔法使いです。
私は魔法で持ち上げられたまま、マデリンの研究室へ運ばれました。
人は、土下座の姿勢のまま空中を移動すると、尊厳をかなり失います。
「……で、あなたが私に頼みごとだなんて、どういう風の吹き回しかしら」
私はソファに座らされ、紅茶を出されました。
頼みごとをしに来た私をもてなすなんて、育ちのいい女です。
私は、羽ペン王子とアーヴィン様のことは端折って、かくかくしかじかと説明しました。
マデリンの眉間の皺がどんどん深くなっていきます。
「……完全に自業自得ですわね。ナヴィード先生は悪くありませんわ」
「でも師匠があんなこと言って私を追い詰めるから……!」
「そのクッキー、ナヴィード先生のために作りますの?」
……話を端折りすぎました。
「まさか。師匠なんか小麦粉そのまま食べてりゃいいんです」
マデリンは目を瞬きました。
金髪巻き髪によく似合う、濃い緑の瞳です。
「とにかく、マデリンのクッキーは大聖女様にも負けないはずです。これは負けられない戦いなんです!」
「大聖女様と張り合ってるんですの?」
あれ?もしかして大聖女様がどんな方か、マデリンは知っているのでしょうか。
師匠なんかに聞いた日には、全部吐くまで詰められるでしょうし、もちろんアーヴィン様に直接なんて聞けません。私はさりげなく聞くのが下手くそなのです。
「ど、どんな方か知ってますか……?」
恐る恐る訊ねると、マデリンは首を横に振りました。
「実際にお会いしたことはないのだけれど、とてもお綺麗な方だと聞きましたわ」
ですよね。
聖女様の最高位である大聖女様です。
女神の寵愛を一身に受けた美少女で間違いないです。
私はマデリンの手をそっと包み込みました。
「勝ちましょう、マデリン。女神の寵愛など、我々魔法使いの前には無力だということを証明してやりましょう」
「……あなた、何と戦ってらっしゃるの」
「女神のえこひいきです」
そんなこんなで、私はマデリンの同意をとりつけ、調理室に戻ってきました。
私の錠前クッキーを見て、マデリンは絶句しました。
「食べ物ですらありませんわ」
そこから猛特訓が始まりました。
「まずは小麦粉をふるってくださいませ」
そんなの簡単です。
粒子を均一化させるために、魔法陣を展開させます。魔法薬を作る時の要領ですね。
……怒られました。
「そんなことをするから錠前になるのです! 普通にふるってください」
それからバターと砂糖を混ぜ、ふるった小麦粉を投入します。
するとバターは溶かしすぎだと怒られ、砂糖は二回に分けて入れろと怒られ、さくさくクッキーにしたいなら、親の仇のように練るなと怒られました。
「では、生地をしっかり冷やしましょう」
「はい!」
返事をして氷結魔法陣を組み始めると、やっぱり怒られました。
「素直にそこの冷却箱に入れて三十分待機ですわ!」
「はい……」
私たちは椅子に腰掛け、紅茶を飲みながらお話をしました。
長年同級生をやっていますが、こんなことは初めてです。
マデリンはぐったりとした様子で静かに言いました。
「私、ナヴィード先生があなたを贔屓なさってるのだと思っていましたけれど、違いましたわね」
首を傾げると、ため息を吐かれました。
「あなた、何をしでかすか分からないから目が離せないんですわ……」
あれ。なんだかものすごく呆れられていますね?
「それで、このクッキーは誰に差し上げる予定ですの?」
「これは食育の一環なんです。五級試験を受ける弟子に、良質な糖分を……」
「あなた、いつの間に弟子をとりましたの?」
「うっかり錠を開けてしまいまして」
「そうだったんですのね。弟子は可愛らしくって?」
「とっても可愛いです!」
即答すると、マデリンは目を細めました。
「私もそろそろ弟子を迎えようかしら」
「はい! あ、でも森で拾うのはオススメしません」
「……もちろん、拾いませんわ。あなた、森で拾いましたの?」
「はい。死にかけ五秒前でしたので」
「五秒前」
「はい。あ、もう三十分経ちましたかね?」
私は立ち上がり、生地を取り出しました。
「型抜きはどうしますの? ハート型、星型……」
マデリンが型をかちゃかちゃと選びます。
……ハート型はちょっと、無理です。
「錠前型とか、鍵型とかありませんかね」
「それこそ魔法で作ればよろしいのでは?」
……なるほど。
私は小さな魔法陣を展開し、薄い金属板を曲げていきました。
錠前型。
鍵型。
そして門型。
私は作った型で生地を抜きました。
大聖女様のような癒しのクッキーは作れません。
マデリンのような綺麗なクッキーも、まだ無理です。
でも、錠と鍵と門なら。
私の手で作る意味が、少しだけあるような気がしたのです。
「後は焼くだけですわ」
生地を魔導焼成炉に入れると、甘い香りが少しずつ調理室に広がりました。
……今度こそ、食べ物の匂いがします。
それだけで少し感動していると、調理室の扉が開きました。
「何やってんだ、お前ら」
師匠でした。
どうしてこの人は、面白そうな気配だけは逃さないのでしょう。
「なんでもありません。帰ってください」
「よぉ、マデリン。何作ってんだ?」
私のことはフル無視でマデリンに話しかけます。マデリンの背筋が、すっと伸びました。
「クッキー作りの指導を頼まれました」
「ほほぅ」
師匠はゆっくりとこちらを向き、目を細めて唇の端を上げました。
「クッキー、作ったことあるんだよなぁ? 恋人の日に渡したんだよなぁ?」
「もちろんです。更なる上達のためにマデリン師匠にご指導いただいただけです」
「じゃあ、これはなんだ?」
こつん、と音がしました。
師匠が私の錠前クッキー、いえ、ただの錠前を杖で叩いた音でした。
くっ。
目ざといですね!
「そ、それは、試作品です。クッキーに魔法をかけて、アーヴィン様に食べて貰えば、魔力の調整になるかな、と」
「食えねぇだろ、こんなもん」
「偉大な発明に失敗はつきものですから」
えへんと胸を張ると、師匠は、はっ、と小さく嘲笑しました。
「そんな説明で誤魔化せると思ってんのか? これはクッキーになる前に魔法を練り込んでる。食いもんに効果を持たせたい時は、最後に入れ込むんだよ。バーカ」
「ばっ……! バカって言う方がバカなんです! 師匠のバーカバーカ!!」
「はぁ? 特級魔法使いになってから言ってくれるか? お嬢ちゃん」
「うっさいです! 人外!」
マデリンは、ぽかんと私たちを見ていました。
気品ある一級魔法使いの顔に、はっきりと困惑が浮かんでいます。
「……あなた方、いつもそうなんですの?」
「いつもではありません」
「いつもだろ」
「師匠!」
マデリンはしばらく黙っていました。
それから、何かを納得したように、深く息を吐きます。
「……そう。そういうことでしたのね」
「何がですか?」
「いいえ。何でもありませんわ」
呆れたように笑っていますが、なんだか、ほっとしているようにも見えます。
そんなことを話していると、ちん、と焼き上がりの音がしました。
すぐに駆け寄り、クッキーを触ろうとして、また怒られました。
そして師匠には笑われました。
天板ごと取り出し、冷まします。その後、網に移してまた冷ますそうです。
「待ち時間が長いです……。あったかいうちに食べたいです……」
机に突っ伏してぼやくと、マデリンに苦笑されてしまいました。
「では三分だけ待ってください。その後、いただきましょう。もう一度紅茶の準備をしますわ」
「やったー!」
私はわくわくしながら三分待ちました。
ほんのりと温かい錠前型クッキーを持ち上げ、ドキドキしながらかじります。
すると。
サクッと音がしたのです!
「食べ物です!!」
「当たり前です」
マデリンはそっと額を押さえ、首を振りました。
甘くてサクサクでバターも濃厚です。
これは美味しい……!!
「あっ! 師匠、そんなに食べないでください!」
「あぁん? アーヴィンなら騎士団の呼び出しでどっか行ったし、どうせ恋人の日に渡すんだろ? 俺にも食わせろ」
「師匠……。恋人の日に誰からも貰えないからって僻まないでください」
憐れみの目で見ると、マデリンが紅茶を吹き出しそうになりました。
「どうしました?」
「……あなた、ナヴィード先生がどれほどの数のクッキーを貰っているか、知りませんの?」
「はい。興味ないので」
だって、こんな師匠にクッキーをあげる人がいますか?
いません。
「おいおい、俺はモテるんだぞ」
「嘘ですね」
「んだとこら」
「マデリン、可哀想なので師匠にクッキーを焼いてあげてください。可哀想なので」
「二回言うな」
マデリンは目を瞬き、ナヴィード先生を見ました。
「でも、ご迷惑では……」
「お、くれるのか? 楽しみにしてる」
師匠が笑うと、マデリンは、ぱっと視線を逸らしました。心なしか、頬が赤い気がします。
……まさか。
いえ、ありえません。
ナヴィード先生ですよ?
ありえません。
けれどマデリンは、いつもの冷ややかな顔ではなく、少しだけ困ったように紅茶のカップを見つめていました。
「……がんばります」
「おう」
師匠は軽い調子で頷きます。
軽い。
あまりにも軽い。
マデリンの覚悟らしきものを、小石みたいに受け取りましたよ、この人。
私はそっと、マデリンを見ました。
もしかして。
本当に、もしかしてですが。
マデリンは、師匠のことを尊敬しているのかもしれません。
尊敬。
そう、尊敬です。
恋愛ではありません。
だって師匠ですから。
「よかったですね、師匠。提案した私に感謝してくださいね」
「うるせぇ」
マデリンが、小さく笑いました。
本当に小さく。
紅茶の湯気に紛れるくらいの笑みでした。
その顔は、いつものいけすかない才女の顔ではなくて。
少しだけ、普通の女の子みたいに見えました。
さて、これからもうひと踏ん張り、今度は一人で作ってみましょう。
アーヴィン様のいない今夜がチャンスです。
ん?
帰還フラグ?
いやいや、そんなはずは。




