第18話 儚げ美少女の大聖女様
窓辺に立っていたのは、光そのもののような少女でした。
腰まで流れる、淡い金の髪。
透けるような白い肌。
薄青の瞳。
美しいなんていう言葉では足りないほどの、圧倒的な存在感。
そこにいるだけで、周りを癒していくような、慈愛に満ちた聖力。
これが、女神の寵愛を受けし者──大聖女。
私は、瞬きも呼吸も忘れて彼女を見つめました。
ここがどこであるのか、自分が何をしにきたのか、そんな俗世のことはすっぽりと抜け落ち、ただ、彼女と共にありたい。
そんな思いが体を貫きました。
これはもう、生命としての次元が違います。
私は魔法使いではなく、この方にお仕えする聖騎士になるべきでした──!!
そう思った瞬間、彼女はぱっと顔を輝かせました。
「あらまあ、あなたがリーリアちゃんね!」
……ちゃん。
女神の寵愛を一身に受けた儚げ美少女が、私をちゃん付けしました。あらまあ、と仰せになりました。
大聖女様は、両手で私の手を包み込みました。
柔らかいです。いい香りです。
「まあまあ、細い手。怪我をしたんですって? だめよ、アーヴィン。女の子に怪我をさせるなんて」
「……申し訳ありません」
アーヴィン様が、素直に頭を下げました。
立派な大人が、儚げ美少女に叱られています。
「わたくし、あなたが女の子を連れてくると聞いて楽しみにしていたのよ。リーリアちゃん、もっとよく顔を見せてちょうだい。あらあらまあまあ、なんて可愛らしいのかしら。クッキー食べる?」
私は混乱しました。
見た目は儚げ美少女です。
でも、中身は完全に親戚のおばあちゃんです。
どういう存在なのでしょうか。
大聖女様とは、こういうものなのでしょうか。
勝てません。
これはこれで、まったく勝てません。
「リーリアちゃん、ナヴィードの弟子なのですってね? あの子、元気にしてる? 全然顔を見せてくれないんだもの、さみしいわ」
……あの子。
ナヴィード先生を、あの子と呼びました。
って!
「師匠のこと、ご存知なんですか……?」
「ええ。昔はよく遊びに来てたのよ。でも十五年ほど前かしら、手紙がきたの。子育てと研究が忙しいと書いていたわ。結婚したことも知らせないなんて、冷たい子よねぇ。だからリーリアちゃんとアーヴィンの結婚式は、私にやらせてね? 絶対よ」
……情報量と勘違いが多すぎます。
どこから訂正するべきでしょうか。
アーヴィン様を横目で見ると、彼も困ったようにこちらを見て、大聖女様に向き直りました。
「大聖女様、彼が子育てと言ったのは、恐らくリーリアのことかと。リーリアのご両親が亡くなった後、彼が後見人となったそうです」
「まあ、そうなの?!」
大聖女様は小さく叫ぶと、私をきゅっと抱きしめました。
「リーリアちゃん、辛かったわね、大変だったわね」
それから美しい顔を曇らせました。
「もしかして魔獣のせい? 私のせいなのかしら……」
はっとしました。
師匠は、結界崩落のことを大聖女様に伝えたくなくて、手紙だけを送ったのではないでしょうか。
「違います」
思ったより強い声が出ました。
大聖女様が、驚いたように私を見ます。
「私の両親が亡くなったことも、私が師匠に引き取られたことも、大聖女様のせいではありません」
そう言ってから、少しだけ息を吸いました。
「それに、私は不幸だったわけではありません。寂しくなかったと言えば嘘になります。でも、師匠はスープを作ってくれましたし、雷の日には寝かしつけてくれましたし、『星を食べたかった竜』も読んでくれました」
言いながら、少しだけ恥ずかしくなりました。
なぜ私は、大聖女様の前で師匠の保護者実績を並べているのでしょう。
大聖女様は、しばらく黙っていました。
それから、私の手を両手で包み直します。
「そう。ナヴィードは、ちゃんとあなたを育てたのね」
その声は、とても柔らかいものでした。
「よかった」
たった一言でした。
けれど、その一言に、長い長い時間の重さが滲んでいるような気がしました。
「ねぇ、アーヴィン」
「はい」
「あなたも、不幸だったわけではないと言ってくれるかしら」
アーヴィン様は、ほんの少しだけ目を伏せました。
「はい」
短い返事でした。
けれど、大聖女様はその一言を聞いて、泣きそうなほど嬉しそうに微笑みました。
「ふふ。でも奇遇ね。アーヴィンも『星を食べたかった竜』が大好きだったのよ。ナヴィードもあなたに読んであげてたなんて……」
そこで、ふと首を傾げました。
「でもどうしてあの子が絵本を持っていたのかしら。あれは二冊しかないのよ。あと一冊はリーリエ博士に差し上げたのに。二人はお友達だったのかしら」
──リーリエ博士。
「……父が」
声が震えました。
「ここに来ていたのですか……?」
大聖女様は、はっとしたように口元へ手を当てました。
「あなた、リーリエ博士の娘さんなの?」
「父は、エリク・リーリエといいます」
大聖女様は目を見開き、それから悲しそうに伏せました。
「そう……彼は亡くなってしまったのね」
その声には、年月の重みがありました。
……この方は、いったい今まで、何人を送ってきたんだろう。
ふと、そんなふうに思いました。
「父は、魔法学院の研究者でした。神殿と関わりがあったなんて、一度も……」
そう。
ナヴィード先生もそんなことは一言も言っていませんでした。
もし知っていて黙っていたなら、後でしめます。
けれど、彼は錠と鍵をごっちゃにするような師匠なのです。特級魔法使いですが、専門外のことには驚くほど雑ですし、父の研究について聞いていても、右から左に聞き流していたことは想像に難くありません。
まぁ、それでも何か起きたら最終的になんとかしてしまうのが、人外たる所以なのですが……。
「あなたたちは」
大聖女様がぽつりと呟きました。
「結婚の報告に来ただけではないのね」
……いや。
違います。それは違いますが、話がややこしくなりそうなので、いったん置いておきます。
「アーヴィン様に掛けられていた錠と、竜核について、ご存じのことがあれば教えていただきたいのです」
そう言うと、大聖女様の表情が変わりました。
先ほどまで、親戚のおばあちゃんのように私の手を握っていた少女が、静かに目を伏せます。
儚げな美少女。
茶目っ気のある大聖女様。
そのどちらでもない顔でした。
長い時間を生き、多くのものを守り、失い、そして多くのものを隠してきた人の顔です。
「……どこまで、知っているの?」
「アーヴィン様の中に、魔獣由来の魔力が絡んでいました。大森林で見た竜の幼体や、アーヴィン様が正気に戻した竜の様子から、聖力や魔力を外から取り込むのは、竜核の特徴ではないかと考えています」
それから、少し迷いましたが、言葉を続けました。
「アーヴィン様の中にある核が、どうして竜核に近い性質を持つのかはわかりません。人の核が竜核に変容したものなのか、竜核を移植されたものなのか、あるいは別の方法で形成されたものなのか……」
大聖女様の指が、ほんの少しだけ震えました。
「そう」
その声は、あまりにも静かでした。
「もう、隠しておけないのね」
「大聖女様」
アーヴィン様が低く呼びました。
「俺は、何を知らされていないのですか」
その問いに、大聖女様はすぐには答えませんでした。
ただ、痛ましそうに彼を見つめています。
「……あなたのお母様の願いだったの」
「母の?」
アーヴィン様の声が、わずかに掠れました。
「あなたを人として育てて欲しいと、彼女はそう願っていたのよ」
……人として。
まるで、アーヴィン様が人ではないような言い方です。
大聖女様はそっと彼の手をとりました。
「あなたは、人と竜との間に生まれた子なのよ」




