第54話「一枚葉食堂、臨時開店」
ピィィィィィィンッ……!!
臨時指揮所の天幕に、ニアの持つ魔力計器の不快な警告音が鳴り響いていた。
「ニア、状況は!」
グランツ総監の焦燥に満ちた声に、ニアは真っ青な顔で計器の盤面を円卓に投影した。
「……第四葉、鉱山都市カレドへ向かう主要輸送経路が完全に沈黙しました! 空喰いが上空を通過した余波で、大気の魔力層が歪み、物理的な通行が不可能な状態になっています!」
「なんだと……! カレドはもともと魔力源が弱っている土地だ。物資の循環が途絶えれば、真っ先に街が干上がってしまうぞ!」
ダインが机を強く叩く。
俺たち『一枚葉』のネットワークは、七つの節点すべてが滞りなく魔力と物資を循環させて初めて成立する。一箇所でも穴が空けば、そこからシステム全体が過負荷で焼き切れてしまうのだ。
「迂回路はあるの!?」
ミナの問いに、ニアは地図の一部を指し示した。
「南の荒野を大きく迂回するルートがあります。ですが……環境魔力の乱れで凶暴化した魔物の群れがひしめく、極めて危険な地帯です。通常の護衛では突破できません」
「くそっ……。護衛の再編成が必要ね」
ミナは帳簿を握りしめ、指揮所の外を見た。
そこでは、カレドへ向かうはずだった大量の荷馬車が足止めを食い、長い列を作っていた。
いつ出発できるかわからない不安と、空喰いの通過によって冷え切った灰色の空気。避難民や御者たちは馬車の陰で身を寄せ合い、みるみるうちに気力を失っていくのがわかった。
「……おい、ダイン」
俺は、外の様子を見てからダインの肩を叩いた。
「カイ?」
「護衛の再編成には少し時間がかかるんだろ? だったら、まずはあいつらに温かい飯を食わせようぜ」
俺が言うと、ダインは少し驚いたように目を瞬かせた。
「飯、だと? だが、この緊急事態に……」
「緊急事態だからだよ! 腹が減ってちゃ、不安に押し潰されちまうし、危険な道も進めない。俺たちが集めたあの美味そうな物資、ただ馬車に乗せとくだけじゃもったいないだろ?」
俺は腰の鉄鍋をバンッと叩いて笑った。
「やろうぜ。一枚葉食堂、臨時開店だ!」
「……ふっ。相変わらずお前は、どんな時でもブレないな」
ダインが緊張を解いたように口角を上げ、「よし、第一小隊! 広場に巨大な大鍋を三つ用意しろ! 炊き出しの準備だ!」と指示を飛ばした。
数十分後。
臨時指揮所の前の広場には、リュドの船乗りたちが届けてくれた巨大な鉄鍋が並べられ、薪の火が赤々と燃え上がっていた。
「さあ、どんどん野菜を切って鍋に放り込むわよ! 人手が必要だから、手伝える人はエプロン着けて!」
ミナの号令で、ザザだけでなく、手の空いている騎士たちも調理の手伝いに駆り出された。
「私も手伝いますわ!」
お忍びのフードを脱いだリヴィア王女が、腕まくりをしてミナの隣にやってきた。
「えっ!? 殿下、ダメですよ、お洋服が汚れちゃいます!」
「いいの。今は私も一枚葉食堂の従業員よ。さあ、この『ジャガイモ』という野菜の皮を剥けばいいのね?」
リヴィアは自信満々に言うと、どこから取り出したのか、護衛の騎士から借りた『両手剣』を天高く振りかぶった。
「このように、剣で真っ二つに叩き割ればよろしいのですか!?」
「違う違う違う!!」
ミナが慌てて両手剣に飛びつき、全力で止める。
「食材が木っ端微塵になるでしょ!! 殿下は包丁を持ったことがないんですから、大人しくあっちでお皿拭きをしててください!!」
「むぅ、王家の剣技を見せるチャンスでしたのに……」
「はいはい、野菜はアタシが細かく砕いてあげるわよ!」
ザザが金槌を振り回しながら野菜の入った木箱に近づいていく。
「あんたはハンマーで野菜を粉砕するのやめなさい! ダイン、こいつらをつまみ出して!」
ミナが頭を抱えて悲鳴を上げている横で、ダインは真剣な顔で巨大な鍋のスープをかき混ぜていた。
「よし、よく煮えてきたわね。じゃあザザ、配膳の準備を……」
「任せなさい! みんな、しっかり体力つけるのよ!」
ザザは並んだ木の椀に、大きなお玉でスープと具材を限界まで盛り付け始めた。一つの椀に、通常の三倍近い山盛りの具材がそびえ立つ。
「ほら、次! どんぶり三杯分よ!」
「バカヤロウ!」
ダインが激怒してザザのお玉を取り上げた。
「ペース配分というものを考えろ! 避難民は数百人いるんだぞ、最初の方の連中にそんなに盛ったら、すぐに鍋が空になるだろうが!」
「だって、腹一杯食わせて使い切ってなんぼでしょ!」
「計画的な配分が何より重要なのだ! 貴様は炊き出しの素人か!」
「なんだとぉ!?」
騎士団の規律を重んじるダインと、使い切る浪費家のザザが、鍋の前でギャーギャーと大喧嘩を始める。
「あーもう、誰も真面目に料理しないじゃないの!」
ミナが帳簿で二人を引っぱたきながら、指揮所の広場はいつの間にか、灰色の風の恐怖を忘れるほどのドタバタな活気に包まれていた。
「……できたぞ。味見を頼む」
ようやく煮上がったスープを小皿に取り、ダインが俺とミナに差し出した。
「おう、待ってました!」
俺はワクワクしながらスープを口に含んだ。
「…………あれ?」
ミナも一口飲んで、怪訝な顔をした。
「……味が、ないわ。ただの白湯みたい」
「そんなはずはない」
ダインが自分でも口をつけ、ハッと目を見開いた。
「……肉も野菜もたっぷり入れたはずだ。なのに、味がすべて抜け落ちている」
「空喰いの影響です」
魔力計器を持ったニアが、厳しい顔で近づいてきた。
「あの化け物は、環境魔力と一緒に、周囲の環境魔力を奪い、匂いも味も感じにくくしています。王都では逆に魔力が一か所に偏り、殿下の味覚が鈍りました。同じ流れの偏りが、場所ごとに違う症状を出しているんです」
俺たちは灰色の空を見上げた。
世界が痩せていく。その恐ろしさは、魔力が使えないことよりも、今日食べる飯の『うまい』という感覚すら奪っていくことだった。
「……これでは、ただ腹を膨らませるだけの泥水だ。彼らの心を満たすことはできん」
ダインが悔しそうに拳を握る。
だが、俺は少しも諦めていなかった。
「おいおい、勝手に諦めるなよダイン」
俺は鍋の前に立ち、目を閉じた。
味が消えかけている? 上等だ。俺は山の中で、いつだって「無いもの」に文句を言うより、まだ「残っているもの」を探してきたんだ。
「……少し、借りるぞ」
俺は『残り見』の感覚を使い、巨大な鍋の中を透かして見た。
食材の味は確かに薄い。だが、完全にゼロになったわけじゃない。煮え方が違う野菜の芯と肉の骨の髄には、まだ味が残っているはずだ。鍋の熱の巡りが悪い場所もわかった。
「ダイン! あそこの馬車にある、リュドの船乗りが持ってきた小魚の干物を三匹、鍋の右端に入れてくれ!」
「なっ、小魚? この味付けに魚は合わんぞ!」
「いいから! それとミナ、ミルヴァの爺さんがくれた『塩』を、俺が言うタイミングで三つまみだけ入れてくれ!」
「わ、わかったわ!」
俺は、微かに残る旨味の流れを、風と熱の《環流術》を使って鍋の中でグルグルと回し始めた。
右端に入れた魚の出汁が、肉の旨味の薄い部分を補うように流れ込む。そこへミナが塩を投じ、味がぼやけていた輪郭をバシッと引き締める。
失われかけた味を、各地から届いた『一番いいもの』の力で繋ぎ合わせる。
「……よし! これでどうだ!」
俺が熱の流れを止めると、鍋からフワァッと、これまでにないほど力強くて香ばしい匂いが立ち上った。
「なっ……!?」
ダインが驚愕の顔でスープを味見し、震える手で俺を見た。
「美味い……! 薄れていた食材の味が、塩と出汁の完璧な調和によって完全に引き出されている。これこそ、みんなの鍋だ……!」
「おまちどおさま! 特製・一枚葉スープだぞ!」
俺たちが木の椀にスープを注いで配ると、不安そうにしていた避難民や御者たちが、恐る恐るそれを口に運んだ。
「あ……」
「う、うめえ……。なんだこれ、涙が出るほどうめえ……」
味を失いかけていた灰色の世界で、温かくて『うまい』飯が、彼らの腹の底に落ちていく。
俯いていた顔が上がり、子供たちが笑顔になり、絶望に支配されていた広場に、確かな生気と希望の光が戻ってきたのだ。
「……すごいですわ」
リヴィア王女が、空になった鍋を見つめて微笑んだ。
「カイの、美味しいものを見つける力は……本当に、世界を救う力なのね」
「さてと」
広場の人々が腹ごしらえを終え、気力を取り戻し始めたのを確認すると。
ミナが、パンパンと手を叩いて立ち上がった。
「さあ、お腹も膨れたし、仕事の時間よ」
ミナは帳簿を脇に抱え、ダインの部隊の騎士たちと、リュドの馬車の御者たちを振り返った。
「カレドへ向かう迂回ルートは魔物だらけの危険地帯。……あたしが、この輸送車列の指揮を執るわ」
「ミナ!?」
俺が驚いて声を上げると、ミナは商人の不敵な笑みを浮かべた。
「あんたたちは、すべての元凶を絶つために第七葉へ向かうんでしょ? だったら、ネットワークの穴を埋めて時間を稼ぐのは、あたしたちの仕事よ」
ミナは、腰に下げた革袋を軽く叩いた。
「実家の宿屋を買い戻すための大切な命……こんなところで失うわけにはいかないからね。絶対に荷物をカレドに届けて、オルムに帰ってくるわ」
俺たちが第七葉へ向かう間、ミナもまた、自分の誇りを懸けた戦いへ向かおうとしていた。




