第52話「貯めたものを、流す」
旧断流点に設営された臨時指揮所の天幕内。
円卓を囲む空気は、これまでにないほど張り詰めていた。外では相変わらず、空の色を食い尽くす灰色の『飢えの風』が吹き荒れている。
「……つまり、こういうことか」
グランツ総監が、円卓に投影された複雑な魔力回路図を睨みつけた。
「オルムの地下にある『大蓄槽』の魔力と、各地域の蓄魔晶をすべて一本の回路で相互接続する。そして、意図的に限界を超える大流量の魔力を発生させ、あの『空喰い』に食わせる。奴の許容量を超えるまで食わせ続け、内側から風船のように破裂させる、と」
「はい。理論上、あの怪物を消滅させる方法はそれしかありません」
ニアが、真っ直ぐな目でグランツに答えた。
「問題は二つ。一つは、その大流量の魔力を制御し、空喰いの口元まで正確に『通す』ための導管役が必要なこと。……そしてもう一つは、総監」
ニアの言葉に、円卓の全員の視線がグランツに集まった。
「この作戦を実行するためには、総監が四十年間命懸けで守り、貯め込み続けてきた中央備蓄を決戦で使う許可と、各地へ段階的に放出する権限が必要です」
「…………」
グランツは沈黙した。
当然だろう。彼が中央に魔力を集めてきたのは、持たざる者を救うためだ。その全財産とも言える備蓄を、得体の知れない怪物との戦いに使う約束をする。もし計算が狂えば、王国の命綱を失う。
「……危険すぎる」
グランツが、絞り出すような声で言った。
「王立魔術院の主席クラスであった私が見ても、君の数式は美しい。だが、不確定要素が多すぎる。万が一失敗すれば、私がこの手で守ってきた民の命綱が、すべて無に帰すのだぞ」
「でも、このままじゃいずれ全滅です! 時間を稼いでいる間に……!」
ニアが食い下がるが、グランツは首を横に振った。
彼にとって、備蓄は絶対に手放してはならない『命』そのものなのだ。彼が故郷を失った日から今日まで、その信念だけで生きてきたのだから。
「――おっさん」
重い沈黙を破ったのは、俺だった。
俺は円卓の前に進み出ると、グランツの目を真っ直ぐに見据え、深く、頭を下げた。
「カ、カイ?」
「カイ殿……?」
ミナやダインが驚きの声を上げる。俺が誰かに頭を下げるなんて、滅多にないことだからだ。
「頼む」
俺は頭を下げたまま、はっきりと言った。
「あんたが四十年かけて貯めてきたその力。……俺に、貸してくれ」
「……貸す、だと?」
「ああ。俺は今まで、一箇所に貯め込むことばっかりに反発してた。でも、今日あのデカい水筒を見て、あんたの備えがどれだけの命を救ってきたのか、よくわかったんだ」
俺は頭を上げ、グランツの驚いた顔を見返した。
「あんたの『貯める』力は凄い。でも、それをずっと金庫にしまっておくだけじゃ、あのバケモノは倒せない。だから、俺の『流す』力と合わせたいんだ」
俺は自分の胸をドンと叩いた。
「ニアが言ってた、大流量の魔力を制御して『通す』ための導管役。俺がやる。俺の《環流術》なら、ニアの制御弁と爺さんの助けがあれば、通す役をやれる」
備蓄と、環流。
正反対だと思っていた二つの力が、今、世界を救うために重なり合おうとしていた。
「俺は『借りたものは返す』主義だ。あんたの備えは、絶対に無駄にはしない。だから、借りたいんだ」
俺の真っ直ぐな言葉に、グランツはしばらく唖然としていたが。
やがて、フッと口元を綻ばせた。
「……四十年前にすべてを捨てて逃げた男の弟子に、まさか頭を下げられる日が来るとはな」
グランツは腕を組み、かつての威厳ある総監の顔に戻った。
「よかろう。そこまで言うのなら、中央備蓄を決戦で使う権限を、君たちに『貸し付け』ようではないか」
「本当か! ありがとな、おっさん!」
「ただし、だ」
俺が喜んで顔を上げた瞬間、グランツの目が商人のように鋭く光った。
「私は充足院の総監だ。王国の財産を無条件で融通するわけにはいかん。貸すからには、厳格な条件を呑んでもらう」
「じょ、条件?」
「うむ。貸付期間は本日から起算して三日間。それを超過した場合は、遅延損害金として日歩三パーセントの利子を『複利』で上乗せして返済してもらう。もちろん、魔力晶の純度換算でな」
グランツが懐から分厚い契約書の紙を取り出し、スラスラと条件を書き込み始めた。
「さらに、今回の貸し付けには担保が必要だ。君たち『一枚葉』の全財産、および将来にわたる労働収入を担保として設定させてもらう。この条件でよければ、ここに署名したまえ」
「……は?」
俺はポカンと口を開けた。
世界が滅びるかどうかの瀬戸際だぞ? なんでこのおっさんは、突然窓口の貸金業者みたいになってるんだ?
「ちょっと待ちなさいよ!!」
俺の後ろから、ミナが猛烈な勢いで飛び出してきた。
「世界が終わるかどうかの緊急事態に、なんで複利計算してんのよ!! そもそも三日以内にあの空喰いを倒せなかったら、取り立てる世界ごと消し飛んでるでしょ!!」
「緊急時であれ、規則は規則だ。私がこれだけの譲歩をしているのだから、債務者側もそれなりの覚悟を示すべきだろう」
「譲歩ぉ!? 日歩三パーセントの複利なんて、完全に違法な闇金レベルの暴利じゃない! 王都の法定金利を平気で無視してんじゃないわよ! 使用期限は一週間、利子は無利息の元本保証のみで手を打ちなさい!」
「馬鹿な。これほどのハイリスクな投資に無利息などあり得ん。百歩譲って単利の五パーセントだ」
グランツとミナが、円卓を挟んでバチバチと火花を散らしながら金利交渉を始めてしまった。
「ええと……フクリってなんだ? よくわかんないけど、俺がここに名前書けば貸してくれるんだろ?」
俺が呑気に羽ペンを手に取ろうとすると、ミナの帳簿が俺の手の甲をスパーン! と叩いた。
「あんたは黙ってなさい! よく読まずにサインして何回痛い目見たと思ってんのよ!」
「いでっ! わかったよぉ!」
ダインが「……まあ、絶望して立ち止まっているよりは建設的だな」と苦笑し、ザザが「アタシ、こういう細かい話になると眠くなるのよね」とあくびをしている。
「……よろしい。決戦で備蓄を使う権限は五日間。全財産の担保は取り下げる。消費した魔力そのものに返済期限は設けず、戦後に共同で積み直す。利子に相当する組合の運用収益の三パーセントは、災害備蓄の復旧基金へ。成功の暁には大蓄槽のシステム監査を一枚葉が請け負う。これで合意しよう」
「ええ、それで手を打つわ。カイ、サインして」
数分間の激しい交渉の末、ミナが勝ち誇った顔で俺に契約書を押し付けた。
俺が急いで『カイ』と署名すると、グランツはそれを懐にしまい、顔つきを総監から『技術者』へと一変させた。
「よし、交渉成立だ! ではニア君、ただちに回路の最適化に入るぞ!」
「はい、総監! まずはオルムの第一制御弁と、王都の地下供給槽の同期プロトコルから再計算します!」
「いや、それだとミルヴァの第二ラインに負荷がかかりすぎる。旧断流点のバイパスを並列で繋ぎ、導力係数にパイを掛けて相殺するのだ!」
「なるほど、その手がありましたか! ならば微分方程式の項を一つ削れます!」
グランツとニアが、机の上の地図にものすごいスピードで複雑な数式を書き込み、専門用語を機関銃のように交わし合い始めた。
さっきまでの暗い雰囲気はどこへやら、二人とも未知の問題を解くことに夢中になっているようで、その目はキラキラと輝いている。
「……すげえ。何言ってるか一文字もわかんねえけど、専門家同士が噛み合うとこんなにサクサク話が進むんだな」
俺が感心して見ていると、十分も経たないうちに、二人は同時に羽ペンを置いた。
「……出ました。これが、世界中の魔力を一つに繋ぐ『一枚葉ネットワーク回路』の最終設計図です」
ニアが投影した地図には、七つの都市を結ぶ美しい光の線が描かれていた。
「だが、この回路を完成させるためには、最後に一つだけやらねばならないことがある」
グランツが、地図の西の果て……光の線がすべて集束している一点を指差した。
「すべての力の交差点である『第七葉』の節点。……あそこに直接赴き、手動で巨大な『接続弁』を開かなければ、この回路は起動しない」
「第七葉……」
俺は、地図のその場所を見た。
それは、飢えの風の震源地であり、空喰いが渦巻く世界樹谷だ。
「わかった。俺たちが行く」
俺が答えると、ダインも長剣を構え、ザザが金槌を肩に担いだ。
「あたしたちの組合の初仕事ね。絶対に成功させるわよ」
ミナが帳簿を閉じ、力強く頷く。
俺たちは互いに顔を見合わせ、すべての元凶が待ち受ける第七葉へ向けて、最後の旅立ちの準備を整え始めた。




