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魔力ゼロ判定の山育ち、葉っぱ一枚で旅に出る ~借りて返す魔法で水と魔力を取り戻す~  作者: 他力本願寺


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第32話「今日もいい日、じゃなかった」

「……水……。お願い、この子に、一口だけでいいから、水を……」


 乾ききった広場で、膝から崩れ落ちそうになった母親が、ひらがなのようなか細い声で俺に乞うた。


 彼女の腕の中でぐったりとしている小さな男の子は、すでに泣く力すら失っているようだった。


「わ、わかった! ちょっと待ってろ!」


 俺は慌てて腰の袋を探り、自分の水筒を取り出した。道中でほとんど飲んでしまっていたが、まだ底の方に少しだけ残っているはずだ。


「ほら、ゆっくり飲めよ」


 俺が水筒の口を男の子のひび割れた唇に当てると、男の子はビクッと体を震わせ、必死に喉を鳴らして水を飲み込んだ。母親も、その横でこぼれた数滴の水を啜るようにして喉を潤す。


 ほんの少しの水分が回ったおかげで、二人の顔にわずかだが血の気が戻った。


「あ、ありがとうございます……本当に……」


 母親が涙ぐみながら何度も頭を下げる。


 俺はホッと息を吐き、いつものように力強く笑いかけた。


「いいってことよ! ほら、顔を上げなよ。あんたも子供も、自分の足で立てるくらいには回復しただろ?」


 俺は良かれと思って、山でずっと大事にしてきたポジティブな言葉を紡いだ。


「色々大変みたいだけどさ、生きてるだけで儲けもんだ! それに、雨は降ってないし、服だって着てる。少しだけど水も飲めたんだ。ほら、大丈夫だ! 今日だって十分、いい日じゃないか!」


 その言葉を聞いた瞬間だった。


 感謝の涙を流していた母親の表情が、ピシャリと凍りついた。


「…………え?」


 母親は俺が支えていた腕を、乱暴に振り払った。


「な、なにがいい日ですか……」


 彼女の目は、今まで見たこともないような暗い怒りと絶望に沈んでいた。


「生きているだけで儲けもん? 雨が降っていないからいい日? ……あなたみたいな、外から来た元気な旅人にはわからないでしょうね」


 母親は男の子をきつく抱きしめ、俺を睨みつけた。


「私たちはね、好きでこんなひもじい思いをしているわけじゃないの! 畑の土は死んで、井戸は泥水しか出なくて、この子に明日飲ませる水すらないのよ! 『大丈夫』ですって? 何もないのに笑っていられるのは、いつでもこの街から逃げ出せるあなただけよ!!」


 悲痛な叫びが、広場に響いた。


 俺は頭を殴られたような衝撃を受け、言葉を失った。


 母親はそれ以上俺の顔を見ることもせず、男の子を抱え上げたまま、逃げるように配給の列の奥へと消えていった。


「……カイ」


 後ろから、ミナが静かに歩み寄ってきた。


 俺は伸ばした手のやり場を見失い、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「俺……。俺、励まそうとしただけなのに」


「わかってるわ」


 ミナは俺の肩をポンと叩き、俺が空にしてしまった水筒を受け取った。


「ダイン、ザザ。持っている水袋と保存食を少しずつ分けて。あの親子に届けてくるわ」


「ああ」


「……うん、お願い」


 ミナが手際よく物資をまとめ、足早に母親の後を追っていく。


 俺は、自分が放った言葉が、いかに軽く、無神経なものであったかを思い知らされていた。


 その日の夕方。


 俺たちは、ザザが三年前に飛び出したという実家に身を寄せていた。


 両親はすでに亡くなっており、家は空き家になっていると聞いていたが、想像以上に荒れ果てていた。屋根の一部は崩れ、家具は埃を被り、何より、あの異様に熱い地面の熱気が床板越しに伝わってきて、家の中にいても息苦しさを感じるほどだった。


 ミナが戻ってきて、無言のままテーブルの埃を布で拭き取った。


 部屋の中には、重苦しい沈黙が漂っている。


「……俺」


 俺は床に座り込み、ポツリと口を開いた。


「俺、自分が耐えられることは、他の誰だって耐えられるって、どこかで思ってた」


 山では、腹が減っても木の実を探せばよかった。寒ければ葉っぱを重ねればよかった。持っていないことを楽しむ余裕があった。


「でも、あのお母さんの言う通りだ。俺が『何もない』のを楽しめるのは、ただの遊びだったんだ。俺は丈夫だし、魔法も少し使えるし、いざとなれば別の街に逃げることもできる。俺の貧しさは、『選べる貧しさ』だったんだ」


 俺は両手で顔を覆った。


 あの母親の悲痛な声が、耳から離れない。


「この街の人たちは違う。逃げ場がなくて、子供に水を飲ませることもできなくて、絶望の中で今日を耐えてる。そういう『選べない貧しさ』の中にいる人に……俺の『生きてりゃいい日だ』なんて言葉は、ただの暴力だった。俺の言葉なんて、ここでは何の役にも立たない」


 俺が自分の明確な失敗を口にすると、ミナが静かに俺の隣に座った。


「……そうね。あの母親にとって、あんたの言葉は無神経だったかもしれない」


 ミナは俺の背中を、優しく撫でた。


「でも、あんたが彼らを助けたいって思った心まで否定しなくていいのよ。あんたはいつも『まだあるもの』を数えて笑ってきた。その強さは、絶対に間違ってないわ」


「ミナの言う通りだ」


 ダインが腕を組み、壁際から声をかけた。


「戦場でも同じだ。指揮官が絶望すれば、部隊は全滅する。前を向く強さは必ず必要になる。だが、今のこの街に必要なのは、精神論ではないのだろう」


 夜が更けても、環境魔力の枯渇による異常な地熱は収まらなかった。


 窓から吹き込む風は砂埃のように乾いていて、汗をかいてもすぐに蒸発してしまう。


 俺は薄い毛布の上に寝転がり、目を閉じた。


 山を下りてから、いや、物心ついた時から、俺は毎晩欠かさず『今日の良かったもの三つ』を数えてきた。


 どんなにひどい日でも、必ず三つ見つけてから眠りについていた。


「……ひとつ。水筒に水が残ってて、あの子に飲ませてやれたこと」


 俺は天井に向かって、指を一本折った。


「ふたつ。ザザの家があって、休む場所ができたこと」


 二本目の指を折る。


 そして、三本目。


「…………」


 出ない。


 どうひねり出そうとしても、今日という日に『良かったもの』の三つ目が見つからなかった。


 干上がった水路。虚ろな目をした人々。俺の言葉を振り払った母親の絶望。


 それらが頭の中をぐるぐると回り、三つ目の言葉を完全に塞ぎ込んでいた。


 俺が無理にポジティブな言葉を口にしても、それは空虚に響くだけだ。あの母親を傷つけたのと同じように。


「……今日は、ここまでだ」


 俺は三本目の指を折るのを諦め、腕を下ろした。


 爺さんが、昔三つ目を言う時だけもごもごと誤魔化していた気持ちが、また少しだけ分かった気がした。


 本当に心の底から納得できない時は、無理に数える必要なんてないのだ。


 翌朝。


 朝日が昇ると同時に、俺は誰よりも早く起き上がり、仲間たちが寝ている部屋の中央に立った。


「おい、みんな! 起きろ!」


 俺が大きな声で叩き起こすと、ミナが「んん……もうちょっと寝かせてよ……熱くて全然寝付けなかったんだから……」と文句を言いながら身を起こした。ダインとザザも目をこすりながら起き上がる。


「カイ、どうしたのよ朝から」


「決めたんだ」


 俺はミナの目を真っ直ぐに見て、力強く言った。


「俺はもう、自分の物差しで勝手に『大丈夫』って決めつけるのはやめる。俺が『まだある』って言う前に、やることがある」


「やること?」


「ああ。この街の人たちに、俺から声をかけるんじゃない。先に『聞く』んだ」


 俺は拳をギュッと握りしめた。


「今日から、会える人にひとりずつ聞いて回る。水なのか、薬なのか、食い物なのか。今、本当に『何が足りないのか』を、全部教えてもらうんだ。それからだ、俺たちが動くのは」


 俺の言葉を聞いて、ミナはふっと柔らかく微笑んだ。


「……いい顔になったじゃない」


 ミナは枕元に置いてあった分厚い帳簿を手に取り、ポンと叩いた。


「わかったわ。あんたが聞いてきた『足りないもの』のリスト、あたしが全部この帳簿にまとめてあげる。王都から持ってきたお金の使い道、いよいよ本番ってわけね」


「おう! 頼むぜミナ!」


 ダインも長剣を腰に帯び、ザザも金槌を担ぎ上げる。


 俺たちは、干上がった街の本当の痛みを知るために、重い扉を開けて外へと足を踏み出した。

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