第6話「布団という発明」
ふかふか、だった。
背中を包み込むのは、天日干しされた清潔な布の匂いと、適度な弾力を持つ綿の感触。上に掛けられた毛布は、驚くほど軽いのに、山で冬場に被っていた熊の毛皮よりもずっと温かい。
寝返りを打つと、体が布の海に沈み込んでいくような錯覚に陥る。
「……やばいぞ、これは」
宿屋『踊る木馬亭』の二階、俺に割り当てられた小さな客室。
朝の陽ざしが窓の隙間から差し込んでいるというのに、俺はベッドの上でみのむしのように丸まり、震えていた。
「なんという恐ろしい罠だ……。地面は無料だとか、土手の方が寝心地がいいとか、俺はとんでもない勘違いをしていた……!」
昨日の夕方、谷間で魔物の群れを逸らした後、俺とミナはすぐに街の衛兵に事態を報告した。衛兵が谷の出口を封鎖し、群れは森へ戻った。街と川下の村に被害が出なかったと聞いて、ようやく眠れた。
その功績と、ついでに狩った大蜘蛛の脚(ギルドで結構な値段で売れた)のおかげで、俺たちはこの宿にもう一泊することができたのだ。
二日連続の屋根付きの部屋。そして、このベッド。
「こんなものに毎日包まれていたら、人間は間違いなく駄目になる。狩りにも行かず、飯も食わず、ただこの『布団』という魔の空間で一生を終えたくなってしまう……!」
ドン、ドン、ドン!!
俺が布団の偉大さと恐ろしさに戦慄していると、部屋の木の扉が乱暴に叩かれた。
「ちょっとカイ! いつまで寝てんのよ! 朝ご飯の時間、とっくに過ぎてるわよ!」
廊下から響くミナの怒声。
俺は名残惜しさに涙を流しながら、這いずるようにしてベッドから抜け出し、扉を開けた。
「……おはよう、ミナ。すまない、俺はあやうく布団に食われるところだった」
「何言ってんのよ、ただの寝坊じゃない。ほら、顔洗って早く下に降りてきなさい」
呆れ顔のミナに急かされ、俺は渋々ながら一階の食堂へと向かった。
食堂の隅のテーブルで、冷めかけた豆のスープとパンを胃袋に流し込む。
「で、今日はどうするの? 昨日の魔物騒ぎで、ギルドの採取依頼は当分ストップみたいだけど」
向かいの席で帳簿に羽ペンを走らせながら、ミナが尋ねてきた。
「ああ。稼ぎも大事だけど、そろそろ本来の目的を進めようと思ってな」
「本来の目的?」
「これだよ」
俺は腰の袋から、四つ折りにされた古びた羊皮紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
「ほら、昨日の朝にギルドでお前にも話しただろ。俺は師匠の爺さんに言われて、この街に来たんだ」
ミナは帳簿から顔を上げ、俺が広げた羊皮紙をまじまじと見つめた。
商人の目つきに変わる。
「……ちょっと、カイ。この羊皮紙、信じられないくらい古い時代のものよ。しかも、特殊な防腐魔法がかけられてる。これだけでも相当な価値があるわ」
「そうなのか? よくわからんが、大事なのはこっちだ」
俺は羊皮紙に描かれた大陸の図を指差した。
そこには、俺たちのいるレムナ王国を中心に、いくつかの都市や山脈が描かれている。そして、その上に点々と、『七つの葉っぱの印』がスタンプのように押されていた。
「七つの葉印……? これは何かの宝の地図?」
「さあな。爺さんは、『この七つの場所を順番に巡れ』って言ってた。それぞれの場所に、爺さんが昔残した『置き手紙』があるらしいんだ」
俺は首から下げた紐を引っ張り、布で包んだあの『押し葉』を取り出した。
門番に突き返された、カチカチに樹脂で封じられた葉っぱだ。
「この押し葉を現地の目印にかざすと、手紙が開く仕組みになってるらしい。で、手紙を読んだら、その土地で『一番いいもの』を自分で見つけて、この土産話帳に書いてこいってさ」
俺はもう一つ、白紙の小さな手帳を取り出してポンと置いた。
「所持金ゼロで放り出された割には、随分とロマンチックな旅をしてるのね。それで? その七つの手紙には何が書かれてるの? 魔法の極意とか、世界の真理とか?」
ミナが少し身を乗り出してくる。
「いや、地図には手紙の内容は書かれてないんだ。現地に行かないと読めない。ただ、最初に向かう『第一葉』への案内文だけは、この地図の端っこに書いてあるんだよな」
俺は地図の右下、細々とした文字が書かれている部分を指差した。
「どれどれ……『愛する弟子カイへ。お前がこれを見ているということは、無事に下界へ着いたということだろう』……ふむふむ。なんだか偉大な師匠って感じの書き出しじゃない」
ミナが期待に満ちた声で案内文を読み上げる。
「『お前の持つ葉は鍵だ。七つの節点を巡り、わしの声を聞け。さすれば道は開かれん。さて、まず最初はミルヴァの第一葉へ行け。そこでお前が知るべきは……』」
ミナの読む声が、ピタリと止まった。
「知るべきは?」
俺が首を傾げると、ミナは目を瞬かせ、羊皮紙に顔を近づけて二度、三度と文字をなぞった。
「……『まず第一葉へ行け。あと風呂には入れ』」
「ん?」
「……それだけよ」
ミナがバタンと羊皮紙をテーブルに叩きつけた。
「なによこれ! 魔法の極意は!? 世界の真理は!? 『風呂には入れ』って、親元を離れる子供へのただの生活指導じゃない!!」
「はははっ! 相変わらずの爺さんだ! 確かに俺、山じゃあんまり水浴びしなかったからな。風呂の偉大さは昨日嫌というほど思い知ったぞ!」
「笑い事じゃないわよ! こんなの、わざわざ仰々しい地図に書くことじゃないでしょ!」
怒るミナをよそに、俺は腹を抱えて笑った。
なんだか、爺さんのもごもごとした喋り声がすぐ隣で聞こえたような気がして、ほんの少しだけ胸の奥が温かくなった。
「で? その『第一葉』ってのは、このミルヴァの街のどこにあるのよ」
ため息をつきながら、ミナが地図のミルヴァ周辺を指でなぞる。
「ええと、ここだ」
俺が示した印は、街の中心部にある華やかな市場や冒険者ギルドではなく、街の外れ、森に近い区画にポツンと打たれていた。
「ここって……『旧ギルド倉庫』じゃない。数十年前に使われなくなって、今は廃墟みたいになってる場所よ」
ミナが不思議そうに眉をひそめる。
だが、その名前を聞いた瞬間、俺の頭の中に昨日の夕方の記憶がフラッシュバックした。
――ズズン、ズズン。
森の枯渇区画から現れ、パニックになった群れとは違う方向へ真っ直ぐ歩いていった、岩の鎧をまとったような大型の角猪。
あいつが向かっていった先は、確かに街の外れ、旧ギルド倉庫の地下へ続く流路の方向だった。
「……旧ギルド倉庫か」
俺はスッと真顔になり、テーブルの上の押し葉を握りしめた。
「どうしたの、急に怖い顔して」
「ミナ。昨日、谷間で魔物を逸らした時、俺の術が不発になったのを覚えてるか?」
「ええ。あんた、源がすっからかんだって騒いでたわね」
「森の奥の魔力や風の流れが、不自然に『枯渇』してたんだ。そして昨日、一匹だけ妙にデカい魔物が、その枯渇区画からこの旧ギルド倉庫の方角へ向かっていくのを見た」
ミナの顔色が変わる。
「それって……その倉庫に、森がおかしくなった原因があるってこと?」
「かもな。どっちにしろ、第一葉の場所なら行くしかないだろ」
俺は立ち上がり、背中の荷物を締め直した。
「行こうぜ、ミナ。第一葉の置き手紙と、この街で一番いいものを探しに!」
俺たちは宿を出て、陽の昇りきったミルヴァの街を、旧ギルド倉庫へと向けて歩き出した。




