第3話 外堀を埋められました
弟子は可愛い。
前日の私は、確かにそう思いました。
ですが、ひと晩明けた今、少しだけ訂正したいと思います。
弟子は可愛い。
ただし、とても手がかかります。
朝、私は魔法使いの黒いローブを持って、アーヴィン様の部屋を訪れました。
医務室から客室に移ったのですが、監視の目を緩めるのは、まだ早かったかもしれません。
彼は自分の中の魔力を二つに分けて、勝手に鬼ごっこをしていたのです。
……天才ですか?
私、それをできるようになったのは、学院に入って二年目の春ですよ?
でも初心者がやると、加減が分からなくて大変なことになるんです。
「アーヴィン様、気をつけてくだ、」
最後まで言い終わらないうちに、彼から魔力が暴走し始めました。二つの魔力がぐるぐると攪拌されて、勢いよく飛び出していきます。
床が凍り始め、風が渦を巻きます。
「……まずいな」
「まずいな、じゃありません!」
私は彼の手をぐっと掴み、魔力門をいくつか構築しました。
魔力が緩やかに流れるようになり、ほっと一息つきます。
けれど、氷が溶けて、床は水浸し。
風は収まりましたが、色んなものが飛び散っています。
私はじろりと彼を睨みつけました。
導師として、ここは厳しく言わなければなりません。
「アーヴィン様、魔力で遊んではいけません。特にあなたの魔力量は膨大なので、遊びではすまなくなります。わかりましたか?」
ついでに査定に響いて私のお給料が下げられますので、ほんとにやめてください。
彼はうつむいて「すまない」と謝りました。
素直で可愛い。と思ったのも束の間。
「だが、」
「だが、じゃありません」
被せるようにして言うと、彼はしゅんとして、こちらの反応を窺うように、ぽつりと呟きました。
「……早く制御できるようになって、騎士団に帰らなければ」
「騎士団には、学院から連絡していますよ?」
「だが、」
「だが、じゃありません」
けれど彼は引き下がりませんでした。
「聞いてくれ。今、辺境では魔獣が増加しているんだ。騎士団が抑え込まなければ街に被害が及ぶ。それに……」
「それに?」
「……大聖女様のご負担を考えると、ここでのんびりしているわけには……」
彼は沈痛な面持ちでうつむき、拳を強く握りました。
大聖女様。
この国を魔獣から守るために結界を張り、傷ついた人たちを癒す、最高位の聖職者様です。
確かに、魔獣が増えれば結界が壊れやすくなります。その前に魔獣を倒したいと言うのもよーく分かります。
で・す・が。
「……あなたは今、歩く災厄です」
「それは竜だ」
「似たようなものです。私がここに来なければ、どうなっていたと思います? 部屋が吹き飛んで私の監督責任となってお給料が差っ引かれるのは、まぁ、よしとしましょう」
よくはありませんが。
「でもそれより、あなたの体が壊れていたかもしれないんですよ? 魔力を閉じ込めるのに慣れすぎて、痛みに鈍感なのかもしれませんが、今でもあなたの体には小さな傷がたくさんついてるんです。そこに魔力暴発の衝撃が重なれば、どうなると思います?」
彼は答えませんでした。その顔には、理解できるが理解したくないという思いが現れていました。
うーん。
これは別方向から攻めないとダメですね。
自分の体に無頓着なタイプです。
こういう人には、その責任感を利用しましょう。
「それに、その状態で騎士団に帰ったら、他の方のご迷惑になりますし、魔獣討伐中に魔力が暴走すれば、最悪の場合、部下が死にます。結界も中からの衝撃には脆いと聞きますし、大聖女様の負担を逆に増やすことになりますよ」
彼の瞳が揺れました。
しめしめ、効いてます。
「分かったら、一人で練習するのはやめてください。私が一緒にやりますから」
私はにっこりと微笑みました。
これは、とても導師っぽかったのではないでしょうか?アーヴィン様が四級に受かって手が離れたら、今度こそ子どもを弟子に迎えてもいいかもしれません。
特別手当が付きますしね。
「……分かった。ならば」
アーヴィン様は真剣な目で私を見つめました。
なんだかイヤな予感がします。
この真面目な性格上、一日中訓練に付き合えとか、言い出しかねません。
けれど、それは甘い考えでした。
「君が騎士団について来てくれないか?」
斜め上の提案が来ました。
一日中どころか、全拘束する気です。
魔獣討伐にまで駆り出される流れです。
これは日々の平穏のためにも、論破しなければなりません。
「無理です」
私は即答しました。
アーヴィン様は少しだけ眉を動かします。
「なぜだ」
「なぜも何も、私は魔法学院所属の三級魔法使いです。研究があります。授業補助があります。師匠の雑用があります。あと、魔獣討伐に同行できる戦闘力がありません」
「護衛は俺がする」
「あなたの魔力暴走を止めるために同行するのに、あなたに護衛されてどうするんですか」
「……確かに」
確かに、ではありません。
そこで真面目に納得しないでください。
「それに、学院外での研究活動には許可が必要です。私が勝手に騎士団へ行くわけにはいきません」
「許可があればいいのか」
「そういう意味ではありません」
そういう意味ではありませんでした。
本当に、そういう意味ではなかったのです。
その日の午後、私は師匠の研究室に呼び出されました。
ものすごーく嫌な予感がしました。
師匠に呼ばれる時は、だいたい良くないことが起こります。
具体的には、面倒事、危険な実験、またはその両方です。
「来たか、リーリア」
師匠は机の上に足を投げ出し、いつものようにだらしなく椅子にもたれていました。
その隣には、なぜかアーヴィン様が立っています。
嫌な予感が、確信に変わりました。
「師匠」
「なんだ」
「この状況、説明していただけますか」
「お前の弟子が直訴に来た」
私はゆっくりとアーヴィン様を見ました。
アーヴィン様は、まっすぐにこちらを見返しました。
逃げも隠れもしない顔です。
逃げも隠れもせずに、外堀を埋めた顔です。
「で、話は聞いた。騎士団に同行してこい」
「嫌です」
「即答か」
「即答です。私には研究があります」
「研究なんかどこでもできるだろ」
「今、研究者全員を敵に回しましたよ」
「お前の専門は何だった?」
……この言い方。
師匠が望む結論に誘導する時のやつです。
そして私は勝ったことがありません。
一度も。
「鍵と錠、それと門……ですけど」
「だよな? ここにいるのはお前にとって格好の研究対象だ。魔獣用の術式を五重に掛けられていた、膨大な魔力量の人間。そんな垂涎ものの研究対象を見逃すのか? 研究者が?」
ぐぬぬ。負けません。
「ですが、学院で研究した方が安全ですし、騎士団にご迷惑をお掛けすることになります」
どうです? この常識的な答え。
非常識が服着て歩いてるみたいな特級魔法使いには分かりませんかねぇ。
「なら聞くが、特級魔法使いの俺がいなくてもこの組織は回るか?」
ん?どういう意味でしょう?
「回らないから、性格に難のある師匠でも必要なんじゃないですか。もはやインフラみたいなもんです」
「んだとこら。……まぁ、いい。魔獣討伐隊にとって、隊長ってのは特級魔法使いと同じだ。床が凍っても、部屋が風で吹き飛んでも死なないが、竜が出た時に隊長がいなければ、確実に全員死ぬんだ」
ぐぬぬぬぬ。
生死にまで及ぶんですか、この話。
「でしたら、尚のこと、私みたいな三級魔法使いでは荷が勝ちすぎます。せめて導師を変更して気持ちよく送り出しましょう。一級のマデリンとかどうです?」
あの女、私を目の敵にしているので嫌いです。
「お前の研究室には何がいる?」
人の話、聞いてます?
私は渋々答えました。
「……犬とか猫です」
「何の研究をしてるんだっけ?」
「今は、動物の魔力核に効率的に錠を掛ける方法……です」
それから、アーヴィン様の中に構築したような、魔力門の研究です。これは父の未完成の論文をナヴィード先生から受け取り、私が完成させたのです。
子どもの中でも魔力量の大きな子は、すぐに錠が合わなくなり、痛くて苦しくなります。魔力の流れをゆっくりと流す魔力門と錠を組み合わせれば、痛みで眠れなくなる子どもは減るはずです。
実際、私の研究論文を読んで、藁にもすがる気持ちで学院を訪れた親子が、とても楽になったとお礼の手紙をくれた時は、嬉しくなりました。
これは、膨大な魔力量に苦しめられてきた師匠が「痛かった。ものすごく痛かった」と、まるで洗脳のように恨み言を垂れ流していたので、ちょっと可哀想になって研究を進めたのです。
……絶対に師匠には言いませんが。
「動物の核か……地味だな」
師匠は、ぽつりと呟きました。
「失礼な。人間とは作用が違うので、獣医さんには待ち望まれてますよ」
「予算は?」
「雀の涙です」
「だろうな。でも動物じゃなくて魔獣ならどうだ?」
「そりゃあ、魔獣なら……」
はっ、と気付きました。
魔獣関連なら予算は潤沢につきます。
ただし、生け捕りはほぼ不可能なので、核の研究は進んでおらず、動物に似ているという先行研究があるだけです。共同研究者として、亡き父の名前が載っていたので、よく覚えています。
魔獣討伐は命懸けの現場なので、研究目的の同行は普通断られますし、行きたがる魔法使いもいません。
つまりブルーオーシャンなのです。
でもここで予算欲しいですみたいな顔したら、騎士団に派遣されます。確実に。
私は平穏に生きたいのです。
しがない三級魔法使いですから。
「研究者なんだよな? お前」
「……はい。一応」
「論文出せないと困るよな?」
くっ……!!痛いところをついてきます。
「なら、千載一遇のチャンスじゃねぇか。竜殺しの隊長に同行して、生きた魔獣のデータがとれるんだ。机の上でこねくり回してるより、よっぽどいい」
師匠は楽しそうに笑いました。
「魔獣の核に錠をかけられるなら、討伐の被害は減る。お前の研究、役に立つかもしれねぇぞ」
公共の道徳まで持ち出してきました。
「それに、騎士団からの特別手当も出るらしいぞ」
特別手当。
素敵な響きです。
はっ!
いけません。
お金に釣られてはいけません。
私は研究者です。
誇り高き魔法学院の三級魔法使いです。
危険な魔獣討伐の現場に、特別手当ごときで出向くような安い女ではありません。
「いくらですか」
聞いてしまいました。
師匠が笑いました。
アーヴィン様は真面目な顔のままです。
「通常の三倍だそうだ」
「……三倍」
「危険手当も別につく」
「危険手当」
だめです。
心が揺れています。
ものすごく揺れています。
「リーリア」
アーヴィン様が静かに私の名を呼びました。
「無理を言っていることは分かっている。だが、君の力が必要だ」
ずるい。
お金より、その言い方の方がずるいです。
「俺が現場に戻れば、魔力の制御は必ず問題になる。君がいれば抑えられる。だが、それだけではない」
「それだけではない?」
「君の錠は、魔獣にも有効かもしれない。もしそうなら、部下の生存率が上がる。聖女様の負担も減る。街に被害が及ぶ前に、止められるかもしれない」
銀灰色の瞳が、まっすぐに私を見ていました。
「頼む。俺と来てほしい」
やめてください。
そういう言い方は、断りにくいのです。
外堀を埋めた上で、真正面から突いてくる。
これ、なんて戦法ですか?
私は深く、深く息を吐きました。
負けです。
研究者としても、導師としても、そして人としても、ここで嫌ですと突っぱねるのは難しい。
もちろん、危険は嫌です。
魔獣も嫌です。
騎士団も怖いです。
ついでに師匠の思惑通りに動くのも嫌です。
ですが、私の研究が本当に役に立つかもしれない。
アーヴィン様を放っておけば、また一人で無理をするかもしれない。
それに、手当が通常の三倍です。
……最後のは、ほんの少しだけです。
ほんの少し、心が揺れただけです。
「分かりました」
そう言うと、アーヴィン様の瞳が、わずかに明るくなりました。
「でも、私の言うことをちゃんと聞いてくださいね。でないと帰りますから」
「了解した」
きっぱりと即答されました。
……あやしいです。
けれど、彼には奥の手がありました。
「ありがとう、リーリア」
感謝の言葉とともに向けられた、満面の笑み。
思わず目が釘付けになりました。
それは反則です。
あなた、ずっと真面目くさった顔をしていたじゃないですか。
そんな顔もできるなんて、聞いていません。
私は悟りました。
弟子は可愛い。
とんでもなく面倒くさいですが、やはり弟子は可愛いのです。
そして研究者は、予算に弱いのです。
こうして私は、王国聖騎士団の魔獣討伐特務隊へ派遣されることになりました。




