第57話「中央の力も、いる」
南の尾根で負傷したミナを救護班に預け、谷へ戻った俺は、道を先に確保していたベレンの爺さんとグランツ総監に追いついた。三人で暴風が吹き荒れる西の果てへと足を踏み入れる。
すべての魔力が吸い寄せられる震源地。
巨大な岩山がパカッと真っ二つに割れたようなその大地の裂け目は、かつて『世界樹谷』と呼ばれていた場所だという。
「……ひどい有様だな」
谷の入り口に立った俺は、思わず息を呑んだ。
谷の内部は、灰色の『空喰い』の本体が巻き起こす凄まじい嵐のせいで、空間そのものがひしゃげて歪んでいるように見えた。色も音もなく、ただあらゆるものを削り取っていく虚無の渦が、谷の奥底で不気味に渦巻いている。
「カイ。あそこを見ろ」
横に立つ爺さんが、風に煽られながら杖で谷の入り口付近を指した。
岩肌に半ば埋もれるようにして、苔むした古い石碑が立っている。台座には、最後の七つ目となる葉印の窪みがあった。
俺は風圧に顔をしかめながら石碑に近づき、首から下げていた押し葉を窪みにはめ込んだ。
カチリ、と重々しい音が鳴り、石碑の中から最後の手紙が滑り出てきた。
この過酷な旅の終着点で、爺さんは最後に何を教えてくれるのか。俺は逸る心を抑えながら、樹脂で封じられた手紙を開いた。
『答えは書いてない。お前の答えを持って帰れ』
「…………」
俺は、手紙の短い一文をじっと見つめた後、小さく笑ってそれを懐にしまった。石碑の根元には、岩に埋もれた最後の接続弁がある。爺さんと俺で泥を掻き出し、二人がかりで取っ手を回した。固い弁が動くと、谷の底へ続く細い光が灯る。これで七つ目も回路に繋がった。
「なんだよ、爺さん。最後くらい、かっこいい助言をくれればいいのに」
「ふん。お前はもう、わしの借り物の教えだけで動くような子供ではあるまい。この先は、お前自身がこの旅で見つけたもので立ち向かえ」
爺さんが、珍しく師匠らしい威厳のある声で言った。
そうだ。山で教わった「残っているものを数える」力も、ミナたちと旅をして学んだ「足りないものを聞く」力も、全部俺の中にある。
なら、あとは俺の答えを出すだけだ。
『カイさん! 聞こえますか!』
俺の腰に下げた通信魔道具から、後方で待機しているニアの焦った声が響いた。
「おお、聞こえるぞ! ミナの足の怪我はどうだ!」
『ミナさんの応急処置は終わりました! 七つ目の弁の接続も確認しました。でも、空喰い本体の周囲には濃密な魔力の断絶層があるんです。地域への補給圧のままでは、その奥へ届きません!』
「なんだと!? じゃあどうすりゃいいんだよ!」
『……グランツ総監!』
通信機越しのニアの声に、グランツが一歩前に出た。
『今度は谷へ直結する最後の制御弁を開き、大蓄槽の出力を一時的にここへ集中してください。地域への供給は止めず、残りの予備を防波堤に使えば、内部への道を開けます!』
「……なるほど。私の中央備蓄を盾にして、本体への道を切り開けと言うのだな」
グランツは、谷の奥で渦巻く灰色の嵐を鋭い目で見据えた。
グランツは計器の針を見た。地域への流れを保ったまま、谷へ回せる量は限られている。
「おっさん、残してある分をここで使おう。俺と爺さんが奥まで行く」
「先に結んだ契約は、君たちが危険を引き受けるために結んだのだったな」
グランツは通信機を握り直す。
『王都の制御官です。リヴィア殿下から届いた王家の印を確認しました。谷への二段目の封印も解除できます』
ニアの盤面に、殿下の署名の写しが浮かぶ。
「殿下、ありがとう。次は俺たちだ」
「中央備蓄の予備を谷へ送る。ただし各地の補給を守る量は残す。ニア君、弁の負荷を監視してくれ」
『はい。上限を超える前に必ず伝えます!』
俺と爺さんが頷くと、グランツは通信機に向かって叫んだ。
「谷への直結弁を開け! 制御値の範囲内で、中央の予備を直上へ放て!」
ズゴオオオオォォォォォッ!!!
グランツの号令と共に、空喰いの灰色の嵐を切り裂くように、はるか東のオルムの方角から、極太の青白い魔力の奔流が飛来した。
大蓄槽の魔力が、目も眩むような巨大な防波堤となって世界樹谷の直上に展開される。
バチバチバチッ!! という鼓膜が破れそうな轟音と共に、空喰いの巻き起こす断絶層が、青白い魔力の盾によって真っ二つに押し広げられていく。
「道が開いたぞ、カイ!!」
グランツが、嵐の中で叫んだ。
「おう!! 行くぞ、爺さん!!」
「わしに指図するな、馬鹿弟子が!!」
グランツは弁の制御盤を守るため入口に残った。俺と爺さんは、中央備蓄がこじ開けた唯一の道を駆け出した。
灰色の風が吠える谷の奥底。
すべての元凶である『空喰い』の本体が待ち受ける核心部へと、俺たちはついに突入した。




