第44話「世界一でかい水筒」
セルドに雇われていた傭兵たちを街道で縛り上げ、夕飯の特大串焼きを急いで腹に詰め込んだ俺たちは、西の『旧断流点』へ向けて旧騎士輸送路を歩いていた。
だが、オルムの街を出て半日も進まないうちに、俺たちの足は止まることになった。
「……なんだあれ」
街道の先、平野がすり鉢状に窪んだ広大な盆地に、見たこともないような巨大な建造物群が広がっていたのだ。
何万もの労働者が蟻のように動き回り、巨大な石のブロックを魔法と滑車で積み上げている。その中心には、直径が数百メートルはあろうかという底なしの巨大な穴が掘られ、青白く輝く『蓄魔晶』の柱が何十本も突き立っていた。
「ビンゴです。ここが、魔術院のデータベースにあった極秘プロジェクト……グランツ総監が建造を進めている『大蓄槽』の建設現場です」
ニアが分厚い本を開きながら、眼鏡の奥で目を細めた。
「極秘って言う割には、ずいぶんオープンじゃない。ほら、あっちの入り口」
ミナが指差した先には、色とりどりの旗が立てられ、『王立充足院・大蓄槽公開見学ツアー入り口』という大きな看板が掲げられていた。
周辺の街から集まったと思われる一般の市民たちが、案内人の後ろについてぞろぞろと建設現場の中へ入っていく。
「隠すどころか、堂々と公開しているのね」
フードを目深に被ってお忍び姿になったリヴィア王女が、興味深そうに呟く。
「見せているのは備蓄槽の外側と供給設備だけです。各地からどう魔力を吸い上げるか、肝心の制御盤は見せていません」
ニアが見学路の奥にある閉ざされた扉を示した。ダインも頷く。
「表の施設を見せれば、備えがあることは民にも伝わる。仕組みは伏せたままな」
ダインの言葉に頷き、俺たちも一般市民のふりをして、その見学ツアーの列に紛れ込むことにした。
「さあ、皆様! こちらが我が王立充足院が総力を挙げて建造中の、中央管理型・第零番『大蓄槽』でございます!」
案内人の声が、魔力拡声器に乗って響き渡る。
整備された見学用の高台から見下ろすと、その圧倒的なスケールに息を呑んだ。
だが、俺の口から出た感想は、恐怖でも感嘆でもなく、純粋な喜びだった。
「うおおおおおっ!! すっげえ!! 見ろよミナ、世界一でかい水筒だぞ!!」
俺は高台の手すりに身を乗り出し、バンバンと手を叩いた。
「あれに満タンに水を入れたら、一生かかっても飲みきれないぜ! 底の方で泳いだら最高だろうな!」
「まあっ! 本当に世界一大きなお水筒ですわね!」
隣で、リヴィア王女も全く同じテンションで手すりから身を乗り出していた。
「あんなに大きなお水筒なら、きっと冷たくて美味しいお水がいつでも飲めますわ! カイ、あそこに飛び込む時は私も連れて行ってちょうだい!」
「おう! 任せとけ!」
「ちょっと!!」
ドゴォォンッ! という鈍い音と共に、俺とリヴィアの頭に、丸められた案内パンフレットと分厚い帳簿が交互にクリーンヒットした。
「痛っ!」
「きゃっ!」
振り返ると、般若のような顔をしたミナが立っていた。
「あんたたちねぇ! ここは社会科見学に来た小学生の遊び場じゃないのよ! 少しは真面目に視察しなさい! だいたい殿下も、殿下まで一緒になって水筒扱いしないでください!」
「だ、だって、あんな大きな水筒を見たのは初めてなんだもの……」
頭を抱えて涙目になる姫様を庇いながら、俺は「ミナはロマンがわかってないな!」と抗議したが、さらに帳簿で叩かれそうになったので大人しく口をつぐんだ。
「……ミナさんの言う通りです。ふざけている場合じゃありませんよ」
ニアが、真剣な顔つきで手元の計器と案内人の説明を照らし合わせていた。
「この施設……長所としては、完璧すぎます」
「完璧?」
「はい。案内人の言う通り、この大蓄槽が完成すれば、王国のすべての魔力と水を中央で一括管理できるようになります。たとえ四十年前のような『飢えの風』が全土を襲ったとしても、この大蓄槽の備蓄だけで、国全体を数年間は確実に維持できる。まさに、国家の防衛としては無敵の盾です」
「数年間も国を持たせられるのか……。さすがはグランツ総監だ。これほどの安全網を張り巡らせるとはな」
ダインが腕を組み、感心したように重々しく頷く。
ミナも、帳簿に数字を書き込みながら息を吐いた。
「ええ。これなら、カレドの街で見たような水不足も、計画的な配給で未然に防げるようになるわ。……持たざる者を救うための、最強の仕組みね」
みんながグランツのおっさんの凄さを認めている中、俺はふと足元に目を落とした。
「……なぁ」
「どうしたの、カイ」
「この世界一でかい水筒って、すっげえ量の水と魔力を吸い込んでるんだよな。だから、あんなに深い底まで掘れるくらい、地盤がカチカチになってるんだろ?」
俺は『残り見』の感覚で、高台の周囲の地面をじっと見つめた。
「この足元の土、なんかパサパサしてないか?」
「え?」
俺の言葉に、ニアが慌てて計器を足元の土に向けた。
「……っ! なんてこと……大蓄槽への魔力の集中圧が強すぎて、本来なら周辺の土地へ自然に流れ出るはずの『微細な魔力循環』まで、全部中央に吸い寄せられています!」
ニアが顔面を蒼白にして叫んだ。
「それって、どういうことなの?」
ミナが尋ねると、ニアは唇を噛んだ。
「副作用です。この大蓄槽は、中央の安全を完璧にする代償として、周辺の土地の自然な潤いを奪い続けているんです。今はまだわずかですが、このまま稼働を続ければ……オルムから遠く離れたカレドのような地方都市は、常に環境魔力が『薄い』状態、つまり人為的な枯渇状態に置かれ続けることになります」
「常に、枯渇状態……」
ダインが息を呑んだ。
それはつまり、グランツのおっさんが用意する『配給』がなければ、地方の人間は生きていけなくなるということだ。
中央が完全に安全になる代わりに、地方は常に、あの選べない貧しさの中に固定される。
「……でも」
ミナが、帳簿を胸に抱きしめながら、苦しそうに呟いた。
「それでも、これで確実に餓死者は減るのよ。全体で見れば、多くの命を救うためには、仕方ない犠牲……あるいは、必要な管理体制なんじゃないの?」
「私も、騎士としては否定しきれん」
ダインも重い声で同調した。
「すべての土地を完璧に救う魔法などない。ならば、中央に巨大な盾を作り、そこから計画的に配分するグランツのやり方は、国家の存続という点において極めて合理的だ」
「…………」
仲間たちがグランツの理念に理解を示す中、俺はあの黒い大蓄槽の底をじっと睨みつけた。
「……俺は、嫌だ」
俺の呟きに、ミナがハッと顔を上げた。
「カイ?」
「合理的だろうがなんだろうが、俺は嫌だ。周りの土地をカサカサに枯らしてまで、一箇所に全部貯め込むのはおかしい」
俺は振り返り、ミナとダインを真っ直ぐに見た。
「足りない場所があるなら、今持ってる場所から『流せば』いいんだ。一箇所に縛り付けて、俺たちが配ってやるから言うことを聞けってやり方は、結局誰も幸せにならない気がする」
「……カイ。でも、それは理想論よ。現実には……」
ミナの言葉尻が濁る。
多数を確実に生かすための中央備蓄か。それとも、周囲を枯らさないための循環か。
俺たち『一枚葉』の中で、初めて明確に意見が割れた。
重苦しい空気が流れる中、案内人の陽気な声だけが大蓄槽の底に響き渡っている。
「行こう」
俺は、押し葉の地図が入った袋を握り直した。
「この道を進めば、爺さんが四十年前に同じ選択を迫られた『旧断流点』に着くはずだ。そこで、答えを見つける」
俺たちは、それぞれに言葉にならない重いものを抱えたまま、巨大な水筒の建設現場を背にして、西へと歩みを進めた。




