第35話「水まで誰かの持ち物なのか」
鉱山都市カレドの朝。
空を覆う雲は相変わらず乾ききっており、街の空気は喉を焼くようにパサパサしていた。
俺たち『一枚葉』の五人は、ミナの先導で街の中央広場を抜け、さらに奥の区画へと歩を進めていた。
「見えてきたわ。あれが諸悪の根源ね」
ミナが指差した先。すり鉢状になった街の一番底にあたる場所に、周囲のくすんだ石造りの家々とは明らかに異質な、真っ黒な鉄で造られた巨大な塔がそびえ立っていた。
塔の頂部からは黒い煙が上がり、太い金属のパイプが何本も地面の奥深くへと突き刺さっている。
ズズン、ズズン……と、心臓の鼓動のような重低音が周囲の地面を揺らしていた。
「うわぁ……。ひどい魔力の乱れです。あの塔が、巨大なストローのように地下の水脈と環境魔力を根こそぎ吸い上げています」
ニアが手元の計器を見ながら、青ざめた顔で言った。
「あんな禍々しい塔、あたしがいた頃には絶対になかったわ!」
ザザが愛用のハンマーを握る手に力を込める。
俺が『残り見』で塔の周辺を探ると、吸い上げられた水と魔力が、塔の裏側に接続された巨大なタンク群へと絶え間なく流れ込んでいるのがわかった。街の井戸が枯れ、地面が異常に熱くなっているのは、すべてこいつのせいだ。
「おい、そこから先は立ち入り禁止だぜ」
俺たちが塔に近づこうとすると、敷地を囲む鉄柵の前に立っていた数人の男たちが、槍を交差させて道を塞いだ。
正規の兵士ではない。薄汚れた革鎧を着た、柄の悪い傭兵たちだ。
「立ち入り禁止? ここはカレドの共有広場だったはずよ。どきなさい!」
ザザが怒鳴りつけるが、傭兵たちは下卑た笑いを浮かべて槍を退かさない。
「昔はな。だが、今は『カレド鉱石採掘会社』の私有地だ。関係者以外は通せねえよ」
「私有地だと?」
ダインが鋭い声で前に出ようとした、その時だった。
「その通りですよ。彼らは正当な権利を守るために警備をしているだけです。野蛮な真似はおやめなさい」
傭兵たちの後ろから、芝居がかった優雅な足取りで現れたのは、昨日市場で対峙した王立充足院の委託実務官、セルドだった。
パリッとした灰色の制服に身を包んだセルドは、扇子のように分厚い書類の束をパタパタと振りながら、薄ら笑いを浮かべて俺たちを見下ろした。
「充足院の実務官が、なぜ一介の採掘会社をかばう?」
ダインが睨みつけると、セルドは大仰に肩をすくめた。
「かばうのではありません。これも我々充足院の重要な任務の一つなのです。昨年の水害の折、我々はこのカレドの街に莫大な復興資金と食料を貸し付けました。その際、街の代表者たちと結んだ『前借り契約』の担保が……この地下水脈と魔力源の未来利用権なのですから」
セルドは書類の束の表紙を、トントンと指で叩いた。
「返済が滞った以上、担保を回収するのは当然の権利。充足院は採掘会社と業務提携を結び、正当な手続きを経てこの塔を建設し、水と魔力を抽出しているのですよ。すべては合法です」
「合法なもんか!」
俺は一歩前に出て、セルドを怒鳴りつけた。
「昨日、街のじいさんが言ってたぞ! こんなデカいものを担保に取られてるなんて、誰も知らなかったって! 字が読めない人たちを騙してサインさせたんだろ!」
「騙すだなんて人聞きの悪い。契約内容を理解せずに署名したのは、彼ら自身の『自己責任』でしょう?」
セルドは冷たい目で俺を見た。
「借りたものは返す。それが世界の道理です。返せないのなら、命の次に大事な水で支払ってもらう。何も間違ってはいない」
借りたものは返す。
それは、俺が爺さんから教わった、この《環流術》の絶対的なルールと同じ言葉だった。
だが、セルドが口にするその言葉は、ひどく醜く、冷酷に響いた。俺が魔法を使う時は、世界から借りて、世界に返す。誰も傷つけないし、誰も奪わない。
でも、こいつらは違う。
「……文字が読めないのをいいことに、弱い立場の人から全部を奪い取ってるだけじゃないか。そんなの、ただの詐欺だ!」
俺が叫ぶと、セルドは面倒くさそうにため息をついた。
「無知は罪ですよ、少年。契約書に署名がある以上、どれだけ喚こうが法は我々を守ります。悔しければ、あなたたちも金で水を買うことです」
セルドはそう言い残し、傭兵たちに守られながら塔の奥へと消えていった。
「…………っ!」
俺の中で、今まで感じたことのないような激しい怒りが沸点に達した。
俺が飯を抜けるのと、街の子どもが水を飲めないのとは違う。
だけど、誰もが当たり前に飲めるはずの水を、生まれ育った土地の力を、紙切れ一枚で勝手に自分たちの『持ち物』にするなんて、絶対に間違っている。
「ふざけるな! なんだよそれ! 水まで誰かの持ち物なのかよ!」
俺は両拳をギュッと握りしめ、地面の熱を跳ね返すように大きく息を吸い込んだ。
「あの塔は止める。まず取水が止まったとき、街の水がどう動くか確かめよう」
俺が柵へ歩き出そうとした瞬間。
「ストォォォォップ!!」
ミナの帳簿が俺の前に差し出された。
「何だ、この頁」
ダインも柵の向こうを見た。塔を止めれば、今度は貯水槽から街へ水がどう流れるかが問題になる。
「放せダイン! 俺はあんな真っ黒な塔、風でバラバラにしてやる!」
「落ち着け、カイ! 気持ちはわかるが、力で奪えば解決、というわけにはいかないのだ!」
ダインが俺の体を羽交い締めにしながら必死に叫ぶ。
「なんでだよ! あんな塔がなくなれば、水はまたみんなのところに戻るだろ!」
「一時的にはな。だが、セルドが言った通り、あいつらには『契約書』という正当性がある。今ここで塔を破壊しても、我々が無法な山賊として手配され、彼らは国からの補償金でまた第二、第三の塔を建てるだけだ!」
「そんなの屁理屈だろ!」
俺がバタバタと暴れていると、ミナが地面に落ちた帳簿を拾い上げ、パンパンと埃を払った。
「ダインの言う通りよ、カイ。相手が法と契約を盾にしている以上、こっちが暴力で奪い返せば、ただの犯罪者になる。……この問題は、奪えば解決するような単純なものじゃないのよ」
ミナの静かで冷たい声に、俺はようやく暴れるのをやめた。
俺が力で何でも解決できると思っていたのは、山での話だ。街には街のルールがあり、この構造的な搾取を根本から断ち切るには、別の力が必要なのだ。
「……じゃあ、どうするんだよ。このまま指をくわえて見てるのか?」
俺が悔しそうに言うと、ミナは商人の鋭い笑みを浮かべた。
「バカ言わないで。商人には商人の、学者には学者の戦い方があるわ」
ミナは鉄柵に近づき、奥にいる傭兵に向かって大声で叫んだ。
「ちょっと! そこのセルドに伝えなさい! 王立魔術院の特別監査の権限において、カレドの復興資金に関する『前借り契約書』の完全な写しの開示を要求するわ!」
ミナの堂々とした態度に、傭兵の一人が慌てて奥へ走っていく。
しばらくして、再びセルドが小馬鹿にしたような顔で戻ってきた。
「開示要求ですか? よろしい。我々にやましいところは一切ありませんからね」
セルドは部下に命じて、分厚い羊皮紙の束をミナに手渡した。
「ただし、いくら調べても無駄ですよ。王都の一流の代書人が作成した、一分の隙もない完璧な契約書ですから」
「どうだか。あたしたちの仲間の『目』を舐めないことね」
ミナは契約書の束をひったくり、俺たちに向かって顎をしゃくった。
「帰るわよ。これから徹夜で大仕事だからね」
その日の夜。
ザザの実家の居間には、何十枚にも及ぶ分厚い契約書の写しが広げられていた。
魔力灯の薄明かりの下で、ミナとニアが並んで座り、恐ろしいほどの集中力で羊皮紙の文字を追っている。
「第二項、第四条……『魔力源の利用に関する付帯条件』。ここ、なんだか言い回しが不自然じゃないかしら?」
「見せてください。……ああ、なるほど。導力学的な観点から言えば、この『自然発生魔力の定義』には致命的な抜け穴が存在する可能性があります。数式に落とし込んで検証してみましょう」
カリカリと羽ペンを走らせる二人の横顔は、昼間俺が塔を壊そうとした時よりも、よっぽど恐ろしく、そして頼もしかった。
「す、すげえ気迫だな……。俺、完全に蚊帳の外だぞ」
俺が部屋の隅で膝を抱えて呟くと、ダインが苦笑しながら肩を叩いた。
「我々には我々の役目があるさ。明日は忙しくなるぞ、カイ」
契約書という、ドラゴンよりも強敵なバケモノを倒すための戦いが、静かに、だが確実に始まっていた。




