第14話 恋人の日は心臓に悪いです②
その後も、私は魔獣の核への施錠を試みました。
結果は、五種類で成功。
三種類は要改善。
研究者としては大収穫ですが、寿命が三年ほど縮んだ気がします。
お昼過ぎ、騎士団は帰還の準備を始めました。
大森林の中は日没を待たずに暗くなりますので、日が傾き出したらすぐに森を抜けるのだそうです。
「離脱する!」
アーヴィン様の一言で、騎士団が動き始めました。
その時、背後でかさりと音が鳴りました。
森の奥、倒木の陰から現れたのは、小型の魔獣でした。
蜥蜴が狐の皮を被ったような、奇妙な姿をしています。額には小さな角があり、背には翼とも棘ともつかない突起がありました。
大きさだけなら、先ほどの変異種とは比べものになりません。
それに、騎士団の間にも、緊張した様子は見られません。
けれど……なぜでしょう。
ふと、違和感を覚えたのです。
そこできちんと魔力視で確認すればよかったのかもしれません。
けれど私はそれを怠りました。
私は魔獣に杖を向け、解析と固定、施錠を行いました。
それは、成功したのです。
近くにいた騎士様が、動きの止まった魔獣の核に剣を振り下ろしました。
核が壊れて、靄が霧散していきます。
それなのに、嫌な予感がしました。
私は魔力視を展開しました。
壊れた核の中に、もう一つの核。
さっきの違和感の正体はこれだったのです。
本能的に感じていたのに、軽視してしまった。
そして次の瞬間──
新たな核から、何かが鋭い刃のように伸びて、私の腕を斬り裂きました。
「リーリア!!」
アーヴィン様が、反動で落馬しそうになった私の体を支えてくれました。
私はうかつにも、固定の術式を解いていませんでした。
その術式を伝って、魔力が逆流してきたのです。
悲鳴をあげたつもりが、声になりませんでした。
腕が熱くて、血を流しながらどくどくと脈打ちます。
「医療班!」
聞いたことのないほど鋭い声が、大森林に響きました。
「導師殿を後退させる。カイル、護衛につけ。第二班、前へ!」
「了解!」
周囲が一気に動きます。
私はアーヴィン様の腕の中で、必死に息を吸いました。
痛い。
熱い。
怖い。
でも、それよりも悔しかったのです。
違和感は、確かにあった。
なのに私は、確認を怠った。
「……二重核」
「話すな」
「外殻が壊れた後に、内側の核が起動しました。固定術式を逆流して……」
「リーリア」
名前を呼ばれました。
低く、強い声でした。
「話すな。今は治療が先だ」
叱られたのだと分かりました。
けれど、それ以上に、彼の声が少しだけ震えていた気がして、私は言葉を失いました。
医療班の簡易魔法で止血され、包帯をきつく巻かれました。それでも、まだ血が滲み出してきます。
霊馬に揺られながら、私はさっきの魔獣について考えていました。
「解析陣は核の一つしか解析しませんでした。でも、魔力は微量ながら二種類感じられたんです。ですので……」
「リーリア」
低く、遮られました。
「頼むから、今は休んでくれ」
「……はい」
息が苦しく、意識が朦朧としてきました。
私を支える腕に力が込められます。
その時、ふと、違和感を覚えました。
アーヴィン様の魔力と、これは──。
けれどそれを捉える前に、私は意識を失いました。
*
次に意識を取り戻したのは、隊舎のベッドでした。
夕闇に沈みかけた暗い天井と、魔法薬の匂い。
窓からは、黒い山の端を染める残照が、オレンジ色に輝く様子が見えました。
自分の部屋ではありません。
医務室でしょうか。
「気がついたか」
横を見ると、アーヴィン様がいました。
暗くて、どんな表情なのかは、よく分かりません。
けれど、とても優しい声でした。
「痛むところはないか?」
私はそろそろと腕を動かしました。
痛みも違和感もありません。
常駐医さんの治癒魔法、すごいです。
けれど失った血はすぐには戻らないようで、少しぼんやりしています。
「血が、なかなか止まらなかった。魔獣による傷とは性質が違うと、医者が……」
少しの沈黙の後、アーヴィン様は続けました。
「すまない。俺がついていながら、君に怪我を負わせてしまった」
低く沈んだ声が、何かを押し殺すように聞こえました。
「いえ、私が判断を誤っただけなので……」
「違う」
短く、遮られました。
「俺は、君を守ると言った」
「でも、私は自分の判断で術式を使いました。違和感があったのに、確認を怠ったんです。あれは私の失敗です」
言葉にすると、胸の奥がぎゅっと痛みました。
二重核。
外殻が壊れた後に起動する内側の核。
固定術式を逆流する魔力。
見えていたかもしれないものを、私は見なかった。
「次は、必ず確認します」
そう言うと、アーヴィン様はしばらく黙りました。
「次」
低い声でした。
「また前に出るつもりか」
「必要なら」
「リーリア」
名前を呼ばれました。
優しい声ではありません。
けれど、怒っている声でもありませんでした。
「もう、前線には出ないでくれ」
私は、すぐには答えられませんでした。
そんなことを言われるとは、露ほども思っていなかったのです。
私の施錠魔法は、聖女様の負担を減らし、騎士様たちにとっても役立つものだと、そう言ってくれたではありませんか。
たった一度の失敗で、全部なかったことにされるのは、嫌です。
「……でも、施錠魔法の実験をしなくては」
アーヴィン様は、私の手をぎゅっと握りました。
「分かっている。隊長としてはこんなことを言うべきではない。だが、君を失うことになったらと思うと……!」
彼は躊躇うように言葉を切ると、そっと続けました。
「どうしても……怖くなった」
怖い?
竜を殺せる騎士様が?
私は彼を安心させるように、小さく笑いました。
「私はアーヴィン様みたいに強くありませんが、腕の怪我くらいでは、死にませんよ」
けれど、彼はわずかに手の力を強め、訴えるような瞳で私を見ました。
「今回は腕だった。だが次は? 俺がまた君を守れなかったら?」
そして、喉の奥から言葉を絞り出すように、静かに言いました。
「俺は、君を失いたくない。俺にとって、君は大切な人なんだ」
──大切。
どういう意味でしょうか。
いえ、分かっています。
施錠術式の運用に必要、という意味です。
導師として大切、という意味です。
ここで別の意味を探してはいけません。
私は、少しだけ笑おうとしました。
「弟子に心配されるなんて、導師失格ですね」
そう答えると、アーヴィン様は目を伏せました。
暗くて表情は分かりません。
でも、なぜかその沈黙が痛みました。
「……俺は、君にとって、ただの弟子にすぎないのか?」
またです。
ただの師匠。
ただの弟子。
「ただの弟子じゃありません。立派な弟子です」
「そうではなく……!」
少し苛立った声でした。
「君は、鈍いと言われたことはないか」
心外です。
鈍いどころか、むしろ敏感すぎて困っているのです。火のないところに煙を立てては燻されて、毎回のように師匠にバカにされてきました。
最近ようやく、親切を好意だと変換しない術を身につけたばかりです。
「いえ。私は鈍くありません」
「だったら、分かっていて誤魔化しているのか?」
「……意味がわかりません」
「……っ!」
アーヴィン様は小さく息をのむと、わずかに身を乗り出しました。
「弟子ではなく、一人の男として見てくれと言っている」
その切実な声音に、また頭が真っ白になりました。
真っ直ぐな言葉です。
数年前の私なら、素直に受け取れていたでしょう。今だって、すごく嬉しいはずなんです。
でも、彼の言葉が嘘ではないと、どう判断すればいいんですか?
沈黙が落ちました。
こんな時間、早く終わればいい。
早く諦めて立ち去ってほしい。
でも、彼は私の手を強く握りました。
「答えてくれ、リーリア。もう曖昧なままではいたくない」
そう言われても、受け入れることも、拒絶することもできません。
アーヴィン様のことは好きです。
でも、それは彼が優しいからでは?
その優しさは私を利用するためでは?
これ以上好きになって、私の利用価値がなくなったら?
そうなったら、私の想いは行き場を失ってしまいます。
「リーリア」
「もう、やめてください」
声が震えました。
アーヴィン様の手の力が、躊躇うように緩みます。
私は期待しました。
前のように、すまないと謝って諦めてくれることを。
そして、この手を離して出ていってくれることを。
自分で何も判断できない私は、そんな卑怯なことを考えるしかなかったのです。
けれど、彼は再び強く手を握りました。
「リーリア。君が怪我をして、俺はもう誤魔化せなくなった」
真剣な声でした。
「出立前は諦めたが、今回は無理だ。やめてくれというのは、何をやめてくれと言っている? 弟子としてしか見られないというのなら、はっきりとそう言ってくれ。曖昧な関係でいるのは、本当に、もう無理なんだ」
彼は握った手にすがるように、自分の額をつけました。
弟子としてしか見られない。
そう言えば、終わるのかもしれません。
アーヴィン様はきっと傷つくでしょう。
それでも、私の手を離してくれるでしょう。
言えばいい。
言ってしまえばいい。
なのに、どうしても言えませんでした。
嘘を吐くことは、できなかったのです。
「……違います」
声が、震えました。
「違うんです」
アーヴィン様の灰色の瞳が、まっすぐに私を見ています。
逃げたい。
逃げられない。
逃げたくない。
自分の気持ちが、よく分かりませんでした。
「……怖いんです」
やっと出た声は、自分でも驚くほど小さなものでした。
アーヴィン様が息を止めた気配がしました。
「私は、すぐ勘違いします。優しくされると、すぐその気になります。研究を褒められたら、私自身を見てもらえたような気になります」
羽ペン。
持ち出し禁止の魔導箱。
師匠に首根っこを掴まれた日。
思い出したくもない黒歴史が、胸の奥で鈍く疼きました。
「だから、間違えたくないんです。アーヴィン様のことを、都合よく受け取って、勝手に舞い上がって、あとで違いましたってなるのが……怖いんです」
アーヴィン様は、長い間黙っていました。
その沈黙が怖くて、私は視線を伏せます。
やっぱり、言うべきではありませんでした。
面倒な女だと思われたかもしれません。
これだから恋愛慣れしていない女は、と呆れられたかもしれません。
けれど、アーヴィン様は手を離しませんでした。
「俺は」
少しの躊躇いの後、困惑したような声が落ちます。
「だいぶ分かりやすいと思うんだが……」
「え?」
彼は苦笑しました。
「カイルには、独占欲が漏れすぎだと諌められたし、ナヴィード先生には、重いと笑われた」
「師匠に?」
悔しいけれど、ほんの少し、心が軽くなった自分に気付きました。
そんな私の様子を見て、アーヴィン様は小さく笑いました。
「俺が手を繋いだり、君と一緒にいたいと言うより、ナヴィード先生の評価を信用するのか? 少し妬けるな」
私は、思わずくすりと笑いました。
「……師匠は、あんな人ですけれど、人を見る目は確かですから」
「やっぱり、妬けるな」
アーヴィン様は、私の手を握ったまま、静かに続けました。
「君が俺の言葉をすぐに信じられないことは分かった」
「……はい」
「なら、すぐに信じてくれとは言わない」
その声は、さっきより少しだけ穏やかでした。
「だが、君に信じてもらえるように、努力することは許して欲しい」
胸が、ぎゅっとなりました。
どうして、こんな私にここまで言ってくれるのでしょう。
「俺は、弟子として君の手を握るし、隊長として君を頼るし、男として君を口説く。それで、構わないか?」
はい、と返事をしようとして、はたと気付きました。
……口説く?
「そ、それはやめてください! 心臓がもちませんから!」
「大丈夫だ。分かりやすいだけで、上手くはない」
「そういう問題じゃありません!」
彼は、握った手にもう一度だけ力を込め、するりと指を絡めてきました。
「俺は、君が欲しい」
「……っ!」
ダメです。
恥ずかしすぎて死ぬかもしれません。
腕の怪我では死にませんが、これは死ねます。
顔が熱くて、羞恥で涙が出そうです。
未だかつて、こんなにも部屋の暗さに感謝したことはありません。今の姿を見られたら、やっぱり死んでしまいますので。
「ところで、リーリア」
「……はい」
「恋人の日はあと六時間ほどあるんだが」
「……そうですね」
「一緒に過ごしてくれるか?」
お願いの形をとっていますが、絡められた指に力が込められました。
逃げられません。
いえ、逃げませんが。
私は無言で頷きました。
声を出したら、裏返る自信がありました。




