第49話「戻る道を残す」
ピピピッ! ピピピピッ!!
ニアの持つ計器から発せられる七地点同時警報の音が、灰色の風が吹き荒れる臨時指揮所に響き渡っていた。
「ば、馬鹿な……! 全域で同時に魔力循環が途絶えただと!?」
グランツ総監の顔から、完全に余裕が消え去った。
彼は血相を変えて指揮所の巨大な天幕へと取って返し、魔力通信機に怒鳴り声を上げ始めた。
「王都の第一蓄魔晶の出力を最大にしろ! オルムからの緊急供給ラインを全開にし、各拠点の魔力圧を強制的に維持するんだ! なんとしてもシステムの崩壊を食い止めろ!」
自分が四十年かけて築き上げた『持つ安全』の要塞が崩れ落ちるのを、なんとか力ずくで押さえ込もうとする必死の足掻きだった。
「おい、総監閣下が指揮を執っておられるぞ! 我々も本部へ戻り、防衛の陣形を……!」
ダインの旧部隊の副官が、混乱する騎士たちをまとめようと声を張り上げる。
「待て」
その副官の肩を、カイがガシッと掴んだ。
「カイ殿? 邪魔をしないでいただきたい。我々には軍の命令が……」
「お前ら、あのおっさんのシステムを守ってどうするんだよ」
カイは、指揮所の外を指差した。
そこでは、セルドが不当に集めようとして道端に放置されたままの地域備蓄の荷馬車が、突風に煽られて横転しそうになっていた。村から逃げてきた住民たちが、悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
「あのおっさんが自然の災害に『勝とう』としてるのは勝手にやらせておけばいい。だけど、俺たちは違うだろ」
カイは、副官の目を真っ直ぐに見据えた。
「災害をねじ伏せるより先に、目の前の人たちが明日『戻れる道』を残す方が先だ! 毛布が飛んでいったら凍えるし、飯がなけりゃ明日生きられない。俺たちは、あの備蓄と人ン命を守るぞ!」
カイの言葉に、副官はハッとして目を見開いた。
そして、傍らに立っていたかつての隊長――ダインの静かな、だが確固たる意志を宿した青い瞳を見て、彼は剣を鞘に納めた。
「……第一から第三小隊! これより我々は総監の命令系統から離脱し、ダイン元隊長の指揮下に入る! 最優先任務は、民間人の避難誘導と備蓄物資の確保だ!」
「応ッ!!」
騎士たちの力強い声が、飢えの風の音を切り裂いた。
「よし、即席の救助本部を立ち上げるぞ!」
ダインが指揮所の入り口にあった木箱の上に立ち、素早く木札に役割を書き込んで配り始めた。
「第一小隊は風上に防風壁を展開しろ! 君たちの役職は『防風係』だ。第二小隊はミナと協力して物資の確保、『輸送係』! ザザと第三小隊は『誘導係』、ニアは王女殿下と共に『負傷者手当係』だ!」
的確な指示と役割分担。配られた木札を首から下げた者たちが、一糸乱れぬ動きで現場へと散っていく。
軍隊の規律が、民間人を救うために最高の形で機能していた。
「よーし、俺も行くぞ!」
カイが気合を入れてダインの前に手を出したが、ダインは難しい顔をして木札の束を見た。
「すまん、カイ。お前の分は……用意していなかった」
「えっ?」
「お前は遊撃として、各自のフォローに回ってくれ」
「なんだよそれ! 俺も首から札を下げて、なんかカッコいい係をやりたい!」
カイは辺りを見回し、地面に落ちていた手頃な木の板と消し炭を拾い上げ、ガリガリと文字を書き始めた。
「よし、できた! 俺は今日から『余り物回収係』だ!」
カイが首から下げた板には、ミミズが這ったような汚い字でそう書かれていた。
それを見たダインの眉間が、ピクピクと痙攣した。
「……却下だ」
「なんでだよ!」
「軍の規律として、そのような非公式で意味不明な役職は認められん! だいたい余り物とはなんだ、余り物とは!」
「うるせえ! 俺は余り物回収係として出動するぞ!」
ダインの静止を振り切り、カイは突風が吹き荒れる広場へと飛び出していった。
カイの『余り物回収係』の仕事は、ダインの想像を遥かに超えていた。
彼は《環流術》の『残り見』の感覚を極限まで広げ、灰色の風に飲まれて視界が悪い中から、まだ使えるものを次々と見つけ出していったのだ。
「おっ、あそこの岩の隙間に子供の毛布が引っかかってるぞ!」
風を借りて跳躍し、毛布を回収する。
「こんなところに千切れた縄が! 結び直せばテントの補強に使えるな!」
突風で吹き飛ばされそうになっている荷馬車の車輪を、拾った縄で素早く固定する。
「ああっ、俺の鉄鍋の兄弟分みたいな立派な鍋が転がってる! これは絶対に救出しないと!」
泥の中に半分埋まっていた大鍋を拾い上げ、袖で綺麗に拭き取る。
誰の目にもつかないような、パニックの中で見捨てられた『余り物』たち。だが、カイがそれらを回収し、適材適所で最前線の『戦力』として戻していくことで、現場の救助活動は劇的にスムーズに回るようになっていった。
「ダイン! この布、風除けの補強に使ってくれ!」
「ミナ! 荷車からこぼれてた干し肉、泥を落としたからまだ食えるぞ!」
縦横無尽に駆け回り、誰よりも泥だらけになって物資を運んでくるカイの姿に、最初は苦い顔をしていたダインも、やがて小さくため息をついた。
「……全く。規律を乱す男だ」
数時間後。
カイや騎士たちの奮闘により、陣地周辺の民間人はすべて安全な天幕の中へ避難し、吹き飛ばされそうだった地域備蓄の物資も完璧に保護された。
「ふう、ひと段落だな!」
カイが拾ってきた大鍋で沸かしたお湯を飲みながら一息ついていると、ダインがツカツカと歩み寄ってきた。
「カイ。お前に渡すものがある」
ダインが差し出したのは、綺麗に削られた木札だった。
そこには、ダインの達筆な字で、こう書かれていた。
『特務遊撃隊・余り物回収係 カイ』
「……お前が一番働いていたからな。私の部隊の、正式な役職として認めてやろう」
ダインが少し照れくさそうに顔を逸らすと、カイは目を輝かせてその木札を受け取った。
「やったぁっ! 正式な役職だぞ! ありがとな、ダイン!」
カイが木札を首にかけ、誇らしげに胸を張る。
その横でミナが「はいはい、よかったわね。でもあんた、全身泥だらけで本当に野生の獣みたいになってるわよ」と呆れながら笑っていた。
だが、俺たちの足元の安全を確保したとはいえ、空を覆う灰色の風は一向に弱まる気配がなかった。
天幕の奥から、グランツ総監が疲れ切った顔で出てきた。
「……駄目だ。王都の出力でも、この魔力枯渇の連鎖を押しとどめることはできん。私の作った備蓄システムが、崩壊していく……」
最強の管理体制を誇った男が、自然の猛威を前に肩を落とす。
このままでは、どんなに手元の物資を守っても、いずれは世界中が枯れ果ててしまう。
「諦めないでください、総監」
計器を睨み続けていたニアが、バンッと机を叩いて立ち上がった。
「各地点でバラバラに魔力圧を維持しようとしても、この規模の枯渇には対抗できません。でも、やり方はあります」
ニアは丸眼鏡をキラリと光らせ、俺たちの顔を見回した。
「私たちが旅してきた、七つの葉印の節点。ミルヴァ、リュド、王都、カレド、オルム、そしてこの断流点と、その先の第七葉。……これらをすべて『相互接続』し、一つの巨大な回路として繋ぐんです。そうすれば、この星全体の魔力を使って、飢えの風を押し返すことができます!」
「七つの節点を、相互接続だと……?」
ダインが驚きの声を上げる。
「そんな大規模な術式、どうやって……」
ニアの提案に、爺さんが顔を上げ、俺もニヤリと笑って鉄鍋を鳴らした。
世界を救うための、反撃の狼煙が上がろうとしていた。




