第39話「一番いいものは、使い切らない」
暴走しかけた採掘塔を鎮め、セルドの不正な契約を無効化してから一夜が明けた。
鉱山都市カレドの朝は、昨日までのような喉を焼くパサパサとした空気ではなく、少しだけ湿り気を帯びた心地よい風に包まれていた。
街の中央水路にはチョロチョロと澄んだ水が流れ、広場には配給を待つ絶望の列ではなく、再建に向けて泥を掻き出し、声を掛け合う人々の活気が戻りつつあった。
「よし、ダイン。あっちの倒れかかってる壁の支え木、しっかり固定しておいてくれ!」
「承知した」
俺とダインが広場の復旧作業を手伝っていると、ミナとザザが街の長老たちとの話し合いを終えて戻ってきた。
「カイ、こっちの権利関係の整理はひと段落ついたわ。セルドの残した備品なんかも、街の補償としてちゃんと差し押さえておいたからね」
「さすがミナだ! 転んでもただでは起きないな!」
俺が親指を立てると、ミナは「商人としては当然の権利よ」とふんぞり返った。
「あ、そうだ。ミナ、ちょっと付き合ってくれ」
俺は首から下げた『押し葉』を服から引っ張り出した。
「復旧作業も大事だけど、俺たちの一番の目的を忘れるところだった」
俺の地図によれば、このカレドの街は『第四葉』の節点がある場所だ。
俺たちは広場の外れ、今は使われていない古い神殿の跡地へと向かった。風化して文字も読めなくなった石碑の土台に、小さな窪みがある。
「ここだな」
俺が押し葉を窪みにはめ込むと、カチリと小気味良い音が鳴り、石碑の一部がスライドして小さな手紙箱が現れた。
中には、いつものように樹脂でコーティングされた古い羊皮紙が入っていた。
『ここは、わしが失敗した町だ。住んでいる者に先に聞け』
短く、そっけない文字。
だが、その一行を読んだ瞬間、俺の胸の奥がキュッと締め付けられた。
「失敗した町……」
ミナが俺の肩越しに手紙を覗き込み、息を呑んだ。
「あの『空環の設計者』として国中を救ったベレンさんが、失敗したって……どういうことなのかしら」
「……俺にはわかる気がする」
俺は手紙を丁寧に折りたたみ、懐にしまった。
この街に来た日。俺は、水を求めて倒れそうになっていた母親に、自分の水筒の水を分け与え、「大丈夫だ、いい日じゃないか」と笑いかけた。
自分の『何もないことを楽しめる』価値観を押し付け、選べない貧しさの中にいる彼女をひどく傷つけてしまった。
あの夜、俺は初めて三つ数えを失敗した。
そして翌日、自分が言う前に、街の人たちに『何が足りないのか』を聞いて回ったのだ。
「爺さんもきっと、同じだったんだ。自分が正しいと思ったことを押し付けて、誰かを傷つけた。……だから、俺に『先に聞け』って書いたんだな」
俺は、王宮の資料庫で見た若き日の威厳ある爺さんの姿よりも、手紙を残して後悔している不器用な爺さんの方が、ずっと身近で、俺の知っている師匠らしいと思った。
「……やっぱり、親子なのね」
ミナがクスクスと笑い、俺の背中を軽く叩いた。
「先に聞くってこと、あんたはもう自分で気づいて、ちゃんとできたじゃない。胸を張っていいわよ」
「おう!」
その日の昼下がり。
ザザの実家の空き家に戻ると、土間の真ん中でカンカンとリズミカルな金属音が響いていた。
ザザが、胡座をかいて小さな金床を前に置き、愛用の金槌『鉄砕き』を打っていた。
「お、ザザ。また修理か? 使い切ってなんぼとか言って、だいぶボロボロだったからな」
俺が声をかけると、ザザは額の汗を拭いながらゴーグルを外した。
「……まあね。でも今日は、ちょっと違うのよ」
ザザの膝の上には、いつも彼女がやっているような「応急処置の当て木」や「強引な溶接」の跡はなかった。
彼女は、金槌の鉄の頭を丁寧に砥石で磨き上げ、古くなった柄を完全に外し、新しい樫の木の柄をしっかりとすげ替えようとしていた。
「あれ? お前、限界まで使い切って壊すのが流儀じゃなかったのか?」
俺が不思議そうに聞くと、ザザは少し照れくさそうに金槌の頭を撫でた。
「アタシね、この三日間、カレドの街が枯れ果てて、そこからまた水を引いて立ち上がろうとしてるのを見て……ちょっと考え方が変わったのよ」
ザザは真剣な目で、磨き上げられた鉄の表面を見つめた。
「良いものは、今すぐ全力で使い切って最大の成果を出す。それはそれで一つの生き方よ。でも……限界まで使って壊しちゃうと、もう二度と元には戻らないのよね。今回の街の魔力源みたいに」
ザザは新しい柄を鉄の頭に差し込み、トントンと慎重に打ち込んだ。
「だから、使い切るのもいいけど、こうやって丁寧に手入れして、直して……『次へ残す』のも、悪くないわねって思ったのよ」
ザザの言葉に、俺はハッとした。
今を全力で生きるザザが、『未来に残す』という価値観を受け入れたのだ。
「そっか。……すっげえいい金槌になったな、ザザ」
俺が言うと、ザザは「でしょ!」と満面の笑みで頷いた。
カンッ、カンッ。
ザザが最終調整のために鉄を打つ、澄んだ音が土間に響き渡る。
俺は腰の袋から土産話帳を取り出し、第四葉のページを開いた。
カレドの街には、珍しい鉱石もいっぱいあるし、でかい採掘塔もある。ミナが勝ち取った凄い契約書だってある。
だけど、俺が一番いいと思ったのは、物じゃない。
俺は迷わず羽ペンを走らせた。
『ザザの金槌が直った音』
誰かが、自分の持っている大事なものを、明日のために残そうと決めた瞬間の音。
それが、俺がこの街で見つけた一番いいものだった。
「あら、ザザ。あんた、なんだか見直したわ」
奥の部屋から出てきたミナが、ザザの言葉を聞いて嬉しそうに目を細めた。
「なんでもかんでも浪費して使い切ろうとする無鉄砲娘だと思ってたけど、少しは『残す』ことの価値がわかってきたじゃない。これなら、今後の共同財布の管理も少しは楽になりそうね」
「ふふん、アタシだって成長するのよ、ミナ」
ザザが腰に手を当てて胸を張る。
「よし。じゃあ、これからの復興資金と、私たちの旅の予備費の配分について、穏やかに『財布会議』をやり直しましょうか」
ミナがニコニコと笑いながら帳簿を広げ、ザザも「ええ、任せてちょうだい」と頷く。
俺とダインは「おお、二人がついに和解したぞ」と感動して見守っていた。
だが。
「でね、ミナ。アタシ、この金槌をあと百年残すために、ちょっと補強したいのよ」
「ええ、いいわよ。手入れのための油や研ぎ石なら、必要経費として……」
「だから、柄の部分には王都の最高級黒檀の木材を取り寄せて、打ち金には希少なミスリル合金をドカンと買って溶接しようと思うの! しめて金貨三十枚! さあ、予算ちょうだい!」
ザザがバンッと手を出した瞬間、ミナの笑顔がピキリと凍りついた。
「…………は?」
「百年残すための初期投資よ! パーッと使って最高の状態に仕上げるの!」
「結局金に糸目をつけずに使い切ろうとしてんじゃないのよ!! なんでただの金槌の柄に王都の黒檀が必要なのよ!! 却下!!」
「ケチィィッ!! あんたさっき残す価値が分かったって褒めたじゃない!!」
「限度ってものがあるでしょ! この浪費家!!」
和解ムードは開始三秒で完全に崩壊し、いつものドタバタな取っ組み合いの会議が始まった。
「……やっぱり、こうなるんだな」
俺が呆れて肩をすくめると、ダインが「まあ、活気があるのは良いことだ」と苦笑した。
その日の夕方。
広場から戻ってきたダインが、一枚の真新しい羊皮紙を持ってきた。
「カイ、ミナ。吉報だ」
ダインは俺たちに羊皮紙を見せた。
「街の代表者たちと、新たな契約が結ばれた。採掘会社の不当な権利は剥奪され、住民たちが主体となって地下水脈を管理する『地域供給契約』が正式に成立したそうだ。もう、水が誰かに奪われることはない」
「本当か! やったな!」
俺が飛び上がって喜ぶと、ミナも帳簿を閉じて満足そうに頷いた。
「ええ。あたしたちが徹夜で粗を探した甲斐があったわね」
「よし! 問題は全部解決したし、水も戻ってきた! ダイン、今夜は俺たちの仲間と、一緒に復旧を頑張ってくれた避難家族のみんなを集めて、でっかいお祝いの宴を開こうぜ!」
俺が元気よく提案すると、ダインも「承知した。腕によりをかけて鍋を作ろう」と力強く頷いた。
「よーし、今夜は思いっきり食うぞ!!」
俺の歓声と共に、第四葉カレドでの戦いは、最高の形で幕を下ろそうとしていた。




