第28話「技術はいくらで売れる?」
王宮の古い資料庫で、師匠の若き日の肖像画と『四十年前の真実』に触れた、翌朝。
俺たち『一枚葉』の四人は、昨日適性試験を受けた王立魔術院の一室、やけに重厚な調度品が並ぶ合同会議室に呼び出されていた。
「よく来てくれた、カイ殿。それに一枚葉の諸君」
大きな楕円形のテーブルの向こう側には、昨日の教官の他に、灰色の高級そうな制服に身を包んだ初老の男が座っていた。胸元には、河港リュドで見たのと同じ『王立充足院』の紋章が輝いている。
その後ろには、抱えきれないほどの資料の山を持ったニアが、丸眼鏡を誇らしげに光らせて立っていた。
「私が教官に掛け合い、徹夜であなたの《環流術》の基礎導力式を論文にまとめ上げました! 魔槽が測定下限未満の者が外部魔力を制御する新理論……魔術院と充足院の上層部も、これを完全に『画期的な新技術』だと認めたんです!」
ニアがドヤ顔で胸を張る。
「おう、ニア! よくわからんが、徹夜は体に悪いからほどほどにな!」
俺が呑気に笑うと、充足院の男が静かに咳払いをした。
「単刀直入に申し上げよう。カイ殿、君が使うその『自然の魔力を借り、循環させる技術』は、現在の王国の魔力備蓄システムが抱える偏りや枯渇問題を、根底から解決する可能性を秘めている。我が王立充足院は、この技術を国家の最重要機密として『独占的』に買い取りたい」
「独占的に?」
俺が首を傾げると、男は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上を滑らせてミナの前に置いた。
「これが、充足院が提示する『技術独占買取契約』の条件と、その対価だ。目を通していただきたい」
ミナが、スッと商人の冷徹な顔つきになって羊皮紙を手に取った。
「……フン。国を挙げての独占契約となれば、相応の額を出してもらわないと……」
ミナの視線が、羊皮紙の金額欄に落ちる。
「…………え?」
次の瞬間、ミナの顔からスッと血の気が引き、商人の冷徹な顔が、完全に溶けたスライムのようなアホ面へと変貌した。
「ミ、ミナ?」
「い、一、十、百、千、万……」
ミナの指先がプルプルと震え、羊皮紙を持つ手がガタガタと音を立てる。
「えっ、ちょっと待って……これ、本当に……? ゼロの数、間違ってない……?」
「充足院の総意として提示した正当な評価額だ。それにサインをすれば、君たちは一生、いや孫の代まで王都の豪邸で遊んで暮らせるだろう」
役人の言葉に、ダインとザザも身を乗り出して金額を覗き込んだ。
「なっ……!?」
「うそっ、あたしの故郷の鉱山が山ごと買えるわよこれ!?」
百戦錬磨のダインが目を剥き、浪費家のザザが悲鳴を上げる。
「カ、カイ……ッ!」
ミナが、よだれを垂らしそうな顔で俺の肩をガシッと掴んだ。
「サインして! 今すぐサインするのよ! これがあれば、あたしの実家の宿屋なんて百軒は買い戻せるわ! 一生遊んで暮らせるのよ! さあ、羽ペンを握って!!」
ミナは完全に魂を売り渡していた。かつてないほどの凄まじい握力で、俺の手に無理やり羽ペンを握らせようとしてくる。
「いっ、痛い痛い! 落ち着けミナ!」
俺はミナの顔をペシッと叩いて正気に戻し、テーブルの上の羊皮紙を手に取った。
確かに、見たこともないような桁の数字が並んでいる。
だが、俺は少しも胸が高鳴らなかった。鉄鍋を買った時のような、「これが欲しい」というワクワク感が全く湧いてこないのだ。
「……おっさん」
俺は羊皮紙をテーブルに戻し、充足院の役人を真っ直ぐに見据えた。
「この金はすごいと思う。だけど、この契約にはサインできない」
「な、なにィィィィッ!?」
ミナが隣でこの世の終わりのような絶叫を上げたが、俺は無視して言葉を続けた。
「この《環流術》は、確かに俺の師匠の爺さんが編み出した技だ。だけど、自然の風や水を『借りて返す』だけのこの力は、俺のものじゃない。ましてや、あんたたち充足院が独占して、宝箱の奥に隠していいものじゃないんだ」
「独占を拒否すると言うのか? これほどの額を提示されておきながら……君は無知な無欲なのか?」
役人が怪訝な顔で眉をひそめる。
「無欲じゃないさ。俺だって金は欲しいし、美味い飯も食いたい。でもな」
俺は、昨日の資料庫で見た爺さんの肖像画と、『断流罪人』の記録を思い出していた。
「技術を誰かが独占して、一部の人間だけで管理しようとするから、枯渇したり、見捨てられる場所ができたりするんじゃないのか?」
俺の言葉に、役人はハッとして口を閉ざした。
「爺さんの技は、もっと開かれた場所にあるべきなんだ。だから、独占契約は断る」
俺がキッパリと言うと、ミナが「ああっ、あたしの五百金貨……」と机に突っ伏して泣き崩れた。
だが、俺はミナの背中をポンと叩いた。
「泣くなミナ。ただ断るだけじゃない。ちゃんと稼ぐ方法は考えてある」
「……え?」
俺はニアの方を向いた。
「ニア。お前、俺の術を難しい計算式にしたんだよな。それ、誰でも読めるのか?」
「はい! 基礎的な魔力制御を学んだ者なら、理論上は誰でも理解し、応用できるはずです!」
「よし。じゃあ、おっさん。提案がある」
俺は充足院の役人に向かって、指を一本立てた。
「術の基礎は公開する。ただし、危ない使い方まで勝手に広めていいわけじゃない。安全な手順はみんなで確かめたい」
「公開だと? それでは何の利益にも……」
「最後まで聞けよ。でも、この術は『返す』ところまでやらないと、周りに歪みが出る。間違った使い方をすれば大事故になる。だから、その技術の『講習』や『安全基準の管理』、正しい手順の試験は、俺たち『一枚葉』が引き受ける」
俺はミナを見下ろしてニヤリと笑った。
「教える仕事と、手順の検査は一枚葉で引き受ける。基礎を習うだけなら誰でも使えるようにする。報酬をもらう範囲は、ミナと役人で決めてくれ。……どうだ?」
ミナの泣き顔が、一瞬で商人の鋭い顔つきへと変貌した。
「公開講習と検査の仕事なら、続けて収入になる。基礎の使用料は取らない。検査基準は魔術院と現場と一緒に作る。そういうことね」
ミナはパチンと指を鳴らし、立ち上がった。
「独占契約ほど一度には入らないけど、仕事として育てられる。私たち以外も使えるなら、その方がいいわ」
さっきまで絶望していたミナが、今度は羽ペンを握りしめて役人に詰め寄った。
「独占条項は削除。講習と検査の委託範囲、費用、事故時の責任をそれぞれ協議しましょう。今ここで全権を一枚葉に預けるとは書かないでください」
充足院の役人と魔術院の教官は、顔を見合わせて苦笑した。
「……やれやれ。まさか王宮の提示した独占契約を蹴って、自ら運用機構を立ち上げるとは。だが、技術が広く安全に国へ浸透するならば、我々としても否やはない」
役人は分厚い羊皮紙を引き下げ、新たな契約の準備を部下に命じた。
「しかし、カイ殿。君たちの提案する『安全基準』を国として正式に認可するためには、一つだけ越えなければならない壁がある」
「壁?」
役人の目が、鋭く光った。
「君の《環流術》は、外部の流れを借りる技術だ。では、もし『外部の魔力が一切存在しない場所』に閉じ込められた時、君の力はどうなる?」
俺は首を傾げた。
「そりゃ、借りるものがないんだから、俺もただの力持ちの兄ちゃんだぞ?」
「それでは困るのだ。非常時や災害時においても運用できる保証がなければ、国家のインフラ技術としては承認できない」
教官が立ち上がり、重々しい声で告げた。
「これから、君には魔術院の地下にある特殊な実験施設へ入ってもらう。外部からの自然魔力、および風や水などの物理的な環流要因をすべて遮断した密閉空間……『封魔室』だ」
「封魔室……」
「そこで、術が機能しない状態からどのようにして脱出・解決を図るか。その『限界試験』を突破できれば、君たちの提案を全面的に受け入れよう」
俺は横にいるニアを見た。
ニアは丸眼鏡を光らせ、コクリと力強く頷いた。
「カイさん。大丈夫です。私と、『備蓄』の力があれば」
俺たち『一枚葉』の、本当の実力と対応力を示すための最後の試験が、始まろうとしていた。




