第4話「雑草が高すぎる」
「おはようございます! 素材の買取をお願いしたいんですけど!」
冒険者ギルドの買取窓口に、ミナの元気な声が響き渡った。
宿の食堂で俺が採ってきた草の正体に気づいた彼女は、パンを胃袋に流し込むなり、俺の腕を引っ張ってギルドまで全速力で駆け込んできたのだ。
分厚い眼鏡をかけた査定員の男が、気怠そうにカウンター越しに顔を出した。
「はいはい。Fランクの新人さんだね。今日は何を……って、おい」
ミナがドンッとカウンターに置いた麻袋の中身を見た瞬間、査定員の目が眼鏡の奥でギョッと見開かれた。
「月光草か。五束もある。葉が少し擦れてるが、根の処理は悪くない」
「ええ。うちの相棒が昨日の夕方に森で摘んできたばかりで、鮮度も抜群よ。さあ、いくらになるかしら?」
ミナが自信満々に胸を張ると、査定員は咳払いを一つして、わざとらしく難しい顔を作った。
「うーん……確かに月光草だが、最近は王都からのポーション需要が減っててねえ。在庫もダブついてるんだ。ざっと見て、全部で銀貨三枚ってところだな」
「銀貨三枚!? やったぞミナ、塩が三袋も……痛っ!」
俺が喜んで飛び上がろうとした瞬間、ミナの鋭い肘打ちが俺の脇腹にクリーンヒットした。
ミナは笑顔のまま、しかし目は全く笑っていない表情で査定員に身を乗り出した。
「おじさん。あたしたちをFランクの素人だと思って足元を見てるなら、痛い目を見るわよ」
「な、なんだと?」
「王都の需要が減ってる? 二日前に東の街道ですれ違った商隊は、王立充足院の急ぎの注文で回復薬の材料を集めていたわ。それに、この月光草の葉脈を見て。今が一番魔力を蓄えている時期の、最高級品よ。相場通りなら、一束で銀貨二枚。これだけの量なら、最低でも金貨一枚は出してもらわないと割に合わないわね」
「こ、金貨だと!? いくらなんでも吹っかけすぎだ!」
「あら、そう? じゃあいいわ。向かいの通りの薬師ギルドに直接持ち込むから。あっちの組合長なら、この質の良さをわかってくれると思うし」
ミナが麻袋の口を縛り直して背を向けようとすると、査定員は慌ててカウンターから身を乗り出した。
「待て。金貨一枚出そう。次も持ち込むなら、まずうちに見せてくれ」
「今回の五束はそれで。次の値段は、その時の相場を見て決めるわ」
ミナがくるりと振り返り、パチンとウインクをした。
数分後。
ギルドの外に出た俺の手には、見たこともない鈍い黄金色に光る硬貨が握らされていた。金貨。銀貨十枚分に相当する、とんでもない大金らしい。
「すげえ……本当に金貨になっちまった」
「ふふん。どう? あたしの言った通りでしょ。商人は情報と交渉術が命なのよ」
得意げに鼻を鳴らすミナとは対照的に、俺の足の震えは止まらなかった。
「おい、ミナ……これ、本当に受け取っていいのか?」
「当たり前じゃない、正当な対価よ。どうしたの、カイ? あんた、お金が手に入ったら塩が買えるって喜んでたんじゃないの?」
「そりゃ塩は欲しいけど……限度ってものがあるだろ!」
俺は金貨を両手で包み込むように持ち、周囲を警戒しながら小声で叫んだ。
「あの草、俺が育った山じゃ、その辺にいくらでも生えてたんだぞ! ちょっと傷ができた時に揉んで汁を塗ったり、夏の夜に虫を追い払うために焚き火に放り込んだりしてた、ただの雑草だぞ!?」
「も、燃やしてたの!? 金貨一枚分の束を!?」
「だって、煙がちょっと甘くていい匂いがするんだよ! ……ああ、恐ろしい。俺は今まで、どれだけの額をただの煙にしてたんだ。街の人間は、そこら辺の草にこんな大金を払うのか!? 狂ってる! 足元から金が生えてるようなもんじゃないか!」
「山基準でビビらないでよ! そもそも、月光草は魔力が濃い森の奥深くにしか生えない希少な植物なの。誰でも簡単に採れるわけじゃないから高いのよ」
ミナは金貨の数を帳簿に書き、俺の手のひらへ戻した。「預けるなら署名して」と言う。俺は慌てて財布にしまった。
「とにかく、あんたのその野草の知識と探索能力は本物ってことよ。さあ、今日は朝からガッツリ稼ぐわよ! また森に行って、今度は指定した薬草をちゃんと採ってくるの!」
俺はまだ「無料のものが高すぎる」という事実に怯えつつも、ミナに背中を押されて再び街の外へと向かうことになった。
昨日と同じ、商都ミルヴァの東に広がる深い森。
だが、今日は昨日とは少し目的が違う。ミナが図鑑の切れ端を見せながら指定してきた『マンドラゴラのひげ』や『星屑キノコ』など、いくつか特定の植物を探さなければならない。
「いい、カイ。あたしは森の入り口で待ってるから。あんまり奥に行き過ぎないようにね」
「わかってる。すぐ戻ってくるさ」
俺はミナを残し、一人で木漏れ日の落ちる森の奥へと足を踏み入れた。
山育ちの俺には、どんな魔法使いが使う『探知魔法』よりも頼りになるものがある。
俺が勝手に『残り見』と呼んでいる、山の癖だ。
足元を見る。昨日の雨でぬかるんだ土の上に、様々な動物の足跡が残っている。
木の幹を見る。熊が背中を擦り付けた跡や、鳥が嘴で突いた樹皮の剥がれ具合。
風の匂いを嗅ぐ。湿った土の匂いに混じる、微かな獣の体臭や、花の花粉の甘い香り。
世界には、そこに生きて動いた者たちの『痕跡』が必ず残っている。それらを拾い集め、頭の中で繋ぎ合わせるだけで、森が今どんな状態なのかが手に取るようにわかるのだ。
「……ん?」
薬草を探しながら小一時間ほど歩いたあたりで、俺はふと足を止めた。
何かがおかしい。
俺はしゃがみ込み、目の前の茂みに残された痕跡をじっと見つめた。
太いシダの葉が、不自然な方向に折れ曲がっている。その下にある泥には、三本指の鋭い爪跡が深く刻まれていた。
「『風切りヒョウ』の足跡……。いや、でもここはおかしいぞ」
風切りヒョウは、普段はもっと森の深い場所、魔力の濃い領域を縄張りにしている中型魔物だ。こんな街に近い浅い森まで降りてくることは滅多にない。
しかも、足跡の深さと歩幅が普通じゃない。
「土の抉れ方が前方に偏ってる。ゆっくり歩いた跡じゃない。全速力で……何かから『逃げて』きた跡だ」
俺は立ち上がり、周囲の空気に感覚を澄ませた。
耳をすます。
静かすぎる。いつもなら聞こえるはずの、小鳥のさえずりや虫の羽音が、パタリと止んでいる。
木々の間を吹き抜ける風の匂いを嗅ぐ。
獣たちの体臭が、一箇所に留まらず、すべて森の奥から外側へ向かって流れている。さっきの風切りヒョウだけじゃない。角猪も、大蜘蛛も、森の奥にいるはずの危険な魔物たちが、一斉に浅い階層へと移動してきている。
街に突っ込んできた角猪も、偶然迷い込んだわけじゃなかったんだ。あいつも、何かから逃げてパニックになっていた。
「一体、森の奥で何が起きてるんだ……?」
俺は木に登り、高い枝の上から森のさらに深部へと視線を向けた。
そして、ふと気がついた。
俺の《環流術》は、そこにある水や風、自然魔力の『流れ』を感じ取り、それを借りる技術だ。だから、どこにどんな力が流れているのかは、肌で感じることができる。
だが今、俺が見つめている森の奥の特定の区画。
そこだけが、ぽっかりと穴が空いたように『空っぽ』だった。
風の気配もない。地面から湧き上がるはずの自然魔力のゆらぎもない。まるで、その空間だけが世界から切り取られ、命の脈動が完全に途絶えてしまったような、不気味な空白。
「奥の方……何にもないぞ。流れが、死んでる」
その時、ドスン、ドスンと、地鳴りのような重い足音が森の奥から響いてきた。
逃げ遅れた魔物たちの悲鳴が、微かに風に乗って届く。
ただの薬草採取で済むような状況じゃない。
俺は急いで木を降り、ミナが待つ入り口へと駆け出した。




