第25話「世界で一番高い水」
「今宵、王宮で開かれる晩餐にご招待いたします……だって」
王都の石畳を歩きながら、ミナが手の中にある金箔押しの招待状を何度も見直しては、深いため息をついていた。
「どうしたミナ、ため息なんか吐いて。タダで王様のご飯が食えるんだぞ! 最高じゃないか!」
「あんたねぇ……王宮の晩餐ってことは、王族や貴族、国のトップの人たちが集まる場なのよ? そんなところに、あたしたちみたいな平民の冒険者が、しかも泥だらけのブーツで行っていいわけないでしょ! ああもう、予備費から礼服のレンタル代を捻出しないと……」
ブツブツと計算を始めるミナの横で、俺は「服なんてなんでもいいだろ」と笑い飛ばした。
今は昼過ぎ。晩餐が開かれるのは夜だ。それまでの時間をどう潰すか考えていると、魔術院のローブを着た小柄な少女――ニアが、分厚い本を抱えて俺たちに追いついてきた。
「カイさん! 先ほどの試験のデータ、本当に素晴らしいです! 測定下限未満の魔槽しか持たないあなたが外部の魔力を循環させるメカニズム、私の中で一つの数式として組み上がりつつあります!」
「おう、ニア! よくわからんが、お前の役にも立ったならよかったよ!」
「はい! それで、夜の晩餐までの間、もしよろしければ私が王都を案内しましょうか? お礼も兼ねて」
ニアの提案に、俺はパッと目を輝かせた。
「おおっ! じゃあさ、この街の地面から水が噴き出してくるやつ! あの大元がどうなってるのか見てみたい!」
「公共水道の供給施設ですね。わかりました、王都のインフラの心臓部へご案内します。私の研究員パスがあれば見学区画まで入れますから」
ということで、俺たち『一枚葉』の四人は、ニアの案内で王都の地下深くに造られた巨大な施設へと向かった。
「うおおおおっ! すっげえええっ!」
地下施設に足を踏み入れた瞬間、俺の歓声がコンクリートの壁に反響した。
そこは、まるで一つの街が丸ごと収まりそうなほど巨大な地下空間だった。太い鉄のパイプが血管のように張り巡らされ、中央には見上げるほど巨大な青白い結晶――『蓄魔晶』がいくつも鎮座している。
「これが王都の公共水道を支える、主導力ポンプと浄水システムです」
ニアが誇らしげに解説を始める。
「あの巨大な蓄魔晶に貯められた魔力を使って、地下深くの清浄な水脈から水を汲み上げ、さらに浄化の魔法をかけながら街の隅々まで圧送しているんです」
「このデカい石が、街中の水を動かしてるのか! やっぱり王都の人間は魔法使いというより、すっげえ職人だな!」
俺が感心して見上げていると、ダインも腕を組んで頷いた。
「これだけの規模の魔力備蓄を維持するのは並大抵のことではないはずだ。国の豊かさの象徴とも言えるな」
俺たちは施設の中央にある、見学者用の安全な通路を歩きながら、轟音を立てて稼働する機械の鼓動を感じていた。
だが、その時だった。
バコンッ!! という鈍い破裂音が、地下空間の奥から響き渡った。
「なっ、なんだ!?」
「きゃっ!」
ミナとザザが驚いて身構える。
見れば、俺たちから少し離れた旧区画へと繋がる導水管の一部が破裂し、そこから恐ろしい勢いで水が吹き出していたのだ。
「緊急事態だ! 第四区画の予備導水弁が破損したぞ!」
施設の職員たちが慌ただしく走り回る。吹き出した水はあっという間に通路を満たし、俺たちの足首の高さまで冠水し始めていた。
「いけません、あの勢いだとすぐにこの見学通路も水没します! 皆さん、早く地上へ避難を……!」
ニアが俺たちの背中を押そうとした、その瞬間。
「えーん! お母さぁーん!」
水が吹き出しているパイプのすぐ近く、冠水が激しい奥の通路に、見学に来ていたらしい五歳くらいの男の子が一人、取り残されて泣き叫んでいるのが見えた。
「まずい、あの子、逃げ遅れてる!」
ザザが叫ぶ。男の子の周囲はすでに大人の膝の高さまで水が溜まり、水の勢いで足を取られて動けなくなっている。
「ダイン、ザザ! 手伝ってくれ!」
「承知した!」
俺は迷わず、濁流が渦巻く通路へと飛び込んだ。ダインとザザもそれに続く。
「おじさん! あの水を止めるにはどうすればいい!?」
俺が叫ぶと、避難しようとしていた作業着の職員が、奥の壁際にある巨大な鉄のハンドルを指差した。
「あ、あの主弁を手動で右に回して締めれば、流入は止まる! だが水圧が強すぎて、大人数人でも回せるかどうか……!」
「わかった!」
俺は力任せにパイプを壊すような真似はしない。これは街の人間が苦労して作った『備え』だ。壊せば元に戻すのが大変になる。
俺たちは水の中を強引に進み、巨大な鉄のハンドルに取り付いた。
「ダイン、ザザ、俺に合わせて回せ! せーのっ!」
「フンッ!!」
「うおりゃぁぁっ!」
俺の怪力と、騎士であるダイン、鉱山で鍛えたザザの馬力が合わさる。
ギギギギギギ……ッ!
水圧に逆らい、鈍い音を立てて主弁のハンドルが回り始めた。
「よし、閉まったぞ!」
ドスン、と弁が完全に閉鎖され、パイプから吹き出していた水がピタリと止まった。
だが、問題はまだ終わっていなかった。
「カイ! 水が止まっても、溜まった水が引かないわ!」
ミナが安全な場所から叫んだ。
地下の密閉された通路の構造上、すでに溜まってしまった大量の水が行き場を失い、プールのようになっていた。男の子の身長では、すでに首元まで水が迫っている。
「このままじゃ溺れちまう! よし、俺の出番だ!」
俺は男の子のそばまで泳ぐと、水の中に両手を突っ込んだ。
周囲には、この地下施設本来の太い『排水路』の気配がある。
「――少し、借りるぞ!」
俺は通路に溜まった『水』そのものに意識を引っ掛けた。
俺の体を筒にして、行き場を失った水を、本来流れるべき奥の排水路へと『通す』。
ゴボボボボボッ!
俺の足元を中心に、小さな渦巻きが発生した。通路を満たしていた水が、まるで巨大なストローで吸い上げられるように俺の体をすり抜け、排水路へと一気に流れ込んでいく。
「なっ……! 水が消えていくぞ!?」
職員たちが目を剥いて驚愕する中、数十秒で通路の冠水は完全に解消された。
「返すぞ」
俺は残った水の勢いを元の排水路の自然な流れへと戻し、ペタンと座り込んで泣いている男の子を抱き上げた。
「ほら、もう大丈夫だぞ。怪我はないか?」
「う、うわぁぁぁん!」
男の子は俺の首にしがみついて大泣きし、すぐに駆けつけてきた母親の元へと無事に引き渡された。
「……信じられん。魔力を使わずに、あれだけの質量の水を一瞬で移動させるなんて」
事態が収束し、濡れた服を絞っている俺たちに、施設の責任者らしき初老の男が深いお辞儀をした。
「君たちのおかげで最悪の事態は免れた。施設の被害も最小限で済んだ。本当にありがとう」
「いいってことよ。それよりおっさん、この施設、直すの大変そうだな」
俺が言うと、責任者は苦笑しながら頷いた。
「ああ。破損した弁の交換だけで何日もかかる。その間、蓄魔晶の出力を調整し、街の給水制限をかけなければならない。膨大な労力と費用がかかるよ」
その言葉に、俺は首を傾げた。
「費用? 水なんて、地面から湧いてるものを流してるだけだろ?」
俺の疑問に、ニアが横から眼鏡を光らせて口を挟んだ。
「カイさん、それは山での話です。王都の何十万という人間に、毎日安全な水を届けるためには、この施設を稼働させる巨大な蓄魔晶の定期的な補充、配管の保守点検、そしてそれを管理する職員の給金が必要です。それらはすべて、市民から集めた『税金』という莫大なコストで賄われているんですよ」
「……税金?」
「はい。あなたがさっき広場で飲んだ『無料の水』は、魔法で無から生み出されたものではありません。多くの人間の備えと、技術と、お金が形になったものなんです」
ニアの言葉が、俺の頭の中にストンと落ちた。
蛇口を捻れば出てくる水。それは、決して空からタダで降ってきたものじゃない。
見えない地下深くで、こういうおっさんたちが汗水流して、巨大な機械を動かして、必死に守り続けている『備え』の結晶なのだ。
「……そうか」
俺は、さっきまで水を吹き出していたパイプと、それを必死に直そうとしている職員たちを見つめた。
「無料に見えるものにも、ちゃんと誰かが備えてくれた力が入ってるんだな。街の人間ってのは、本当にすごいぜ」
俺が本気で感動して呟くと、ダインもミナも、俺の成長を喜ぶように優しく微笑んでくれた。
……しかし、真面目な感動はそこまでだった。
「なるほどな! そういうことなら、計算が必要だ!」
俺は突然、何かに気づいたように立ち上がり、ぶつぶつと独り言を言い始めた。
「この巨大な施設を作るのにかかった費用が銀貨何万枚だとして、それを王都の人口で割って、さらに毎日出てくる水の量で割れば……」
「ちょっとカイ? 何を計算してるの?」
ミナが怪訝な顔をする。
「決まってるだろ! さっき広場で飲んだ水一杯の『本当の値段』だよ! これだけの苦労と金がかかってるんだ、絶対にタダなわけがない! もし一杯が銅貨一枚分だとしたら、俺は今日だけで銅貨五枚分はタダ飲みしたことになる!」
俺は完全に商人のような目つきになり、さっき救助したばかりの男の子(すっかり泣き止んで母親に抱かれている)の元へとツカツカと歩み寄った。
「おい、そこの坊主! お前、今日水汲み場で水飲んだか!?」
「えっ? う、うん……」
「そうか! じゃあ、お前が飲んだその水、本当はいくらだと思ってる!? この地下の配管の保守費用と蓄魔晶の減価償却費を考えたら、お前はとんでもない贅沢を……!」
「ストップゥゥゥッ!!」
ミナの強烈な飛び蹴りが、俺の背中に炸裂した。
「痛っ! 何すんだよミナ!」
「あんたが何してんのよ! なんで命を救った直後の五歳児に、水道インフラの原価計算と税金の話を熱弁してんのよ! しかもちょっとあたしの影響受けてるし! 恥ずかしいからやめなさい!」
「だって、無料のものほど高いって気づいたんだぞ! 俺は真実に辿り着いたんだ!」
「その真実を子供に突きつけないで!!」
地下施設に、ミナの怒号と俺の抗議の声がこだまする。
責任者のおっさんも、ニアも、ダインも、全員が腹を抱えて笑い出した。
すったもんだの末、俺たちは施設の見学と救助活動を終え、地上へと戻ってきた。
外に出ると、太陽はすでに西の地平線に沈みかけ、王都の空は美しい紫紺色に染まり始めていた。
街のあちこちで、あの魔力街灯がぽつぽつと光を灯し始めている。
「さて。いい時間になったわね」
ミナが、パンパンと服の埃を払いながら、気を引き締めるように言った。
「行くわよ、カイ、ダイン、ザザ。いよいよこの国の一番高い場所……『王宮』での晩餐よ。粗相をしたら、それこそいくら請求されるかわからないからね!」
「おう! 王様が食う飯って、どんな味がするんだろうな! 腹減ったぜ!」
俺は、今夜のタダ飯(とんでもなく高価なはずだ)に思いを馳せながら、黄金色に輝く王宮の尖塔に向かって歩き出した。




