第17話 竜核
それから私たちは、先日隊舎でお会いした聖女様に案内されて、資料室へ向かいました。
「これが、アーヴィン様の開錠を試みた際の資料となっております」
指を揃えた美しい所作で、聖女様は資料を渡してくれました。
掛けられていた錠がどんなものなのか。
どんな聖術で開錠を試みたのか。
その時のアーヴィン様の反応はどうだったのか。
それはとても細やかなものでした。
けれど、研究者の記録ではないため、欲しい情報が載っていません。
錠の色や形は分かるのですが、それがどのような術式で掛けられたのかが分かりません。
どんな聖術を使ったのかを見ても、その聖術のどこに反応があったのか、比較検証がされていないため、分かりません。
ただ、神殿の方たちがアーヴィン様を救いたいと思っていたことは、ひしひしと伝わってきました。
「愛されてたんですね、神殿の皆様に」
別の資料を見ていたアーヴィン様は、視線を上げて苦笑しました。
「その資料を読んだ感想が、それなのか?」
「はい。分かったことは、やはり錠を掛けたのは魔法使いで、錠に精通しているのに、何も発表していない人間、ということくらいでしょうか」
ふとアーヴィン様の手元に目をやると、彼は聖騎士団の討伐記録を見ているようでした。
「それ、アーヴィン様が竜を倒したことも載ってるんですか?」
そう言うと、彼は困ったように眉を下げて笑いました。
「倒してないよ。竜が逃げたんだ」
……逃げた?
「だから、世間で言われるような、すごいことは何もしていない」
「でも、戦って逃げたのなら、アーヴィン様の勝利ですよね?」
「いや、うまく言えないんだが……核に剣を当てた瞬間、竜が正気に戻ったように見えたな」
「正気に?」
……それ、ものすごく重大な発言では?
私は思わず身を乗り出しました。
「アーヴィン様。その時、竜の核は見えていましたか?」
「見えていた」
「核の外側に、何か絡んでいるようなものは?」
アーヴィン様は少しだけ目を細めました。
「……あった。黒い靄のようなものが、竜の核に巻きついていた」
やっぱり。
私は先日の魔獣核を思い出しました。
二重の核。
外側の靄。
固定術式を逆流した魔力。
「もしかして、その竜は二重核だったのでは?」
そう呟くと、アーヴィン様は腕を組んで考え込んでしまいました。
「二重核というのは、先日まで聞いたこともなかったんだが……。確かに核を斬った感覚はあったんだ。だが、斬っていたら、あの竜は絶命していたはずだ」
「たぶん、アーヴィン様は外側の核を斬って、竜の核に絡みついていた外部魔力を断ち切ったんです。だから竜は正気に返った……」
言いながら、胸の奥がどきどきしていました。
これは仮説です。
まだ証明はできません。
でも、私の中で、ばらばらだったものが少しずつ繋がっていきます。
大森林で見た魔獣の二重核。
アーヴィン様の核に絡んでいた、魔獣由来の魔力。
箱庭結界を作るために、外から力を取り込んでいたこと。
そして、竜が正気に戻ったという討伐記録。
「二重核というのは、外から来る魔力を取り込むことによって形成されるのかもしれません」
けれど、さっきアーヴィン様も言っていた通り、二重核を持つ魔獣なんて聞いたこともありません。あれは、変異種だったのでしょうか。
「……君を攻撃した個体なんだが」
アーヴィン様は少し躊躇うように口を開きました。
「あの後、他を攻撃することなく、逃げたとの報告があった。追いかけた騎士の証言では、体の黒い靄が晴れて現れた姿は、竜の幼体に見えた、と」
「竜の、幼体……」
喉が乾きました。
魔獣ではなかった。
少なくとも、完全な魔獣ではなかった。
私が施錠したのは、魔獣核ではなく、竜核の外側に形成された疑似核だったのかもしれません。
そして、その外側の核を壊したことで、内側の竜核が目覚めた。
だから、あの刃は──
「……防衛反応」
思わず呟くと、アーヴィン様がこちらを見ました。
「私を攻撃したのではなく、外側の核を壊された竜核が、反射的に術式を辿って反撃したのかもしれません」
アーヴィン様は、手元の資料を見下ろしました。
「俺が昔相対した竜も、同じだったのかもしれないな」
「はい。外側に絡みついた魔力を斬った。だから竜は正気に戻って逃げた」
竜殺し。
そう呼ばれている人の剣は、もしかすると、竜を殺すためのものではなかったのかもしれません。
絡みついたものを斬るための剣。
正気に戻すための剣。
「アーヴィン様」
一拍の後、私は迷いを振り切るように言葉を継ぎました。
「あなたの中にあるものは、竜核……もしくはそれに類似したものではないでしょうか」
変なことを言っているのは、重々承知の上です。
でも、そう考えれば、彼が聖力や魔力を取り込むことの説明がつきます。
「あなたの核が外から魔力を取り込み、外側に疑似核を形成する恐れがあるなら、魔力門だけでは不十分です。もちろん、前のように核を閉じ込めるわけにもいきません」
閉じ込めるのではなく。
壊すのでもなく。
外から来る魔力が、深く結びつく前に止める。
……そんなことが私にできるんだろうか。
「リーリア」
はっと、顔を上げると、アーヴィン様が真剣な目でこちらを見ていました。
「もし、俺に二重核が形成されそうになったら、最初に掛けられていた錠で核ごと封じてくれ」
「だめです」
反射で答えていました。
「それだけは、だめです。また苦しい思いをすることになります」
「だが、」
「だが、じゃありません」
私は強く言葉を被せました。
けれど、彼も譲りませんでした。
「リーリア、これは個人の問題ではない。討伐隊を率いる以上、魔獣の靄に触れる機会は多い。それを取り込み、竜のような災厄に転じるのかは分からないが、危険を内包していることには変わりない。ならば封じることが一番の安全策だろう」
「だめです」
「リーリア」
「何と言われてもだめです。私は、魔力門と錠を組み合わせて、痛くも苦しくもない、優しい術式を目指しているんです。小さな子も動物も、痛いって上手に言えません。だから、先回りして防ぐんです。あなたもそうですよ、アーヴィン様。痛みを我慢して弱みを見せない、野生動物と同じです」
「……野生動物」
「はい。それに師匠に助けてって言えない、反抗期の弟子みたいです」
「……反抗期」
「はい。可愛い弟子の痛みを取り除くのも、導師の役目です。少しは私を信用してください。私は、あなたの導師なんですから」
最後は自分に言い聞かせるようでした。
できるだろうか、ではありません。
やるんです。
そうでなければ、この人はまた、あの苦しみを自分から引き受けてしまう。
安全のためだと言って。
誰かのためだと言って。
「竜核に関する資料はありますか?」
そう尋ねると、アーヴィン様は聖女様に視線を送りました。
彼女は、困ったように目を伏せました。
「通常の資料室にはございません」
「では、どこに?」
「神官長様か、大聖女様の許可が必要です」
でました。
大聖女様です。
アーヴィン様に掛けられていた錠についても、竜核についても、これ以上のことを調べるには、大聖女様にお会いしないことには始まりません。
その時、聖女マリア様が資料室へやって来ました。
「アーヴィン、リーリアちゃん。大聖女様にお会いできますよ。こちらへいらっしゃい」
きました。
ついにこの時がきてしまいました。
女神の寵愛を一身に受けた、最高峰の聖女様。
美味しいクッキーが焼けて、紅茶を選ぶセンスも素晴らしく、アーヴィン様を笑顔にさせる、儚げ美少女──。
ちらりとアーヴィン様の横顔を窺うと、とても嬉しそうに目を輝かせていました。
……私が欲しいんじゃなかったんですか?
厚かましいことに、ちょっとムッとしてしまいました。
やっぱり、私は二番手なのでは?
いえ、もしかしたら三番手、四番手かも……。
そんなふうに疑心暗鬼になりながらも、マリア様とアーヴィン様の後について、廊下を奥へ奥へと進んでいきました。
心臓が高鳴り、足がふわふわとします。
会いたいような、会いたくないような。
目を瞑りたいような、打ちのめされて目覚めたいような。
そんな不思議な気持ちです。
中庭の回廊を巡り、建物を二つほど抜けると、やがて神殿の最奥部へ辿りつきました。
聖樹の森に囲まれた白亜の聖堂は、二千年前からこの地にあるそうです。
「ここが、始まりの地と呼ばれる場所です。女神様への信仰はここから始まりました」
マリア様がそう説明してくれました。
そこはまるで、外界から切り離されたように神聖な気配に包まれていました。
淡い香が漂い、澄んだ聖力が満ちる空間。
その聖堂の一角に、大聖女様の私室がありました。
目の前には、金の装飾が施された、真っ白な扉があります。
この扉の向こうに、大聖女様がおられます。
私はごくりと喉を鳴らしました。
重たい音をたてて、扉が開かれます。




