↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/28

第15話 恋人の日は心臓に悪いです③

「医者は、目覚めたら部屋に戻っていいと言っていた。俺の部屋と君の部屋、どっちがいい?」


 ……部屋。


 いやいやいやいや!

 それはダメです!!


 何かされるとは思いませんが、この雰囲気で部屋に行くのはまずいです!いや、何もされないなら行ってもいい……のでしょうか?

 いや!

 万一ということもあります。

 そうなったら、流される自信しかありません。


 固まっていると、アーヴィン様は困ったように笑いました。


「そんなに警戒しなくても何もしない……と言いたいところだが、正直、俺も自信がない」


 ないんですか?!


「しょ、食堂はどうでしょう」


「他の騎士の前で口説くのか?」


「口説かないでください」


 人目がなくて安全なところ……。


「中庭はどうでしょう」


「中庭?」


「少し、風に当たりたいです。医務室の匂いが……」


 それに、暗いところでないと、赤い顔がバレてしまいます。


 アーヴィン様は、少し考えてから言いました。


「抱いていこうか?」


「……歩けます」


「そうか……」


 ……ちょっと残念そうに言わないでください。


 それから私は一度部屋に帰りました。

 魔法使いのローブに着替え、クッキーを持って中庭へ行くと、アーヴィン様が紅茶を淹れてくれました。野営用の保温魔導具から、ごつい保温カップに。


 紅茶を注ぐ手元を見ていると、彼は苦笑を浮かべました。


「こんなものしかなくて、すまない。大聖女様に勧められて紅茶を買ったものの、器にまで気が回らなかった」


 ふふ。アーヴィン様らしいです。


 ……って、待って。

 大聖女様に勧められて?

 紅茶を?


 そうでした。

 大聖女様という存在がいたのでした。

 つまり私は手の届かない女性の代わり……?


「どうした?」


「いえ! 何も」


 聞いてみましょうか。


 大聖女様は、あなたにとってどんな存在なんですか。

 彼女と過ごせないから、私と一緒にいるんですか。


 ……いや、無理。

 聞けません。


 ちょっと口説かれたからって彼女面するとか、勘違いにもほどがあります。


 もしかして、アーヴィン様は口説くのが礼儀の文化圏で育った人かもしれません。

 挨拶代わりに「君が欲しい」と言う文化圏。

 ありますか、そんな文化圏。


 ……ない気がします。


 でも、油断は禁物です。

 警戒を怠ってはいけません、リーリア。


 私は気持ちを落ち着けようと、紅茶を一口飲み、目を見開きました。


 香り付けはされていないのに、紅茶本来の香りが立って、角のない柔らかさが静かに喉へ落ちていきます。

 そして一滴の雑味もなく、ただ上質な余韻が残りました。


 私が朝に飲んでいる、薄い紅茶とは訳が違います。


 さすが大聖女様の選んだ品です。

 こんなところでも負けました。


 でも、美味しい……。

 しばらくうっとりしていると、アーヴィン様に訊かれました。


「紅茶、口に合うか?」


「はい! すごく美味しいです」


 私があまりに笑顔だったのでしょう。

 彼は少し面食らったように瞬いた後、微笑みました。


「よかった。君と飲みたかった」


「……っ」


 飲みかけた紅茶を、吹き出すかと思いました。


「く、クッキー、どうぞ」


 誤魔化すように差し出しましたが、彼は気にした様子もありません。

 やはり口説く文化圏出身では?


 包み紙を外し、箱を開けると、彼は錠前型クッキーを一枚とって笑いました。


「鍵穴の形にジャムが塗ってある」


「はい。大聖女様に対抗しました」


 言ってから、しまったと思いました。


 アーヴィン様が首を傾げます。


「対抗?」


「忘れてください」


「なぜ大聖女様に?」


「本当に忘れてください」


 アーヴィン様は、小さく笑ってクッキーを食べました。


 サクッ、と音がします。


「美味い」


 その一言で、胸の奥がじんわり温かくなりました。


 紅茶は高級で。

 カップはごつくて。

 私のクッキーは少し不格好で。

 怪我をした腕は、まだ少し重い。


 それでも、恋人の日の夜は、思っていたよりずっと静かで、温かいものでした。


「ありがとう、リーリア」


 アーヴィン様の手が、頬にそっと触れました。


 大きくて、温かな手。


 心臓がひっくり返るかと思いました。


「リーリア」


 その甘い声は反則です。

 口説くというのは、口で説くものです。

 頬に触れたり、声で示すものではありません。

 ましてやそんなふうに顔を近づけるものではありません。


「いや、あの、その、ですね……」


 情けない声しか出ませんでした。

 拒絶するべきなのは分かっています。

 でも、私の手は、軽く押し返すように彼の胸に当てられただけでした。


 その時。


 大森林での違和感がよみがえりました。


 アーヴィン様の胸元。

 奥で脈打つ、核。

 あの時、意識を失う直前に見えかけた、彼自身のものではない魔力。


 私ははっとして、彼の胸に当てた手へ意識を集中させました。


「……アーヴィン様」


「リーリア?」


「少し、待ってください」


 声が震えていました。


 今度は照れではありません。

 恐怖でもありません。


 もっと別の、研究者としての直感です。


 アーヴィン様は、すぐに体を離しました。


「どうした」


 その声は、もう甘くありません。

 隊長の声です。


 切り替えが早すぎます。

 助かります。

 でも少しだけ惜しいと思ってしまった私は、たぶん末期です。


 いえ、今はそれどころではありません。


 私は魔力視を開きました。


 魔力門は、戦闘後の乱れを残しているものの、壊れてはいません。

 問題はその奥です。


 深く沈められた、大きすぎる核。

 その周囲に、アーヴィン様自身の魔力とは違うものが、薄く絡んでいました。


 黒い靄の名残。

 大森林で見た魔獣の魔力に、とてもよく似ています。


「……魔獣の魔力?」


 思わず呟くと、アーヴィン様の表情が険しくなりました。


 以前、アーヴィン様は箱庭結界の聖力について、外から取り込んでいる、と言いました。


 アーヴィン様の中にはないはずの力を、外から借りているのだと。


 でも。


 魔力まで。

 それも、魔獣由来の乱れた魔力まで、取り込んでしまうのですか。


「アーヴィン様、何か自覚はありますか?」


「……いや、特には」


 けれど、私には分かりました。

 この人は、少しの痛みなど我慢してしまうのです。


「大森林で、魔獣の魔力に触れた感覚は?」


「……戦闘中は、周囲の魔力が濃いとは感じた」


「取り込んだ感覚は?」


「分からない」


 分からない。


 その言葉が、妙に怖く聞こえました。


 普通の魔法使いは、自分の魔力を扱います。

 聖女様は、自分の中に宿る聖力を扱います。


 外にある力を、その場で取り込んで、自分の術として扱う。

 まして、魔獣由来の魔力まで、体内に引き込む。


 そんなこと、普通はできません。


 できるとしたら、それは──


 私はそこで思考に錠を掛けました。


 勝手に結論を出してはいけません。

 でも、見なかったことにもできません。


「アーヴィン様。先日、聖女様にお願いした資料の閲覧許可はまだ下りないでしょうか」


「こちらにはまだ何も連絡はないが……」


 アーヴィン様はそう言って、少し考えるように宙を見ました。


「大聖女様に直接お会いした方が早いかもしれない」


 大聖女様に。


 お会いする。


 心臓がどきりと跳ねました。


「何を調べる」


 私は彼の胸元に手を当てたまま、ゆっくり息を吸いました。


「あなたに掛けられていた錠と、それを掛けた人について何か分かれば……」


 アーヴィン様の目が、わずかに揺れました。


「今の技術では、外から入ってくる魔力を防ぐことはできません。そもそも想定外です。最初の錠が何を守ろうとしていたのか、そこから調べる必要があります」


 沈黙が落ちました。


 さっきまで、頬に触れられて、顔を近づけられて、心臓がどうにかなりそうだったはずなのに。


 今、私たちの間にあるのは、紅茶でもクッキーでもなく、アーヴィン様の胸の奥にある見えない錠でした。


 恋人の日の夜に、何をしているのでしょう。


 でも、これは私が見なければならないものです。

 私は彼の導師で、鍵の研究者なのですから。







  


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。