第26話 竜の番
「リーリア」
アーヴィン様は、私を抱きしめたまま、低く言いました。
「君の魔力では、だめなのか」
「……え?」
「君の魔力だ」
一瞬、言葉の意味が分かりませんでした。
「……はい?」
アーヴィン様は、身を離すと、私の手を握り、まっすぐに私を見ました。
「俺の核に、これだけ触れてきた。毎晩、靄を解き、魔力門を開き、俺の呼吸を戻してくれた。なら、俺の核が一番知っているのは、君の魔力ではないのか」
「だめです」
私は即座に首を振りました。
「私の魔力型は合致していません」
「俺が、君を拒むと思うか」
「思うとか思わないとか、そういう話ではありません!」
声が大きくなりました。
「これは竜核の話です。気持ちだけでどうにかなるものではありません」
「ああ」
アーヴィン様は、静かに頷きました。
「だから言っている」
「何がですか」
「俺の核は、もう君を知っている」
アーヴィン様は、私の手を自分の胸元へ導きました。
手のひらに、大きすぎる竜核の魔力を感じます。
苦しそうに、けれど温かく。
「君が触れると、楽になる。君の魔力は、俺の中で暴れない。靄をほどいて、流して、静かに帰っていく」
「それは、処置の方法が……」
「違う」
低い声でした。
「君だからだ」
──君だから。
そんな一言で、研究者が納得してはいけません。
そんな一言で、術式を施してはいけません。
私は首を振りました。
「アーヴィン様。そんな危険は犯せません。失敗すれば、二重核が形成される恐れがあります」
「その時は、錠を掛けてくれ」
「だめです。先ほどもお伝えしたとおり、今新たな研究に着手したところなんです。焦る気持ちは分かりますが……」
「違う」
きっぱりと言ったアーヴィン様の目は、まるで魔獣討伐に出る隊長のそれでした。
焦りや曖昧なところがひとつもない、ただ確信に満ちた決意のようなもの。
私は言葉に詰まりました。
「な、何を根拠に……」
「俺は、君に命を、竜核を預けている」
「そんなこと、簡単に言わないでください」
「簡単ではない」
彼の声は、とても静かでした。
「だから、君なんだ。君だけだ」
「……意味が、わかりません」
アーヴィン様は、少しだけ目を細めました。
「母上が言っていただろう」
私は首を傾げました。
サラ様が?
「竜が核を預ける相手は、番くらいだと」
番。
「そ、それは、サラ様の冗談で……」
「竜核に関して、冗談は言わないだろう。それに、母が竜核に触れさせたのは、父だけだ」
「でも、私たちは番ではありません」
「まだ、という意味か?」
「違います!」
顔が熱い。
こんな場面で、何を言わせるのですか。
アーヴィン様は、苦しそうな顔色のまま、それでも少しだけ笑いました。
「俺は、そうなりたいと思っている」
胸が、痛いほど跳ねました。
「こ、こんな時に……」
「こんな時だからこそ、わかってほしい」
アーヴィン様は私の手を包み込みました。
「俺が、君をどれほど愛しているか」
「……っ?!」
愛している。
その言葉に、頭の中が真っ白になりました。
本当に真っ白で、何も考えられません。
目の前に、困ったように笑うアーヴィン様がいます。
彼は私の手の甲にキスを落としました。
それから、手首の内側に唇を這わせました。
びくり、と体が震えました。
そこで、私は、はっと我にかえりました。
「だ……だめです」
声は、掠れていました。
「愛しているから、大丈夫なんて、そんなのは論理的ではありません」
「そうだな」
アーヴィン様は頷きました。
「だが、君はもう答えを持っているはずだ」
「答え……?」
「俺の核に触れてきた君が、一番分かっているだろう。君の魔力が俺の中で暴れたことが、一度でもあったか」
私は、ゆっくりと目を見開きました。
ありません。
一度も。
魔力門を開く時も。
靄を解く時も。
それを流す時も。
私の魔力は、アーヴィン様の核に弾かれたことも、取り込まれたこともありませんでした。
「で、でも……」
それは、マイヤー博士の術式だったからかもしれません。ちゃんと条件を揃えて比較検討してからでないと……。
「リーリア」
私の考えを読んだように、彼の瞳は真剣な色を帯びました。
「俺の核は、君以外の魔力を認めない」
私は息をのみました。
──怖い。
私の術式が、彼を傷つけたら。
万が一、失敗したら。
取り返しがつかないことに──。
けれど、私の魔力が取り込まれなかったことは、事実なのです。
アーヴィン様は、黙り込んだ私の頬を優しく撫でました。
「証明させてくれないか。俺が欲しているのも、愛しているのも、番として共にありたいのも、君だけだと」
私は、震える息を吐きました。
「……少しでも拒絶反応が出たら、すぐに中止します」
「ああ」
「絶対に我慢しないでください」
「ああ」
「痛かったら言ってください」
「ああ」
「少し痛い、は信じません」
アーヴィン様は、こんな時なのに小さく笑いました。
「分かった」
私は、アーヴィン様の胸に手を当てました。
竜核の表面へ、私の魔力を細く伸ばします。
全てを封じる錠ではなく。
外から来るものを受け止め、流すための門。
アーヴィン様のお父様と、私の父と、私が作り上げた術式を、ゆっくりと描いていきます。
拒まれたら、すぐに絶つ。
取り込まれたら、すぐに解く。
そう決めていたのに。
私の魔力は、弾かれませんでした。
竜核に触れた瞬間、まるで帰る場所を見つけたみたいに、静かに馴染んでいきました。
門が──
開く。
アーヴィン様の核を封じ込めることなく、ただ、外から絡みつこうとする力を受け止めて、流す。
息を詰めて見守っていると、黒い靄がするすると解けました。それは胸の奥で星のようにきらきらと光り、門を通って静かに外へ流れていきました。
「……痛みますか?」
「いや」
アーヴィン様は、深く息を吸いました。
「楽だ」
その一言で、全身の力が抜けました。
「どうして……」
声が震えました。
「どうして、拒絶反応が起きないんですか」
アーヴィン様は、私の手を握ったまま、静かに笑いました。
「言っただろう」
銀灰色の瞳が、まっすぐに私を見ます。
「俺の核は、君を知っている」
「それだけで……」
「それだけじゃない」
彼は、私の手を自分の胸に押し当てました。
「俺が、君を選んだ」
その言葉に、私の胸の錠が、かちりと開いたような気がしました。
傷つくのが怖くて、ずっと想いを抑え込んできました。これ以上好きにならないように。彼の言葉を信じないように。
でも、それはもう無理です。
無理なのです。




