第16話 いざ神殿へ。弟子が馬車でも口説いてきます。
翌朝、私はアーヴィン様と神殿へ向かうことになりました。
お医者様には、安静にするよう言われています。アーヴィン様にも、今日は休めと言われました。
ですが、休んでいる場合ではありません。
アーヴィン様の核に絡んでいた、魔獣由来の魔力。
それを見てしまった以上、何もせず寝ている方が体に悪いです。
……と、私は主張したのですが、アーヴィン様にはものすごく渋い顔をされました。
「俺のことはいい。君が心配だ」
直球です。
思わずどきりとしましたが、そんなことを考えている場合ではありません。
「でも、私はあなたが心配なんです。腕の怪我ならもう大丈夫です。常駐医様の治癒魔法で、すっかり元通りですから」
アーヴィン様はまだ何か言いたそうでしたが、言葉の代わりに息を吐きました。
「分かった。体がつらくなったらすぐに言ってくれ」
そうして、今、私たちは霊馬の牽く馬車に揺られています。
馬車の中は静かでした。
揺れもほとんどありません。
普通の馬車と違って、霊馬の魔力が車輪に巡らされているからだそうです。
そんな中、私は錠や鍵の研究論文と魔獣核についての資料を読み、彼は騎士団の仕事を片付けていました。
「その論文は」
ふいにアーヴィン様が口を開きました。
「魔獣核と動物核の類似性についての古い論文です。何か見落としがないかと思いまして」
「前にも言っていたな。父君の名前が載っていると」
「はい。共同研究者の欄に、父の名前がありました」
私は論文の端をそっと撫でました。
内容より先に、父の名前に嬉しくなって読み進めた論文です。
研究者としては褒められた読み方ではありませんが、娘としては仕方ありません。
「アーヴィン様のご両親は……」
そこで、私は言葉を止めました。
聞いていいことか、分からなかったのです。
アーヴィン様は、書類から顔を上げました。
「俺は、両親のことを何も知らない」
「……何も?」
「ああ。生死すら、知らないんだ。幼い頃、一緒に過ごした朧げな記憶はあるんだが、顔も、声も、何も覚えていない。気付いた時には、神殿にいた。クラウスという姓も神殿から授けられたものだ」
胸の奥が、きゅっとしました。
「だが、不幸だったわけではない」
私が何か言う前に、アーヴィン様は続けました。
「神殿ではよくしてもらった。神官様、聖女様、それから聖騎士たちも可愛がってくれた」
それは、きっとそうなのでしょう。
でも、寂しくなかったはずがありません。
私も両親を失ってから、師匠にも魔法学院の皆さんにもよくしてもらいましたが、寂しくなかったといえば嘘になります。
「リーリア。そんな顔をしないでくれ」
すっと手が伸ばされ、私の手に重ねられました。
「哀れに思うなら、慰めてくれてもいいんだが」
銀灰色の瞳がいたずらっぽく細められます。
「神殿まで二人きりだ」
「……っ!」
頬が熱くなりました。
……この人は……!!
隙あらば口説いてくるのですから、有言実行にもほどがあります。
「い、今、私は導師として話していたのですが……!」
「なら導師殿」
アーヴィン様は席を立ち、私の横に腰掛けました。そして顔を寄せ、耳元で声を落としました。
「可愛い弟子を、慰めてくれないか」
……助けてください。
処理落ちしそうです。
「な、慰め方がわかりませんので……」
こっそりと身を引くと、また詰められました。
「君がご両親を失って寂しい時、ナヴィード先生に何と言われた?」
……師匠に?
うーん。確か……。
「寂しくなったらいつでも部屋に来い。抱っこしてやる……でしたかね?」
実際、二回ほど行きました。
抱っこしてもらいました。
黒歴史です。
「俺も、それがいい」
……それがいい。
「いやいやいやいや、よくありませんよ?!」
「なぜ」
「なぜって、物理的に無理です」
そして私の心臓が死にます。
「抱きしめてくれるだけでも……」
「それもダメです!」
「ナヴィード先生は、君を抱きしめて頭を撫でてやったと言っていた」
「それ、七歳の時ですから!」
って、あの師匠!
アーヴィン様に何を吹き込んでるんですか!
「……師匠とずいぶん仲良くなったんですね」
「ああ。魔法もいくつか教わった」
魔法も?
あの師匠が?
「ちなみに、何を……?」
恐る恐る訊くと、アーヴィン様はこともなげに言いました。
「転移魔法だ」
…………。
……は?
「もちろん、まだ使えないが、術式と座標の合わせ方は教わった」
私はしばらく口がきけませんでした。
転移魔法。
それは、特級魔法使いだけが扱えるとされる、魔法体系の最奥に近い術です。
座標を読み、空間を折り、魔力の流路を一瞬だけ繋ぐ。
理論は学びます。
試験にも出ます。
でも、普通は使えません。
少なくとも、五級魔法使いになったばかりの弟子が、馬車の中で「術式と座標の合わせ方は教わった」と言うものではありません。
「師匠……どういうことです?」
私は虚空を睨みつけました。
今すぐ首根っこを掴んで、洗いざらい吐かせたいです。
あの人は無駄なことはしません。
つまり、何か思惑があって教えたに違いないのです。
「……人には言うなと、ナヴィード先生に言われたんだが……」
アーヴィン様は、内緒話をするように私の耳元へ唇を寄せました。
「廊下の端から端までの転移には成功したんだ。褒めてくれ、導師殿」
その言葉に、息が止まるかと思いました。
転移魔法を。
成功させた?
アーヴィン様は、嬉しそうです。
けれどそれは、はじめて小さな火球を作った子どもと同じでした。
誰でもできる魔法を成功させたような、軽やかさ。
……人外です。
私が褒めずに、じっと見ていると、彼は少し拗ねたように眉を下げました。
……弟子が可愛い。
その時、馬車の速度がゆるやかに落ちました。
窓の外に、白い尖塔が見えます。
神殿です。
最初の錠。
アーヴィン様の知らない両親。
そして、師匠が黙っていること。
調べなければならないことが、また一つ増えました。
私は膝の上の資料を握りしめ、小さく息を吐きました。
*
神殿は、思っていたよりも開かれた場所でした。
白い石造りの門。
朝の光を受けて淡く輝く尖塔。
祈りに訪れる人々の声と、香の匂い。
もっと近寄りがたい場所だと思っていたのですが、門の内側では神官様たちが忙しなく行き交い、掃除をする見習いの子どもが水桶を抱えて走っていました。魔法学院とあまり変わりません。
「あら、アーヴィンじゃない」
最初に声を掛けてきたのは、年配の聖女様でした。
「ご無沙汰しています、マリア様」
「ほんとうにそうよ。あなた、いつも連絡しないで来るんだから。この前は会えなくて残念だったわ。怪我はしていない? ちゃんと食べてる?」
「食べています」
「嘘おっしゃい。あなた、忙しいと携帯食だけで済ませるでしょう」
アーヴィン様は困ったように眉を下げ、黙りました。
聖女様は、そこでようやく私に気づきました。
「そちらの可愛らしい方は?」
「リーリア・リーリエ殿です。俺の導師で、魔法学院の研究者です」
「まあ」
聖女様の目が、ぱっと輝きました。
「アーヴィンが女の子を連れてきたわ!」
その声に、神官様や聖女様がわらわらと集まってきました。皆さん、お年を召した方々です。若い人たちは少し離れたところでこちらを見ています。
「あらまあ、可愛らしいこと」
「アーヴィン、お前ようやく身を固める気になったのか」
「結婚式は神殿でやるのよね?」
「あの可愛かった男の子がもう結婚とはな」
「どこで出会ったの?」
矢継ぎ早に質問されて、口を挟む隙もありません。
……って、結婚式ってなんですか!
「あら、いけない。大聖女様にお知らせしなきゃ」
「マリア様」
「大丈夫よ、分かっているわ。導師様ね、導師様。うふふ」
絶対に分かっていません。
聖女様たちは、なんだかうきうきとした足取りで、奥へ行ってしまいました。
「……アーヴィン様、いつもこうなんですか」
「ああ。昔から世話になっている方々だ。遠慮がない」
「なんだか親戚の集まりみたいですね」
「神殿はそういう場所だった」
そう言ったアーヴィン様の声は、少しだけ柔らかくて、「不幸ではなかった」という言葉は、嘘ではなかったのだと安心しました。
それから、ぽつりと一言。
「ここで結婚式か……」
私は聞こえなかったふりをしました。
けれど、私の弟子は、そんなこと気にせず斬り込んでくる人間です。
「どう思う? リーリア」
私は、うっと言葉に詰まりました。
い、一般論です。
これは一般論を求められているのです。
「えっと……人気ですよね、神殿結婚式……」
アーヴィン様は不思議そうに私を見ます。
「君は、どう思うんだ?」
逃してもらえませんでした。
「えっと、その……いい……と思います……けど」
「そうか」
アーヴィン様は神殿を見回し、納得したように、ひとつ頷きました。
……何に納得したんですか。
聞きたいような、聞きたくないような。
心臓に悪いです。
この弟子は。




