第31話「水のない町で「大丈夫」は言えない」
王都グラードの北門を抜け、俺たち『一枚葉』の五人は、ひたすらに続く緩やかな上り坂の街道を歩いていた。
目指す先は、北の山岳地帯に位置する鉱山都市カレド。俺の地図に印が打たれている『第四葉』の節点がある場所だ。
「へへーん! あたしの故郷カレドはね、王都みたいに気取った高い建物はないけど、最高の鉱石が採れて、うるさいくらい活気がある鍛冶屋が立ち並ぶ、すっごく熱い街なのよ!」
先頭を歩くザザが、自分の大きなハンマーを肩に担ぎながら自慢げに振り返った。
「王都に出稼ぎに出てからもう三年経つけど、きっとみんな相変わらずカンカン鉄を叩いてるはずよ。カイのその鉄鍋も、カレドの職人に見せたらきっと喜んで改造してくれるわ!」
「だから! 俺の相棒の鍋に勝手に穴を開けるなって何度言ったらわかるんだ!」
俺は背中の鉄鍋を両手で庇いながら抗議した。
「でも、活気がある街ってのはいいな! きっとうまい山の肉とか、香ばしく焼いた芋なんかがあるんだろうな!」
俺が期待に胸を膨らませていると、隣を歩いていたニアが、分厚い本から顔を上げて眼鏡を押し上げた。
「カレドは王国有数の魔力鉱石の産地ですから、地下の魔脈も豊富で、豊かな環境魔力に包まれているはずです。カイさんの《環流術》の出力も、王都以上に高まるかもしれませんね。……導力係数の再計算が楽しみです」
「頼むから、もう俺の魔法を難しい数字にするのはやめてくれよ……」
俺がげっそりとしていると、ミナとダインが苦笑しながら荷馬車の手綱を引いた。
王都で特例試験を一日でぶっ飛ばし、地下の魔力炉の暴走を止め、公開講習と安全検査の契約を結んできた俺たちだが、こうして旅の空の下を歩いていると、いつもと変わらない騒がしいパーティだった。
だが。
王都を出発して三日目。カレドの街を囲む岩山がはっきりと見え始めた頃から、俺は周囲の空気に奇妙な違和感を抱き始めていた。
「……おい、カイ。さっきからどうした。しきりに鼻を鳴らして」
ダインが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「……匂いが、薄いんだ」
「匂い?」
「ああ。山に近づいてるのに、土の匂いも、木の葉の匂いもしない。それに……なんか、周りの景色全体の色が薄くなってる気がする」
俺は『残り見』の感覚を限界まで広げて周囲を観察した。
ただ空気が乾燥しているだけじゃない。道端に生えている雑草の緑色は生気を失って白茶け、岩肌の赤茶色も、まるで水で薄めた絵の具のようにぼやけている。
森の中で、巨大な魔物に魔力を吸い尽くされた『枯渇区画』を見た時の感覚に似ている。
だが、これは森の一部どころの騒ぎじゃない。山全体、いや、世界そのものが『痩せ細って』いるような、ひどく不気味な感覚だった。
「色が薄い……? 言われてみれば、確かに風の音が妙に乾いているな」
ダインが周囲を警戒するように長剣の柄に手をかける。
「ザザ。カレドの気候は、いつもこんな風に乾燥しているのか?」
ミナが尋ねると、ザザは不思議そうに首を捻った。
「ううん、違うわ。カレドは地下水が豊富で、どっちかっていうと湿気が多い街のはずよ。こんなにパサパサした風、あたしがいた頃には吹いたことがないわ」
「……なんだか、嫌な予感がするな」
俺は首から下げた押し葉を服の中にしまい込み、歩くペースを速めた。
そして、峠を越え、すり鉢状の谷底に広がる鉱山都市カレドの全景が目に入った時。
ザザが、肩に担いでいたハンマーを取り落とした。
「うそ……。これ、本当にあたしの街……?」
ザザの口から、震える声が漏れた。
カレドの街は、ザザが言っていたような「うるさいくらい活気のある街」とは程遠かった。
街の中央を流れているはずの大きな水路は完全に干上がり、ひび割れた泥の底を晒している。鍛冶屋の煙突からは煙のひと筋も上がっておらず、建物の壁も、屋根も、すべてが白灰色の埃を被って、色を失っていた。
「静かすぎる。人の気配が極端に少ないぞ」
ダインが厳しい顔つきで街門をくぐる。
門番の姿すらない。通りに面した店はほとんどが固く木の板を打ち付けられ、閉鎖されていた。
「どうなってるのよ……。三年で、街が一つ死んじゃったみたいじゃない」
ミナが帳簿を胸に抱きしめながら、不安げに周囲を見回す。
「計器の反応も異常です! 大気中の魔素濃度が、王都の十分の一以下……いえ、計測不能なレベルにまで低下しています。これでは、まともな生活魔法すら使えません!」
ニアが持っていた小魔槽の測定器の針が、ゼロに張り付いたまま動かなくなっていた。
「まあまあ、そんなに深刻な顔すんなよ!」
俺は重苦しい空気を吹き飛ばすように、無理に明るい声を出した。
「ここまで歩き通しで疲れたんだろ! 宿もやってなさそうだし、とりあえずこの辺の道端で少し昼寝しようぜ! 地面はいつだって無料だからな!」
俺はそう言って、ひび割れた石畳の上に、大の字になって勢いよく寝転がった。
「あー、やっぱり旅の途中の地面は最……アッツゥゥゥッ!!??」
俺は背中を焼くような猛烈な熱さに、カエルのように飛び起きた。
「なっ、なんだこの地面! めちゃくちゃ熱いぞ!!」
「ちょっとカイ、何やってんのよ!」
「無料の地面で寝ようとしたら、目玉焼きが焼けそうなくらい熱かったんだ! 無料だからって、なんでもいいわけじゃないんだな! 熱くてとても寝られないぞ!」
俺が尻を擦りながら飛び跳ねていると、ミナが「あんたのその能天気さには呆れるわ……」と深いため息をついた。
「でも、確かに異常な熱さね。太陽の光だけでここまで石が焼けるはずがないわ」
「環境魔力が枯渇したことで、地脈を流れる地熱を抑えきれなくなり、地表に直接熱が伝わってしまっているんです」
ニアが地面に手を触れ、顔をしかめた。
「カイさん。この環境は、あなたにとって致命的です。試してみてください」
「ん? ああ」
俺は熱くなった地面を冷まそうと、《環流術》を使って涼しい風を引っぱってこようとした。
だが。
「――そらっ……あれ?」
俺の体を通るはずの風が、全く反応しない。
大気中にも、地面の中にも、力を借りるべき『流れ』が完全に死に絶えていた。
「無いものからは、借りられない。……この街全体が、王都の封魔室の中と同じ状態になってるってことか」
俺は自分の両手を見つめた。
自然の力を借りて返すのが俺の魔法だ。その自然自体が力を失い、痩せ細ってしまっているこの場所では、俺の力は極端に弱まってしまう。
「……行こう。街の中央広場だ」
故郷の変わり果てた姿に青ざめていたザザが、力なく足を踏み出した。
「あそこに、人が集まってる気配がするわ」
俺たちはザザの後を追い、干上がった水路に沿って街の中心へと向かった。
広場に出ると、そこには数百人もの街の住人たちが集まっていた。だが、活気は微塵もない。誰もが皆、ザザの記憶にあるような職人の力強い顔ではなく、頬がこけ、唇はひび割れ、虚ろな目をして、ある一つの建物の前に長い長い列を作っていた。
「配給だ……。王都の備蓄倉から送られてきた、わずかな水と食料の配給を待ってるのよ」
ミナが列の先頭の様子を見て呟いた。
建物の前では、見覚えのある灰色の制服を着た男たち……王立充足院の委託実務官たちが、もったいぶった態度で小さなカップに水を注ぎ、住人たちに手渡していた。
俺は、その列の最後尾の近くで、フラフラと立ち尽くしている二人の姿に目を留めた。
若い母親と、俺の腰くらいの高さしかない小さな男の子だった。
母親は自分の着ていた布を男の子の頭から被せて日差しを遮り、男の子は母親の服の裾を力なく握りしめている。男の子の唇は、血が滲むほどに乾燥して白くひび割れていた。
「……おい」
俺は無意識に、その母子に向かって歩き出していた。
「おい、カイ? どこへ行く気だ」
ダインが静止するのも聞かず、俺はフラフラと倒れそうになっている母親の肩を支えた。
「大丈夫か? しっかりしろよ」
俺が声をかけると、母親は虚ろな目を俺に向けた。
「……水……。お願い、この子に、一口だけでいいから、水を……」
そのひらがなのようにか細い声は、俺の耳の奥に深く突き刺さった。
俺はこれまで、何か足りないものがあっても、「まだこれがあるじゃないか」「これでも十分幸せだろ」と笑って済ませてきた。
金がなくても、魔力がなくても、俺は楽しかった。
でも、目の前のこの干上がった街と、虚ろな目をした人々を見て、俺のその『いつもの言葉』は、喉の奥に引っかかって出てこなかった。
水のない街で、子どもの呼吸が細くなっていくのを見た。俺は水筒の栓を抜きながら、明日この子が飲む分をどこから持ってくるか、そればかり考えていた。




