第59話「持たない力、持つ責任」
ズゴオオオオォォォォォォンッ!!!!!
第七葉『世界樹谷』の最も深い底で、世界中の魔力と、世界を食らう虚無の怪物が真っ向から激突していた。
「ぐ、うおおおおおっ!!」
俺の体の中を、七つの節点から集められた極大の魔力が、濁流のように駆け抜けていく。
骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。本来なら、魔法使いの体内にある『魔槽』が一瞬で焼き切れて死ぬほどの絶望的な総量。
だが、俺の魔槽は『測定下限未満のゼロ表示』だ。貯める器として働かないから、外の流れを溜めずに通せる。だが俺の体にも限界はある。ニアが弁で流量を抑え、爺さんが波長をそろえて、ようやく持ちこたえている。
「波長同調、最大維持! そのまま押し込め、カイ!!」
背中合わせに立つ爺さんが、杖から血が滲むほどの手の力で魔力流の束を制御し、俺が耐えられる角度と速さに整えてくれている。
目の前で、巨大な漆黒の渦――『空喰い』の本体が、俺から放たれる限界を超えた魔力を食らい続け、みるみるうちに異常な膨張を始めていた。
「喰いたいなら、全部喰いな!!」
俺は、ミナが運んでくれたカレドへの物資、ニアが計算した完璧な回路、ダインたちが守り抜いた避難民の命、そして、グランツのおっさんが四十年かけて貯め込んだ『大蓄槽』の力、そのすべてを込めて、最後の一撃を前に押し出した。
「これで……お終いだぁぁぁっ!!」
ピキッ、と。
空喰いの巨大な渦の表面に、光の亀裂が走った。
無尽蔵に魔力を食う化け物も、世界中の『持っているもの』を束ねた圧倒的な質量の前には、ついにその許容量の限界を超えたのだ。
パァァァァァァンッ!!!!!
耳を塞ぐ暇もないほどの破裂音と共に、空喰いが内側から爆発し、目も眩むような純白の閃光が世界樹谷を覆い尽くした。
「――返すぞ!」
俺は腕を下ろさず、七つの弁へ合図を送った。空喰いに食わせた分は戻らない。だが、破裂で行き場を失った余剰の流れを、このまま谷に捨てれば土地を焼く。爺さんが波長をほどき、ニアが各地の弁を順に開く。光は谷から七本の細い道へ分かれ、まだ受け取れる地域の節点へ戻っていった。戻せる分の最後の一滴まで、行き先を見届ける。
「……はぁっ、はぁっ……」
閃光が収まり、俺はその場にドサリと膝をついた。背後で爺さんも「腰が、腰が痛い……」と杖をついて崩れ落ちている。
俺は荒い息を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……おい。見ろよ、爺さん」
谷の底を渦巻いていた、空間を削り取るような灰色の暴風は、もうどこにもなかった。
それだけではない。
空を見上げると、今までどんよりと濁っていた灰色の雲がサァッと晴れ、抜けるような真っ青な空が広がっていた。
乾き切っていた岩肌から、清々しい土の匂いが立ち昇り、遠くから風が葉を揺らす自然の音が聞こえてくる。
奪われていた『色』と『匂い』と『音』が、世界に一気に戻ってきたのだ。
『カイさん! やりましたね! 空喰いの波長、完全にロストしました!』
腰の通信魔道具から、ニアの歓喜の声が響き渡った。
「おう! なんとか通し切ったぜ!」
『みんな無事よ! 空の灰色が消えて……ああ、なんていい匂いかしら!』
後方で治療を受けているミナの声も続く。
だが、感動的な勝利の余韻に浸る間もなく、通信機からは次々とドタバタした声が飛び込んできた。
『おいミナ! さっきのスープの味がちゃんと戻ったわ! やっぱり塩気が足りてなかったのよ! 味がするって最高ね!』
『本当だ、干し肉の旨味が信じられないほど鮮明に感じられる! これが自然の魔力が戻ったということか!』
『王都からも聞こえますか! ミナ様、カイ様! 今朝焼いたパンが、本当に……本当に美味しいですわ! 小麦の甘さがわかります!』
ザザ、ダイン、そして王都にいるリヴィア王女までもが、世界を救った歓喜よりも先に「味」と「匂い」の確認を全力で始めていた。
「お前ら……世界が救われた直後に最初に食い物の味を確認するって、どんだけ食い意地張ってんだよ!」
俺が呆れてツッコミを入れると、通信機越しに全員から『あんたが言うな!』という見事なハモリが返ってきた。
王都に偏っていた力も、痩せた地方の流れも、ようやく行き先を取り戻したのだ。
「……見事なものだな」
谷の入り口から、グランツ総監がゆっくりと歩み寄ってきた。
「七つの節点を結ぶ循環回路。……私が四十年かけて集めた中央備蓄が、各地の血肉となって流れていくのが、手にとるようにわかる」
グランツは、澄み切った青空を見上げて目を細めた。
「カイ殿。約束通り、大蓄槽による魔力の中央独占は今日をもって解除しよう。今後は、大蓄槽を有事の『災害備蓄』として積み直す。平時の放出権限は各地へ分散し、記録は公開する。契約した組合の運用収益の三パーセントも、復旧基金へ回す。公開監査の件と合わせ、近日中に王宮で正式な調印式を行おう」
グランツが守った備えを、次に必要とする場所へ渡せるようにする。その約束が、俺には嬉しかった。
「おう、よろしく頼むぜ、おっさん」
俺はニカッと笑い、腰の袋から土産話帳を取り出した。
最後の節点である第七葉。ここで見つけた、一番いいもの。
俺は羽ペンを取り、迷うことなくページに書き込んだ。
『みんなが持っているものを渡したこと』
誰か一人が抱え込むんじゃなく、持っているものを渡して、循環させること。それが、この世界を救った一番の力だった。
それから数日後。
空喰いの危機が去り、世界中に穏やかな日常が戻りつつある中。俺たちは再び第四葉の街、カレドの中央広場に集まっていた。
「いやぁ、カイさん。今回の働きに対する王宮からの『決戦の特別報酬』と、魔術院で採用された《環流術》の『公開講習と安全検査の委託料』の第一回配当金です。……ものすごい額ですよ」
王都からわざわざカレドまでやってきた魔術院の役人が、分厚い革袋をいくつもテーブルの上にドン、ドンと積み上げた。
「うおおおっ!? すっげえ重い! これ全部金貨か!?」
俺が革袋を開けると、中には目も眩むような金貨が山のように詰まっていた。
「これでカイも大金持ちね。一生遊んで暮らせるんじゃない?」
松葉杖をついたミナが、嬉しそうに俺の顔を覗き込んだ。
「ああ。……だから、まずはこれだ」
俺は革袋の中から金貨を何枚か取り出し、自分の懐から、くしゃくしゃになった一枚の羊皮紙を取り出した。
「はい、これ」
俺は、借用書に書いた五十枚の金貨を数え、羊皮紙と一緒にミナの前に押し出した。
「……は?」
ミナが目を丸くする。
「なんだよ、忘れたのか? 俺がお前に書いた借用書だ。緊急物資を買った時の五十金貨、絶対に返すって約束しただろ。これで全額返済だ」
「ちょっとカイ、あんた自分が世界を救った英雄だってわかってるの? 王宮から莫大な報酬をもらって、最初にするのが個人的な借金の返済なの!?」
ミナが信じられないという顔で俺を見た。
「当たり前だろ! 借りたものは返す。それが俺の絶対のルールだ!」
「そこはもう少し後でもいいでしょ! この空気の読めない野生児!」
ミナは呆れ果てたようにため息をついたが、その顔はどこか嬉しそうだった。彼女は自分の分厚い帳簿を開き、俺の不器用な字で書かれた借用書に、赤いインクで『完済』と力強く書き込んだ。
「よし。これで俺の借金はゼロだ」
俺はスッキリした顔で頷き、残っている大量の金貨の袋を、テーブルの中央にドンッと押し出した。
「で、残った金の使い道は、俺にも決めさせてくれ」
「……え?」
「返した五十を宿の貯金に戻せば、お前の預け金は三百。足りない二百は、俺の今回の報酬から出資する。合わせて五百金貨だろ?」
俺はミナの目を真っ直ぐに見つめた。
「ミナの実家の宿屋を、買い戻そう。そして、そこを俺たち『一枚葉』の新しい拠点にするんだ」
「カイ……」
「俺は今まで、地面の上で寝られればどこでもいいと思ってた。でも、ミナが負傷した時、俺は初めて失うのが怖いって思ったんだ。……俺には、帰る家が必要だ。お前たちと一緒に帰れる、俺たちの家が」
俺の言葉に、ダインが優しく微笑み、ザザが「最高じゃない! アタシが最高の家具を買い揃えてあげるわ!」とはしゃいだ。ニアも「拠点の魔力防壁は私が完璧に設計します」と眼鏡を光らせている。
ミナは、テーブルの上の金貨と俺の顔を交互に見て、やがてポロポロと大粒の涙をこぼした。
「……買い戻せる。私の三百と、あなたの二百。宿の権利もその割合で帳簿に残すわ。掃除も経営も逃げないでよね」
「おう! 任せとけ!」
数週間後。
買い戻しの手続きが無事に終わり、王都の裏通りにある、かつてミナの実家だった小さな宿屋の扉が開かれた。
新しい看板には、俺たちの『一枚葉』のマークが誇らしげに刻まれている。
再開に向けた準備で埃まみれになっている帳場のカウンター。俺は土産話帳を開き、旅立ちの日からずっと持ち歩いていた押し葉を、栞として一度だけ挟んだ。山へ持っていく七つの話を確かめて手帳を袋に戻し、押し葉はまた首に掛けた。
「先に山へ戻っておる。あの小屋の戸を開けて待つわい」
旅支度を整えたベレンの爺さんが、入口で杖をついた。
「俺も片づけが済んだら行く。話が七つあるから、湯を多めに沸かしておいてくれ」
俺は振り返り、掃除道具を持って集まってきたミナたちに向かって笑った。
「爺さんのあとを追って、山へ帰ってくる。土産話、全部聞かせてくるよ」
「気をつけてね、カイ。……ちゃんと、帰ってくるのよ」
ミナの優しい声に見送られながら、俺は旅立ち以来初めて、自分が育った懐かしい山へと向けて、大きく足を踏み出した。




