第2話 弟子は可愛いのです
「ほう。なるほど」
私の師匠であるナヴィード先生が、ベッドに横たわる騎士様を見下ろして笑いました。
銀の髪に、透き通るような青い目をした、美形のおっさんです。
黙っていれば絵画のように美しいのですが、残念ながら喋ります。なお、国に三人しかいない特級魔法使いの一人です。
ただし、性格に難ありです。
「面白いもんを拾ったな」
「……はい」
私はもう、疲労困憊でした。
魔力門作りでほとんどの魔力を使った上に、運搬魔法で騎士様を学院に連れ帰ったのです。甲冑も脱がしました。人力で。
よくやったな、頑張ったな、くらい言われても罰は当たらないと思うのですが、師匠は開口一番こう言いました。
「転移魔法、使えよ」
これだから特級魔法使いってのは嫌なんです。
「あー、こいつ、どこの騎士だ?」
師匠は騎士様の首から下がる青い石を持ち上げました。それには竜の紋章が彫られていました。けれど、私は騎士団なんてものに関係もなければ興味もなかったので、それが何を意味するのかは分かりません。
「……王国聖騎士団か」
師匠はそう言いながら杖を石に向けると、魔法陣を展開しました。
石に含まれる情報が魔法陣の上に現れます。
魔獣討伐特務隊
隊長:アーヴィン・クライス
なるほど。
分かりません。
まぁ、魔獣を倒す騎士様なのでしょう。
私はそんなことを考えながら、魔力補充用の携帯食をポリポリとかじっていました。
師匠がちらりと私に視線を送ってきます。
……なんです?その目は。
携帯食を咥えたまま眉をひそめると、師匠は、ふっ、と鼻で笑いました。
相変わらず失礼な師匠です。
「お前、竜を倒せるか?」
私は眉間のしわを深めて、携帯食を奥歯で噛みしめました。
「なんです。藪から棒に。そんなもの倒せるならとっくに特級魔法使いになってますよ」
「だよな」
師匠はそう言って、騎士様を指差しました。
「特務の隊長ってのは、剣一本で竜を倒せるやつしか就任できないんだよ」
…………はい?
私の口から、ぽろりと携帯食が落ちました。
竜?
……ってあの竜ですか?
歩く災厄、飛ぶ地獄。
出会ったら死を思え、の竜ですか?
それを、剣一本で?
……それって、人間やめてません?!
師匠は私の気も知らずに、笑います。
「いいもん拾ったな」
いやいやいやいやいや!
なんでそんな人が森に落ちてるんですか!
うっかり拾ってしまったではありませんか!
「待ってください。そんな方を、私が弟子に?」
「そうなるな」
「三級魔法使いの私が?」
「鍵を開けたのはお前だ」
「師匠。開けるのは錠です。錠を鍵で開けるんです」
「面倒くせぇな。全部、術式には変わらんだろうが」
私は泣きそうになりながら、師匠を見上げました。
「……こっそり森に返してきてもいいですかね?」
「いいわけあるか。お前が鍵を開けたんだから、責任持って四級魔法使いまで導け」
「だから開けるのは錠……いえ、そんなことは今はいいです。師匠の人でなし!」
「鍵を開けるのはそれだけの覚悟がいるってことだ。わかってるだろ」
そう。
それはそうなんです。
十二歳まで鍵を掛けているのは、正しく扱えない年齢で魔法を暴発させないため。
そして錠を開けた人間が導師になるのは、その責任を負わせるため。
それは、不幸な事故を二度と繰り返さないための約束事なのです。
ちなみにナヴィード先生の錠を開けて、一瞬だけ導師になったのが、私の亡き父エリク・リーリエだったそうです。
なぜ一瞬かと言うと、この師匠は、一瞬で四級試験に合格しやがったからです。
私は落ちた携帯食を拾う気力もなく、ベッドの上の騎士様を見つめました。
剣一本で竜を倒せる人。
王国聖騎士団、魔獣討伐特務隊の隊長。
そんな人が、私の弟子。
……荷が重すぎます。
「まぁ、弟子が竜殺しだろうが何だろうが、そこは大した問題じゃねぇ」
「大問題ですけど?!」
「お前にとってはな」
師匠は肩をすくめ、騎士様──アーヴィン・クライス様の胸元へ視線を落としました。
「問題は、こいつに掛かってた術式だ。魔獣の核を止めるくらいに強い封印術式だったと言ったな?」
「はい」
私はアーヴィン様に掛けられていた錠について、思い出しながら、言葉を続けました。
「……でも、不思議なんです。あそこまで完全に魔力を封じる錠前技術なんて、確立されていないはずなんです。少なくとも私は今まで見たことはありませんし、論文発表もなかったはずです」
私は首を傾げました。
研究者の端くれとして、錠と鍵についての主要な論文はすべて読んでいるのですが……。
「じゃあ、どうやって合う鍵を作ったんだ?」
「鍵自体は、いつものスペアキーを作る時と同じ要領で作れたんですけど……」
師匠の問いに、鍵を差し込んだ時の違和感を思い出しました。
きちんと鍵穴の形状に合わせたはずなのに、回す時に突っかかりがあったのです。
「あの錠……まるで鍵穴の形状を変化させようとしているみたいでした。でも古い錠なので上手く作動しなかったみたいな……」
そう言ったものの、そんな錠も聞いたことがありません。
師匠は肩をすくめました。
「まぁ、ともかく人間に使う術式じゃねぇな。しかも五重だ。普通なら死んでる」
私はアーヴィン様の青白い顔を見ました。
「……何のための錠だったんでしょう」
「さあな。少なくとも魔力量の問題だけじゃねぇだろうな。それなら俺に掛けられていた、あのクソ痛い術式で間に合ったはずだ」
師匠は忌々しそうに吐き捨てました。
特級魔法使いになるような人間は、もともと膨大な魔力を持っています。アーヴィン様の魔力量も師匠と並ぶくらいですが、それだけの問題なら、普通の術式を掛けて、十二歳で開ければ良かったはずなのです。
考えこんでいると、師匠が、ふと呟きました。
「しっかし、どうやって警戒網を……。あ、でもそういやリーリエ博士が……」
ん? 私のお父さんが?
その時、寝台の上で、微かに布が擦れる音がしました。
私と師匠は同時に振り返りました。
アーヴィン様のまぶたが、ゆっくりと開きました。
「……ここは」
「魔法学院の治療室です」
答えたのは私でした。
なぜか師匠が一歩下がったからです。
逃げましたね、今。
アーヴィン様は私を見ました。
銀灰色の瞳が、静かにこちらを捉えます。
「君は、俺を助けてくれた……」
「三級魔法使い、リーリア・リーリエです」
「そうか」
彼はそう言うと、身を起こそうとしました。
私は慌ててそれを止めました。
「まだ動いてはいけません」
「すまない。開錠の件、感謝する」
固いです。
ものすごく固いです。
しかもちゃんと「開錠」と言いました。
騎士様という人種は、皆さんこうなのでしょうか。
「君が、俺の導師となってくれるのか」
そう問われ、私は師匠をちらりと見ました。
師匠は「諦めろ」とばかりに、手のひらを上に向けて、肩をすくめました。
私は渋々答えました。
「……制度上は、そうなります。申し訳ありません」
彼は、少し眉を上げました。
「……なぜ謝る」
「先ほども申し上げました通り、私は三級魔法使いなのです」
私はもう一度師匠を見ました。
彼は、腹立たしいほど余裕の顔で、魔法薬で汚れた爪を眺めています。
この師匠……っ!!
可愛い弟子の人生がかかってるんですよ?
私は師匠の後ろにさっと回り込み、背中を押しました。
「でもご安心ください! 私の師匠は特級魔法使いですので、超法規的措置を講じて導師の変更を行うべきかと!」
「はあ?! ふざけんなお前……っ!」
師匠の抗議など無視です。
私は往生際が悪いんです。
「国に三人しかいない特級魔法使いです! 性格に難ありですが、実力は確かです。必ずや騎士様のお役に立ちますよ!」
「誰が性格に難ありだ、このバカ弟子」
「騎士様が希望なされば、きっと国も動きます!」
けれどアーヴィン様は首を横に振りました。
「君の厚意はありがたいが、法を遵守するべきだろう」
厚意じゃありません!
必死に拒否してるのが分かりませんか?!
私は目で訴えましたが、彼はまっすぐに視線を受け止めると、真剣に言いました。
「世話になる」
やめてください。
そんな真面目に受け入れないでください。
そして師匠、あなたは笑わないでください。
腹立ちますので。
アーヴィン様は私が止めるのも聞かずに、今度こそ体を起こしました。
「改めて、自己紹介させてもらおう。名はアーヴィン・クライス。王国聖騎士団にて、魔獣討伐特務隊隊長を務めている。導師殿、ご指導よろしく頼む」
そう言うと、頭を下げました。
……これはもう逃げられません。
さすがの私も諦めました。
となると、早く四級魔法使いになってもらうしかありません。この場で師匠を巻き込んでしまいましょう。
「ではアーヴィン様。早速ですが、魔力操作の基礎から学んでいただきます」
アーヴィン様は力強くうなずきました。
けれど師匠は私の考えを見透かしたように、鼻を鳴らすと、くるりと踵を返しました。
「まぁ、頑張れよ」
え。待って。
待ってください。
私は、あわあわと手を伸ばしました。
「師匠? 可愛い弟子が困ってますよ? 助けようとか思いませんか?」
「あぁん? 俺は性格に難ありだからな。微塵も思わん。じゃあな」
ひどい!
人でなし!
師匠がいなくなった後の医務室に、気まずい沈黙が落ちました。
いえ、気まずいと思っているのは私だけかもしれません。アーヴィン様の目は相変わらず真っ直ぐで、濁りがありません。
「導師殿。まずは何をすれば」
ああ、もう。
やる気満々です。
仕方ありません。
腹を括りましょう。
「では、まずは基礎の基礎、魔力の流し方を練習します」
私は手のひらを上に向けて、彼の前に差し出しました。
「手を重ねてください」
「わかった」
彼は躊躇うことなく手を重ねました。
大きくて、節くれだっていて、重たい手です。
そして、ほんのりと温くて──
思わず、どきりとしてしまいました。
いえ、これは魔法の練習なのですから、気にしてはいけません。
わかってます。
わかってますけどね?
男性に免疫ないんです。
あ、師匠はノーカンです。
でも、いちいち意識していたら心臓がもちません。私は目を瞑り、魔力に意識を集中させました。
「これから私があなたの魔力を捕まえにいきます。まずは自分の魔力を感じて、逃げられるようなら逃げてください」
これは魔力の鬼ごっこです。
子どもでも飽きずに練習できるように開発された、基礎の訓練法です。
まさか大人とやるとは思いませんでした。
私は細く魔力を伸ばしました。
相手の魔力に触れて、そっと追いかける。
ただそれだけの、簡単な練習です。
……の、はずでした。
触れた瞬間、私の魔力が弾かれました。
ばちん、と指先に小さな痛みが走ります。
「痛っ」
「すまない」
驚いたように目を見開いている彼を、私はじっと見つめました。
「……迎撃してくださいとは言ってません」
「迎撃したつもりはない」
「本能で迎撃しないでください」
アーヴィン様は真剣な顔で考え込みました。
「逃げる、というのは難しいな」
「そこからですか」
どうやら、騎士様という人種は闘争本能でできているようです。
「でも、まあ、迎撃できるということは、ご自身の魔力を正しく認識できているということですから、素晴らしいですよ」
褒めると、彼は少し嬉しそうな顔をしました。
ふふ。なんだか十二歳の子どもと同じ反応で可愛いです。
私たちはそれからも鬼ごっこを続けました。
コツを掴んだのか、逃げる動きもすぐにできるようになりました。
でも気を抜くと、すぐに迎撃してきます。
五分ほどそうしていたでしょうか。
さすがにこれ以上は推奨できません。
初心者とは思えない動きをしますが、彼はピカピカの一年生です。
「さて、今日はここまでにしましょうか」
手を引こうとすると、彼は、ぱっと私の手を掴みました。
動くものを捕らえる習性でもあるのでしょうか。
「まだ、大丈夫だ」
「はい。大丈夫かもしれませんが、あなたは死にかけ五秒前でしたので、これ以上無理させるわけにはいきません」
「五秒前」
「はい。五秒前です。あと三十分余裕があれば特級魔法使いがあなたの師匠となったんですけど……運が悪かったと思ってあきらめてください」
お互いに、ですが。
けれどアーヴィン様は私の手をぐっと握り、はっきりと否定しました。
「そうは思わない。君がいなければ俺は死んでいた。十分に幸運だ。本当に感謝している」
その真っ直ぐさに、私は目を瞬きました。
とてもポジティブです。
でもそれは特級魔法使いの凄さを知らないからです。あれは人外ですからね。
……あ、アーヴィン様も人外でした。
でも、ちょっと嬉しいです。
少なくとも、三級かよ、と舌打ちされるよりマシです。
「では、導師の言うことを聞き入れて、もう休んでくださいね。また明日やりましょう」
今度こそ手を引くと、彼は、やや躊躇った後に力を緩めました。
私はにこりと笑いました。
「はい、いい子」
一拍置いて、私たちは見つめ合いました。
そして、気付きました。
騎士様に言うようなセリフじゃありません。
これは私が小さい頃、師匠に言われていた、お終いの合図です。
ぶわっと、一気に顔が熱くなりました。
「……すみません」
「いや」
そう言いながらも、アーヴィン様は口元に手をやり、肩を震わせていました。
……笑われました。
弟子に。
「……久しぶりに褒められた気がする」
銀灰色の目が、ほんの少し細められました。
思わず、胸がきゅんとなりました。
いけません。
そんな目をされたら、もっと褒めたくなるではありませんか。
……私、気づいてしまいました。
弟子は、可愛い。
剣一本で竜を倒せる騎士様でも。
王国聖騎士団の特務隊長でも。
魔力量が洒落にならない人外でも。
弟子は、可愛いのです。
うん。
四級まで。
四級までです。
なんとか頑張れそうな気がしてきました。
……その時の私は、のんきにそう思っていたのです。




