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鏡界館  作者: 織優幸灔
二章
82/155

2.ラムネ

 主任招集が終わり、何人かが新人の方に駆け寄って行った。


 少し楽しそうなみゆうに手を引かれた日蔓(ひかづら)は中腰になる。



「暇だったでしょ。疲れてない?」

「うん。私、この部屋とあの人も夢で見たよ。日蔓さんに言った夢」

「スーツ着た女の人の? みゆうここ来たことないでしょ」

「ないけど……見た!」



 確かに言っていたことと条件は一致するな。

 正夢的なものだろうか。本人が楽しければいいか。



「未来予知的な感じかもね。また教えて」


 顔を明るくして笑いながら頷くみゆうの頭を撫でていると、ふと正面から視線を感じた。線蓮が座ったまま何やらスマホを構えてこっちに手を振っている。訴えたら勝てるな。



 みゆうを連れて線蓮の方に向かう。

 驚きながらも目を輝かせる線蓮を見下ろし、机に腰かけた。



「どうした曄雅」

「昇進か引退か選ばせようと思って。上が動かないんじゃ俺主任の意味ねぇし」

「昇進! 皇雪(こうゆき)鬼燈(きとう)を下ろすから専務に!」

「はぁ!? 日蔓お前平に降りろよ!」

「黙れ皇雪!」



 日蔓と線蓮の大喧嘩に嫌気が差し、みゆうは大丈夫かとふと足元に目をやった。

 いなくなっていると思えば、男やら女やらが集って心配してそばにいる鬼燈の背中にしがみついている。


 皆みゆうに触ろうとして手を伸ばすのを何とか鬼燈が収めている状態。


「みゆう! 離れないで」


 呼ばれたみゆうは振り返ると走って日蔓に飛びつき、日蔓はみゆうの頭を撫でると群がっていた主任たちを睨んだ。皆が顔を青くして逃げていく。



「そうだ! おい日蔓! お前その子供が班所属になるまで育ててみろよ! そうだそれがいい! 昇進は辞めてな!」

「はぁ? 女に筋力がつくの何歳だと思ってんの? 頭沸いてんじゃない?」

「おい皇雪他人を巻き込むな! 一番仕事の速度が遅いお前が辞めればいい話じゃ! 部長に降りるでも平に降りるでも構わんが!」

「なんもしてないのに降下って不当解雇と同じだぞ!」

「鏡界館に日本の法律が通ずると思うなよ!?」



 線蓮がこれでもかと説教し、皇雪が必死に身を守っている間に日蔓はみゆうの向かいにしゃがむ。



「みゆうは将来やりたいことは?」

「……お兄ちゃんに会う……」

「仕事はどんなことがしたいとかある?」

「……テレビの人は嫌。お医者さんと、大学の先生も嫌い。皆と一緒にいれる仕事がいい」


 一体なんのトラウマか。




 日蔓はさりげなく運動どうこうや学校どうこうの話を聞いてみる。

 この子、運動神経は人一倍いいんだよな。ソファやベッドから落ちてもすぐ頭抱えて教えてないのに受け身とるし、届かない棚もジャンプで取るし。



「……じゃあ運動は嫌いじゃないの?」

「走るのは好き。いっつもお兄ちゃんと追いかけっこしてたから」

「公園?」

「うん。近くのお店の隣にあったの」

「……じゃあ明日走ってみようか。ちょっと運動しよう」


 弾むように頷くみゆうの頭に手を置くと、話に集中していたみゆうはふと影を見上げた。

 自分より遥かに大きい人に見下ろされ、その威圧感で肩を震わせる。



「ちょっと邪魔なんですけど」

「曄雅が可愛い」

「じゃあみゆうの運動能力見て育てるか決めるわ。その代わりみゆう以外は班に入れないって言っといて、線蓮」

「任せろ」



 皇雪がホッと胸を撫で下ろしていると、みゆうが日蔓の手を引いた。

 日蔓が見下ろすと机の前を指さされ、見れば例のみゆうの夢に出た女が立っている。


「こんにちは!」

「うるさっ……」

「もしかしたら、五年前に助けて頂いた方ではないでしょうか。静岡の……」

「知らんし。てか誰お前」



 日蔓に堂々と話しかけた女性に皆が顔を見合せ、周囲にいた人はそそくさとはけていく。



罌粟(けし)癒稞(いむぎ)! 明日から西木(せいもく)課二班主任になります! 同じ課の三班日蔓さんですよね! 主任を志望しながら三年半一度も班を取っていないと聞きました! 理由を聞いてもいいですか!」

「うるせぇ。ビービー泣く餓鬼じゃねぇんだから声量抑えろ馬鹿か」


 罌粟は愕然とした表情で口を押え、先ほど名前を教えてくれた主任たちの方を向いた。皆にあからさまに視線を逸らされ、専務も誰も視線を合わせてくれない。



「……じゃあ抑えます……。私も抑えるので理由を教えてください」

「言っても理解できないでしょ。馬鹿だから」

「り……理解ぐらいできます!」

「理解できる人間は声量抑え続けんの。黙れ」


 言葉を失った罌粟は両手で口を押え、机に腰掛けた日蔓はみゆうを線蓮の椅子に座らせた。絶対暇なのでタブレットで勉強アプリでもやらせておく。

 小学校にまともに行っていなかったようで、二桁の足し算引き算の暗算は無理、掛け算や九九も分かっていない。今は小一のアプリでやらせている。


 集中力はあるので一度始めたら声をかけるまで止まらないのが難点なぐらい。



「な……なんで……そんな酷いこと言うんですか……」

「酷いこと? 何が?」

「ば、馬鹿とか……黙れとか……。初対面ですよ……?」

「初対面で相手の自己紹介もさせないやつに払う敬意って何? 自分は払われないのに格下の相手には払えって? 俺理不尽嫌いなんだけど」


 罌粟はハッとし、すぐに頭を下げた。


「それは失礼しました! じこしょ……」

「マジでお前と話す価値ないから話しかけんな」


 二桁になった途端悩むみゆうに筆算のやり方の画像を見せた。楽しそうにやってくれるのが救いか。




 腰を折ったままの罌粟が固まり、皆がいよいよ泣くぞと顔を見合せていると、いきなり誰かが、いや叩く奴は一人しかいない。


「日蔓! お前には優しさがないのか!? 血も涙もない鬼め!」


 皇雪と鬼燈が即座にみゆうの耳を塞いだ。


「何優しさって。優しくしたいなら寄り添うでも慰めるでも反論するでもすりゃいいじゃん。お前のそれ優しさじゃなくて皆を代表して悪に文句言う俺カッコいいだろ。イタイよそれ」

「なっ……! 俺は断じてそんな気持ちでは……!」

「声ちっせー。図星突かれて怯えちゃったかな?」

「黙れ! 死んだ仲間の栄光にすがって上に可愛がられてますアピールしてる奴の方がよっぽどクズで使えんゴミだ! 家の権力だけで昇進したくせに威張ってんじゃねぇぞ!」



 日蔓は目を丸くし、線蓮はヤバいと思ったのか日蔓に駆け寄った。

 日蔓は口を塞がれる前にその腕を掴んで折れそうな力で無理やり下ろす。



 しかし聞いたら自分にも被害が及ぶと分かっている線蓮は左手を犠牲に右手で日蔓の口を塞いだ。



「曄雅! お前みゆうの前で毒吐くな! 教育に悪いどころの話じゃないぞ!?」


 腹筋では耐えきれないほど押さえ付けられ、そのまま後ろに倒れ頭を上げかけていた罌粟と頭をぶつけた。


 骨がぶつかり、罌粟は頭を抱え曄雅がそんなことより手が気持ち悪いと振り払おうとする。でも片手で顔を挟まれ無理。



 日蔓が唸って抵抗し、線蓮の腕を掴みながら腹を何度も蹴っていると静かで激しい喧嘩とはよそに、どこからか猫の鳴き声が聞こえてきた。

 線蓮が耳を疑って固まり、それと同時に日蔓は線蓮の右手も捻り腹を蹴り飛ばした。



「いッ……たッ……! お前また強くなっとらんか!? ここ数年まともに動いとらんじゃろ!?」

「線蓮さん、みゆうさん救助しに行ったの日蔓さん……」

「……部屋で何やっとる!? 見に行かせろ!」

「それ侵入目的だろ」

「違う! でも入れたら嬉しい」

「キモ」



 鬼燈は両手捻挫の線蓮が立つのを支え、みゆうはタブレットを置くと机の下をくぐって猫の方に駆け寄った。

 薄い青の毛と密より深い金の目をした美猫。


 でも珍しく尾が膨らんでイカ耳のままみゆうを警戒している。


「みゆう! 手伸ばしちゃ駄目だよ!」

「怖がってる?」

「ちょっとね」

「珍しいの」



 不思議に思った線蓮は猫の方に行くと後ろから頭を撫でた。ビクリと震えた猫はすぐに線蓮の足に絡み付き、今度は尾を体に付けて少し脅えた様子を見せる。


 線蓮はそばに膝を付くと猫を抱き上げてみゆうに少し近付けた。今度はみゆうが少し後ずさって警戒する。



「……やっぱり警戒するの。予知というわけでもなさそうじゃ」

「……よち?」

「あぁ。この猫は地震や台風、津波のような自然災害を予知するんじゃ。被害が出ないような小さなものは猫が無視する時も多いがな」

「……猫ちゃん名前は?」

「ない。皆……天災の猫とか予知の猫とか」

「名前付けないの? 飼い主は?」

「わしが一時的に預かる形になっとるが飼い主……とまではいってない気がする」


 そんなことを言えば、猫は少し怒ったように尾を立てて線蓮を見上げ鳴いた。相変わらず人の言葉を理解するらしい。



「名前ないと可哀想だよ」

「曄雅! 猫の名前!」

「猫」

「違うそれじゃ意味ないじゃろ」

「みゆうが付けたらいいじゃん」


 てかみゆうという漢字がないのに猫に名前付けんのか。順番がバラバラすぎる。



「……じゃあ青いからソーダちゃん……」

「却下。みゆう、もっといい名前にして」

「いい名前!」

「良くない。全く良くない」


 何かと呼ぶことの多くなる日蔓は首を横に振り、みゆうに変えろと圧をかける。みゆうは不服そうながら猫を見下ろした。

 もう警戒というか怯えられている。


「……じゃあラムネちゃん。……いい?」

「……まぁ許容範囲内」

「ラムネじゃと」


 ラムネはまたニャーと泣き、尾を振った。暇そうに毛ずくろいを始める。



「可愛いね」

「それよりみゆうは自分の漢字考えなきゃ駄目なんだよ。ひらがなでいいの?」

「だって漢字知らない……」

「困るんだよなぁ……」


 前に立ったみゆうの頭に手を置いて、子供のいる鬼燈と皇雪に話を振った。


「漢字考えてよ」

「丸投げかよお前自分の子供だろ」

「その言い方には語弊がありすぎる」

「だいたい未来になってほしい性格とか頭の良さ、心の広さ。人に恵まれますようにとか花言葉から取ったりとか?」

「みゆう、将来どんな人になりたいか希望はあるか? たくさん遊びたいとか美味しいもの食べたいとか」

「……人に優しくしたい」

「純粋〜」


 ここには性根の腐った荒んだ大人しかいないのでこの純粋さが痛いほどにしみる。



「……えじゃあ未来の未に優しいでよくない? 未来永劫優しくあれますように的な」

「親がいいならいいだろ」

「親じゃねぇつってんだろ。……ねぇみゆう、それでいいよね」


 みゆうは理解していなさそうな顔のまま元気に頷き、みゆうの変わりに全てを理解したラムネは今度は呆れたような、気だるそうな声で鳴いた。

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