第7話「強いって、どれくらい?」
旧ギルド倉庫は、ミルヴァの街の北西、小高い丘を背にした窪地にあった。
かつては物流の要所だったらしいが、今では蔦が絡まり、石造りの外壁も崩れかけている。そして何より、その周辺は物々しい空気に包まれていた。
「ストップ! ここから先は立ち入り禁止だ! 今、地下流路に大型の魔獣が立て籠もってる!」
交差点にバリケードを築いていた衛兵が、槍を交差させて俺とミナの行く手を遮った。
「大型魔獣って、昨日の夕方に森から逃げてきた岩みたいな角猪のことか?」
俺が身を乗り出して聞くと、衛兵は渋い顔で頷いた。
「そうだ。地下の迷宮みたいな流路に逃げ込みやがって、今、ギルドのCランク以上の冒険者を集めて特別討伐隊を編成してるところだ」
「それなら俺も手伝えるぞ! 俺、冒険者だ!」
俺は腰からFランクの木札をドヤ顔で外して見せた。
衛兵は五秒ほどその木札を見つめ、やがて盛大なため息をついた。
「……お前なぁ。Fランクの素人がそんな魔獣の前に出たら、一秒でミンチだぞ。悪いことは言わん、怪我したくなかったら街の中心へ戻ってろ」
「なんだって!? でも俺、あの倉庫に用があるんだ!」
「駄目なものは駄目だ! どうしてもって言うなら、そっちの後方支援の野営地で荷物運びでもしてろ!」
衛兵に追い払われ、俺はミナと共に、丘の少し下にある臨時野営地へと向かうことになった。
そこでは、負傷者の治療所や、討伐隊のための炊き出しの準備が急ピッチで進められていた。
「……はぁ。あんたの目的の第一葉って、あの倉庫の中なんでしょ? これじゃ近づくこともできないわね。討伐が終わるまで何日かかるか」
ミナが恨めしそうに丘の上の廃墟を見上げる。
だが、俺は目の前でグツグツと煮え立っている超巨大な鉄鍋から目を離せなかった。
「おい、ミナ! 見ろよあれ! 俺の背丈くらいある鍋で、五十人分のスープを作ってるぞ!」
「だから何よ。戦闘に参加できないんだから、大人しく待つしか……」
「おばちゃん! 俺、手伝うぞ! 芋の皮むきなら山ほどやってきたんだ!」
「ちょっ、カイ!?」
ミナの制止も聞かず、俺は野営地の炊事班のおばちゃんたちに混ざり、見事な包丁さばきで芋と根菜を刻み始めた。
大人数の飯を作る。こんなにお祭りみたいでワクワクすることは、山での静かな暮らしでは絶対に味わえない。
「あら、いい手つきじゃないの、坊や! じゃあこっちの肉も切ってちょうだい!」
「任せとけ! 筋は斜めに落とせば柔らかくなるんだ!」
俺が鼻歌交じりに昼飯係を楽しんでいると、野営地の入り口から、カチャカチャと金属の擦れる音を立てて一人の男が歩いてきた。
背が高く、青いマントを羽織り、腰には長剣を提げている。年の頃は二十代の後半くらいだろうか。目つきが鋭く、どこか『騎士』のような規律正しい空気を纏っていた。
「炊事班。討伐本隊の進軍が遅れている。昼食の配給を二時間遅らせ、いつでも温かいものが出せるように火加減を調整してくれ。それから、そこの新入り」
男の鋭い視線が、芋を刻んでいた俺に向いた。
「芋の大きさが揃っていない。均一に火を通さなければ、スープの味が濁る。切り直せ」
「おお、細かいんだな! わかった、親分!」
「……私は親分ではない。救援部隊の指揮を任されている、ダインだ。お前のようなFランクは、せめて裏方で足を引っ張らないように動いてくれ」
ダインと名乗った男は、それだけ言うと、怪我人のテントの方へ足早に去っていった。
「なんだか厳しい人ね。元は王都の騎士団にでもいたのかしら」
ミナが小声で呟いた。
それから一時間ほど経った頃だった。
ズズン……ッ!!
突如、地面の底から突き上げるような重い振動が野営地を襲った。
「ひっ! な、なに!?」
ミナがしゃがみ込む。
鍋のスープが大きく揺れ、こぼれ落ちる。丘の上の旧ギルド倉庫から、凄まじい魔力の閃光が漏れ出たのが見えた。どうやら地下で本隊と魔獣の激しい戦闘が始まったらしい。
だが、問題は地下だけではなかった。
俺の『残り見』の感覚が、周囲の岩肌から軋むような悲鳴を捉えた。
「……まずいぞ」
俺は包丁を放り出した。
旧ギルド倉庫が建っている丘の斜面。そこに長年根を張っていた古木が、地下の衝撃と昨日の豪雨で緩んだ地盤に耐えきれず、メキメキと音を立てて傾き始めたのだ。
「崩れる!! 全員、谷から離れろ!!」
俺が叫んだ直後、丘の斜面がドロドロの土石流となって、野営地に向かって雪崩れ落ちてきた。
「谷崩れだ!! 怪我人を優先して退避させろ!」
遠くでダインの怒声が響く。彼自身も身を呈して動けなくなった負傷者を担ぎ上げているが、土砂のスピードが速すぎる。このままでは、ダインごと数十人の裏方たちが土砂に飲み込まれる。
やるしかない。
俺は土石流の正面に立ち塞がり、両手を前に突き出した。
今回ばかりは、ちょっと借りるだけじゃ足りない。圧倒的な質量を押し返すだけの、莫大な力が必要だ。
「――風よ! 水よ!」
森とは違い、ここは枯渇区画からわずかに外れている。
俺は周囲の空気を捻り上げ、地下水脈から滲み出る水気を一気に引き上げた。俺の体という『筒』を、限界まで拡張する。俺の魔槽は測定器の下限にも届かない。蓄えを使う普通の魔法は不得手でも、外から借りた力を通せる。ただし、筒にも流せる速さの限界はある。流入を一気に増やせば、体と周囲の土地に反動が出る。
ゴォォォォォォッ!!
俺の手から、巨大な竜巻と水柱が融合したような強烈な奔流が撃ち出された。
「なっ……!?」
負傷者を担いでいたダインが、信じられないものを見るように目を見開く。
俺の放った《環流術》の力は、雪崩れ込んできた数トンの土砂を真っ向から受け止め、強引に軌道をねじ曲げた。土石流は野営地を避けるように左右へ真っ二つに割れ、無人の斜面へと流れていった。
「す、すげえ……!!」
炊事班の誰かが歓声を上げた。
危機は去った。全員、無傷だ。
「よーし、なんとかなっ……」
俺が胸を撫で下ろし、借りた力を自然に返そうとした、その時だった。
バキィィィッ!!
「えっ?」
俺が背後の風と地下水を限界まで急激に吸い上げた反動で、野営地の反対側にある岩壁が乾燥してひび割れ、ガラガラと崩れ落ちたのだ。
崩れ落ちた岩の山は、あろうことか、野営地の生活用水として使っていた細い水路を完全に見事に塞いでしまった。
「…………あ」
静まり返る野営地。
「カ、カイ……あんた、何やってんのよ……」
ミナが頭を抱えた。
ダインが、無表情のまま俺の元へ歩いてくる。
「見事な魔法だった。我々の命を救ってくれたことには感謝する」
ダインは一呼吸置き、塞がった水路を指差した。
「だが、あの水路が塞がっては、治療用の水も、昼食のスープも作れん。力があることと、結果をコントロールできることは別だぞ、新入り」
「……はい。ごめんなさい」
俺は深々と頭を下げた。
師匠の言葉が頭をよぎる。『環流は無料じゃない。借りすぎれば、必ずどこかに歪みが出る。綺麗に返して、初めて術だ』と。
俺は強かったかもしれないが、正しくはなかったのだ。
それからの半日、俺はひたすら無言で土と泥にまみれていた。
討伐本隊が地下で魔獣を仕留め、凱旋の歓声を上げている間も。怪我人たちが治療を終えて安堵の息を吐いている間も。
俺は一人で、水路を塞いだ岩を抱え上げ、元の斜面へ運び、ズレた地盤を足で踏み固める作業を続けていた。
「……おい。もういいんじゃないか。水路は通ったぞ」
泥だらけになった俺に、ダインがタオルを差し出してきた。
「いや、まだだ。借りたものは、ちゃんと元の形に直して返さないと」
俺が笑って汗を拭うと、ダインは呆れたような、しかしどこか感心したような目で俺を見下ろした。
「妙な奴だな。あんな強力な魔法を使えるのに、その手は泥だらけで、マメだらけだ」
俺が最後の岩を積み直し、ふうと息を吐いた時だった。
「おい、そこの若ぇの」
不意に、背後からしわがれた声が聞こえた。
振り返ると、討伐本隊の帰還者に混ざっていた一人の古老の冒険者が、俺の手の動きを食い入るように見つめていた。白髪で、顔中傷だらけのベテランだ。
「あんた、今、岩を動かす時に変な呼吸をしてただろ。それに、さっき土砂を吹き飛ばした時も、術の構えが『魔力を貯める』形じゃなかった」
古老は、信じられないものでも見るように震える指で俺を指差した。
「お前さん……その技、どこで覚えた。もしかして、『ベレン』という男に教わらなかったか?」
俺とミナは、顔を見合わせた。
この街で初めて、俺の師匠の名前を知る者が現れたのだ。




