第29話「何もない場所では、俺も弱い」
王立魔術院の地下最深部。
そこは、昨日見学した活気あふれる公共水道のポンプ施設とは全く違う、ひんやりとした静寂に包まれた空間だった。
「ここが『封魔室』だ」
魔術院の教官が、分厚い鉛と謎の金属で補強された重々しい扉の前で立ち止まった。扉の表面には、幾重にも複雑な呪符が刻み込まれている。
「この部屋は、外部からの魔力干渉を一切遮断するために造られた特殊な実験施設だ。大気中の魔素はもちろん、地下水の脈動や、微細な風の流れすら、この鉛の壁と呪符が完全に弾き返す」
教官は厳格な顔つきで俺たちを振り返った。
「カイ殿。君たちの提案する『一枚葉』による技術管理と安全基準を、国として正式に認可するための最終試験だ。君を含むパーティの五人でこの部屋に入り、外部からの助けを一切借りずに、自力でこの扉を開けて脱出してみせなさい」
「おう! そういうことなら任せとけ!」
俺が元気よく返事をすると、充足院の役人も深く頷き、「期待しているぞ」と声をかけてきた。
俺とミナ、ダイン、ザザ、そして案内のために同行していたニアの五人が部屋の中へ足を踏み入れた直後。
ズォォォン……ッ!
という腹の底に響くような重い音を立てて、分厚い扉が完全に閉ざされた。
部屋の中は、天井の隅にある安全灯の薄明かりだけが頼りだった。灯には術式がなく、密閉した油が使われている。
広さは王都の宿屋の一室くらい。壁も床も天井も、すべて継ぎ目のない鈍色の金属で覆われている。
「……なんだか、息苦しい場所ね。耳鳴りがしそう」
ミナが腕をさすりながら身震いした。
「外からの魔力は届かない。だが、剣は振れる。体でできることは残っている」
ダインが腰の長剣を少しだけ抜き、空を薙いでみてから険しい顔をした。
「外からの供給を断つ実験室ね。避難経路の表示はあそこ。緊急時は教官が開けられるのね?」
ザザが壁をコンコンと叩きながら感心している。
俺は部屋の中央に立ち、目を閉じて『残り見』の感覚を限界まで広げた。
……しーん。
本当に、見事なまでになにもない。
森の中で感じた『枯渇区画』に似ているが、それ以上に徹底的だ。風のうねりもない。床下から伝わる大地の弾力もない。空気の温度差が生み出す微細な対流すら、この部屋の呪符が完全に平滑化してしまっている。
「ふむふむ。なるほどな」
俺はゆっくりと目を開け、腕を組んで深く頷いた。
そして、その場でペタンとあぐらをかいて座り込んだ。
「うーん、何もないの、困るな!」
「…………え?」
ミナが間抜けな声を出す。
「いやぁ、本当にすっからかんだ! これじゃあ俺の《環流術》は一ミリも使えないぞ。扉を開けるなんて絶対に無理だな。まいったまいった!」
俺が頭の後ろで手を組み、あっけらかんと笑って見せると、四人の間に数秒の沈黙が落ちた。
そして。
「諦めるのが早すぎるわよッ!!!」
ミナとザザの怒声が見事にハモり、俺の左右の頬が同時に引っ張られた。
「い、痛い痛い! だって本当に何もないんだから仕方ないだろ!」
「あんたねぇ! ここで安全性を示さなきゃ、講習も検査も任せてもらえないのよ。ひとりでできないなら、私たちを使いなさい!」
「そうよ! あたしの金槌の改造費もかかってるんだから!」
「いやいや、無理なものは無理だ! 俺の術は『そこにある流れを借りる』魔法なんだぞ! 種がない畑から作物は育たないのと同じで、源がない場所からは何も借りられないんだ。俺は、こういう何もない場所ではただの男なんだよ」
俺が素直に弱点を認めると、ダインが深い溜め息をついた。
「カイの言う通りだ。無いものは借りられない。それが彼の術の絶対的なルールにして、最大の限界なのだろう」
「そんなぁ……。じゃあ、あたしたちここで試験失敗? 一生遊んで暮らせる権利が……」
ミナが膝から崩れ落ち、絶望の表情で金属の床に突っ伏した。
「……あの、皆さん」
そんな俺たちのドタバタ劇を、部屋の隅でじっと見ていたニアが、控えめに手を挙げた。
「カイさんが外部の魔力を借りられないのは、教官も承知の上です。だからこそ、この試験は『パーティの五人で』挑むように指示されたのだと思います」
「どういうことだ、ニア?」
ダインが問いかけると、ニアは灰色のローブのポケットをごそごそと探り、一つの小さな石を取り出した。
それは、親指の先ほどの大きさしかない、淡く青い光を放つ結晶だった。
「『小蓄魔晶』です。私のように魔槽が小さい魔術師が、緊急時に魔力を補填するために持ち歩く許可制の備蓄アイテムです」
ニアは丸眼鏡をキラリと光らせ、俺の目の前にその結晶を差し出した。
「教官は『外部からの助けを借りるな』とは言いましたが、『内部に持ち込んだアイテムを使うな』とは一言も言っていません」
「おおっ! それ、中に魔力が詰まってるのか!?」
俺が目を輝かせると、ニアは自信満々に頷いた。
「はい。微量ですが、確かな魔力源です。カイさん、あなたの術は『源がない場所では使えない』。ならば……私が持ち込んだこの『備蓄』を源にして、流れを作ることはできませんか?」
「…………!」
俺は、ニアの手の中にある小さな石を見つめた。
俺の《環流術》は、自然の中にある巨大な力を借りるものだと思い込んでいた。だが、別に相手は山や川や風といった『自然』だけじゃなくてもいいのだ。
誰かが意図的に貯め込んだ力。
ミナが言う『明日の選択肢を守るための盾』と同じように、誰かが不測の事態に備えて用意してくれた『備蓄』。
それがあるなら、そこから借りて、通すことができる。
「ニア、お前天才だな! よし、ちょっと借りるぞ!」
俺はニアの手を両手で包み込むようにして、小蓄魔晶に触れた。
目を閉じる。
石の中に封じられた、澄んだ水の滴のような魔力を感じる。
本当に小さな力だ。普通の魔法使いなら、小さな火の玉を一つ出して終わってしまう程度の量しかない。
ほんの少ししか残っていない。扉を壊せる量ではなかった。
「鍵の構造を見せてくれ。開ける方へ力を使う」
ザザが扉の脇にある手動の解除盤を指し、ニアが小蓄魔晶の出力を測った。ダインは逃げ道を空け、ミナは検査規定を読み上げる。
「内側の解除弁へ、ほんの一息分だけ。無理に回すと石が空になります」
俺は結晶から力を細く借り、解除弁の軸へ通した。小さな金属音。残りの力は結晶へ戻せたが、鍵を回すのに使った分は戻らない。ニアが石の薄くなった光を見て頷く。
「鍵が外れた。ダイン、一緒に押してくれ!」
俺たちが扉を押すと、重い扉が軋みながら外側へ開いた。壊した場所はない。
開いた扉の向こう側で、教官と充足院の役人が、壊れていない鍵を確かめていた。
「鍵は正常に解除されている……小さな備蓄で、必要な分だけ動かしたのか」
「やった! 安全試験はこれで合格ね。契約の条文は、帰ってから私が確認するわ」
ミナが飛び上がって喜び、ザザとダインも安堵の息を吐く。
俺は振り返り、ニアに向かってニカッと笑った。
「ありがとな、ニア。お前の備蓄がなければ鍵は動かなかった。使った分は減ったけど、それで扉が開いたんだな」
「はい。蓄えておいた少量を、必要な場所へ無駄なく届けられました。次は石を補充しなきゃ」
ニアも興奮で顔を紅潮させ、羽ペンで猛スピードでメモを取っている。
「す、素晴らしい……」
充足院の役人が俺たちへ歩み寄り、深々と頭を下げた。
「安全試験の合格を記録しよう。公開講習と検査の条件については、王立充足院と一枚葉で正式な書面を……」
役人が控えの紙を広げた、その時だった。
ビィィィィィィィィンッ!!!!
王立魔術院の地下全体に、耳をつんざくようなけたたましい警報音が鳴り響いた。
赤い警告灯が回転し、廊下の奥から数十人の職員や騎士たちが血相を変えて飛び出してくる。
「な、何事だ!」
教官が近くを走っていた職員を捕まえて怒鳴った。
「きょ、教官! 大変です!」
職員は真っ青な顔で、信じられない報告を口にした。
「王都の地下にある、第一から第三までの『大供給槽』の魔力圧が突如として急上昇し……現在、制御不能に陥っています! このままでは、あと数十分で魔力炉が暴走し、王都の地下が吹き飛びます!!」
「なんだと……!?」
役人と教官の顔が、絶望に歪む。
俺たちは顔を見合わせた。
昨日見学した、あの巨大な蓄魔晶が並ぶ地下施設。あそこが今、暴走しようとしているというのか。
「……行くぞ、みんな」
俺はダインとミナ、ザザ、そしてニアの顔を順番に見て、力強く頷いた。
「せっかく契約がまとまりそうなのに、王都が吹き飛んだら大損だからな!」
警報が鳴り響く中、俺たち『一枚葉』の五人は、王都の地下を目指して走り出した。




