第42話「「足りる」は暴力か」
供給都市オルムの中枢、厳重な警備が敷かれた迎賓室。
巨大な円卓を挟んで、俺たち『一枚葉』とリヴィア王女は、王立充足院総監・グランツと対峙していた。
「カイ殿。君は、自分の使うその《環流術》が、誰によって生み出されたものか知っているかね」
グランツが、テーブルの上で両手を組みながら静かに口を開いた。
「ああ、知ってるさ。俺の師匠の、ベレンの爺さんが編み出した技だ。王宮の資料庫で、爺さんが昔『旧環路』を作った凄い魔術師だってことも聞いてきた」
俺が胸を張って答えると、グランツの目元がわずかにピクリと動いた。
「……やはり、ベレン殿の養い子であったか。王都の地下で君の術の構造を見た時から、もしやとは思っていたが」
「総監。あなたは昔、お師匠様の助手だったのよね?」
ミナが探るように尋ねると、グランツは重々しく頷いた。
「そうだ。今から四十年以上前、私は王立魔術院の若き研究者として、天才設計者であったベレン殿の右腕として働いていた。彼の『世界から力を借りて返す』という理念は、当時の私にとって、神の啓示のように輝いて見えたものだ」
グランツの視線が、どこか遠くを見るように虚空を彷徨った。
「だが、あの忌まわしい『飢えの風』が世界を襲った時。……私のその崇拝は、絶望へと変わった」
グランツの声の温度が、急激に冷たくなる。
「カイ殿。君は、彼が王都を救うために地方の魔力供給を『強制遮断』したという事実を知っているな?」
「……ああ。ダインから聞いた。そのせいで、地方の村で犠牲者が出たことも」
「……その、切り捨てられ、見捨てられた地方の村。それが、私の『故郷』だ」
グランツの口から出たその言葉に、部屋の空気が完全に凍りついた。
リヴィア王女が息を呑み、ダインが眉間を険しく寄せる。
「当時の私は必死に彼を止めた。強制遮断などすれば、故郷の家族が、村の皆が死んでしまうと。だが、彼は『全体を生かすための合理的な判断だ』と言って、私の目の前で……冷酷に遮断のレバーを引いたのだ」
グランツの握りしめた拳が、怒りで微かに震えていた。
「水が干上がり、作物が枯れ、私の家族を含む多くの村人たちが、飢えと渇きの中で死んでいった。……あの悲鳴を、私は一日たりとも忘れたことはない」
俺は、何も言えなかった。
彼がなぜ、これほどまでに巨大な備蓄庫を作り、国中の物資を中央で厳格に管理しようとしているのか。
そのすべての原動力が、爺さんに故郷を切り捨てられた、この凄惨な過去にあるのだ。
「カイ殿。君はカレドの街で、配給を待つ母親に『生きていれば大丈夫だ』と声をかけたそうだな」
不意に、グランツの鋭い視線が俺の心臓を射抜いた。
「なっ……なんでそれを」
「充足院の耳目は国の隅々まで届いている。……カイ殿。私は、その話を聞いた時、虫唾が走るほどの怒りを覚えた」
グランツが、円卓に身を乗り出して俺を睨みつけた。
「君の言う『足るを知る』という生き方は、いつでも山に逃げ帰れる者、あるいは十分な力を持った者の傲慢に過ぎない。水がなく、明日生きる保証もない、選べない貧しさの中にいる者に対して『少しあれば十分だろう』と説くのは……それはただの『暴力』だ!」
ドスン、とグランツの拳がテーブルを叩いた。
「持たざる者を救うのは、精神論ではない。圧倒的な『備蓄』と、それを公平に配分する『管理体制』のみだ。……それを見捨てて山へ逃げた男の教えなど、すべて偽善に過ぎん!」
グランツの言葉は、正論だった。
被害の当事者である彼の口から発せられる告発の重さに、俺の価値観は真っ向から粉砕され、反論の言葉など一つも浮かばなかった。
俺が山で爺さんから教わってきた『まだあるものを数える』というやり方は、街の現実の前では、ただの借り物の綺麗事でしかなかったのだ。
だが。
「……待てよ」
俺は、下を向いていた顔をガバッと上げた。
「なんだ? まだ私に反論があるというのか?」
「爺さんが逃げたのは、悪いかもしれない。……でもな!」
俺は円卓に両手をつき、グランツを睨み返した。
「爺さんの教えが全部偽善だって言うのは、訂正しろ! あいつは……あいつは、ただの、鍋を焦がして丸一日落ち込んでるような、不器用な爺さんでもあるんだ! 偽善者なんかじゃねえ!」
「…………は?」
グランツが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
「ちょっとカイ!!」
背後からミナが俺の服の襟を力一杯引っ張った。
「あんたバカ!? なんでそこ!? この最高にシリアスで重たい空気の中で、なんで『鍋の焦げ』だけで師匠の擁護に入ってんのよ! もっと他に言うことあるでしょ!」
「だって、爺さんが鍋焦がして落ち込むのは本当なんだもん!」
「論点がズレすぎよ!!」
ミナがズッコケて叫び、ザザも「アタシ、感動して泣きそうだったのに涙引っ込んじゃったわよ……」と額を押さえている。
グランツはすっかり毒気を抜かれたように大きなため息をついた。
「……君と話していると、頭が痛くなってくる。今日のところはこれで終わりにしよう。君にはこの街で、我々の築き上げた『持つ安全』の完成形を見せたいと思っている」
会談が終わり、俺たちはオルムの街にある宿屋に戻ってきた。
鍋のことで反論はしたものの、俺の心の中には、グランツの「暴力だ」という言葉が重くのしかかっていた。
「カイ。あんた、大丈夫?」
ミナが心配そうに覗き込んでくる。
「……ああ。でも、グランツのおっさんの言う通りだ。俺の価値観は、爺さんからの借り物だった。それじゃあ、この先には進めない」
俺は立ち上がり、押し葉を取り出した。
「第五葉の手紙を開けてくる。爺さんが、この街で何を俺に伝えたかったのか、知りたいんだ」
俺は一人で宿を出て、オルムの巨大なサイロの陰にある、古びた水路の石碑へと向かった。
そこにある小さな窪みに押し葉をかざすと、カチリと音がして、第五葉の手紙が現れた。
開いた羊皮紙には、いつもより少し震えたような、力強い筆致でこう書かれていた。
『貯めるな、とは言わん。貯めたあと何に使うか見ろ』
「……貯めたあと、何に使うか」
俺は手紙の文字を指でなぞった。
爺さんは、自分が『循環』にこだわって『備蓄』を軽視した結果、グランツの故郷を切り捨ててしまったことを、ずっと後悔していたのだろう。
だからこそ、俺には「貯め込むことを悪だと決めつけるな」と伝えたかったのだ。大事なのは、持たないことじゃない。持ったその力を、誰のために、どう使うかを見極めること。
それが、爺さんが四十年かけて出した、一つの答えだった。
「……わかったよ、爺さん」
俺は手紙をしまい、オルムの巨大な備蓄庫を見上げた。
グランツのやり方を、最初から敵だと決めつけるのはやめよう。あのおっさんが、あの巨大な力を何に使おうとしているのか、俺自身の目で見極めてやる。
俺が宿に戻ると、部屋の中ではニアが、通信用の魔道具と魔導書を広げて難しい顔をしていた。
「遅かったですね、カイさん。魔術院のデータベースから、この供給都市オルムに関する『ある計画』のデータにアクセスできました」
「ある計画?」
「はい。グランツ総監が、あの巨大な備蓄庫のさらに地下深くで進めている国家プロジェクト……通称、『大蓄槽』計画です。施設の建設自体は公表されていますが、各地の地脈を一箇所へ集める制御方式は極秘です」
ニアが丸眼鏡を光らせ、俺たち全員を見回した。
「完成すれば、レムナ王国のすべての環境魔力と水脈を、このオルムの一箇所に集め、中央で完全に管理・制御することが可能になる……究極の備蓄施設です」
「すべての力を、一箇所に……」
ダインが息を呑む。
それは、グランツの『持たざる者をなくす』という理念の究極の形だった。だが、それは同時に、世界中の流れを無理やり一箇所に縛り付けるという、とんでもない歪みを生み出すものでもある。
「……面白くなってきたじゃない。見極めてやろうじゃないの、その大蓄槽とやらを」
ミナが不敵に笑う。
俺も強く頷き、このオルムの地下に眠る巨大な秘密へと挑む決意を固めた。




