第12話 羽ペン王子とアーヴィン様
マデリンと師匠が調理室を出て行くと、急に静かになりました。
今度こそ、一人で作ります。
マデリンに教わった通りに。
私は袖をまくり直しました。
今度は鍵穴を作りません。
これは、食べ物です。
そう自分に言い聞かせながら、生地を乗せた天板を魔導焼成炉へ入れました。
甘い香りが、ゆっくりと調理室に満ちていきます。
……悪くない気がします。
「いい匂いがすると思ったら」
穏やかな声がして、私はびくりと肩を跳ねさせました。
入口に立っていたのは、エリオス・レイヴンでした。
羽ペン王子。
私の黒歴史そのもの。
柔らかな茶色の髪に、琥珀色の瞳。
笑った時の目尻の皺までイケメンです。
そして私は、粉のついた前掛け姿で、錠前型のクッキーを焼いていました。
どうして再会の場面がこれなのですか。
いえ、いいんですよ?
別に彼とはなんでもありませんし。
でも乙女心ってものがあるでしょう?
「リーリア。久しぶりだね」
「お、お久しぶりです」
「魔獣核の報告、読んだよ。面白かった。君らしい視点だった」
その笑顔に胸を撃ち抜かれそうになります。
近況報告の前に研究を褒めるとか、あなた研究者キラーですか?
……危険です。
研究を褒められるのは、羽ペンよりずっと危険なのです。
「クッキーを焼いてたのかい?」
彼はそう言って、錠前の型を手に取りました。
ふはっ、とチャーミングな笑い声がもれます。
「リーリアらしいね。クッキーまで錠前なんだ」
笑われたのに全然嫌ではありません。
むしろもっと笑ってください。
いえ、ダメです。
さっきから、なんだか後ろめたくて仕方ありません。
後ろめたく思う必要なんてありませんし、それこそ自意識過剰と言われても仕方ないのですけれど。
楽しみにしている、と言ったアーヴィン様の笑顔が、頭から離れないのです。
その時、焼き上がりの音が鳴りました。
ドキドキしながら天板ごと取り出すと、とてもいい香りがしました。
少し形が崩れていましたが、それでもちゃんと食べ物に仕上がっています。
「やった」
喜びをかみしめていると、肩越しに声が落とされました。
「わあ、美味しそう。上手だね、リーリア」
その距離の近さに、もう少しで天板を落とすところでした。
「あ、あ、ありがとうございます」
声がうわずりました。
「一枚もらえる?」
「……三分待ってくだされば」
私たちはテーブルを挟んで腰掛けました。
「研究で騎士団に同行していると聞いたけど、大丈夫?」
エリオスは心配そうに眉を下げました。
「どうして、それを?」
「ナヴィード先生から魔獣核研究に関する予算の申請書が届いたからね」
「魔法省にもですか?」
「うん。魔獣対策は喫緊の課題だからね。予算がおりるまでもう少しかかると思うけど、申請はたぶん通るよ」
それは朗報です。
特級の師匠の名前で出せば、予算は通りやすくなります。たまには役に立つじゃないですか。後でクッキーをあげましょう。肩も揉んであげましょう。
「今は魔獣核のデータ解析をしていると先生から聞いたよ。戦闘系の魔法使いでもない研究者が前線に行くなんて、すごいよ。よく討伐隊が受け入れてくれたね」
「いえ、外堀を埋められただけです……」
エリオスは首を傾げました。
可愛らしい仕草なのにイケメンです。
「その……制度上の弟子が討伐隊の隊長なんです」
エリオスは目を丸くしました。
「隊長? って、まさかあのアーヴィン・クライス隊長? 竜殺しの?」
「はい、そのアーヴィン様です」
「つまり鍵を開けたってことだよね? え、魔法も使えるようになったってこと? ズルくない?」
ものすごく素直な感想に、思わず吹き出してしまいました。
「そうですよね! 剣一本で竜を倒せるのに、魔法まで使えるなんて、チートですよ」
私たちはチートの話で盛り上がり、クッキーを食べることも忘れて笑い合いました。
「でも、それで前線かぁ。リーリアみたいなちっちゃくて可愛い子がどうしてるんだろうと思ったけど、彼が一緒なら大丈夫だね」
……アーヴィン様は魔法省からも信頼が厚いようです。
ていうか、今ちっちゃくて可愛いとか言いましたよ。
さらりと。
何気なく。
……だからイケメンは怖いんです。
「そうだ、魔獣核に鍵をかける発想は、魔法省でも面白いと話題になっていたんだよ」
「話題に?」
「うん。ありそうでなかったからね。でもリーリアが速掛けを研究してたからできた技だよね。まだ実戦例は少ないけれど、討伐隊の損耗を減らせる可能性がある。リーリア、君はすごいことをしているよ」
やめてください。
研究を褒めた上で、社会的意義まで足さないでください。
イケメンで褒め上手って、私のような女には凶器に他なりません。
「あ、あの、クッキー食べましょうか……」
「あっ、そうだったね。楽しくて、つい」
楽しくて。
なんでこの人、こんなことをさらりと言えるんでしょう。
エリオスは錠前型のクッキーを一枚かじりました。
「うん、美味しい」
「本当ですか!」
思わず身を乗り出すと、彼は楽しそうに笑いました。
「本当。形もリーリアらしいし、甘さもちょうどいい」
よかった。
ちゃんと、美味しいと言ってもらえました。
私も一枚つまんで、ぱくりと口に入れました。
サクサクで美味しいです。
やりました、マデリン。
心の中で戦友に勝利報告をしていると、エリオスがふっと目を細めました。
「リーリア、動かないで」
「え?」
彼の手が伸びてきました。
指先が、私の口の端に触れます。
「クッキー、ついてる」
「……っ」
息が止まりました。
近いです、羽ペン王子!
昔、羽ペンを貸してくれただけで勘違いしかけた相手です。
そんな人に、口元のクッキーを取られて無事でいられるほど、私は強くありません。
「取れた」
エリオスは何でもないことのように微笑みました。
何でもなくありません。
こちらは今、内側で警報が鳴っています。
その時でした。
「リーリア」
低い声が、調理室の入口から落ちました。
私は反射的に振り返りました。
白い隊服姿のアーヴィン様が、入口に立っていました。
……帰還フラグ。
回収が早すぎます。
「き、騎士団に呼び出されたはずでは……?」
なんだか密会を押さえられた人の発言みたいです。
アーヴィン様は険しい顔のまま、こちらへやってきました。
「任務は完了した。魔力門の調子が悪いためこちらへ帰還した」
……なんでしょう、この圧は。
どうしてそんな任務報告みたいなんですか。
彼は私の横にどっかりと腰を下ろすと、さっと私の手を取りました。
だから私は魔力調整の便利道具ではないと何度言えば。
それから、反対の手をエリオスに差し出しました。
「私はアーヴィン・クライス。王国聖騎士団にて、魔獣討伐特務隊隊長を務めている」
エリオスは官僚然とした微笑みを浮かべ、握手に応えました。
「私は魔法省の職員、一級魔法使いのエリオス・レイヴンです。お噂はかねがね」
「魔法省の方がなぜここへ」
「最新研究を知るための出向ですよ。リーリアの魔獣核への施錠研究も調査対象です。予算に関わりますから」
アーヴィン様の手に力がこもりました。
魔獣核に反応したのでしょうか。
「そうか。ナヴィード特級には神殿への申請も勧めておいた」
するとエリオスは目を細めました。
「そうですか。技術を独占されるのは困りますね」
「だろうな」
……なんか、喧嘩してますか?
「あの、アーヴィン様。魔力門は大丈夫ですか? 調整しましょうか?」
「……ああ。お願いする」
「じゃあ、僕はこれで失礼します」
エリオスは、すっと立ち上がりました。
「じゃあね、リーリア。クッキー美味しかったよ。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
エリオスは、にこりと笑って踵を返しました。
パタンと音を立てて扉が閉まると、調理室はしんと静まり返りました。
「では魔力門を……」
「あれが羽ペン王子か」
……その名前は忘れてください。
「あの、門を」
「関係ないと言っていなかったか? ただの目の保養だと」
よく覚えてますね。
「いえ、当時は本当に関係なかったんです。たまに話すくらいの同級生で。今は研究のことがありますし、彼は社交的なので、私もあまり気負わずに話せるといいますか……いや、でもイケメンなのでちょっと緊張しますね。はは……」
って何、余計なことをぺらぺらと!
「……なるほど」
重低音が怖いです。
魔法省と神殿の仲が悪いのは知っていましたが、そこまでひどいんですか?
「てっきり、口元に手を伸ばすような関係なのかと」
見てたんですか?!
顔がぼわっと熱くなりました。
「いえ、あれはクッキーをとってくれただけで……」
「その割にはずいぶんと嬉しそうだが」
なんなんですか、この尋問は!
「あの、大丈夫です。魔法省に研究を管理されるわけではありませんし、討伐隊が最優先であることに変わりはありませんから」
だから、組織のごたごたに巻き込まないでください。
けれど、アーヴィン様はぽつりと呟きました。
「違う」
ん?
「そうではなく……」
それきり言葉は続きませんでした。
繋いだ手に視線を落とし、なんだかつらそうにしています。
「魔力門の様子、診ますね」
私は半ば強引に魔力視を開きました。
きっと、門の調子が悪くて、魔力が滞ってるから苦しいんでしょう。
けれど、魔力の停滞はそこまでひどくはありませんでした。
「……すまない」
「謝ることではありませんよ」
「嘘を吐いた」
……嘘?
私は目を瞬きました。
アーヴィン様は繋いだ手に力を込め、真っ直ぐにこちらを見ました。
「門の調子が悪かったのは本当だが、それよりも、導師殿と離れているのが不安だった。半日離れているだけで会いたくてたまらなくなる。俺はおかしいだろうか?」
…………。
落ち着きましょう、リーリア。
彼は導師殿と呼びました。
つまり、これは弟子としての発言です。
弟子の不安は取り除かなければなりません。
「お、おかしくなんてありませんよ。アーヴィン様は長い間苦しい思いをしてきたのですから、魔力調整がうまくいかずに不安になるのは当然です」
彼は、ほっと息を吐きました。
「迷惑をかけてすまない」
「迷惑だなんて……」
「導師殿はいつまで俺の傍にいてくれる?」
手に力が込められました。
いえ、それどころか、指が絡まりました。
心臓が痛いほどに激しく打ちます。
それどころか、一周回って止まりそうです。
「……四級試験に合格するまでは……」
「ならば一生受けない」
「そ、それはいけません。資格のない人が魔法を使わないように、今は認証錠を掛けているんです。練習申請をしていない上級の魔法をうっかり使ったら、資格停止になっちゃいます」
「では、どうすれば」
「えっと……アーヴィン様なら魔力制御もすぐにできるようになると思います。その、努力家ですし、センスもありますし。不安な気持ちは分かりますけれど、お、落ち着きましょう」
絡まった指が、逃げ場をなくすように締まります。
「導師殿がいなければ落ち着かない」
「い、いますよ。ほら、今もいます。ちゃんといます」
「ずっといて欲しい」
銀灰色の瞳には、色濃い不安が映っていました。
……なんだか、雷の夜にナヴィード先生のベッドにもぐりこんだ時のことを思い出します。
あの時は、ほんとに怖かったんですよね。
アーヴィン様も不安で仕方ないのかもしれません。
導師として、しっかりしなければ。
私は両手で彼の手を包み込みました。
「アーヴィン様。私が導師でなくなっても、頼ってくださっていいんですよ。今日の任務で何かあったんですか? 魔力が暴走しそうになりましたか?」
彼の視線が揺れました。
開きかけた口が閉じられ、答えを選びあぐねているような気配がありました。
「……任務は滞りなく終了した」
「では、他に何か……」
「何もない」
何もないという顔ではありません。
でも、言いたくないのでしょう。
……大聖女様に関することでしょうか。
ふとそんなことを思ってしまい、私は慌ててその考えを振り払いました。
理由はともかく、弟子が不安を感じているのです。私情を挟んではいけません。
「分かりました。でも、何か話したくなったらいつでも話してください。私はあなたの導師ですから」
そう言うと、アーヴィン様は少しだけ目を伏せました。
「……そうだな」
声が、ほんの少しだけ沈んで聞こえました。
「……ただの、導師だ」
ただの導師。
……ただの導師?!
聞き捨てなりません。
それってどういう意味ですか?
「ただの導師、とは」
思わず声が低くなりました。
アーヴィン様が、はっとしたようにこちらを見ます。
「いや、そういう意味では」
「では、どういう意味ですか」
「……」
黙りました。
黙らないでください。
私は今、わりと傷つきましたよ。
「私は、ただの導師ではありません」
言ってから、自分でも驚きました。
何を言っているのでしょう。
導師は導師です。
ただの導師です。
でも。
「魔力門も見ますし、五級試験対策もしますし、魔力暴走にも対応しますし、クッキーだって焼きました」
「クッキー」
「はい。食育です」
アーヴィン様は、ほんの少しだけ目を見開きました。
「私は三級魔法使いですし、頼りないところもありますし、羽ペン王子に褒められたくらいで浮かれますけど」
「浮かれたのか」
「今そこは拾わないでください」
私は咳払いをしました。
「とにかく、ただの導師ではありません。私は、アーヴィン様の導師です」
アーヴィン様は、絡めていた指に、もう一度だけ力を込めました。
「……そうか」
声が、さっきより少しだけ柔らかくなりました。
「俺の、導師殿か」
やめてください。
その言い方は、やめてください。
所有格がつくと、なぜこんなに心臓に悪いのでしょう。
私は熱くなった顔をごまかすように、錠前型のクッキーを一枚つまみました。
「ですから、導師の焼いたクッキーを食べてください。五級試験対策です」
「俺の導師殿が焼いたクッキーだな」
「言い換えないでください」
「事実だ」
「事実ですが!」
アーヴィン様は、ほんの少しだけ笑いました。
負けです。
完全に負けです。
何に負けたのかは分かりませんが、完敗です。
私たちは一枚ずつクッキーを食べました。
「美味い」
「でしょう?」
ふふん。
聞きましたか、大聖女様。
会ったこともない大聖女様にドヤ顔でマウントをとっていると、ふと、横から手が伸びました。
おかわりですか?
構いませんよ。渾身の土下座クッキーですからね。
けれどその手はクッキーを通り越して、私の唇の端に触れました。
「……っ?!」
驚いて固まっていると、アーヴィン様が笑いました。
「クッキーがついていた」
そう言って、彼は何事もなかったように指を離しました。
何事も。
何事もなかったように。
ありましたよね?
今、何か、ものすごくありましたよね?
「……あ、ありがとうございます」
どうにかそれだけ言うと、声が変なところで裏返りました。
エリオスにされた時も心臓に悪かったですが、アーヴィン様にされると、何かが違います。
違うのです。
何が違うのかは、考えてはいけません。
アーヴィン様は、もう一枚クッキーを手に取っていました。
涼しい顔です。
けれど、絡めていた指は、まだ離されていません。
……この人、分かってやっていますか?
いや。
そんなはずはありません。
アーヴィン様は真面目な方です。
弟子です。
五級試験対策中です。
なのに、どうしてこんなに逃げ場がないのでしょう。
きっと、私がチョロすぎるからなのでしょうね。




