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第8話 あの夜のことは誤解です。

 初めて魔獣討伐について行った日から、騎士様たちの私を見る目が変わりました。


 具体的には、「小さい魔法使い」から「小さいけれど役に立つ魔法使い」になりました。


 ……小さいは残るんですね。


 でも皆さん何か勘違いされているようで、私を便利な鍵師か何かだと思っておられるようです。


「導師殿、机の鍵が開かなくなりました」

「ワインセラーに強固な錠を掛けたいのですが」


 それは本職に頼まれた方がよいかと。


 けれどこの情報の上書きはされないようです。

 基準が分かりません。


「どうぞ、復刻プラム味です」


 あ、携帯食はありがたくいただきます。


「導師殿」


 復刻プラム味を懐にしまったところで、カイルさんがやって来ました。


「隊長がお呼びです」


「アーヴィン様が?」


「はい。昨日の施錠術式について、討伐隊内で共有したいとのことです」


 共有。


 嫌な響きです。

 私は人前に出ることが大嫌いです。


 論文発表なんて吐きそうになります。

 素人質問で恐縮ですが〜、とか言って質問してくる特級魔法使いなんて殴ってやりたくなります。


「拒否権は」

「ありません」

「ですよね」


 後ろからそっと会議室に入ると、アーヴィン様が魔導板に描かれた陣形の説明をしているところでした。

 丸で囲った「導師」、「運用」という単語が見えたところで、イヤな予感がしました。


「昨日の討伐では、導師殿の施錠術式によって狼型魔獣の核が三秒停止した」


 アーヴィン様の声は、いつも通り落ち着いていました。


「三秒あれば、討伐隊は斬れる。少なくとも一秒あれば俺は斬れる」


 そこは強調しなくてよろしいです。


「今後、同型の魔獣が出現した場合、導師殿の施錠を起点に討伐を行う。第一班は導師殿の視界確保。第二班は対象の足止め。第三班は周辺警戒。カイル、導師殿の護衛につけ」


「了解しました」


「待ってください」


 思わず声が出ました。


 会議室中の視線が、こちらへ向きます。


 圧がすごい。

 騎士様たちの会議室の圧、すごいです。


 私はそっと一歩下がろうとしました。

 しかし、後ろにはカイルさんがいました。


 退路を絶たれました。

 これが陣形ですか。


「導師殿」


 アーヴィン様が前に来るように促します。

 私は衆目の中、渋々進みました。


「今、私が作戦の一部に組み込まれていた気がするのですが」


「組み込んでいる」


「私は研究者でして……」


「昨日の結果を見る限り、導師殿の施錠は有効だ。正式運用を検討する価値がある」


 私は深く息を吸いました。


「昨日の施錠は、たまたま条件が揃ったから成功しました。対象が一体で、核の流れが比較的読みやすく、アーヴィン様が一秒で斬るという人外行為をなさったからです」


「人外行為」


「褒めています」


「そうか」


 納得してくれました。


「とにかく、現時点では術式の発動に時間がかかります。動きの速い魔獣や複数体には対応できません。私の視界が遮られたら終わりですし、恐怖で手元が狂っても終わりです」


 会議室が静かになりました。


 私は魔導板の前に立ち、昨日記録した魔法陣を展開しました。


「狼型魔獣には効果がありました。ですが、一例を挙げますと、その奥に見えた蟲型の場合、このように異なる波形を示しています。つまり早掛けができるか、現時点では不明です。一度学院に持ち帰ってデータの解析をして、対応できると判断できれば、実戦データをとります。少なくとも正式運用はその後になります」


 私は一気に言うと、騎士様たちを見回しました。

 彼らは一様に、「……で?」という顔をしています。むしろ、そんなもん全部戦場でやればいいんじゃないかと思われている気がします。


 いや、分かります。分かりますよ?

 でも私は研究者であって、騎士ではなくてですね?怖いんです。怖いんですってば。


 ですが最終的に、私は彼らの圧に屈しました。


「ですからその……限定運用からお願いいたします。まずは選定した対象一体、視界確保、護衛つき、撤退判断は私にください」


 言ってから、気づきました。


 ……あれ?

 私、運用前提で話していますね?


 騎士様たちは、「よく分からんが、このちっこい導師がなんとかしてくれるらしい」というような雰囲気になっています。


 話、聞いてましたか?


 助けを求めてアーヴィン様を見ると、彼はわずかに目を細めました。


「分かった。導師殿の条件を採用する」


 即決されました。


「カイル」


「はい」


「導師殿の条件を追記しろ。対象は一体に限定。視界確保を最優先。導師殿が撤退と判断した場合は、護衛を伴い即時離脱させる」


「了解しました」


 待ってください。

 今、すごく正式な感じで決まりませんでしたか?


「導師殿」


 アーヴィン様が静かに私を見て、右手を差し出しました。無視するわけにもいかず、私もおずおずと手を差し出すと、力強く握られました。


「ご協力に感謝する。貴殿の施錠術式はこれからの魔獣対策の要となるだろう」


 ……貴殿。


 やめてください。

 会議室で公的に褒めないでください。

 騎士様たちまで頷いているではありませんか。


 今度は心理的に退路が絶たれてしまいました。


 そういえば外堀を埋めて、正面から刺すのが得意なんでしたね。私の弟子は。

 また、やられました。


 それから、私とアーヴィン様は連れ立って会議室を後にしました。


「では、解析は学院で行うのだな」


「はい。研究室の解析陣と、動物核の比較記録が必要です」


 よし。

 これで一度学院に戻れます。


 安全地帯です。

 大型犬に埋もれない世界です。


 そう思った瞬間、アーヴィン様が言いました。


「俺も同行する」


「……はい?」


「魔力門の調整も必要だろう。それに、導師殿の解析に、俺の魔力の記録も使えるはずだ」


 また正論です。


 私の安全地帯に、大きな弟子が侵入してくることが決定しました。


 その時、「導師殿」とカイルさんが後ろから声をかけてきました。


「新たな部屋を整えましたので、荷物をお運びいたします」


 そうでした。

 今夜からアーヴィン様の隣に移ることになったんです。


「では私も手伝おう」


 アーヴィン様までついてきました。


 幸い、荷物はほとんどケースから出していません。楽々お引越しです。


 あっ。いい機会ですので、カイルさんの隊服を返しましょう。


「カイルさん。先日はありがとうございました」


 私は畳んだ隊服の上着を差し出しました。


「助かりました。おかげでみっともない格好で歩かずにすみました」


「いえ、お役に立てて何よりです」


 カイルさんは、にこやかに受け取ります。


 その隣で、アーヴィン様の門が、かすかに軋みました。


 ……ん?


 私はそっと彼を見上げました。


「アーヴィン様、魔力が乱れています」


「問題ない」


「問題あります。診せてください」


「……大丈夫だ」


 大丈夫、という顔ではありませんでした。

 でも緊急事態でもないのに勝手に魔力視をするわけにもいきません。


「何かあれば、遠慮なく言ってくださいね」


「ああ」


 それから、私たちは新しい部屋に移動しました。

 荷物を運び終え、カイルさんを廊下で見送ってから、アーヴィン様も自室に戻ろうとして──


 ぴたりと足を止めました。

 そして振り返りざまに問いました。


「なぜカイルの上着を?」


 固い声でした。


 そうです。

 よくよく考えてみたら、彼は私が寝てしまって、朝方抜け出したことを知らないのです。

 確かに不審です。


 どうしましょう。

 正直に言いましょうか?

 でも寝落ちしたなんて言ったら、この真面目な人は絶対、気に病みます。


 あ、じゃあ夜中帰る時に出会ったことにすればいいですね。うん。


「その、昨夜、アーヴィン様の部屋から帰る時にカイルさんに出会いまして」


 その瞬間、彼の眉間に皺が寄りました。


「……あの時間は、夜番と緊急時以外、騎士が部屋から出ることはない」


 そうなんですか?!

 そんな規則知りませんでした。


「えっと、じゃあ、もっと朝方だった……ような」


「朝までどこで何をしていた」


 ……詰問調になってませんか?


「ええっと……星を見ていた……とか」


「曇っていたが」


 え。


「いや、その」


「……」


「えっと……」


「……」


「……」


 沈黙が続き、やがて彼は小さく息を吐きました。門が軋み、魔力がじわりと揺れるのを感じました。


「夜中に騎士の部屋に行くのは感心しない」


 ……ん?


 それ、どういう意味ですか?

 騎士の部屋?アーヴィン様の部屋は……緊急事態でしたし、仕方ありませんよね?


 えっ?!

 まさかカイルさんの部屋に行ったと思われてるんですか?!


 いや、まぁ、辻褄は合いますけど。


 考え込んでいると、彼は呆れたように首を振って部屋の扉に手を掛けました。


「待ってください!」


 思わず隊服の背中部分を掴んでしまいました。


 その誤解は非常に困ります。

 私の清らかな乙女としての沽券に関わりますし、カイルさんにもご迷惑がかかります。


「なんだ」


「その、怒ったり、気に病んだりせず、大らかな気持ちで聞いてもらえますか」


「内容による」


 ですよね。


「実は、あの後アーヴィン様のお部屋で寝てしまいまして」


 ぴくり、と背中が動きました。


「その、気がついたらもう朝で。部屋から出たところにカイルさんがいて、上着を貸してくださったんです」


 返事がないので、私はそのまま言い募りました。


「あっ! カイルさんは何も誤解してませんからね。そこはご安心ください。やましいことなんて何ひとつありません!」


 あれ?今、余計なことを言った気がします。


「やましいこと?」


 変なところに食いつかないでください。


「やましくありません。健全です」


「健全」


「はい」


「……俺は」


 アーヴィン様が青い顔で振り返りました。


「まさか君に何か……」


「大丈夫です! 深読みしないでください。健全です、あなたは」


 あっ、また余計なことを。


「……じゃあ、君は?」


「……私も健全です」


「そうか」


「そうです」


 これで話は終わったと思いました。

 けれど、彼は納得がいかないようでした。


「リーリア」


 急に名前で呼ばないでください。

 心臓に悪いです。


「嘘はつかないでくれ。俺は本当に何もしていないのか? 実を言うと……記憶が曖昧なんだ。もし間違いがあったなら、申し訳が立たない」


「大丈夫です! 指一本、触れられていません」


「だが……」と彼は言い淀み、胸を押さえました。

「ずっと、君の香りと温もりと重みが、胸にあったような気がして。部屋に残っていたと聞くまでは、夢かと思っていたんだが」


 うっ、と言葉に詰まりました。


 ……犯人は、まさに私です。


 けれどその表情を勘違いしたようで、アーヴィン様は、ますます顔色を失いました。


「すまない。いや、謝ってすむ問題では……!」


 違います。

 違うんです。


「私が悪いんです!!」


 つい叫んでしまいました。


「アーヴィン様は眠っていました。私が枕にしてしまっただけなんです。わざとじゃありません。不可抗力です。睡魔の仕業です」


 沈黙が落ちました。


 アーヴィン様は、青い顔のまま固まっています。


 私は隊服の背中を掴んだまま、必死に言葉を続けました。


「本当に、何もありません。アーヴィン様は眠っていました。私は魔力門を見ていました。途中で眠気に負けました。それだけです」


「……俺を」


「はい」


「枕に」


「はい」


「君が」


「……はい」


 言えば言うほど、死にたくなってきました。


「……重かったですか?」


 なぜそれを聞いたのでしょう。

 自分でも分かりません。


 アーヴィン様は、ようやく少しだけ息を吐きました。


「いや」


「本当ですか」


「ああ」


 そこで終わればよかったのです。


 けれどアーヴィン様は、真面目な顔で言いました。


「むしろ、安心した」


 安心。


 安心とは。


「何にですか?」


「君が近くにいたからだと思う。昨夜は、久しぶりによく眠れた。だから余計に記憶が曖昧で、何が現実で何が夢なのか分からなくなった。君に傍にいて欲しくて、あんな夢を見たのかと」


 やめてください。

 そんなことを言わないでください。


 こちらは羞恥で死にそうなのに、この弟子はどうして真っ直ぐそういうことを言うのですか。


 私は両手で顔を覆いました。

 無理です。

 人は羞恥でも死ねるのかもしれません。


 けれど彼は私に向き直り、覆っている両手をそっと外しました。


「リーリア。君があの森で開錠してくれるまで、俺はずっと苦しかった。目を閉じたら二度と覚めないのではないかと、眠ることが怖くなるほどに」


 真剣な声でした。

 私は伏せていた目を上げました。


「君に会えたことは、俺にとって一番の幸福かもしれない。ありがとう、リーリア」


 ……無理です。


 本当に無理です。


 そんなことを言われて、平静でいられる人間がいるでしょうか。

 少なくとも、私には無理です。


 私は導師です。

 導師なのです。

 弟子に感謝されているだけです。


 そう自分に言い聞かせようとしました。


 けれど、外された手のひらに残る彼の体温と、まっすぐに向けられた灰色の瞳が、全部を台無しにしてきます。


 理解と納得は違うんです。

 私はものすごくチョロいのです。


「……そういうことを」


 私はどうにか声を絞り出しました。


「そういうことを、簡単に言わないでください」


「簡単ではない」


 即答でした。


「ずっと、言うべきだと思っていた」


 やめてください。

 追撃しないでください。


 私はもう、瀕死です。


 師匠。

 師匠、出番です。


 いつものように、私を嗤ってください。

 勘違いするな、バカ弟子と罵ってください。


 けれど、なぜでしょう。

 今だけは、師匠の嘲笑を思い浮かべても、うまく怒れませんでした。


「リーリア?」


 アーヴィン様が不思議そうに私の目を覗き込みます。


 はっ、と気づいてしまいました。


 ──この人。

 二人きりの時と、正面から刺す時だけ名前で呼んできます。


 つまりこれは戦術……!!


 私を効率的に運用するための戦術だったのです。


 負けてはいけません、リーリア。

 これ以上黒歴史を増やすわけにはいかないのです。


「アーヴィン様」


「ん?」


 ん?じゃありません。

 そこは「なんだ」でしょう?!

 タチが悪いです!


「私、ちゃんと施錠術式を完成させますので。共に魔獣と戦いましょう」


 そう。

 お望み通り運用されてあげますので、頼みますから心を侵食しないでください。


 アーヴィン様は困惑したように瞬きましたが、やがてかすかに笑いました。


「ありがとう、導師殿」


 導師殿。


 戻りました。

 やりました。

 戦術的勝利です。


 ……なのに、なぜでしょう。

 ちっとも勝った気がしません。


 白旗をあげながら、小石を投げている気分です。


 だって頬は熱いままですし、胸はドキドキしています。


 そうです。

 私に必要なのは、戦術的勝利ではなく、戦略的撤退だったのです。


 私はぺこりと頭を下げました。


「それでは、部屋を片付けますね。失礼いたします」


 逃げるが勝ちです。

 一旦引いて、態勢を整えてから迎撃します。


 けれど、踵を返したところ、ぱっと手首を掴まれました。


「待ってくれ、リーリア」


 私は振り返らずに言葉を待ちました。


 一拍。


 二拍。


 それでも彼は何も言いません。


 やがて小さな吐息とともに、

「すまない。なんでもない」

 と言って、手を離しました。


 背後で、ぱたんと扉の閉まる音がしました。


 廊下に、しん、と静寂が落ちます。


 私も自分の部屋に逃げこみました。


 扉を閉めた瞬間、ずるずるとその場にしゃがみ込みます。そして、掴まれた手首をそっと押さえました。


 何も言われなかったのに。

 何も、起きなかったのに。


 どうしてこんなに、心臓がうるさいのでしょう。


 ……やっぱり私は、ものすごくチョロいです。


 そして次の日。


 ますます心をかき乱されることになるなんて、この時の私は知る由もありませんでした。





































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