第13話 恋人の日は心臓に悪いです①
アーヴィン様が五級試験に合格しました。
当然です。
私の可愛い弟子なのですから。
ただし、試験官の方は少し怯えていました。
十二歳程度の受験生たちに混じって、白い隊服姿の竜殺しの騎士様が座っていたのですから、無理もありません。
なお、試験中、アーヴィン様は火球の周囲に箱庭結界を張ろうとして止められたそうです。
合格のお祝いをしようとすると、三日後に恋人の日があるからいい、と言われてしまいました。
いや、もうクッキー食べましたし、試験には受かりましたし、恋人の日なんて関係なくないですか?
そう伝えても、アーヴィン様は「約束した」の一点張りで譲りません。
真面目すぎるのも困りものです。
もちろんアーヴィン様と過ごすのは、嫌ではないんです。
むしろ嬉しいような、楽しみなような……。
って、待って。
「アーヴィン様と過ごす」ってなんですか。
それよりクッキー渡しておしまいって可能性の方が高いですよね?
ふぅ、危ない。
勘違いするところでした。
でも、まぁ、そんなことを悠長に考えていられるのは平和の証なわけで。
恋人の日の当日。
結論から言いますと、私はアーヴィン様と過ごすことができました。
ただし、霊馬に乗って、大森林の中です。
一緒に過ごせていると言えば、過ごせています。前に魔獣、まわりに大きな騎士様たちのオプション付きですが。
出立前、アーヴィン様はこう言いました。
「突然すまない。今日が一番安全と判断した」
どうやら魔獣は周期的に増えたり減ったりしているようで、予測では、今日が発生周期の底であり、最も活動が低下する日に当たるそうです。
「いえ、私も早く魔獣核に応用してみたかったので、楽しみです」
もちろん怖いです。
けれど動物核との比較が終わり、術式に改良を施し、速掛けの速度、精度、持続時間を検証する機会を待っていたのは事実です。
「あ、クッキーは先日、学院で焼きましたので、携帯食として持っていきます?」
そう訊くと、アーヴィン様の眉がほんの少し上がりました。視線がぴたりと止まり、まるで意外なことを聞いたかのように、しばらく固まってしまいました。
「……携帯食」
やがて、ぽつりと呟くと、自嘲するように唇の片端を軽く上げました。
「そんなものか。君にとっては」
……そんなもの?
聞き捨てなりませんね。
携帯食レベルのものしか寄越さないのかという文句なら、見当違いも甚だしいです。
クッキー作りはちゃんと頑張って、渾身の出来です。大聖女様に対抗してジャムも乗せてます。師匠に泣きついて、魔法の含ませ方も教わりました。この私があの師匠に膝を折ったのですよ?そこは褒めて欲しいです。
「お言葉ですが」
私は懐からクッキーを取り出しました。
自分用の、習作です。
「魔力の流れを穏やかにしてくれる魔法を込めたクッキーです。アーヴィン様用の携帯食としては完璧かと。決して、そんなもの、ではありません」
そう言い放って胸を張ると、彼は一拍の後、小さく息を吐きました。
「導師殿」
きました。
二人きりなのに導師殿呼び。
弟子としての発言であるという、静かな主張ですね。携帯食として完璧、と言い切ったことに異議があるのでしょうか。
「なんですか。文句なら食べてからに……」
「帰ってから一緒に食べよう」
言葉を被せられました。
帰ってから。
一緒に。
恋人の日に。
わざわざ時間をとって。
…………。
……いけません。
これは罠です。羽ペンと同じ匂いがします。
たぶん、クッキーは携帯食として不向きだ、とか何か理由があるんでしょう。口の中の水分を持っていかれますからね。
だから勘違いしてはいけません。
本当は大聖女様と過ごしたいはずです。
でも……アーヴィン様の目はとても真剣です。
そこに私の欲しいものを探してしまうのは、不可抗力ではないでしょうか。
いえ!
不可抗力とか、何寝ぼけたことを言ってるんですか。
抗うんです。
自分の中のチョロさに抗わなければ、黒歴史の層が厚くなるだけです。羽ペン以外にも散々やらかしてきたではないですか。
そう。
一度だけ、本当に痛い目を見たことがあります。
まだ研究課程に上がったばかりの頃、私の錠前研究を面白いと言ってくれた人がいました。
君の発想はすごい。
君にしかできない。
そう言われて、私は舞い上がりました。
研究を認められたのだと思いました。
少しだけ、私自身も見てもらえたのだと思いました。
けれど、その人が欲しかったのは私ではなく、私の開錠技術でした。
持ち出し禁止の魔導箱を開けさせられそうになって、師匠に首根っこを掴まれて止められました。
その後の説教は、思い出したくもありません。
『お前の技術を褒める奴が、全員お前を大事にするとは限らねぇ』
あの時から、私は少しだけ怖くなったのです。
優しい言葉も。
私を見ているような目も。
私は、また騙されているんじゃないか、と。
もちろん、アーヴィン様がそんな人だとは思っていません。
思っていませんが。
私の中のチョロい部分は、少し優しくされるだけで全力疾走を始めるのです。
そして理性は、だいたい後方で転んでいます。
──私は導師。
ただの導師なのです。
先日、ただの導師と言われて腹を立てましたが、何を言っていたんでしょう。
私は、どこからどう見ても、ただの導師です。
よし、ここは導師として対処しましょう。
討伐後は、魔力の流れが乱れる可能性が高い。
ということは呑気にクッキーを食べている場合ではありません。
導師としては弟子の体調を第一に考えて──
「リーリア」
私の開きかけた口が止まりました。
導師殿ではなく。
リーリア。
その呼び方ひとつで、せっかく積み上げた理論武装が崩れていきます。
やめてください。
今、私はただの導師に戻ろうとしているところなのです。
「俺は、君と過ごしたい」
頭が真っ白になりました。
リーリア。
君と。
そこには導師も弟子もありませんでした。
少なくとも、私にはそう聞こえてしまいました。
だから、怖くなったのです。
君と過ごしたいってどういう意味ですか?
誰か翻訳してください。
私はまた間違えそうです。
「リーリア」
優しい声。
そのひと押しに、私はパニックに陥りました。
「そ」
「そ?」
「そういうの、やめてください!」
気づけば、叫んでしまっていました。
慌てて自分の口を両手で押さえます。
けれど、飛び出した言葉は取り消せません。
これでは拒絶したみたいです。
違います。
違うんです。
その気もないのに、私を惑わせないでほしいと言いたかっただけなんです。
アーヴィン様は、少しだけ目を見開きました。
怒ってはいません。
むっとした様子もありません。
ただ、傷つけたことだけは、分かってしまいました。
彼は、静かに息を吐きました。
「すまない。君を困らせるつもりはなかった」
「いえ、私は……」
「任務に集中する」
アーヴィン様はそう言って、いつもの隊長の顔に戻りました。
どこにも隙がありません。
私は、言い訳をする機会を失ってしまいました。
*
そんなわけで。
今、私たちは霊馬に乗って大森林の中にいます。前回と同じく、私が前でアーヴィン様が後ろです。
魔獣の数は少ないとはいえ、気を抜けば死ぬ環境です。恋人の日とか言ってる場合ではありません。
ありませんが。
霊馬の手綱を取る手。
隊員たちへ短く指示を出す低い声。
完全に、魔獣討伐特務隊の隊長です。
さっきまで「君と過ごしたい」なんて言っていた人と同じとは思えません。
……いえ。
今は本当に、そんなことを考えている場合ではありません。
「導師殿」
「はい」
呼び方も戻りました。
当然です。
任務中ですから。
任務中にリーリア呼びなんてされたら、私は霊馬から落ちます。
「前方に反応がある。予定通り、対象は一体に絞る」
「了解しました」
私は杖を握り直しました。
前回のように、目視だけで施錠するには限界があります。
なので、今回は核の特徴を捉え、自動で照準を固定する技術を試します。
これは昔、暴れる動物用に私が開発しました。
動物核との比較で、その種に特有の揺らぎがみとめられたものには、理論上、流用できるはずです。
森の奥から、魔獣の咆哮や霊馬のいななき、剣と牙がぶつかるような高い音が聞こえてきます。
心臓が激しく打ち、杖を持つ手に、汗がじわりと浮かびました。
理論を試したい。
でも、怖い。
その時。
黒い靄が、木々の向こうで揺れた──
そう思った次の瞬間、何かが飛び出してきました。
姿は虎のようです。
けれど額には角があり、目が爛々と赤く、靄が毛のように地面まで垂れ下がっています。
その低い唸り声を聞いただけで身がすくみ、喉が詰まりました。
前方で、騎士様数名が応戦しています。
けれど、速さも跳躍力も凄まじく、先日の狼型とは比べものになりません。
「変異種だ。稀に周期の谷に現れる」
アーヴィン様は低く言うと、剣を抜きました。
……変異種。
聞いていません。
いえ、文句を言っている場合ではありません。
一瞬で騎士様たちがなぎ倒され、変異種が飛び掛かったのです。
「跳ぶ」
「はい?」
その瞬間、アーヴィン様は愛馬ルーヴェを跳躍させました。感じたことのない浮遊感に、心臓がひゅっと縮みます。
でも。
馬上から、変異種の背中がはっきりと見えたのです。
今なら。
一直線に狙える。
私は空中で変異種に杖を向けました。
核の解析陣を展開し、自動捕捉の魔法陣を重ねます。
ちかちかと解析陣が光ります。
早く。
早く。
早く。
それは一秒にも満たないような時間だったのでしょう。けれど、自分の汗の流れまではっきりと感じるほどの緩慢な時間でした。
かちり、と解析陣が止まりました。
同時に自動捕捉の魔法陣が輝きます。
そして、魔法陣から射出された光が、魔獣の核を捉えました。
──いける。
「施錠!!」
変異種の動きが完全に停止しました。
一拍。
剣が振り下ろされる風切り音。
二拍。
変異種の核が砕け散る、甲高い音。
三拍。
音が──消えました。
霧散した靄の向こう、地上にアーヴィン様が見えます。
あれ?
じゃあ、私は今、ルーヴェに一人で乗って空中にいますか?
「きゃあぁぁぁぁぁぁ!!」
私はルーヴェのたてがみにしがみつきました。
そしてルーヴェの前足が力強く地面を捉えた瞬間、体がぐらりと傾きました。
──あ、落ちる。
私はぎゅっと目をつむりました。
けれど、想像した衝撃と痛みは訪れませんでした。
アーヴィン様が手綱を引いてルーヴェの背に飛び乗り、私の体を支えていたのです。
「すまない。一人にしてしまった」
耳元で囁かれ、腕に力が込められます。
けれど、どきっとする余裕なんてありませんでした。
……人外です。
核を止めた瞬間に斬って、その次の瞬間には霊馬を制御する。
意味が分かりません。
「ありがとう、本当に助かった。だが……空中からだと、仕留めるのに二秒かかってしまうな」
違います。
一秒なんて、そんなもの誤差です。
「怪我はないか?」
「ありません」
「……怒ってるのか?」
「怒ってません」
アーヴィン様は後ろから私の顔を覗き込みました。
「怒ってる」
「怒ってませんったら! 普通に怖かっただけです!」
今さらながら、手が震えて止まりません。
騎士様たちが簡単になぎ倒されたことも。
霊馬であんな高くまで跳躍したことも。
施錠できるか分からない、ぎりぎりの時間も。
霊馬に一人だと気付いて、落馬しそうになったことも。
全部、怖かった。
でも、そんなことを言って、生半可な覚悟で来ていると思われるのは嫌でした。
騎士様たちはまだ戦っています。
負傷者を助けるために救護班も動いています。
魔獣の咆哮も断続的に聞こえてきます。
まだ、やることはたくさんあります。
「すみません。次の魔獣を見ます」
そう言って顔を上げようとしたところで、アーヴィン様の腕の力が、ほんの少しだけ強くなりました。
止められると思いました。
怖いなら下がれ、と言われるかもしれないと思いました。
けれどアーヴィン様は、私を下ろすでも、退かせるでもなく、低く言いました。
「導師殿の判断に従う。だが、無理だと思ったら即座に言え」
「はい」
怖くないわけではありません。
手はまだ震えています。
でも、私はここにいていいのだと。
そう言われた気がしました。
けれど、その時の私は、大森林の恐ろしさをまだ分かっていなかったのです。




