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第27話 キスとは??

「リーリア」


 彼は私の瞳を覗きこみました。


「愛してる」


 これまでなら、疑っていた言葉。

 それが、静かに、沁み込んでいきます。


 こんなにも無防備に受け入れてはいけない。


 そう思うのに、どうしても鍵は掛かりませんでした。


 だって、これ以上なく証明されてしまったのです。


 魔力型が違うのに、拒絶されなかった術式。

 竜が核を預けるのは番だけという、サラ様の言葉。


 そして何より、彼がずっと、私を選び続けてくれていたこと。


 導師として。

 研究者として。

 それから、ただのリーリアとして。


 私は、彼の胸に、こつんと額を押し当てました。


「……あなたは、外堀を埋めるのが上手すぎます」


 声が震えました。


「こんなの、もう、逃げられないじゃないですか」


 彼は小さく笑うと、私を優しく抱きしめました。


「逃げたいのか?」


 そう訊かれて、私は首を振りました。


 逃げたい。

 逃げたくない。

 怖い。

 嬉しい。


 いろんな気持ちが胸の中でぐちゃぐちゃになっています。

 けれど、ひとつだけはっきりしていました。


「……もう、逃げません」


 それは、感情ではなく、意志でした。


「怖くても、進みます」


 そう言うと、私の体に回された腕に、ぐっと力が込められました。


 私はもう一度、息を吸いました。


「私も……あなたが好きです」


 言ってしまいました。


 言ってしまった瞬間、顔から火が出るかと思いました。

 けれど、不思議と後悔はありませんでした。


「好きです」


 抱きしめられたまま、彼の胸の中で小さく繰り返しました。


 恥ずかしすぎて、顔が上げられません。

 むしろ、抱きしめられていてよかったと思いました。


 けれど、彼はそんな甘いことを許してくれるような人ではありませんでした。


 すっと腕を外したかと思うと、私の顔をくいっと上に向けたのです。


「赤い顔……やっぱり可愛いな」


「〜〜〜ッ?!」


 この人は!!


「目を見て、もう一度言ってくれないか?」


 ……はい?!


「無理です」


「なぜ」


「死ぬからです」


「……死ぬ?」


 本気で分かっていない声でした。


「人は羞恥で死ぬんです!」


 必死に抗議しましたが、アーヴィン様は少しも譲る気配がありません。


 銀灰色の瞳が、まっすぐに私を見ています。

 逃げ道はありません。


 いえ。

 逃げないと、決めたばかりでした。


 私は震える息を吸いました。


「……好きです」


「誰を?」


「追い討ちをかけないでください!」


「すまない。どうしても聞きたい」


 その声が、あまりにも優しくて。


 私はもう一度、彼の瞳を見ました。


「アーヴィン様が、好きです」


 言えました。


 ちゃんと、言えました。


 すると、アーヴィン様は一瞬だけ目を見開き、それから、今まで見たことがないほど柔らかく笑いました。


「ありがとう」


 低い声が、かすかに震えていました。


 私も、つられるように微笑みました。


 心の底から思います。


 好き。

 大好き。


 もっと言いたいけれど、それは私の経験値では無理そうでした。


 アーヴィン様は、そっと私の頬に触れました。


「キスしても?」


 ………………。


 ……はい?!


 何を言っているんでしょう、この人は。


「リーリア?」


 いけません。

 固まってしまいました。


「無理です」


「無理」


「はい」


「なぜ?」


「死ぬからです」


「死なない」


 またこれです。


「逃げないんだろう?」


「それとこれとは話が別です」


「……なるほど?」


 アーヴィン様は顎に手をやり、宙を見ました。

 まったく理解していない顔です。


「では、どこなら死なない?」


 ……どこなら?!


「手か。額か。頬か……それとも、足?」


「選択制なんですか?! あと足はダメです!」


「嫌ならしない」


 そこで、ようやく真面目な声に戻りました。


「君が嫌がることはしたくない」


 その言葉に、胸がきゅっとなりました。


 ずるいです。

 そうやって逃げ道を残すから、私は自分で選ばなければならなくなるのです。


「……嫌では、ありません」


 声が小さくなりました。


「でも、心の準備が」


「どれくらい必要だ?」


「少なくとも三日ほど」


「長いな」


「初めてなので!」


 言ってから、自分で墓穴を掘ったことに気づきました。


 アーヴィン様の目が、少しだけ見開かれます。


 そして、これまでで一番優しい顔になりました。


「なら、なおさら大事にしたい」


 なんだか、余計に恥ずかしい気がしてきました。

 三日間、この羞恥に耐えないといけないんですか?

 いったい、なんの罰ゲームでしょう。


「じゃあ、今日は?」


「え?」


「キスしてもいい箇所を教えてくれ」


 もう……!

 なんなんですか、この人は……!


 私は恥ずかしすぎて顔を覆いました。

 そしてそのまま、もごもごと言いました。


「もう、好きなところにしてください……」


「そうか。なら、唇と足以外で考えよう」


 非常に真面目な答えが返りました。


 後から考えれば、顔を覆っていたのが悪かったのだと思います。もしくは額を指定すればよかったのかもしれません。そしたら、可愛いキスですんだのです。


 彼が選んだのは──耳でした。


 かすかに息がかかり、柔らかな感触が落とされました。

 その瞬間、体の奥が、ぞくりと震えました。


 キス……ですよね?


 頭の中に、疑問符がたくさん浮かびました。

 だって、私の中のキスというカテゴリー分けによると、耳という選択肢はなかったのです。


 そして、キスというのは、甘噛みも含むのでしょうか。

 ちゅ、という音が耳に大きく響き、あまつさえ柔らかく挟まれたのです。


 やがてその唇は耳から下がり、首筋に沿わされました。


 ?????


 これも、キスの範疇なのですか?

 それに、これは二箇所なのでは?


「……アーヴィン様」


「ん?」


 首に触れたままの唇がわずかに動きました。


「……んっ」


 危うく、声が出るところでした。

 私は顔を覆ったまま、またもごもごと言いました。


「……そろそろ、死にそうです」


「すまない」


 アーヴィン様は慌てて身を離しました。


「嫌だったか?」


 いいえ。

 嫌ではありませんでした。

 恥ずかしかっただけです。


 正直に言えば……もっとして欲しかったのです。


 でもそんなことは言えません。


 だからといって、嫌だったとも言えないのです。

 だって、言えば律儀に守るから。

 もうしてくれなくなると困るから。


「リーリア?」


 不安そうな声でした。


 私は、顔を覆ったまま、首を横に振りました。


「……嫌では、ありません」


 声が小さすぎて、自分でも聞こえたか分かりませんでした。


 けれど、アーヴィン様には聞こえたようです。


「そうか」


 その声が、ほっとしたように柔らかくなりました。


「では、続けても?」


「続け……っ?!」


 何を言っているんですか、この人は。


 でも、私は嫌だとは言いませんでした。

 言えませんでした。


 言ったら終わってしまうからです。


 私は顔を覆ったまま、震える声で言いました。


「……死なない程度に、お願いします」


 アーヴィン様が、息を呑んだ気配がしました。


 それから、低く、甘い声で笑います。


「分かった。努力する」


「努力では困ります!」


 抗議したはずなのに、声はまったく強くありませんでした。


 アーヴィン様は、そっと私の手をとり、顔から離しました。


 そしてもう一度だけ、私の額に唇を落としました。


 今度は、耳でも首でもありません。

 とても優しい、ちゃんと死なない場所です。


「今日は、ここまでにする」


「……はい」


 ほっとしたような。

 残念なような。


 そんな顔をしていたのでしょう。


 アーヴィン様は目を細めました。


「三日後を楽しみにしている」


「予約しないでください!」


 叫んだ声は、少しだけ裏返っていました。



 術式は成功しました。


 アーヴィン様の竜核には、私の魔力で作った門が静かに開いています。


 封じるための錠ではなく。

 閉じ込めるための檻でもなく。


 彼が、彼のまま、自由に息をするための門。


 私は、そっと彼の胸に触れました。

 外部魔力が術式に触れるたびに、きらりと輝き、外へ流れていきます。


 私は『星を食べたかった竜』の、最後のページを思い出しました。


 飲み込んだものを星に変えて、夜空に放つ魔法使いの女の子。


 閉じ込めるのでも、吐き出させるのでもなく、ただ、綺麗なものに変えて空へ還す。


 ……ああ、そうか。


 あれは、人を愛した竜が、心から望んだ優しい結末。


 サラ様は、愛しい我が子のために、答えをあの物語に描いたのです。


 諦めないで。

 絶望しないで。


 あなたの竜核に触れられる魔法使いが、きっといるから、と。


 銀灰色の瞳が、優しく私を見つめています。


 私は彼の頬に触れました。


 三日後だなんて。

 私が待てないかもしれません。


 





























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