第38話「聞いてから、流す」
巨大な魔力防壁が消滅した直後、俺たち『一枚葉』の五人は、真っ黒な採掘塔がそびえ立つ敷地内へと足を踏み入れた。
ドズン、ドズンと、地下から水と魔力を強引に吸い上げる重低音が、足の裏から直接響いてくる。
俺たちの背後からは、防壁が破られた音を聞きつけたカレドの住民たちが、おっかなびっくりといった様子でぞろぞろと集まってきていた。その中には、昨日俺が声をかけた老人や、水を分けた母親の姿もある。
「……貴様ら、なんという野蛮な真似を! 王立魔術院の防壁を破壊するとは、ただで済むと思っているのか!」
塔の入り口に立っていた実務官のセルドが、顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
だが、ミナは全く怯むことなく、小脇に抱えていた分厚い羊皮紙の束――昨夜徹夜で解析した『前借り契約書の写し』を、セルドの足元にバサリと投げ捨てた。
「ただで済まないのはそっちの方よ、セルド。あんたたちが結んだその契約、環境保護法の特別条項と完全にバッティングしてるわ。魔力源の過剰抽出による地盤崩壊の危機……その客観的証拠は、王立魔術院のニアが完璧に数式で証明してくれたわよ」
「なっ……!」
「つまり、この塔を稼働させているあんたたちの権利は、今この瞬間から完全に無効ってこと。さあ、この街の本当の持ち主たちを交えて、オープンな『住民会議』を始めましょうか!」
ミナがビシッとセルドを指差して宣言した。
「ふ、ふざけるなッ! たかが田舎の冒険者と下層の住民どもが、充足院に意見するなど許されるはずがない!」
セルドが裏返った声で叫ぶと、塔の奥から、入り口を守っていた連中よりもさらに重武装の私兵たちが十人、二十人と湧き出してきた。
「やれ! この暴徒どもを力ずくで排除しろ!」
「……やれやれ、往生際が悪い」
ダインが青いマントを翻し、俺たちの前にスッと立ち塞がった。
「ミナ。予定通り、交渉は君に任せる。ここは神聖な会議の場だ……虫一匹、君たちには近づけさせん」
ダインは長剣を正眼に構え、押し寄せる私兵の群れへと単騎で突っ込んでいった。
ガキィィィンッ! ドガァッ!
「ぐはっ!」
「な、なんだこいつ、強すぎる!」
ダインの剣の峰が、私兵たちの鎧を的確に打ち据え、次々と地面に転がしていく。
背後で激しい剣戟と怒号が飛び交う中、ミナは涼しい顔で木箱を裏返して簡易的なテーブルを作り、住民の代表である老人をそこへ座らせた。
「さて、話し合いを続けましょうか。まずは、この塔が建ってからの具体的な被害状況と、契約書の内容の齟齬についてですが……」
ミナと住民代表、そしてセルドを交えた、剣戟をBGMにした異様な『住民会議』が始まった。
俺はというと。
「ううう……っ」
ミナに「カイも当事者なんだから、大人しく座って会議に参加しなさい」と命じられ、ひび割れた石畳の上に置かれた小さな木箱に、ちょこんと座らされていた。
だが、会議の内容は『瑕疵担保責任』だの『第三者への権利譲渡』だの、俺には呪文にしか聞こえない言葉のオンパレードだ。
しかも目の前では、ダインが鮮やかに敵の武器を弾き飛ばし、大立ち回りを演じている。
「……尻が、ムズムズする……!」
俺は木箱の上で、体を右に左に揺らして身悶えした。
じっとしているのが大の苦手なのだ。山で狩りをする時は何時間でも息を潜めていられるが、こういう小難しい話を聞きながらただ座っているだけの時間は、苦痛以外の何物でもなかった。
「ああっ、俺もダインと一緒に戦いたい! ミナ、ちょっとだけ! あいつらの背中を一発蹴飛ばしてくるくらいならいいだろ!?」
「駄目よ! あんたは大人しく座ってなさい! 交渉の空気が壊れるでしょ!」
「角猪の群れと戦うより、椅子に座ってる方が疲れるぞぉぉぉ!」
俺が頭を抱えて唸っている横で、ザザが「アタシ、加勢してくる!」と金槌を持ってダインの元へ走っていった。
なんで俺だけが、この硬い木箱の椅子という最大の敵と戦わなきゃならないんだ。
「……くそっ、貴様ら!」
三十分後。
私兵たちがダインとザザによって全員綺麗に伸され、ミナの容赦ない論破によって論理的な逃げ道も完全に塞がれたセルドは、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「法を盾にして我々を追い詰めたつもりでしょうが、甘いですよ! 見なさい、あの塔を!」
セルドが指差した採掘塔は、重低音の周期が短くなり、黒い煙の代わりに高温の蒸気を噴き出し始めていた。
「先ほど防壁の回路をショートさせられた影響で、塔の魔力ポンプが暴走状態に入りかけています。今、中途半端に塔の稼働を止めれば、地下に溜め込んでいた水脈と魔力の圧力が一気に逆流し、この街は完全に水没する! 我々の管理技術がなければ、カレドは終わりだ!」
「なっ……なんて卑劣な!」
ミナが息を呑み、住民たちが「そんな……」「街が沈んじゃう……」とパニックになりかける。
「ふはははっ! さあ、どうしますか! 契約の非を認め、我々に運用を任せるしかないでしょう!」
「……なんだ、そういうことなら、もっと早く言えよ」
俺は、ようやくあの忌まわしい木箱の椅子から立ち上がった。
「カ、カイ?」
「座りっぱなしで体が鈍ってたところだ。俺の出番だな!」
俺は、暴走しかけている黒い塔に向かって真っ直ぐに歩み寄った。
いつもなら、ここで限界まで力を借りて、塔ごとドカンとぶっ飛ばして終わりだ。
でも、俺は一度足を止め、振り返って広場の住民たちを見た。
「おい、みんな!」
俺の大きな声に、不安そうにしていた住民たちが顔を上げる。
「この塔が吸い上げてた水と魔力を、今から全部地下に返す! だけど、ただぶっ壊して全部戻したら、あのおっさんの言う通り、水が溢れすぎて今度は街が流されちまうかもしれない!」
俺は、昨日自分が学んだことを思い出しながら、みんなの目を見渡した。
「だから、教えてくれ! みんな、水は『どれくらい』あれば足りるんだ!?」
俺の問いかけに、住民たちは顔を見合わせた。
やがて、昨日俺が水を分けた母親が、震える声で答えた。
「……昔のように。街の真ん中の川が静かに潤って……私たちが、生きていくための井戸に、綺麗な水が戻ってきてくれるだけでいいの」
「そうだ。それ以上は望まん。多すぎても水害になるだけじゃからな」
代表の老人も深く頷く。
誰も、欲張らなかった。彼らが望んでいるのは、ただ自分たちが当たり前に生きていけるだけの『必要な量』だったのだ。
「よし! 聞いたぞ!」
俺は塔に向き直り、両手を突き出した。
塔の内部で暴走し、行き場を失って爆発寸前になっている膨大な水と魔力のうねり。
俺はそれを『残り見』の感覚で正確に捉え、自分の体を筒にして、地脈へと繋げた。
「――少し、借りるぞ」
ゴオオォォォォッ!!
俺の腕を伝って、恐ろしいほどの圧力が逆流してくる。
そのまま放り投げれば大爆発だ。だが俺は、住民たちが望んだ『昔の川のせせらぎ』と『井戸を潤す量』を思い描きながら、その暴走する力を、太い綱を少しずつ緩めるように、ゆっくりと、丁寧に地脈へと流し込んでいった。
「カイさん……すごいです。暴走する魔力を、自分の感覚だけで完璧に減圧して、安全な流量に変換している……!」
ニアが計器を見ながら驚愕の声を上げる。
《環流術》は、ただの無料エネルギーじゃない。使い手と、受け取る側の『意思』があって初めて、正しい場所に収まるのだ。
「……よし、返すぞ!」
俺が最後の一滴まで魔力を地脈へと流し切ると、塔の重低音は完全に沈黙し、ピタリと動きを止めた。
静寂。
やがて、チョロチョロという涼しげな音が、街中に響き始めた。
「ああっ! 見て! 水路に水が!」
「井戸の底から水が湧いてきたぞ!」
干上がっていたカレドの街の血管に、必要な分だけの、澄んだ水がゆっくりと戻ってきたのだ。
住民たちが抱き合い、歓声を上げて泣き崩れる。
「……ば、馬鹿な。あんな巨大な圧力を、個人の力で制御して流し切るなど……」
セルドは、完全に信じられないものを見る目で俺を見て、そのままへなへなと地面に座り込んだ。
武力も無力化され、論理的な正当性も失い、最後の人質だった塔の暴走まで解決された。
「さあ、あんたたちの悪巧みはこれで完全に終わりよ」
ミナが、新しい羊皮紙と羽ペンを持って、絶望するセルドの前に歩み寄った。
「街の人たちの声を聞いて、正当な条件で『契約』を結び直してもらうわ。……たっぷり絞らせてもらうから、覚悟しなさいよね」
ミナの商人の笑みが、太陽の光を浴びてキラリと輝いた。




