第5話 弟子は夜も手がかかります
結論から言います。
八時間は眠れませんでした。
深夜二時。
枕元の魔導鈴が、けたたましく鳴り響いたのです。
私は布団を頭から被って、丸まりました。
もう!
うるさいです、師匠!
こんな夜中に呼び出さないでください!
知りません。
寝たふり一択です。
けれど、魔導鈴は一向に鳴り止みませんでした。
むしろ、どんどん音が大きくなっている気がします。
師匠、しつこいですねぇ。
……ん?
なんか、いつものベッドじゃありません。
あれ?
ここは……。
そこでようやく、ここが魔法学院ではないことを思い出しました。
ということは、私が呼び出される理由は一つだけ。
「アーヴィン様?!」
がばっと起き上がり、素足に靴を引っ掛けると、寝間着のローブのまま廊下を走りました。
アーヴィン様の部屋の近くまで行くと、彼がよろめきながら扉から出てくるところでした。
廊下に、さあっと氷が走ります。
私はそれを溶かしながら走りました。
「アーヴィン様!」
彼は顔を上げ、私を見て弱く笑いました。
そして力が抜けたように膝をつきました。
苦しそうに胸元を押さえ、浅い呼吸を繰り返しています。
私は彼の体を支えるように抱きました。
「もう大丈夫ですからね」
こんな私の言葉でも、少しは安心してくれればいいのですが。
廊下全体が、冬の森のように冷えています。
吐く息が白く、壁にかかった燭台まで、薄く霜をまとっていました。
私は彼の胸元へ手をかざしました。
魔力視を開いた瞬間、息を呑みました。
昨日作り直したばかりの魔力門が、歪んでいたのです。
外から壊されたのではありません。
彼の魔力が、眠りの中で出口を探して暴れたのでしょう。
一日どころか、半日も持っていません。
なんですか、この戦闘民族仕様の魔力は。
寝ている間まで危機に備えないでください。
私は小さな門をいくつも作り直し、暴れている魔力の流れにひとつずつ噛ませていきました。
寒いのに、汗が額を流れます。
魔力の流れを見て、門を作る。
言ってしまえばそれだけなのですが、針の穴に糸を通すような繊細な作業なのです。
「……すまない」
かすれた声が落ちました。
私は思わず、手を止めそうになりました。
けれど止めません。
止めたら大惨事です。
「謝罪は後で聞きます。今は息を吐いてください」
「……ああ」
「押さえ込まない。耐えない。ゆっくりと逃がす。昨日馬車でやりましたね?」
「……やった」
「では復習です。深夜二時に廊下でやる内容ではありませんが、復習です」
彼は細く息を吐き、魔力を外へ逃がしていきます。魔力の動きが緩やかになり、私の門作りも楽になりました。
数分後、最後の門を作り終え、ようやく私は汗を拭いました。
彼の呼吸も落ち着いています。
氷は溶けて、廊下は水浸しです。
私は目の前にある彼の頭に手を伸ばし、静かに撫でました。
彼が驚いたように目を見開いたので、私はにこりと笑いました。
「上手でしたよ、魔力逃がし」
そう褒めると、彼は疲れ切った顔に微かな笑みを浮かべました。
「ありがとう、来てくれて」
「いえ、遅くなってすみません」
寝ぼけて師匠の呼び出しと間違えたことは秘密です。
私は彼に手を貸して、ゆっくりと立ち上がらせました。
部屋に戻ると、ここもやっぱり水浸しでしたので、乾燥用の魔法陣を発動させました。
アーヴィン様を拾ってから、乾燥魔法が上手くなった気がします。
部屋がからりと乾いたところで、彼をベッドに寝かせました。毛布を体にかけ、ぽんぽんと叩きます。すると、その手をそっと掴まれました。
「…………っ?!」
心臓が跳ねました。
「……どう、しました?」
声がうわずりました。
彼は視線も合わさず、何も話しません。
ただ、手に力がこもっただけでした。
……いったい、なんなのでしょう。
それからも彼は一言も喋らず、沈黙だけが流れました。
月明かりが差し込む暗い部屋に、互いの呼吸音だけが耳に届きます。
どれくらいそうしていたのか、彼は「すまない」と謝りながら手を離しました。
「一人になりたくなかっただけだ」
……ああ、そうか。
気づいてしまいました。
魔力が体の中で暴れるのは、とても苦しいものです。
息ができなくなる。
血の代わりに氷が流れているように、体の奥が冷えていく。
一度死にかけたのです。
今回の暴走だって、怖くなかったはずがありません。
でもそれを素直に言える人ばかりではないのです。
「……眠れるまで、ここにいますよ」
そう言うと、アーヴィン様は少しだけ目を開けました。
「だが、」
「だが、じゃありません」
私は毛布の上から、もう一度ぽんぽんと叩きました。
「眠れないのでしたら、絵本でも誦じてさしあげましょうか?」
「絵本?」
「はい。覚えているのは、『星を食べたかった竜』だけですが」
幼い頃、この本が大好きで、ナヴィード先生によく読んでもらったものです。
アーヴィン様は小さく笑いました。
「……俺もよく読んでもらったな。星を食べたくて、なんでも飲み込む竜の話だろう」
「そう! それです。アーヴィン様も好きだったんですか? 月の光、新緑の雫、魔法使いの魔力、果ては魔獣の靄まで飲み込んでしまって、お腹の中から煙が出てきちゃうんですよね」
「それで泣きながら魔法使いの女の子に助けを求めて、流れ星の魔法をかけてもらうんだったな。飲み込んだものを星に変えて、夜空に放つ」
「はい。読みながらナヴィード先生が流れ星の魔法を使ってくれて……魔法使いに憧れたんです」
もちろん本当に流れ星を作るわけじゃありません。暗い部屋に、魔法でキラキラの夜空を再現してくれたのです。
私は杖を天井に向けました。
今では私も使えるようになった魔法『幼な子の夜空』。
満天の星が輝き、流れ星が尾を引きます。
「……すごいな」
「でしょう? さぁ、もう目を閉じてください」
私は彼の瞼にそっと指を滑らせ、額に手を当てました。
眠りを誘う、優しい魔法をかけていきます。
「おやすみなさい」
完全に子ども扱いです。
でも、今さらです。
「……リーリア」
「はい」
「こうされるのは、悪くない」
彼はそう言うと、私の手に触れました。
やめてください。
深夜二時に、寝台の中からそんなことを言いながら、手に触れないでください。
こちらは寝間着のローブで、髪もぼさぼさで、魔力も減っていて、判断力がだいぶ落ちているのです。
「それは、よかったです」
声が少しだけ上ずりました。
気づかれていないといいのですが。
それからしばらくして、アーヴィン様の呼吸は少しずつ深くなりました。
ようやく、眠れたのでしょう。
私は額から頭にかけて、ひと撫でしてから、手を離しました。
なんだか、とても愛おしい気持ちになりました。
……もちろん、導師としてです。
規則正しい寝息を聞いていると、こちらまで眠たくなってきました。
弟子は可愛い。
けれど、夜も手がかかります。
私はそう深く深く理解したのでした。
*
明け方、はっと目を覚ますと、そこはまだアーヴィン様のベッド脇でした。
あろうことか、私は彼の胸を枕にして眠っていました。
嫁入り前の娘にあるまじき醜態です。
いえ、今の時代そこまででもありませんが。
普通に恥ずかしいです。
私は足音をたてないように部屋を横切り、蝶番の軋む音にびくびくしながら扉を開けました。顔だけ出して廊下を確認すると、幸運なことに誰もいませんでした。なにせ寝間着ですから、人様に会うのは避けたいです。
そっと廊下へ抜け出し、扉を閉めると、ほっと息を吐きました。
そして振り返ると──
カイルさんが立っていました。
なんでですか!
どこから降って湧いたんですか?!
私たちはしばらくの間、無言で見つめ合っていました。先に沈黙に耐えられなくなったのは、私の方でした。
「あっ、あの、あのですね。これは……その、誤解です」
「誤解」
「はい。やましいことは一つもありません。夜中に魔力の暴走がありましたので、処置をしておりました」
「なるほど」
「それで、私まで眠ってしまい、こんな時間になった次第であります」
なんだか、言い訳すればするほど、やましい気分になってきました。
隊長を枕にして寝てたのは事実なのですから。
絶対に言いませんが。
「ならば、誤解ではありませんね」
カイルさんが、さらりと言いました。
「正しくそのように理解しておりました。それを踏まえて、導師殿の部屋を隊長の近くに移した方がよいかもしれない、と考えておりました」
「あ、あぁ、そう……ですか」
って!
それって私だけ意識してるみたいで、もっと恥ずかしいじゃないですか!
あぁぁ、穴があったら入りたい。魔法で掘りましょうか。
「しかし、その格好はいけませんね。もう騎士たちの起床時間ですので」
カイルさんはそう言うと、隊服の上着を脱ぎました。
「これを羽織ってお戻りください。替えはありますので、また後日お返しいただければ結構です」
「ありがとうございます……」
私は恐縮しきりに、それを受け取りました。
腕を通すと、思ったよりも軽い上着でした。
どうやら魔力を織り込んだ糸が使われているようで、見た目ほど重くありません。
それでも、肩は余りました。
袖も余りました。
つまり、全体的に余りました。
……騎士団の方々は、なぜ皆さんこんなに大きいのでしょう。
「導師殿」
「はい」
「前は閉めた方がよろしいかと」
「はい……」
私はもそもそと上着の前を合わせました。
完全に借り物です。
見た目だけなら、誰かの上着を勝手に着て逃げ出してきた不審者です。
……考えるのをやめましょう。
私はカイルさんの上着をしっかり羽織り、そそくさと自室の方へ戻りました。
朝の騎士団は、思ったよりも人が多いです。
廊下を歩くたびに、騎士様たちの視線がこちらへ向きます。
副官さんの上着。
その裾からのぞく寝間着。
隊長の部屋に続く廊下から出てきた事実。
情報を並べると、かなりまずいです。
でも違います。
私は導師として、夜間対応をしていただけです。
やましいことはありません。
ありませんが。
後できちんと説明しますので、どうか皆さん、情報の上書きを正しくしてください。
けれど、その説明の機会は訪れそうにもありませんでした。
突然、けたたましい警報音が朝の空気を切り裂いたのです。




